第25話 スワンプマンの逃走


 タケシの用件が終わり、俺は学校を出て帰り道を歩いていた。

大通りを抜けて住宅街の狭い道を進んでいくと、途中で小さな公園を横切ることになる。


 なんとはなしに公園の中を横目で覗くと、そこには見知った顔があった。


 思わず俺は、公園の中に急ぎ足で入った。

あいつは学校の制服のまま、俯きがちにブランコに乗って小さく揺れていた。


「――――アキラ」


 声を掛けると、そこでやっと俺に気が付いたのか、視線がぶつかり合う。

しかし視線が繋がっても、アキラは無言のままだった。


「……具合、悪いのか?」


「…………別に」


 その言葉が本当なのかどうかは、ハッキリとは分からなかった。

だが顔色は悪く無いようだし、なにより外に出ている。

本格的に体調が優れないわけでも無いようだ。


「…………」


 続く言葉が見当たらない俺は、とりあえず隣のブランコに座った。


 しばらく無言の時が続いた。

夕暮れ時で空が真っ赤に染まり、二人の影が細長く伸びているのを、しばし見つめていた。


 しかし、こうしていても埒があかないと思った俺は口を開くことにする。


「ごめん」


 一言、謝る。

アキラはすぐに反応しなかったが、少しだけ待つと、やがて返事をくれた。


「なにが」


「昨日のこと。 ひどいこと言ってしまったな、って思って……」


「ひどいことって?」


 具体的な内容を問われて、思わず黙り込んでしまった。

とくに悪口らしい単語を言った覚えが無いからだ。

話の流れで語気が強くなってしまっただけで……。


「あの、仲直りしたくてさ」


「……別に喧嘩したわけじゃないだろ」


 ……そうだろうか?

まぁ、ちょっと言い争うぐらいのことを喧嘩とはいえない……という見方もあるだろう。

しかし、あの日の、去り際のアキラの顔……あれには尋常ではないものを感じていた。

あんな顔をするアキラは初めて見るし、俺がそうさせたのなら謝りたい。


「とにかく、ごめん」


「……なんだそりゃ」


 また、お互い無言になる。

どこか遠くのカラスの鳴き声だけが聞こえる。


「……なにか、悩みでもあるのか?」


 ついに、俺はそう切り出した。

アキラの様子は、だいぶおかしい。

先日のゲーセンのことだって、意味不明なことを言い出したり、俺がそのことについて追及すると、そこまでかと思うほど激昂したりもした。


 昨日からずっと不自然に思っていたんだ。

それに今日だって、とくに病気で弱っている風にも見えないのに学校を休んだ。

特に理由も無く学校をサボったりするやつじゃないのに。


 だから、そう聞いた……悩みがあるのかと。

するとアキラは、こう答えた。


「……あるよ」


 ある、と答えた。

自分で聞いておいてなんだが、俺はびっくりしてしまった。

アキラは俺に弱みを見せたことが無い。

身体は小さいながらも気が強くて、実際に不思議と力が強く、頼もしささえある印象だったからだ。


「どんな、悩みなんだ?」


「お前に言ったって、しょうがない」


「聞かせてくれるだけでも……」


「………………」


 アキラは、何も言わない。

だから、俺もそれ以上は、何も言えなかった。


 ふと、俺たちの目の前にカラスが舞い降りた。

地面に小さなエサでもあるのか、何度か地面をつつき、そしてまた飛び立っていく。


「お前はさ」


「え?」


 それを見て、アキラが自分から話し出した。


「例えば、俺の悩みが『空を飛べない』ことだって言ったら、俺を空に飛ばせてくれるのか?」


 ――――無理に決まってる。

そんなの、無茶な例え話だ。


 だけど、アキラの言わんとしていることは分かる。

家庭内暴力、いじめ、精神的不安……この平和な日本でも個人に目を向ければ問題はいくらでもあるし、その大概は俺に解決できそうにもない事柄だ。


 俺は医者でも教師でも無い。

その医者や教師でも、問題を抱えた『誰か』の悩みを解決できないことは往々にしてある。


 じゃあ、アキラの悩みは?

それは、もしかしたら、とても深い問題で、俺などにはどうにもできない難題なのかもしれない。

だからこそ、アキラはあんな物言いをしたのだろうか?


 でも、だからといって見過ごすことは出来ない。

何の力も無い俺だけど、親友のアキラの悩みとやらを、その負担をいくらか軽くすることは出来ないだろうか――――?


「――――アキラ」


「…………あ?」


「お前、空も飛べないのか?」


 俺はそれだけ言って、思い切り地面を蹴った。

勢いよくブランコを漕ぎだして、徐々に重心を変えてスピードを上げていく。


「お、おい」


 アキラが心配そうに声をかけてくる。

俺は無視して速度を上げていき、十分な高さまで到達したことを確認すると――――ブランコの鎖から手を離した。


「――――うっおっ!!」


 俺は飛んだ。

浮遊感と、身体に当たる強い風圧を感じる。


 ああ、こりゃ怪我するな、骨折するかも。

そんなことを、呑気に頭の中で独りごちる。


 両足を突き出すことを意識して、踵で地面を迎える。


「うっ、うわっ!」


 2、3歩ほどつんのめるが、俺は倒れることもなく見事な着地をすることができた。

自分でもビックリだ……足には激痛が走っているが。


 その痛みを顔に出さないようにして、俺はアキラへと振り返る。


「どうだ、俺は空を飛んだぞ」


 ポカンと口を開けている親友に向かって、俺は言う。


「お前にも飛び方を教えてやろうか?」


 すると、アキラはやっと笑みを浮かべて言った。


「それくらい、俺にも出来るさ」


 そう言って、ブランコの板に両足を乗っける。

何をするつもりなのかと見ていると、アキラはその姿勢のまま飛んだ。


 たったそれだけなのに、思い切りブランコを漕いで勢いを付けた俺と同じ地点まで飛んできた。


 相変わらず、ものすごい運動神経だな。


「なんだ、飛べるじゃないか」


「フン」


 アキラは、いつものように、口元の片端を上げるようなクールな微笑みを俺へと向ける。


「じゃあな、もう帰るよ」


「……そうか、わかった」


 たしかに、もうすぐ日も落ちる。

短い時間だったが、アキラはどこか満足そうにしている。

俺もそれを見て安心した。


「また、明日な」


「ああ、また明日」


 また、明日学校で会って、いつものように……日常を過ごそう。

今までと同じように、そしてこれからもずっと。


 アキラにどんな悩みがあって、たとえそれを俺に打ち明けてくれなくても。

俺が側に居ることで、その重みがいくらか軽くなるならば、いつまでも一緒に居よう。 


 もし、それでも重さに耐えきれないときは、そのときだけは打ち明けて欲しい。


 そのときは必ず、精一杯、力になるから。


 そんなことを思いながらアキラの後姿を見送っていると――――。


「えっ」


 アキラの足取りがフラつきはじめ、歩みが遅くなり、ゆらゆらと身体を揺らしながら民家の外壁に近づいていって、身体をもたれさせる。


「アキラっ!」


 俺は駆け寄ってアキラの身体を引き寄せる。

その後頭部を片手で支えて顔を覗き込むと、アキラの顔は青ざめていて脂汗が額に浮かび、ハァハァと荒く息を吐いている。


「大丈夫か!?」


「あ……あぁ……」


 と返事はあるものの、どう見たって苦しそうだ。


「きゅ、救急車……!」


 救急車を呼ぶためにズボンのポケットからスマホを取り出す――――ことはできなかった。

ポケットに突っ込んだ手には何の感触も無い。


「え、あれ、どっかに忘れたか……!?」


 反対側のポケットにも何も入っていない。

鞄の中を探してみるも、やはりスマホは見当たらなかった。


 くそ、こうなったら――――!


「すいませーん! 誰か居ませんかー!!」


 アキラをそっと地面に座らせてから、目に入った民家のドアベルを押した。


「すいませーん!」


 それと共に大声を出してみるが、何の反応も無い。

なんてことだ、留守なのか? 緊急事態だってのに!


「マナブ…………」


 その声に振り向くと、アキラが弱弱しくも立っていた。


「救急車はいい……」


「えっ、なんだって? そんなわけにはいかないだろ!」


「本当にいいんだ、俺は大丈夫だから……――――ぐぅぅぅ!?」


 大丈夫だと言った直後、突然苦しみだすアキラ。

フラリと身体をぐらつかせたので、俺は慌てて走り寄ってアキラの身体を抱きかかえる。


「言わんこっちゃない! 今すぐ何とか救急車を呼ぶから安静にしてろ!」


「――――やめろっ!!」


 胸板あたりに衝撃があり、俺は吹っ飛んだ。

強く尻を打ち、痛みを感じつつも見上げると、アキラが息を荒げて肩を上下しながら、虚ろな目で俺を見下ろしていた。


「悪い……でも、本当に大丈夫なんだ」


「そ、そんなわけないだろ!」


 俺は立ち上がろうと地面に両手を付けて力を入れる。

しかし、その様子を見てかアキラは背を向けた。


「……本当に、いいんだ」


 そして、向こうの方へと走り出した。

俺もすぐさま立ち上がって追いかけるが――――。


「はっや!?」


 恐るべきスピードで、みるみるアキラの姿が遠くなる。

そして曲がり角のところで姿を消し、数秒遅れで俺も角を曲がると、もうアキラはどこにも居なかった。


 体調が悪くても運動能力の差は埋まらないか……。

しかし、かといって、あのまま放っておくことはできない。


 数舜ほど迷ったあと、俺は自宅へと急ぐことにした。

家には母さんが居るはずだ、母さんにスマホを借りよう。


 ここから自宅はすぐだ、ほらもう見えてきた。

俺は玄関のドアノブを掴み、開け放った――――。

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