第20話 高校時代 BMI


 放課後、科学部に行くと部室にはアキラとタケシの二人だけだった。

部員の数は欠けているものの、特に何て事の無い日常の光景だ……と言いたいところだが。


「何をしてるんだアキラ」


「刺繍」


 いや、それは分かるけど。

アキラは夏休みに購入した服に、糸と針を持って刺繍を施している……それは見て分かる。


 しかし、俺が指摘しているのは、その頭部に装着した機械的なゴーグルのことだ。


「説明しよう!」


 タケシが大声を張り上げて勢いよく席から立ち上がる。


「というわけで、これを付けろ」


 そして俺にゴーグルを手渡してきた、アキラとおなじものだ。

言われるがまま付けてみると……別に視界が変わることもなく、いつものタケシの姿が目の前にあるだけだ。


「このハンカチを両手で広げて持て」


「なんなんだ一体」


 今度はハンカチを持たされる。

広げると結構大き目の、白くて無地のハンカチだ。


「そのままハンカチ全体を視界に捉え続けろ」


 そう言いながら、ハンカチ越しにタケシがスマホを操作しているのが見える。

しばらく待っていると……。


「おお、なんだこれ」


 ハンカチの表面に白く光る線が浮かび上がってきた。

それは一輪の花の形をしていた。


「刺繍のガイドラインだ。 これに沿って縫っていけば綺麗に仕上がるというわけだ」


「へえ、今はこういうのもあるんだな」


「ちょっとだけ、くしゃってしてみろ」


「ん? おお!」


 ハンカチを少しだけシワが出来るように持ち方を変えてみると、光の線もそれに合わせて歪む。

ただ一つの図形を投影しているだけではなく、表面に沿って形を変えるようだ。


「すごいな」


 これなら刺繍も、いくらかは簡単に出来るようになるだろう。


「今やVR技術は格段に向上している。 ただゲームで遊ぶような代物じゃなく、現実的に有用なソフトが日々開発されているんだよ」


「へぇ、刺繍以外にも何か出来たりするのか?」


 気になって聞いてみる。


「ああ、たとえば市街地を移動するとき、ルート表示させることによって迷うことなく目的地に辿り着けたりもする。 オンラインゲームみたいにな」


「進行方向に矢印が出てくるみたいな感じか?」


「それに似たようなものだ。 スマホで地図を見るよりも、はるかに分かりやすい」


 たしかに、地図って意外と見づらいもんな。


「でも、常にこれを付けて移動するのはなぁ」


 便利とはいえ、いつもVRヘッドセットを付けて歩くのは億劫だし、なにより目立つ。


「たしかに、結局スマホで済む話だからな。 しかし、ゆくゆくは分からんぞ? いずれBMIが進歩したらな」


「BMIってなんだよ」


 聞き慣れない単語だ。


「ブレイン・マシン・インタフェースの略だよ。 脳と機械を繋ぐ技術のことだ」


「脳と機械を繋ぐって……そんなことが出来るのか?」


「出来るとも。 ヒュー・ベクター博士が開発したバイオボディ技術については、もちろん知ってるだろ?」


「もちろん知らない」


 タケシみたいな科学オタクとは違い、俺はただのゲームオタクで。

偉い科学者なんてエジソンかアインシュタインぐらいしか知らないぞ。


「……とにかく今の時代、BMIはかなり実用化されている」


 諦めたのか、バイオボディとやらの説明は省くようだ。

そうしてくれると助かる。


「しかし、未だ手が付けられないのは脳だ。 もちろん精力的に研究は行われているが……脳の機械化については全然だな」


「脳の機械化って……それ、何か意味あるのか?」


 突拍子も無い話だし、メリットも思い当たらない。


「そりゃあるさ。 こう考えてみろ、普段スマホでやるようなことが、ちょっと頭の中で思うだけで実行できると。 電話も、地図を見るのも、飯屋を探すのも、ゲームをするのだって、そう思うだけで済むんだぞ?」


 ふーん、まぁ、そりゃ便利だろうけど……。


「わざわざ脳を弄ってまで、そうしたいかと言われたら、俺は嫌かな。 なんか危なそうだし」


「もちろん、100%の安全が確立してからの話になるだろう」


「そうだとしても……そこまでして、って思うけどな」


「それはお前が健康体だからだ。 盲目だったり耳が聞こえない人たちからすれば、脳の機械化は救いになる」


「ああ、まあ、それはな」


 いわゆる医療目的なら重要な目標になるのか、脳の機械化ってのは。


「でも特別な理由でもないかぎり、脳を機械化するってのは抵抗があると思うな。 それが確実に安全な手術でもさ」


「……まぁ、その意見は分かる。 仮に脳の機械化が当たり前の時代になったとしても、倫理的もしくは生理的に施術を拒む人々は出てくるだろうしな。 知ってるか? 昔の人は写真を取られると魂を抜かれると思っていたそうだ」


「魂を抜かれるって? なんでまた」


「人に形が似ている物は、魂が入るという迷信があったからだ。 人形が良い例だな、呪いの人形っていう怪談がたくさんあるだろう? 写真は、あまりにもそっくりに写るため、カメラが国内に入って来たばかりの当時の日本人は、その写真に魂を取り込まれると思ったのさ…………あくまで一説だが」


「へぇ~」


 一説とはいえ、実際に『写真を取ると魂を取られる』という迷信が産まれた以上、実際にそう思っていた人は居たのかもしれない。


「脳の機械化も、似たことが言えるかもしれんな」


「え? どういうことだ」


「例えば、今の俺が既に脳の機械化が済んでいる状態だとしよう。 手術は昨晩、終わったものとする。 さて、今日この日、お前は俺に何か違和感を覚えたか? たとえば、俺そっくりに誰かが化けているとか」


「……いや? 別人とは思えないけど」


 姿形はもちろん、表情の動きも口振りも、従来のタケシだ。


「しかし実際には昨日と今日の俺は別人かもしれない。 昨日の俺は生来持った脳で物を考えていたが、今日の俺はデータ化された『タケシ』をプログラム通り実行しているだけにすぎない……かもしれんぞ?」


「その二つは別物になるのか?」


「簡単な話、俺という主観、その人格は手術したときに死亡し、あとは機械が『タケシ』らしく振る舞っているだけにすぎないということさ。 そしてそれは、当事者しか知り得ない事実になってしまう。 お前から見て、昨日の俺と今日の俺の差異が理解できないのならな」


 ……そうか。

他人の脳内を覗けない限り、それが本当にタケシなのか、それをコピーしているだけの機械なのか、どちらか区別できないという話か。


「それを聞くと、ますます脳の機械化なんて、したくなくなってきたな」


「俺も、自分で話していて何だが、少し嫌になってきたな」


 そうだよな、よっぽどの理由が無い限り、脳というものを無闇に弄らないほうが良いのかもしれない。


「しかし、それでも脳の機械化には大きなメリットがあるのも確かだ」


「メリット? どんな?」


「それはな……」


「帰る」


 そのとき、アキラが不機嫌そうに席を立った。


「え? おい……」


 手に持っていた衣装と、被っていたVRゴーグルをテーブルの上に乱雑に置いて、声を掛ける間もなく部室から出て行った。


「……なんか怒ってなかったか?」


「そうだな。 何か気に障ることを言ったかな」


「……言ったか?」


「言ってないよなぁ?」


 ただ脳の機械化について話していただけだ。

アキラのことは、少しも話題に上がっていない。


「ちょっと様子を見てきたらどうだ」


「え? 俺?」


 タケシがアキラを追いかけるように促してくる。


「今日は全員集まらなそうだし、部室を閉めようと思う。 ついでに一緒に帰って機嫌を窺ってみたらどうだ?」


「お前は?」


「すまんが、ちと用事がある。 部屋の片づけはしとくから」


「……そうか。 わかった、じゃあな」


 そういうことなら、しょうがないな。

それに、俺としてもアキラのことが心配だ。


 すぐに追いかけてみよう。


 小走りで学校の外へ出て、しばらく歩道を行くとアキラの小さい後姿が見えた。

すぐに駆け寄る前に、スピードを緩めて、ちょっと距離を置きながら後をつけることにした。


 それは『なんて声をかけたらいいか』を考えるためだった。


 アキラはぶっきらぼうな性格だが、あまり怒ることはない。

誰に対しても素っ気ない態度だが、短気ではないのだ。


 だからこそ、怒ったときの対処法が長い付き合いながら未だにわからない。

そもそも、どうして怒っているのかも不明なのだ。


 直接、怒りの理由を聞いてみるか?

いや……『別に、何も』という返答が容易に想像できる。


 アキラは内面をあまり表に出さない。

プライベートのことも喋りたがらない、あいつから家族の話も聞かない。

何か複雑な事情が有るのだろうと、俺も意図的に聞かないようにしている。


 俺とアキラには、幼馴染ながら、そういう一定の線引きがある。

しかし、だからといって壁を感じたことは今までに無かった。


 毎日のように学校で出会い、昼休みに雑談しながら飯を食って、放課後一緒に帰る。

どこにでもある、ありふれた日常をアキラと過ごしてきた。

何か重大な事件があるわけでもなく、深い悩みなんてものもなく、それを相談し合うこともなかった。


 だけど、それはあくまでも俺の目線の話である。

アキラは……何か悩みでもあるのか?

だから、急に怒ったりして、情緒不安定になっているんだろうか?


「あっ」


 思わず、短く声を上げてしまった。

なぜならアキラが立ち止まり、こちらを振り返ったからだ。


 俺を見て、何を言うわけでもなく、そのまま突っ立っている。

遠目ながら、どことなく睨んでいるような目つきに見える。


 観念して、そのままアキラの元へと歩み寄る。


 そしてアキラが口を開く前に、俺は素早く告げた。


「ゲーセン行こうぜ」


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