第22話 雛鳥研究所 エンジェル・ハイロゥ
「しかし、人類にも進むべき道が無いということでもない」
そのとき、雛鳥博士が言った。
それは、AIに支配者の座を譲る必要がないということか?
「どういうことですかな」
「人間の脳をデータ化すれば、我々はAIと同等の存在になれる」
「ははあ、BMIですか?」
「脳に電極を差しこんだりチップを埋め込んだりするくらいでは不完全だ。 儂が言っているのは『完全に機械で構成された脳』のことだよ」
「……そんなことが出来るのですか? 脳にチップを埋め込むのだって完全な技術の確立化はしてないのに」
実例が無いわけではないが、一定のレベルには達していないはずだ。
たとえばSF漫画にあるような、視界のUI化だったり脳内通話だったり、そこまでの技術は開発されていない。
それなのに、脳の完全機械化だなんて……。
「一般人の君は知らなくて当然だが、脳の『半機械化』までは既に到達しているよ」
「えっ?」
「ミチル、モニターを」
博士が合図すると、天井から物音が聞こえてきた。
見上げると何かが駆動音を立てながら降りてくる。
それを避けるようにして後ずさると、降りてきたそれが黒板のように大きい液晶モニターだと分かった。
暗かった画面に光が灯る。
「これは儂がヒュー・ベクターと共同開発したものだ」
画面には頭蓋から晒された裸の脳が映っている。
そこにアニメーションで画面外から白くて薄いプレートが飛来してきて、フィットするようにして脳を包み込んだ。
このプレートは機械なのだろうか。
「儂たちはこれを『A‐HALO』と名づけた。 あまりAの部分は読まないが」
ハイロゥ……後光とか、そういう意味だったな。
エンジェルを付けることで天使の輪っかという意味にもなる。
AとはエンジェルのA……ということか?
「これは、どういった機能を持つのですか?」
「考えられるBMIの全てだ。 これさえあれば脳以外が機械でも人体と変わらない機能を有することが出来る」
「あるいは、それ以上……ですよね? これは凄い、さすが雛鳥博士と……ヒュー・ベクター博士だ」
ベクター博士に付いては俺もよく知っている。
なにせ『バイオボディ』の開発者だからな。
――――バイオボディとはクローン技術を利用した『義肢作成』だ。
コアとなるボディ……特殊な生体組織の塊に患者の体組織を付着、培養させることによって、患者本人に『接着可能』な『肉体的な義肢』を与えることが出来る。
赤黒いマリモのような球体からニョキニョキと腕が生えてくるイメージ映像をよく覚えている。
このバイオボディ技術の優れた点は『細胞を急成長させることが出来る』という点に尽きる。
従来のクローン技術は、作るとなれば赤ん坊からの誕生になってしまう。
しかしバイオボディは『コア』の存在により、脚や腕などの一部分だけなら急速に成長させることができるのだ。
これにより義肢としての利用が可能になる。
その急造された手足は埋め込んだ電子チップの制御もあって患者の身体に馴染み、本来の手足のように動かすことが出来る。
まさに医療科学の革命ともいえる技術なのだ。
それを開発したのが……ヒュー・ベクター博士、科学界の天才の一人だ。
「なぜ、こんな凄い研究を学会に発表しないのですか?」
俺が知らないといことは、つまり未発表ということだろう。
「倫理的に問題があるからな」
「倫理的に? 別に人体実験したわけでもないでしょうに」
これは『理論的には可能である』という発表に過ぎないはずだ。
「したのだよ」
そんな俺の安易な予想は、博士によって簡単に打ち砕かれた。
「え……?」
「人体実験に失敗して、数十人の犠牲を出した」
「は……?」
――――突然の、犯罪の自白。
それも、権威とも言うべく天才的な博士から。
「あ、あなたは何を言っているのか、自分で分かっているのですか?」
「わかっているとも。 君は通報するかね?」
「それ、は…………」
するのか? 俺は……。
するべきとは思うが、しかしもう一方で、そのことによって大天才の未来を潰すのが惜しいと思う自分も居る。
そんな考えが浮かんでしまう自分が恨めしい。
「しても構わんが」
そんな俺の葛藤をよそに、あっさりと博士は法によって裁かれることを望んだ。
それは、その高齢故か? 罪悪感がなせることなのか?
わからない…………。
「だが、それは儂の話を最後まで聞いてからにしてほしい」
「は、はあ…………わかりました」
とりあえず俺は、そう言うしかなかった。
「さて、このHALOについてだが、当初は失敗だらけだった。 殆どの者が精神錯乱を発症したのだ。 脳と機械が適合しなかった。 肉体的機能による情報の取得と、機械による情報の取得の複合化……それが出来なかった」
「……そうですか」
脳と機械との完全な連動化は、いま誰もだ体験したことのない領域だ。
たしかに気が狂ってしまうのかもしれない。
「そこで私とベクターは着眼点を変えた。 もしかしたら成熟した脳を使うのが間違いなのかもしれないと。 成熟した脳はデータが蓄積されていて容量不足なのではないかと」
「……博士、それはまさか」
いやな、予感がする。
「なので赤ん坊の脳を使うことにした」
なんでもないことのように、博士は言いのけた。
しかしそれは……科学の進歩、その犠牲というには、あまりにも倫理に欠けている。
そうでなくては、彼のような天才科学者になれないとでもいうのか?
「発展途上国や、そうでなくても各国の貧民層では、赤ん坊の値段は安かったよ。 大人よりも容易に実験材料が手に入った」
「…………」
それはあまりにも不謹慎な発言だ、とは言わなかった。
今さら何を言っても通じまい…………ただ、通報の意志は固まった。
「問題と言えば、経過観察に時間がかかることだった。 HALOに繋がれた赤ん坊がどのように育つか十数年の時が必要だった」
「だった……ということは、もう既に?」
「ああ、あれから十数年、結果は出た…………数十名の被検体の内、成功例は一名のみだった」
「……それは成功と言えるのですか?」
「言えるとも」
……そうだろうか?
ただのまぐれというか、個体差とも言うべきか……人体一つ取っても遺伝子などみたいに違いがある以上、偶然の連続で、その『成功例』が産まれただけではないのか?
HALOという技術は、ある限られた体質の人間にだけ使える……では意味が無いだろう。
「誰にでも使えないんじゃ、それは技術確立とは言えないと思いますがね」
「誰にでも使えないのなら、その使える一人を増やせばいい」
「……は?」
「つまり、クローンだ」
――――クローン。
各国が禁止するヒトクローン規制法。
バイオボディに関しては医療目的かつ、手足のみの再現という制限が定められているので免れてはいるが、基本的に人体のクローンは世界においてタブーだ。
「……まさかヒュー・ベクター博士は」
「その通り。 彼は表向き偉大な科学者だが、その裏では禁忌とされるクローン技術に取りつかれた男なのだよ」
…………なんてことだ。
いや、このA‐HALOの人体実験に関わっている以上、犯罪者なのは間違いなかったか。
しかし、クローンにも手を出していたとは。
「ベクターはHALO唯一の成功者である子供のクローンを大量に作った」
「大量に? どうして?」
「軍事利用だよ。 彼は傭兵軍団を作った」
「……それはまた、どうして?」
随分と飛躍した話に聞こえる。
どうして科学者に軍団が必要なのだろう。
「単純に金銭目的だよ。 彼が求めるクローン研究は世間に公に出来ない以上、スポンサーが期待できないからな。 自費で秘密基地を作るしかない」
「そういうわけですか……しかし、それでも納得いきませんね」
そう、納得がいかない。
仮にHALO適合者の子供をクローン培養できるにしても……。
「クローンを作るのだって、タダじゃないでしょう。 そのクローンで傭兵軍団を作るのなんて非現実的だと思いますがね」
「そのクローンが普通の子供ならな」
「……どういう意味です?」
博士の発言の意図がわからない。
すると博士がすぐに答えをくれた。
「ベクターは作り出したクローンで、さらなる実験を行った。 それはクローン技術の応用……君もよく知るバイオボディだよ」
「バイオボディ?」
「あのバイオボディ……コアと呼ばれる生体組織の塊は何で出来ていると思うかね?」
あれはたしか……。
「ヒト遺伝子と、再生能力の強い生物の遺伝子、その複合製でしたよね?」
「ああ、そうだ。 そして、最も多く使われている部分が…………」
「――――トカゲ、でしたっけ」
「惜しい、正確にはイモリだ」
そうだった、どちらも似てるから覚え違いをしてしまったか。
「イモリの再生能力は特別だ。 その有用な遺伝子がバイオボディのコアに活用されている。 そして、それこそがベクターがクローンに施した『改造実験』なのだよ」
――――改造実験?
「ミチル、写真を」
雛鳥博士がミチルに命令すると、スクリーンの映像が切り替わった。
そこに表示された画像は、まさに度肝を抜くようなものだった。
「こ、これは……」
「ベクター博士から受け取った『完成予想図』だよ」
灰色の肌、白目の無い真っ黒な瞳、長いカギ爪、人体に存在しないはずの長い尻尾。
――――二本足で立つ人型のトカゲ……いや、ヤモリか? しかし俺の印象は『人型に近い恐竜』だった。
「こりゃアメコミ映画に出てくる敵か何かですかい?」
動揺を隠すようにして、冗談を言ってみる。
いや、冗談だと言って欲しいがためのジョークだった。
「映像も見てもらおう。 今度のは『現実』の映像だよ」
しかし博士は、ニコリともしなかった。
映像がスクリーンに浮かび上がる。
薄暗い通路……室内の廊下だろうか? それが斜め上から映されている。
これは監視カメラの映像なのか?
そこに下手のほうから数人が現れた、一様に黒い服装をしている。
よく見るとそれはミリタリールックであり、手にも小銃を持っている。
顔も覆面と機械的なゴーグル……暗視ゴーグルだろうか? そのようなものを被っていて素顔は分からない。
人数は3。 しきり周囲を注意深く窺いながら、ゆっくりと歩を進めている。
――――そのとき、新たな人影がカメラに映る。
ただ、廊下を歩いてきたのではない……人影が天井を這っている。
その人影……人かもわからぬ存在は、天井を這いながら三人に近づいていく。
まったく音を立てていないのか、その人影が真上に来ても三人は気付かない。
そして、その人影の腰に生えている長い尾がゆっくりと動き出し――――。
「…………っ!」
思わず叫び声を挙げそうになった。
その長い尾は目にも止まらぬ速さで振り下ろされ、最後尾に居た人間の首が飛んだ。
そこでようやく気が付いたのか、前の二人が振り返る。
その間を人影がすり抜ける。
両手を動かしたようにも見えたが、あまりにも素早くて見間違いかと勘違いしてしまう。
男たちはデタラメな方向に発砲しながら、首から血を噴射させ、そして倒れ込む。
人影が画面外へと消える――――そこで映像は終わった。
「…………」
なにも言えなかった。
こんなのはインチキ映像だ、映画か何かのワンシーンを見せたんだろう、俺を引っかけているんだろう……と、いくらでも言えるのに、なぜか不思議と『これは現実の映像』だと認識している自分が居る。
「卓越した反射神経と動作、壁を這う特殊な身体能力、そして……この映像では確認できないが『異常』とも言える再生能力。 これこそがベクター博士の研究成果だ。 その一部が転用されて『バイオボディ』も開発された」
「こ……こんなのが、現実に居るんですか?」
「ああ、いる。 そして社会の裏側、闇社会で暗躍しているのだ。 ベクターの副業は繁盛していると聞くよ」
「こ、これが、あなたの目的だと言うのですか?」
こんな悍ましい物を作るのが、雛鳥博士の望みなのか?
「勘違いしてもらっては困るが、私はあくまで『脳の機械化』にしか興味が無い。 バイオテクノロジーは専門外だ」
「なら、なぜこのような……」
「何事も段階を踏むのが重要だ。 脳を機械化するにしても、その過程を研究しなければならない。 そのためにHALOを開発したのだ」
「この研究結果は『脳の機械化』というテーマから逸れているようにも思えますが」
「いや、そうでもないさ。 なぜなら彼は既に『死んでいる』が、いまも『生きている』からだ」
――――彼? 元は男性だったのか?
いや、それよりも……死んでいるのに生きているとは?
「彼のオリジナルは七歳の頃に衰弱死している。 しかし、そのころには『脳のデータ化』が成功している。 これがどういうことか分かるかね?」
「……不老不死、というわけですか」
「そのとおり」
BMIの極地、脳の機械化の先……それは不老不死だ。
脳内を完全にデータ化できれば、当然ながらバックアップも可能であり、そこには生命の宿命である老いと死は存在しない。
「クローンを作り、それにHALOを装着させれば『記憶』というデータの転送が出来る。 ある意味で彼は『人類最初の不老不死者』とも言えるな」
「そして『人類最初のバケモノ』だ」
「その点に関してはベクターの趣味だ。 彼は生命の可能性とやらに執着しているが、儂は興味が無い。 興味が有るのは、その『不死性』と『無限に成長する知性』だ」
「あなたは不老不死になりたいんですか?」
「人類誰もが望む夢だろう? そして、それこそが人類の未来を切り拓く術となる」
……なんとも壮大な話だ。
この雛鳥博士の主張を狂気の一言で済ませられれば、どれだけ楽か。
しかし、どこかで期待に胸を膨らませている自分も居るのが確かだ。
そんな自分にほとほと嫌気が差す。
「……ところで、余談だが」
自己嫌悪していると、雛鳥博士が思い出したように言う。
「ベクターが彼に改造実験している際に、予期せぬ体の変化が起きたそうだ」
「そりゃ、被検体は予期せぬことばかりでしょうよ」
皮肉を言ってみるが、雛鳥博士は意に介せず言葉を続ける。
「肌の変色や筋肉量の変化、尾の発生などは予想の範疇内だったそうだが、どうしても理解できない変化が訪れたという」
「はあ」
「それは、もしかしたらHALOによる不死性からくるものと儂は思ったが……」
もったいぶらずに、さっさと教えろよ、と俺は思った。
そして、博士はたっぷりと間を置いて、言った。
「…………生殖器が消えたそうだ。 つまり――――以降の彼、つまりクローンには…………雌雄が無いんだよ」
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