第23話 高校時代 仮想現実


 翌日、アキラは学校に来なかった。

担任の先生は無断欠席だと言っていた。


 先日のゲーセンで喧嘩別れみたいになってしまって、俺は後悔している。

自分も少し言い過ぎてしまったところもあるし、しっかりと謝罪して仲直りしたかったのに。


「マナブ、今日は大事な用件があるから科学部に来て欲しい」


「え……いいけどさ」


 全ての授業が終わり放課後になった瞬間、前の席のタケシが振り返り、そう言った。


「ニナは?」


「あ、ごめーん。 ちょっと事務所に行かなきゃいけないの。 それじゃあね!」


 時間的に余裕が無いのか、さっさとニナは教室を出て行った。

事務所というのは、彼女が所属するアイドル事務所のことだろう。


「じゃ、俺たちも行こう」


「わかった」


 ニナとアキラも不在なので、二人だけで科学部の部室へと向かった。

中は無人であり、雛鳥さんの姿は無い……あとから来るか、もしくは欠席するのかもしれない。


「で? 用事って?」


「これを被れ」


 手渡されたのは、以前にも見たことがあるVRゴーグル。


「これが用事か?」


「そうだ、さっさと被れ」


 よく分からないが、とりあえずVRゴーグルを装着する。

既に起動していて、周りの風景が映しだされていた。

内臓されたカメラによる映像だろう。


「それから?」


「ま、座って話でもしようじゃないか」


 タケシがパイプ椅子に腰を降ろす。

なかなか用件を切り出さないので、ちょっとした不気味さを感じながらも、俺も腰を降ろした。


「文化祭まで、あと一ヵ月くらいだな」


 そんな風にタケシは切り出した。


「ああ……もう、そんな季節か」


 文化祭ではニナのステージを予定している、科学部の出し物としてだ。

そういえば、その準備は進んでいるのだろうか?


「文化祭までには間に合いそうなのか? その、諸々のこととか」


「ああ、もちろんだ。 既に楽曲は完成していてニナに渡している。 そのニナも振り付けは終わっていて、あとは練習するだけだと言っていた。 ステージの段取りも機材の調達も抜かりは無い」


「そ、そうなのか……」


 俺の知らない間に、そこまで準備万端だったとは……。

結局、俺は何もしなかったな……すこし、いやかなり申し訳ない気持ちになってしまう。


「悪いな、なんか俺だけ楽しちゃってさ」


「気にするな。 残る作業と言えば衣装だが……」


 タケシが机の端にあった小さなダンボール箱を引き寄せる。

そこから、アキラが担当している衣装を取り出した。


「まぁ、これはこれで完成としてもいいな」


 その衣装の右端から胸のあたりまでかけて、一輪の花の刺繍が縫われていた。

黒地に銀色のラインが映えていて、シンプルなデザインが洗練さを感じる。


 タケシの言う通り、これでも十分な出来とも言えるだろう。


「そういやニナも刺繍を入れてみたいと言っていたな」


「……ああ、そういや言っていたな。 科学部の皆で、って」


 しかし俺は刺繍は苦手なので、渋った記憶がある。


「やってみるか?」


「え? でも……俺、下手だし」


「アキラも使っていた刺繍の補助ソフトを使ってみたらどうだ?」


「あの光るやつか? う~ん……」


 俺は考える。

何の役にも立ってない身の上だし、それでニナが喜ぶなら、やってみようかとも思う。

しかし、それでニナの衣装を台無しにしてしまう可能性を考えると、どうしても尻込みしてしまう。


 どうするべきか………。


「ニナもマナブにやってほしいよなぁ?」


 タケシが俺の肩越しへと顔を向けて喋りかける。


「うん!」


 背後から快活な返事が。

振り返ると、そこにはニナが居た……いつの間に?


「あれ、事務所に行ったんじゃ……」


「やっぱり無しになっちゃった。 あっち側のドタキャンってやつ」


「へぇ……」


 ニナが俺の隣の席に座る。


「それで? 何の話をしてたの?」


 俺の顔を覗き込むように話しかけてくるニナ。

その視線をまともに受けた俺は照れてしまって、目線を外しながら答える。


「いや、この衣装の話。 ニナ、前に言ってただろ? これに皆で刺繍を入れるのはどうかって」


「うん、言ったよ。 マナブくん、してくれるの?」


「いやぁ~……でも、俺、刺繍は下手だしなぁ。 授業でしかやったことないし」


「なら私が教えてあげるよ!」


 そう言うとニナは席から離れ、棚にあった裁縫の道具箱を持ってきた。

その上蓋を開き、俺に糸と針を手渡してくる。


 俺は戸惑いつつも受け取って、なりゆきまかせに針の穴へ糸を通した。

……いや、通せなかった。 何度も繰り返すが、どうしても小さな穴に細い糸を通すことができない。


「ぶきっちょだな」


「るさい」


 タケシにからかわれ、今度こそと息巻いても、やはりなかなか糸を通せない。

俺ってこんなにも不器用だったか? ゲームで鍛えている自信はあるのだが……。


「もー、しょうがないなぁ」


 ――――と、そのとき、俺の両手を柔らかい感触が包み込んだ。


「ほら、こうやって……」


 甘い香りが鼻腔の中に侵入し、脳を溶かすような声が至近距離で聞こえる。


「ちょ、ちょっと……」


「ほらほら、勝手に動いちゃダメ」


 なんと、ニナは俺に覆いかぶさっている。

まるで母親が子供に箸の持ち方を教えるように、糸の通し方を俺に教えようとしている。


 端的に言えば、距離が近すぎる。


「ち、近いってニナ」


「んー? なに恥ずかしがってるの?」


 からかうような、ニナの声が耳元で聞こえる。


「だ、だってタケシも居るんだし……」


「タケシくん? どこに居るの?」


「え……?」


 見ると、先ほどまで椅子に座っていたはずのタケシの姿が――――無い!?


「え? えええ?」


「それよりもマナブくん……」


 タケシが忽然と消えた事実に困惑する俺に対し、そんなことなど気にもしてない風にニナが囁く。


「キス、しよっか」


「――――ええええっ!?」


 ななな、何を言い出すんだ!?


「ねえ……こっち向いてよ」


「いや、そんな、いきなり、その……!」


「私とキスしたくないの?」


「そういうわけじゃないが!」


 じれったいように、そして色っぽく濡れた声でニナが囁いてくる。


「じゃあ、こっち向いて……おねがい」


「うっ……!」


 艶めいた声色で誘うニナの声が耳に入る。

俺はそれに逆らえず……とうとう覚悟を決めて後ろへと振り返った。


「なーんちゃって!」


 ――――だが、そこにニナの姿は無く、かわりに『ドッキリ大成功!!』と書かれたプラカードを掲げたタケシが居た。


「は? え? え?」


 ニナの姿はどこにもない。

しかし、手にはしっかりと彼女の手の感触が――――。


「うわっ! なんだこれ?!」


 俺の両手の上に、ピンク色の手首が乗っていた。

びっくりして跳ねのけると、それはゴロンと机の上を転がる。


 ――――それは、よく見るとゴム手袋だった。

口元が輪ゴムでしっかりと縛られていて、中に何かが入っているのかパンパンに膨らんでいる。


 その膨らんだゴム手袋を触ってみると生暖かいのが感触で分かった。


「ぬるま湯が入っている、まるで人肌のようだろう」


「ど、どういうことだよタケシ! ニナはどこいった!?」


「手品のタネを見せよう。 もういいぞミナ」


「はい」


 短い返事と共に、なんの兆候もなくニナが虚空から姿を現わせた。

驚きのあまり、俺は椅子からずり落ちそうになる。


「な、な、なんだ!?」


「そう原始人のように驚くな。 VR映像だよ」


「ぶ、VR? ……あっ」


 そこで、俺は自分がVRゴーグルを装着していることを思い出した。


「もしかして……ミナ、なのか?」


「そうだ。 さらにニナらしくなったバージョンアップ・ミナだ!」


 まじまじとミナを眺めている。

髪質から肌質、その瞬きの動作、呼吸する肺の動きに連動した身体の僅かな揺れ。

……すごい、まるで本物のニナ……というか人間のようだ。


 かつての安っぽいCGが嘘のようである。


「騙してしまい申し訳ありませんマナブさま」


 深々と頭を下げるニナ……いや、ミナか。

その謝罪の声もニナそっくりで、昔の合成音声のようなちぐはぐさは無い。


 違いといえば、その丁寧な言葉遣いと所作くらいだが、それはあくまでもニナには似ていないというだけで、一人の人間として見るなら本物のようである。


「っていうか、さっきまでのニナって……」


「そう、演技をしていたミナだ。 すっかりと騙されただろう?」


「……くっ」


 ああ、すっかりと騙されたとも。

いきなりキスを迫られるなんて、そんなありえないシチュエーション……疑ってかかるべきだった。


 しかし、ありえない状況ながら正体を看破できなったのは、ひとえにミナの演技力によるものだろう。


「フハハ! もはやミナプロジェクトの完成は目前と言えるな!」


 このタケシの言葉通り、ミナは完璧に近いクオリティでニナのコピーが可能になったようだ。

もはや、幼馴染である俺さえ違いがわからないほどに。


「もはや二次元の嫁という言葉は戯言ではなくなった! これでモテない男性は救われるぞお! フハハハハハハーーーーーっ!!」


 高笑いを上げるタケシ。

騙された俺は悔しくなってしまい、横から口を挟んだ。


「それはどうかね」


「む? なに?」


「たしかにすごく本物っぽかったけど、映像だけじゃな……」


 たとえ本物の人間同士のように会話が出来ても、実際に触れあうことが出来なきゃ、さすがに虚しいだろう。

そう思ったが故の発言だったが、タケシはすぐさま反論してくる。


「別に映像だけがVRじゃないぞ」


「え、違うのか?」


「違うさ。 まぁ現段階では視界によるVRが主流だから勘違いするのも無理は無いが、もっとVRとは広い領域のものだ」


「広い領域?」


「ああ、人体の五感を全て言えるか?」


 いきなりの質問に、俺は頭の中で思いつくかぎり羅列してみた。


「えっと……視覚、聴覚、味覚……嗅覚と…………あとは触覚か」


「全問正解だ。 さて、そこでだが、VRとは仮想現実の略だ。 人体の五感を仮想現実空間に接続するのがVR技術である。 ここで、どうやって五感を仮想現実に接続できるのかを考えてみよう。 まず視力と聴覚は……お前がいま被っているVRゴーグルで事足りる」


 手で自分のVRゴーグルを触れてみる。

たしかに、これさえあれば目と耳はVR空間に繋ぐことができるな。


「そして味覚と嗅覚だが……まぁ、この二つは似たようなものだから一緒くたにしても構わんか」


「その二つって似たものなのか?」


「そりゃ厳密には別だが……そうだな、かき氷のシロップは全て同じ味ということは知っているか?」


「えっ!? そ、そうなのか!?」


 う、嘘だろ!

メロン味はメロン味だし、イチゴはイチゴ、ブルーハワイは……あれは何の食べ物の味なんだ?


「着色料と香料が違うだけで味自体は同じなんだよ。 まぁ香りも味の範疇と言えるがな」


「へぇ……香り、ねぇ」


「実際、鼻をつまんで食事すると味が変わるわけだしな」


 ふうん、やったことはないから実感が湧かないが、こいつがそう言うなら、そうなんだろう。


「VR空間で食事……例えばカレーを食べたとき、肉体にもそれ相応の影響を与えなければならないわけだから……ううん、そうだなぁ、脳に電極でも刺して『カレーを食べた情報』とブチ込むのが一番なんだが」


「そんなことできるのか?」


 晒された脳にケーブルを繋げられ、白目を剥きながら涎を垂らす自分を想像して、すこし気分が悪くなる。


「今の時代では無理だな。 だからもっとこう原始的な方法を取るしかない。 例えば……お前の口にチューブを突っ込んで、カレーそのものを流し込むとか」


「……それってVRか?」


「実際に仮想現実上のお前が『自分は今、食事をしている』と認識してしまえば、どれだけ原始的な方法でも良いのさ」


 うーん、そういうものか? なんだか納得いかないなぁ。


「そして最後に触覚だが……そこに転がっている俺の発明品が実現可能だと証明したな」


「このゴム手袋のことか? あまりに限定的すぎるだろ」


 たしかに俺はこれをニナの手を勘違いしたが……。

様々なシチュエーションに合わせて触感を再現するために、いちいち小道具を用意するなんてキリがないし、不可能だ。


 それに例えば、VR空間で雨が降ったとしたら、その触感を再現するために天井からシャワーを触らせるのか?

そんなことをしたら機械が壊れてしまうぞ。


 やはり、このVRゴーグル……つまり視覚と聴覚以外に、他の感覚を仮想現実に繋げることは不可能に思える。


「やっぱりVRゴーグルで出来ること以外はなぁ……。 それこそ、脳に電極を差しこむ以外に、五感を完全に仮想現実に繋げることは不可能かもしれないな」


「いや、そうとは限らんさ」


 そう、俺は結論付けたが、タケシは別の考えを持っているようだった。

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