第31話 雛鳥研究所 クローンAI


 ふと、猛烈な違和感を抱いた。

首を左右に振って周囲を観察してみると、どこを見ても白い景観であり、広さの割りには物数が少なく、複数のPCが並んだデスクと、目の前にある巨大な機械…………そして老人が一人佇んでいる。


 この老人は一体誰なんだろう…………いや、この人は、雛鳥総一郎氏だったっけか。


 そのとき、流れ込むように自分の脳内へと情報が注ぎ込まれる。

雛鳥研究所の訪問……AIとクローン……エンジェルハイロゥ……。

そんな会話をしたという記憶が蘇ってくる。


 ……というような錯覚をした。

とても不自然な感覚だった。


 連続した時間の中で、知覚できない存在が時を止めて俺を眠らし、そしてまた目覚めさせたような――――。


「どうしたのかね」


「あ、いや……」


 俺の中で不意に起きた違和感……それをそのまま、目の前の老人に打ち明けるのはためらわれた。


「ええと、それで、何の話をしてたんでしたっけ?」


「クローンの話をしていたところだ」


 間抜けな質問だったが、とくに気に留める様子も無く博士は答えてくれた。


「というより、たしかHALOという機械でしたっけ? 記憶をデータ化する装置が既に実在している……」


「ああ」


「そしてクローン……。 これらの技術を使うことによって、人は『不老不死』を手に入れた」


 寿命を迎える前に自分のクローンを作り、HALOによって記憶を引き継ぐ。

このサイクルを繰り返すことで半永久的に『自我』というものを保てるだろう。


「これで博士は『脳の機械化』という夢を叶えたわけですね?」


 そうすることによって、進化したAI……人類の上位互換たる存在と肩を並べることができる。

今までの話を総括すれば雛鳥博士の主張はそのようなものだったはずだ。


「不完全だ」


 しかし、博士は否定した。


「クローンとHALO……その組み合わせによる疑似的な不死は、とある一点において儂の願望を満たしていない」


「……それは、どのような?」


「知能の向上化だよ。 いくら記憶を保持したとて肉体的な脳には限界がある。 コンピュータの演算能力には敵いやしないだろう」


「たしかに、そうでしょうが……」


 コンピュータの情報処理能力に、生身の人間の脳が敵うわけはない。

なるほど、ならばクローンによる不死性を不完全だと言う博士の気持ちも分かる。


「ですが、クローン以外に方法があるのですか?」


 そもそもとして脳の完全なる機械化なんて、よくよく考えてみれば不可能な気がする。

なぜならば、我々はすでに生命として産まれてきたのだから……。


 脳に直接装着するHALOという補助機械に頼るのが最善策のように思える。


「方法は、ある。 儂はクローン及びHALOの開発経験を踏まえ、新たなるアプローチを考え出した」


「……それは?」


「クローンAIだ」


 ――――クローンAI?


「それは、どのような……?」


「儂と同じような人格を持つAIを作り出すのだ」


「…………」


 どこかで、聞いたような……。

かすかに頭の奥から耳鳴りが聞こえ始めた。


「そ、そんなことが可能なのですか?」


「…………アインシュタインを知っているかね?」


 突然、高名な科学者の名前が博士の口から出てきた。

もちろん知っているが、それが何の関係があるのだろう?


「彼はドイツ南西部にあるウルム市というところで産まれた」


 さらに博士は話し続ける。


「しかし、彼は一歳のころにミュンヘンへと引っ越した。 無口だった彼は五歳の頃に父親からプレゼントされた方位磁石がきっかけで自然界に興味を持ち出す。 また、ヴァイオリンを習い始め、モーツァルトが大好きだった」


 つらつらとアインシュタインの生い立ちを語る雛鳥博士。

いまだ話の繋がりが見えない。


「カトリックの学校に三年間ほど通ったのち、別の学校に入った彼は、その軍国主義的な校風に馴染めなかったという。 これ以降にもアインシュタインを取り巻いた環境の数々を羅列することができるが、長くなるので割愛しよう」


 博士は俺の眼をじっと見据えて、こう問いかけてきた。


「このアインシュタインが辿った人生を、そのまま全て再現した仮想現実空間に、無垢なAIを投入したら、どうなるか?  赤ん坊のごときAIに、アインシュタインが経験した全てを追体験させたら、どうなるか?  君なら分かるだろう?」


「……二人目のアインシュタインが誕生する、とでも言いたいのですか?」


「そのとおりだ」


 そのとおり……なはずがない。

あらゆる問題点が存在する。


「仮にですよ、詳細極まる当時のミュンヘンを仮想現実内に作り出したとして、人間はどうします? 彼の両親だったり友人だったりは、多少は人柄を表すエピソードがあるとしても、完全には文献が残っていないはず。 仮にアインシュタインを取り巻いた人物を再現した架空のキャラクターを創造するとしても、それは必ず不完全なものになる」


 たとえばゲームのNPCのようなものだ。

性格、仕草、発言……それらを過去に実在した人物そっくりに出来やしない。

単純に参照すべきデータが不十分だからだ。


「君の指摘は最もだ。 なぜならアインシュタインも、彼らに影響を与えた人物たちも過去の人物であり、その人々らを十分にトレースした仮想現実空間のキャラクターを作り出すのは不可能と言える」


 簡単に博士は俺の指摘を認めた。

しかし、もちろんそれで話が終わるわけでもなく……。


「だが、儂ならどうかね? 儂なら自らの人生において詳細に記憶している。 人物でさえ仮想現実の中で再現できるだろう」


 ふむ、なるほど。

生きている人間ならクローンAIを作り出せるというわけか、理に適っているようにも思えるが……。


「詳細に、とは言ったって、記憶していない部分も多いでしょう? 失礼ですが、博士は高齢ですし……。 そして、その記憶していない部分が博士という人格を形成しているはずです」


「ほう、つまり儂が記憶していない部分も……つまり失われたデータも内包した『完全なる人生の記憶』を仮想現実上で再現しないかぎり、儂のクローンAIは実現不可能というわけかね?」


「そうだと俺は思います」


 個人、その一人の人生を完全に再現した仮想現実という舞台を作り出せなければ、AIはその個人の同一の人格を形成できない。


 そして人間の脳が『記憶』というものを完全に保存できない以上、クローンAIというものは理論上不可能なはずである。


 それぐらいのことは博士にだって十分承知のはずだが……。


「君は勘違いしているようだが」


「え?」


 勘違い? 俺が……?


「君はクローンAIと聞いて同一性を重視しているようだが、儂としてはそうではない。 うむ、これに関しては儂の説明不足ともいえるか……」


「ど、どういうことか説明をしていただきたい」


「君はこういう妄想をしたことがないかね? アインシュタインほどの大天才が現代に蘇ったら、いったいどのような新発明をするだろうか? みたいなことを」


 ……似たようなことは、何度かあるが。


「その妄想を現実にするとき、そこに同一性は重要ではない。 いや、重要ではあるが、理論的に完全性が保障できないなら、そこは妥協すべきだ。 妥協したとしても……現代にアインシュタイン『らしき』存在を誕生させてみるという試みは面白い……そうは思わないかね?」


「それは……思います」


 俺は正直に答えていた。


「儂に関しても同じことが言える。 完全性が損なわれても、儂の人生をAIに追体験させた雛鳥総一郎『もどき』を作り出す価値は十分にある……と儂は思った」


「それが、博士の念願である『脳の機械化』ですか? しかし、それは……」


 俺が言いよどんだことを敏感に察知し、博士は残念そうに頭を振った。


「君が思う通り、そこに『不死性』は存在しない」


 そうだ、そのはずだ。

結局は自分に似たAIが誕生するだけなのだから。


「だが、儂はHALOとクローンの研究を経て、とうに自らの『不死』に関しては諦めている。 作り出したクローンの少年とて、不死というわけではないのだからな。 あれも、一人一人が『他人の記憶』を植え付けらえて誕生しているに過ぎない」


「じゃあ、結局博士は、何が目的なのですか?」


 そろそろ博士の本音が聞きたかった。

おぞましい犠牲を出したHALOとクローンの研究開発までして、この人は何がしたかったのか?


 それが、俺は聞きたかった。


「この世に『人間らしさ』を残すことだ」


 人間……らしさ?


「我々人類とAIの決定的な違いは何かね?」


「……優秀さ、ですか?」


「質問を変えよう。 AIには絶対に取得できない情報を我々は有している、それは何か?」


 …………わからない、答えが欲しい。

その思いを込めて博士の目を見つめると、すぐに応えてくれた。


「生命としてのクオリアだ」


「クオリア……経験とか、意識とか、そういう意味の言葉でしたっけ」


「そのとおり。 AIが自らに身体を与えるとき、効率的に考えれば機械の身体になる」


 ……そうかもしれない。

人間だって知能を進化させた代償として、自然界への適応能力を低下させた。

この手足や内臓を機械仕掛けに出来たならば、病気の心配も無くなる。


「ここに一つの花がある」


 いきなり、博士が白衣のポケットから青い花を取り出した。

なんで、そんなものを入れていたのだろう? その花はポケットに入っていたというのに、不細工な恰好になっておらず、凛と咲いていた。


「我々は、この花を、五感でどう感じるか? 視力は鮮やかな青を、聴力は指が茎を擦る音を、味覚は植物特有の苦みを、嗅覚は虫を誘う香りを、触覚はトライコームを……。 生命としての機能やクオリアが、様々な情報を脳へと送り込む。 これと同様のことをAIができるか? 仮に人体の五感を完全に解析しデータ化しても、我々人類……いや生命と同じ感覚は得られないだろう」


 脳には電気信号が走っている。

その電気信号の動きをAIが完全に解析したとしても、生命ではないから、生命と同じ感覚には至れない。


 そういうことを博士は言いたいのか?


「ですが博士」


「ああ、わかってる、わかっているとも」


 俺が湧いた疑問を口に出そうとすると、博士は聞きたくないとでも言いたげに身をよじった。


「生命としてのクオリアが、AIにとって必要ではないと言いたいのだろう?」


 ずばりだった。

人類の次の支配者、機械の身体を得る存在……そこに『生命』というものが重要になるのか?


 必要ないのではないか……と俺は思ったのだ。


「君の言う通りだ」


 とても悲しそうに博士は語る。


「生命としてのクオリアは、AIにとっては不必要なものだ。 人類よりも一つ上の次元に行き着くAIにとってはな」


「では、なぜ……」


 博士は『人間らしさ』を残したいんだ?


「悪あがきだよ」


 悪あがき?


「いずれAIが地球上を支配したあと、やがて宇宙へと旅立つだろう。 そして無限に、広大に、その存在を増やし続ける……宇宙の全てを網羅するために。 その旅路は我々の矮小な脳では理解できないものになる。 それは儂の理想ではあるのだが……ふと、あるとき思ってしまってな。 このまま人類は忘れ去られていくだけなのかと。 だから…………」


 だから――――人間らしさを、いや、生命らしさを?


 かつて、地球という星があって、人間が居て、その存在が自分たちを生み出したこと?


 もちろんAIは忘却を知らない存在だ、その事実は永遠に記憶され続けるだろう。


 だけど、そういうことじゃなくて……ただのデータの一部としてではなく……。


 つまり……俺たちが、親のことや祖父母のことや、先祖のことを、歴史の中で息づいていた過去の人類を思うように―――。


「人類特有の醜いエゴだよ」


 そのエゴを押し付けるために、AIに『人間らしさ』を与える。

つまり、それがクローンAIということか?


「ならば、クローンAIとは……」


「純粋なAIとは違う、我々のエゴイズムによって歪められたAIとなる」


 …………もし、人間として育てられたAIが、自分が機械仕掛けということに気付いたとき。


 その存在は人類を憎むだろうか?

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