第24話 高校時代 ブアメードのベッド


「スライムベッドって知ってるか?」


「……RPGゲームに出てくるアイテムか何かか?」


「違う。 ミナ、映像を検索して見せてやれ」


「かしこまりました」


 今までずっと、黙って俺たちの話を聞いていたミナが動き出し、指先で四角を作るような仕草を見せた。


 するとそこに、ゲームのウィンドウのように画面が空中に表示された。


 それは映像だった、流れる音声は英語なのか、俺には理解できない。

映されているのはCGアニメーションであり、長方形の透明の箱があって、そこに緑色をした液体が充満しており、液体の中に一人の人間が横たわっている。


 その人間の口と尻にはチューブが繋げられていた。


「これは?」


「未来の医療用ベッドさ。 まだ研究段階にあるが」


「医療用ベッド?」


「例えば長い期間ずっと意識不明になっている患者が居るとだろ? もちろん意識が無いから栄養補給は経管栄養のみになってしまうし、動かないから筋力の低下も起きる。 床ずれなんかもあるな。 もちろんそれを避けるために医者と看護師の努力があるわけだが……このスライムベッドさえあれば労力を軽減できるんだ」


「どういう風に?」


「まず食事と排便の問題は、あのチューブで解決する。 重要なのはスライム状の液体だ。 液体は外部からスクリューで操作することが出来て、上下左右自由自在に流動する。 それで患者の身体を自由に動かすことができるんだ」


 自由に……足だけなら足だけ、片腕だけなら片腕だけを動かすことも可能なのか?


「寝ながらでもウォーキング相当の運動効果が期待できるらしいぞ」


「ふうん、でも自分から動くのと、他人の力で動かされるのは別じゃないか?」


 俺が寝ている合間に見知らぬ誰かが勝手に俺の足を持ってグルグル動かしたとしても、別に筋力が増すわけじゃあるまいし。


「そうでもない。 実際に看護師も運動不足の患者の手足を持って動かすマッサージをする」


 へえ、そうなのか、知らなかったな。


「さらに微弱な電流での刺激と、水圧を上げることでの負荷……様々なアプローチによって筋肉を刺激することができる。 そうすることで寝たきりでも筋肉が弱らず、床ずれなどの症状も起きない。 液体も定期的に交換するから清潔だし、かなりのマンパワーを減らすことが可能だ」


「そりゃ凄いな。 しかし、これとVRに何の関係が?」


「鈍いなぁ。 このスライムベッドとVR装置を併用すれば、人類は完全なる仮想現実への移住が可能になるのだ! VRゴーグルは当然ながら、あのチューブで味覚と嗅覚はクリアできる」


 ふうん、まぁたしかに、あれなら自動的に様々な料理を口に運ぶことが出来そうだ。


「でも、触覚は?」


「触覚なんて、いくらでも誤魔化しが効くさ。 お前がゴム手袋を人間の手だと勘違いしたようにな。 例えばそうだな……身体中を包んでいる液体の硬質が変幻自在になれば、かなり対応性も良くなるかもな」


「そうかねぇ、結局はスライムに身体中を包み込まれているわけだろ? そう上手く行くか?」


 俺たちはいつもビショ濡れで暮らしているわけじゃないぞ。


「ふうむ……ブアメードの血という話を知っているか?」


「なんだよそれ」


 また、タケシは突拍子のないことを喋り始めた。

しかし、その実、VRと関係することなのだろう。


「とある国にブアメードという政治犯が居た」


「どこの国だよ」


「どこでもいいだろ。 それで、彼を捕えた国家は彼で人体実験を行った」


「人体実験って……」


 そんなことする国があるかね?

いや……あるかもな、いまだに独裁国家や紛争地帯があるもんな。


「その内容は、まず最初にブアメードに聞こえるように医師達が会話する。 『人体は三割ほどの血液を失うと死ぬ』という内容だ」


「へ? そうなのか?」


「そうだよ、保健体育で習わなかったか?」


 ……習ったかもしれんが、覚えてないな。


「まあいい。 そして医師は、彼の足の親指にメスを入れて出血させる。 ポタリポタリと血が滴る音が部屋中に響き渡る。 ブアメードは拘束されているので出血の様子は直接見えない。 数時間後、医師はブアメードに告げる。 『もうすぐで君の失血量は三割を超える』と。 そうすると、やがてブアメードは死んでしまった」


「そりゃそうだろ、それのどこが人体実験なんだ」


 失血量が三割を超えたから死んだだけじゃないか。

そう思った俺が口を挟むと、タケシは腕を組んで眉をひそめた。


「そう急かすな、話はここからだ。 いいか? 実は傷口は既に乾燥して塞がっており、ポタリポタリと鳴っていた音は、そう聞こえるように工作されたタダの水の音だったんだよ。 こう、水を詰めたビニール袋に小さな穴を開けて、天井に吊るす……そんな感じの細工をしていたのさ。」


「え……でも、そのブア……なんとかさんは死んだんだろ?」


「ああ、死んだ。 自分が死んでしまうと思いこんで、事実その通り死んだ。 しかし実際には失血量は死に至るものではなかった。 しかし、ブアメードは思いこみの力で死んでしまった、という話だ。 つまり『人は思いこみの力で死ぬのか?』という人体実験だったんだよ」


「……そんなことがありえるのか?」


 そりゃブアなんとかさんにとっては紛れもない死を予感していたに違いない。

しかし実際に血が流れていない以上、どれだけ怯えていたって死ぬわけがないじゃないか。


「いや、これは都市伝説だ」


「……やっぱりな」


 俺の思った通りのようだ。

そんなことが現実にあってたまるか。


「しかし、思いこみが人体に影響を及ぼすのは実際に有り得る話だ」


「え?」


 だが、そんなことが現実にもありえるとタケシは語る。


「ノーシーボまたはプラシーボ効果という。 たとえば不眠で悩む患者に睡眠薬と偽って、ただのビタミン剤を与えたとしても、患者はよく眠れるようになることが実際にある」


「そうなのか?」


「もちろんこれは限定的な話だ。 睡眠障害は精神状態に依る部分が多いからな。 プラシーボ効果でガン細胞が直ることは、ほぼありえない。 しかし、そこは問題ではない。 ようは、人の感覚というものは思いこみで、どうにでもなると俺は言いたいのさ。 それこそ身体に影響を及ぼすほどに……」


 ……ふと、先ほどのことを思い出した。

俺はVR上のミナに騙された、彼女を実際にニナだと思ってしまった。


 ニナ……いやミナが俺に囁きかけたとき、俺はニナの香りを嗅ぎ取った。


 手の感触はゴム手袋だったが、あの香りは何の小細工も無かったはずだ。

だから俺はつまり『思いこみ』でニナの香りを錯覚したのだ。


 そのことを思うと、なるほど、思いこみの力は俺が思っている以上の効果があるのかもしれない。


「触覚はどうにでもなる。 スライムベッドさえあれば仮想現実への完全移行が可能だという俺の考えも理解できるだろう?」


「うーん……まぁ、そうかもな」


 思いこみの力があれば、現実と変わりない仮想現実空間を見せられたら、身体中が液体に包まれている状態だとしても気付けないのか?


「はは、もしかしたら、俺たちが疑問を持たずに過ごしている日常も、実は仮想現実なのかもしれないぞ?」


 タケシが笑いながら言う。


「そんな、まさか……」


「おいおい冗談だって、そんなマジな顔をするなよ。 だいたいスライムベッドでさえ研究段階だというのに」


「じゃ、今の段階じゃ、俺たちが仮想現実に居ないと断言できるんだな?」


 俺がそう聞くと、笑顔だったタケシがスッと真顔に戻った。

その表情の変化に俺はさらに不安が増した。


「な、なぁ……どうなんだよ」


「いや……まぁ……『方法』が無いわけではないが」


「ほ、方法って?」


「いやいやいや、気にするな」


「気になるだろ!」


 思わず大声をあげると、タケシはキョトンとした顔になり、そしてまた笑みを浮かべ始めた。


「くっくっく……なんだ、今の俺の与太話を真剣に受け取っちまったのか? だから気にすんなって! 仮に人間を完全に仮想現実へとブチ込む技術があったとしても、俺たちが今現在そこに捕らえられていることは絶対にない!」


「絶対にって、どうして言えるんだ」


 あまりの自信ぶりだったので、聞き返すと――――。


「なぜなら――――そうする理由が無いからだ!」


 そうする……理由?


「どうして多額の費用を要するであろう完全移行型VR装置を使い、そして俺たちを誘拐してまで仮想現実空間に放り込むんだ? そんなことをする犯人が居たとして、その動機は? どれだけ想像したって分からないだろう? なぜなら理由がどこにも無いからだ!」


 ……そうか、そうだよな。

俺もタケシも、ただの一般人だ。

VRのことを抜きにしたって、誰かに誘拐されるほど価値ある人物じゃない。


「どーせ完全型VRが完成したって、金持ちのオッサンがめくるめくヘンタイワールドへ旅行するのに使うだけさ。 俺たち庶民には関係ないない。 ましてや最新科学技術を使った犯罪に巻き込まれるなんて! そんな想像でもしちまったか? ゲームのやり過ぎだぞ」


「そ、そんなことないって」


「ま、ならいいさ」


 タケシが俺の背中をバン! と叩いた。


「じゃあ、帰るか。 用件も終わったことだし」


「……そういや用件って、俺へのドッキリだったのかよ」


「ああ」


「ああって……」


「それとバージョンアップ・ミナのテストだ。 見事に騙されたろ?」


「……まぁな、本当にニナそっくり……というか、本物の人間のようだ」


 改めてミナをじっくりと見る。

おそらく3DCGの身体なのだろうが、本物の人体と遜色がない。

ここまで来ると、もはや仮想なのか現実なのかが判断ができない。


 じっと彼女を見つめていると、ミナはやんわりと微笑んだ。


「もう、お帰りですか?」


「あ、ああ……」


「それでは、さようなら」


「うん、さよなら」


 別れの言葉を交わして、俺はVRゴーグルを外す。

現実の光景が俺の眼に戻ってきて、彼女の姿は何処にも無かった。

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