第27話 スワンプマンの足音


 まどろみの中で目が覚める。


「――――ハァ!?」


 驚きのあまり声をあげる。


 なぜか、暗闇の中に俺は居た。

場所は……何とか目をこらしてみれば、科学部の部室だと分かった。


「な、なんで」


 また、時間が跳んだ――――?


 どうして、どうして、どうして!?


 夕方から深夜へ、深夜から夕暮れ前へ、そしてまた夜――――。


 俺の身に何が起きている?

所構わず急に眠ってしまう病気にでもなったか?


 しかし、それだと腑に落ちない部分がある。

仮に俺が突然眠ってしまったとして、それをそのままにしてタケシが勝手に帰ってしまうだろうか?


 そんな不義理なヤツじゃないはずだ。

しかし現実には、暗い部室の中に、俺一人…………。


「………………くそ」


 自分の身に何が起きたのかは分からないが、とにかく一旦帰るしかない。

俺は立ち上がり、部室のドアを開けて廊下に出た。


 ――――身体中を寒風が突き刺す。

それが、誰かが廊下の窓を開けっぱなしにしていたからじゃないと、一目見て分かった。


「な、なんだこれ……」


 一面のガラス窓が、全て割れている。

破片が廊下中にバラ撒かれていた。


 只事ではない異様な光景に、足が竦む。

思わず左右を確認するが、その先にあるのは暗闇だけで、この惨状を巻き起こした存在は見当たらない。


「……うぅ」


 しばらく立ち止まっていた俺だったが、こうしていても仕方がないので、出口を求めて歩き出した。


 階段まで辿り着くと、その段差を一歩一歩確かめるように降りていく。

踊り場の窓は割れていないようだ……。


 一階まで辿り着き、そのまま下駄箱の方まで向かおうとして――――素早く身を隠した。


 人の話し声が耳に入ったからだ。


 その正体を確かめるべく、慎重に壁越しに顔を半分ほど出す。

右目には懐中電灯の光と、それを持った数人の姿が映った。


 夜の暗闇に紛れるような黒い服を着ているが、スーツっぽくは無い。

じゃあ、どんなものを着ているのかを確認するよりも、俺はライトに照らされているモノに釘付けになった。


 ――――なんだ、アレは。


 遠目では詳細は分からない。

しかし、それが人の形をしていて、なおかつ『そうではない部分』があるのも見て取れた。


 その人の形をしているものは、肌が黒……というよりは灰色で、表面が濡れたようにぬらぬらとしており、独特な光の反射の仕方をしている。


 そして長い長い尻尾があって……指も異常な長さをしている。


 そんな異形の人型が地面に倒れ伏していて、周りには夜の暗闇より黒い液体が広がっていた。


 それを数人が取り囲んで、ライトの光を当てながら何事かを話し合っている。


 ――――今、俺は、見てはいけないものを見てしまっている。


 今すぐに逃げなければ。


 階段側の壁から出している自分の顔面を引っ込めようとした刹那、ライトの眩しい光が右目を突き刺した。


「誰だっ!!」


 男の声だった。


 俺は瞬発的に身体を動かし、階段を駆け上がる。

後方から数人の駆ける足音が聞こえてくる。


 追いつかれてはまずい。

そして、相手より自分のほうが逃げ足が早いとは限らない。


 恐怖心で一杯の脳内で、なんとか判断を下す。


 俺はトイレに駆けこんで、掃除用具入れのロッカーを開けた。

幸いにも、俺が隠れるスペースは十分にあった。


 震える身体で、出来るだけ物音を立てないように中へ入り、扉を閉めた。


「……ここらへんに隠れたようだな」


 壁越しに、近くも無いが遠くも無い距離で、男の声が小さく聞こえる。


「散開して探すぞ。 見つけ次第、射殺しろ」


 ――――射殺。

その言葉に、俺は自分の身体が震えるのを止められない。


 だけど、精一杯身体を強張らせて耐える。

そうしなければ物音を立ててしまうことになり、見つかってしまう。


 口元に手を当てて、出来るだけ息を殺す。

その手の指に、涙が流れ落ちた。


 ――――キィ、と軋むような音。


 心臓が跳ね上がる。


 誰かが――――いや、俺を殺そうとしている何者かがトイレの中に入ってきた。


 悲鳴をあげそうになるのを何とかこらえる。

そして、祈る……どうか俺を見つけないでくれと。


 しかし、一方でどこか、冷静に俺のミスを指摘する俺が心の中に居る。


 こんなところに隠れられる場所は、一つしか無いじゃないかと……。


「ロッカーか……」


 男が呟いた。

そして足音が近づいてくる。


 もはや、俺の胸中には絶望しか無かった――――。


 そして、悲鳴が学校中に響き渡った。

それは、俺の口から出たものではなかった。


「なんだ! どうした!?」


 目前まで来ていた男が誰かに話しかけている。


「どうした! 応答しろ!」


 無線、か……?


 そのとき、どこか聞き慣れた音が遠くから聞こえてくる。

タタタタ……というような連続音だった。


 そして、また悲鳴。


「くそっ!」


 男が焦ったようにトイレから飛び出ていくような音が聞こえる。

足音が遠ざかっていく……助かったのか?


 また、タタタという連続音が遠くで鳴った。

そしてまた、悲鳴と……タタタ……タタ……また悲鳴が上がった。


 それが、最後だった。

 

 体感だが十分くらいは経っただろうか? あたりには静寂だけが広がっている。


 いくらかは和らいだ恐怖心の中、俺は、あのタタタという音に心当たりがあることを思い出していた。


 ……リアル系FPSゲームをプレイするときに何度も聞く音だ。

つまりは――――銃声だ。


 この平和な日本で、それも学校で銃を撃った人間が居る。

それも、俺のすぐ近くに――――。


 どうするべきか。

ここからすぐにでも脱出するべきか……?


「…………」


 …………いや、無理だ。

そんな勇気、俺にはとうてい無い。


 ただ、ここに身を隠すしかない。


 ただ祈るのは、さっきの男が悲鳴のうちの一つであることだけだ。

そうすれば、このロッカーを開けようとする人間は、居ないはず…………。


 しかし、そうなると、仮に俺の思った通りの展開になっていたとして、あの危険な男達を倒した存在は、何なのか……?


 いや、そもそもとして、あの男たちは何なんだ?

そして最初に見た、倒れていた異形は?


 ……分からない、何も分かるわけがない。


 ただ俺は、こうして震えながら、朝を迎えるしかない。

朝になれば大勢の人間が学校に来るはずだ、そしたら――――。


「っ!?」


 音が鳴った。

かすかにだが、たしかに聞こえた。


「……っ」


 また、音が鳴る。


 音、音、音……ゆっくりとしたリズムで、そしてなおかつ、近づいてくる……!


 この音を何と形容したらいいのか。


 ――――ヒタ、ヒタ、ヒタ。

濡れた足で歩くような音、だ。


 一定の間隔で鳴る足音は、確実にこちらへと近づいてくる。


 そして、扉が開かれた、ドアの出入口だ。


 ヒタ、ヒタ、ヒタ。


 足音は、俺の目の前までやってきて、止まった。


「……ハァ……ハァ……ハァ」


 荒い呼吸音が、薄いロッカーの扉越しから聞こえる。

――――何かが、居る。


 恐怖心が最高潮まで達する。


 もはや、何もかも諦めて叫びたい気分になる。


 もう、耐えきれない――――。


「マナブ」


 そのとき、俺の身体を支配していた耐えがたい感情の荒波が一瞬で霧消した。


「アキラ……?」


 アキラの声だ。


 ロッカーの扉の向こうに、アキラが居る。


「開けるな」


 扉を開こうとする俺に、アキラがそう言った。

それを無視して開けようにも、アキラが扉を手で押さえているのか、一向に開く様子が無い。


「あ、開けろよ」


「ダメだ」


「な、なんでだよ! っていうか、大丈夫か!? 学校の中には危ない連中が……!」


「あいつらはもう居ない。 もう出ても大丈夫だ」


「居ないって……どうして! さっきまで銃声が!」


「とにかく、居ないんだよ。 いいから、お前は帰れ。 何も見ず地面だけ見て……すぐに帰れ」


「でもっ!」


「いいからっ、わかったな!」


 アキラが駆けだす……そんな足音が聞こえた。

すぐさまロッカーの扉を開け、トイレの出口を見る。


 開かれたばかりのドアがゆっくりと閉まっていく。

それが完全に閉まり切る前に俺は廊下の先を見た。


 アキラの姿は無かった。

しかし、足跡らしきものが見つかった。


 地面に顔を近づけて、その足跡をよく観察してみる。


 ……血、か?

この足跡を付けた人物は血だまりを踏んでしまったのだろうか。


 顔を上げると、一メートルほど先に同じような血の足跡があるのを見つける。

その先にも、その先にも……足跡が続いていく。


 学校の出口とは逆方向だが……。


「アキラ…………」


 俺は迷うことなく、その足跡を追うことにした。

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