第28話 スワンプマンとの約束


 血の足跡は二階まで続いていき、それはある場所で途切れた。


 科学部……だった。


 扉を開くべく、ドアノブに手をかける。


「開けるなっ!!」


 扉越しから聞こえてくる、その言葉を無視して、俺は扉を開け放った。

中は暗くて、よく見えないが、部屋の隅に小さな人影がうずくまっているのは視認できた。


 それに、俺は歩み寄る。


「来るなっ!」


 無視して近づいていく。

手を伸ばせば触れられる距離まで来たとき、月を隠していた雲が通り過ぎたのか、一際明るい月光が、その姿を照らした。


 ぬらぬらと濡れているような灰色の肌、膝を抱えた手の指は異様に長く、尻尾は自らの身体を守るように巻き付いている。


 俺は手を伸ばした。


「――――ガアァッ!!」


 ギザギザに大きく割れた口を全開にして吠える。

それはまるで獣の咆哮のようだった。


 その金色に光る眼を見据えて、俺は言う。


「アキラなんだろ?」


 アキラは俺の言葉に目を丸くする。

俺はブレザーを脱いで、それで親友の身体を包んだ。


 そして、隣に座る。


 今度は、アキラは何も言わなかった。

俺も……かける言葉が見つからなかった。


 ……そのとき、すすり泣く声が隣から聞こえてきた。

俺はそちらの方向を見ることはせず、ただ黙って片腕でアキラを抱き寄せた。


 アキラが泣くのは、初めてだ。

いや、それは俺にとっての初めてで、こいつは誰も居ないところで、一人だけで泣いていたのかもしれない。


 しかし、それについて聞き出すなんてことはしない。

そうすることをアキラが望まないなら、そんなことはしない。


 ただ、側に居てやるだけだ。

俺にはそれしかできない。


 だけど、もしアキラの口から打ち明けてくれるのなら。

俺なんかに何が出来るかは分からないけど、なんとかしてやりたいと思う。


 とにかく今は、ただこうして朝を待つ……アキラがそれを望むなら。


 ――――十数分ほど経っただろうか、アキラが泣き止んだ。

そして、あっちのほうから俺に話しかけてくる。


「……何も、聞かないのか?」


「アキラが何も言いたくないのなら」


「……でも、こんな俺の姿を見て、何も驚かないのか?」


「そりゃ、驚いたけど」


 なんだか、信じられないことや、恐怖な出来事ばかりが続いて神経が麻痺してしまったのかもしれない。

まるで強力な鎮静剤を打たれたように、心は静かだ。


「じゃ、聞くのが普通だろ。 お前の身体はどーなってるんだって」


「聞いていいのか?」


「…………」


 アキラはそれきり黙ってしまった。

それなら、それでもいいが。


 だが、やがてアキラは口を開いた。


「俺はな、改造人間なんだよ」


「改造人間……?」


「サイボーグとかじゃないぜ。 なんかこう……遺伝子を弄ったらしい。 トカゲやらカエルやらの遺伝子を使って、こういう風にしたんだと。 ハハ……まるでマンガだよな」


 マンガね……。

たしかにアメコミ映画ではよくある設定だ。

蜘蛛に噛まれてスーパーヒーローになる話もあるしな。


 しかし、これは現実だ。

俺の目の前に実物が居て、それが俺の親友なんだ。

笑い飛ばすことなんて出来ないし、これは何かの嘘だと突き放すこともしたくない。


「……で、なんで俺をこんな風にしたかというと、ま……『殺し』をさせるためだ」


「…………」


「バケモノを作って暗殺の仕事をさせるのさ。 さっきはああ言ったけど、実は学校に居た変なヤツラは既に殺してる。 俺はそういうことが出来るんだ」


「…………」


 重いことを次々と語るアキラに、俺は何も言うことは出来なかった。

何を言っても気休めにしかならないし、それは逆に神経を逆なでするものになるだろう。

だからこうして、黙って話を聞くことが精一杯だ。


 ――――とはいえ、一つだけ気になることがあった。


「あの銃を持った連中は何なんだ?」


 アキラの口から語られることを全面的に飲み込んだとして、武装した集団が学校内に居る事実は不思議というか、アキラのこととは無関係に思える。


「エピメテウスの対抗組織だと思う」


「――――エピメテウス?」


 なんだろう、どこかで聞いたような単語だ。

それもごく最近のことだと思うが……頭にモヤがかかったように思い出すことができない。


「エピメテウスってのは俺の居る組織な。 まぁ闇の組織ってやつだ。 で、同じような闇組織が刺客を送り込んできやがったのさ。 俺を殺すために……商売敵の商品を壊すためにな」


 ……本当に、想像を絶する話だな。

姿形を変えるほどに遺伝子を操作された人間が居て、暗殺者をやっていて、それを倒すために別の闇組織が刺客を送るなんて……。


「でも、なんで学校なんだ」


「だから、俺を殺すためだよ。 俺を場所を突き止めたんだろ。 今日は夜遅くまで学校に居残っていたからな」


「へぇ、なんで?」


「ほら、衣装……あれ、途中だったからさ。 あと、なんとなく家に帰る気がしなくてな」


「そうか……」


 ………………ん?

なんか……おかしくないか?


 夜遅くまで学校に居た? 衣装を作っていた?

ということは、その衣装を作るための作業場は当然、科学部になるわけで……。


 いやいやいや、その前に、タケシが言っていたじゃないか。


「今日、アキラお前、休みだって……」




 cut




 edit




「だから、俺を殺すためだよ。 俺を場所を突き止めたんだろ。 今日は夜遅くまで学校に居残っていたからな」


「へぇ」


「そしたらアイツらがやってきてな。 俺もまさか学校まで来るなんて思わなかったから、つい油断されて殺されちまった」


「……へぇ?」


「だから『新しい俺』が急いで来たってワケさ。 そしたら、お前が居てビックリしたよ」


「ちょ、ちょっと待ってくれ」


 なんか、会話の中の言葉がおかしいぞ。

そもそもが、まるで空想上の話のような信じられないものとはいえ……。


「殺されたって、なんだ?」


「……ああ、そのことはまだ話してなかったな」


 アキラは、しれっと言った。


「俺はな、クローンなんだよ」


「く、クローン?」


「ああ、そうさ。 クローンって言葉を知らないほどバカじゃないだろ?」


「そ、それは……わかるけど」


 クローンってのは、あれだろ?

一人の人間と、まったく一緒の人間を作る技術……SFの中の話のはずだ。


 でも、いま実際に、この姿をしているアキラが居る。

学校にも殺し屋が来た……今日の俺は驚くべき未知の体験ばかりだ。


 だったら、クローンも……?


「アジトには俺のクローンが沢山居るんだよ。 まぁ、大半は眠っているが、必要があれば目覚める。 今日みたいに、シャバに出ている『俺』が死んだらな」


「……記憶はどうなっているんだ?」


 仮にクローンの話が本当だとして、目の前のアキラは、もう一人の自分が死んだことを知っている。


 そして一日も置かず、日が昇る前に学校へと来た。

殺し屋に復讐するために……そういう内容の話だったはずだ、俺の聞いた限りでは。


 クローンってのは、よく知らないが作るのに時間がかかるんじゃないのか?

仮に作るのが一ヵ月かかるとして、そうしたら、そのクローンは一ヵ月前までの記憶しかないはずだ。


 長い間アキラと過ごしてきて、その記憶の齟齬やタイムラグを感じたことはないぞ?


「機械を使っているんだ」


「機械?」


「ここに埋め込んである」


 トントン、と人差し指で自分のこめかみを突つくアキラ。


「エンジェルハイロゥっていう洒落た名前の機械らしい。 この機械が俺の記憶をリアルタイムで逐一データ化してアジトに送っているんだと。 で、俺のクローンは目覚めるときに最新のデータをインストールするんだ。 スタンバイしているクローンにも機械は装着済みだからな」


「そう、なのか……」


「ああ。 つまり、この機械によって俺は監視されているとも言える。 だから組織から逃げるなんて無理なのさ」


「…………」


 自分の見るもの、聞くものが常にデータとして送信される。

そうなると、どこへ逃げても無駄だろう、簡単に居場所を特定されてしまう。


 だからこそアキラは組織に従順になっている。

やりたくもない暗殺の仕事をさせられているんだろう。


 …………想像以上の『悩み』だ。

俺なんかには、どうにもできないと言ったアキラの気持ちがよく分かる。


 でも、俺は……。


「ま、逃げられても意味ないけどな」


「……なんでだよ」


 意外なことをアキラが言い出したので、聞き返す。


「だって俺、数か月で死んじまうもん」


「……は?」


「遺伝子を改造しまくったせいで短命なんだよ。 ハムスターよりもな……ハハハ」


 自嘲するように、力なく笑うアキラ。

その様子を見て、俺は猛烈な怒りと、果てしないやるせなさを身体中で感じていた。


 こんな……こんなことがあっていいのだろうか?

バケモノにされて、勝手にクローンを作られて、いいように利用される……。


 どうにかして、それを逃れられたとしても、待っているのは抗いようのない短い寿命……。


 そんなの、悲しすぎるじゃないか。


「でもな、時々思うんだよ、それで良かったんじゃないかって」


「……え?」


 アキラが、その小さな頭を俺の肩に乗せて、言う。


「俺はもうすぐ……そうだなぁ、あと一ヵ月くらいで死んじまう」


「……でも」


「ああ、そうだな。 俺の記憶を受け継いだ、もう一人の俺が目覚める。 でもそれって、生き続けていると言えるのかな?」


「…………」


 わからない。

それはきっと、本人にしか分からない。


 だって俺は、ずっと今まで……アキラを一つの『個』として見てきたのだから。


「今までずっと……何人もの俺が死んできて、何人もの俺が生まれてきた。 でもそれは一本の線で繋がっているわけじゃない。 ただ、一人一人の人間が、別の人間の記憶を植え付けられて産まれただけだ」


 そうだ……だから、俺の、目の前に居るアキラは……。


「だったら俺も、俺が死んだあと、その先にあるのは……完全な無だ」


 そして……俺が今まで接してきたアキラ達も……。


「そう考えると、気持ちが楽なんだよな。 この地獄から抜け出せると思うとさ」


 ――――俺は何も、知らなかった。

親友の苦しみも、悲しみも、そんな虚しい考えに至ったことも。


「だから、俺のことは気にするな。 だから……次のアキラにもよろしくな」


「…………」


 だけど、今さら……『この』アキラに出来ることは、ほとんど何も無いのだろう。


「でも……もしよかったら、今、この瞬間を生きた『アキラ』のことも覚えていて欲しい」


 今、この瞬間、肌と肌が触れあっている、体温を感じている。

たしかな温もりを持つ『今』のアキラとの約束――――。


「ちょっとだけ、寂しいからさ」


 それだけが、俺に唯一出来ることなんだろう。

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