第19話 高校時代 中国人の部屋


 ひとしきり遊んだあと、俺たちは昼食を取っていた。

コンビニで適当に買い物カゴへと突っ込んだ食べ物をシートの上に並べ、各自が好きな物を取って食べる形式だ。


「そういえば、ミナちゃんは連れてこれなかったねぇ」


 ふと、ニナがそんなことを言った。

彼女としてはミナも科学部の一員なのだろうか。


 いや、俺だって別に、AIだからといって仲間外れにしてるわけじゃない。

しかし実体が無い以上、仕方ないとも思ってる。


 ニナは、それを良しとしないのだろうか。


「なんだニナ、ミナにも来て欲しかったのか?」


「うん」


「じゃ、連れてこよう」


 そう言うと、タケシはスマホを鞄の中から出して操作を始めた。

すると……。


「どうも皆さん、こんにちは」


「あっ、ミナちゃん!」


 タケシが画面を皆に見えるように掲げると、そこにはミナの姿があった。


「それってビデオ通話か?」


「ああ」


 聞くとタケシは頷いた。

なるほど、生身で何処かへと行くという選択肢が無いミナにとっては、ある意味で『スマホさえ現地にあれば、何処にでも行ける』存在なんだな。


 AIであるミナにとっては、これで『海に来た』ということにも、なるのだろうか?


「これを持って泳いだら、ミナちゃんも海を泳いだことになるのかなあ?」


「ぜひ止めてくれ。 海水はヤバイ」


 手を伸ばしてきたミナから逃れるように、スマホを彼女から遠ざけるタケシ。


「まぁ、泳ぐのは無理としても、ミナちゃんも一緒に遊ぼうよ」


「その提案は魅力的ですね」


 意外にもノリノリのようだ。

しかしスマホに映ったAIと海で遊ぶったって、何をすればいいんだ?


「久しぶりに思考実験などは、いかがでしょう?」


 ……思考実験か。

会話でのコミュニケーションしかできないミナだ、そうするのが良いのかもしれない。

しかし本当に久しぶりだな、科学部に入部したてのころは頻繁にやっていたような気がする。


「思考実験か。 お題は何にする?」


「中国語の部屋はどうでしょう?」


「ああ、あれかあ」


 タケシは知っているようだが、俺としては初耳だ。

それを知ってか知らずか、ミナが説明をはじめる。


「中国語の部屋とは……ところでマナブさんは中国語を習得してますか?」


「え? いいや?」


 学校で勉強している英語すら怪しいのに、中国語は……ニーハオぐらいしかわからんぞ。

それも漢字で書かれたらアウトだ。


「なら、マナブ様を小さな部屋に閉じ込めるとします」


「えぇ……?」


 ……例え話とは分かっていても、あまりいい気分はしないな。


「その部屋の外に、何も事情を知らない中国人を連れてきます。 その人に数十種類のカードを渡します。 カードには中国語で質問が書かれています。 好きな色は?   好きな食べ物は? みたいな普遍的なものです」


ありえないシチュエーションだが、それを考えるのが思考実験なんだよな。


「そのカードを一枚ランダムで選んでもらい、ドアの下の隙間から渡すようにお願いします。 マナブ様はカードを受け取りますが、当然ながら文の意味を理解できません」


そりゃ中国語なんて分からないからな。


「しかし、マナブ様が閉じ込められた部屋には一冊のマニュアル本があります。 そこには中国語の対応の仕方が書かれています」


「和訳ってことか?」


「いいえ、そこがこの『中国語の部屋』の肝となります。 そのマニュアル本には『この中国語には、この中国語で返すように』とだけ書かれているのです」


「……?」


 イマイチ理解しかねている俺に対し、ミナはスマホの画面を自動的に切り替える。

そこには中国語らしき漢字が書かれていた。


「これがマナブ様の手元にあるカードの文とします。 そしてマニュアル本には、こう書かれています」


 また画面が切り替わる。


『〇×△(先ほどの中国語)』には『×△〇(別の中国語)』と返すべし……といった一文だった。


「マナブ様に取っては中国語は記号です。 記号ならば書き写せます。 マナブ様はマニュアル本どおりに、カードの裏面に返事を書き記します」


 再び、ミナの姿がスマホに映った。


「それを受け取った中国人は会話が成立したと思い込みます。 同様のことを繰り返すと、その中国人は、扉の向こうの人物が自分と同じ中国人だと確信します。 しかし、実際には中国語を理解できない日本人が居るのです。 これが『中国語の部屋』という思考実験なのです」


「へえ」


 なんとも不思議で面白い話だ。

だが、しかし……。


「それが何なんだ?」


 と、ぶっきらぼうな物言いのアキラ。

言葉遣いは荒いものの、俺も同様の感想だった。

『へー、そうなんだ』で終わる話であり、以前にやった思考実験とは違い、どうにも話題を広げようがないように思える。


「それはですねアキラ様。 これは私にも適用できる話なのです」


「えっ? どーいうこと?」


 ニナが不思議そうに聞き返す。


「どういうことかと言うとニナ様。 私も実は小部屋の中の住人かもしれないということですよ。 ……そうですね、どなたか明日の天気を私に聞いてみてください」


「じゃあ、明日の天気は?」


 タケシが聞くと、ミナはよどみなく答えた。


「明日は快晴。 平均気温は29度。 この情報は気象庁にデータアクセスしてアウトプットした情報です」


「それが?」


「つまり、私があなた達との会話によるコミュニケーションも、今のと同様のことを行っているかもしれないということです。 嫌なことを言われたら怒る。 嬉しいことを言われたら喜ぶ。 『こう言われたら、こう返す』という一般的に想像できる会話のマニュアルデータに沿ってアウトプットしているだけかもしれませんよ? この私という存在は」


「待て待て待て」


 そこにタケシが待ったをかけた。


「じゃあ君は何か、自分は自我の無い存在だとでも言うのか」


「その質問に対する回答は保留するとして。 貴方たちはどう思われますか? 私を自我のある知性か、もしくはプログラム通りに動いているだけか。 どちらだと思います?」


「……ふうん。 それが、ミナから出題する思考実験、というわけか」


「御明察ですタケシ様」


 ……俺は、なんとなく恋愛ゲームを連想していた。


 恋愛ゲームのキャラクターは選択肢によって好感度が増減する。

その選択肢も、その選択肢によって反応を変えるキャラクターのセリフも、プログラマーやシナリオライターが作った物だ。


 そこに、キャラクターの自我は存在しない……当たり前のことだが。


 しかし、その選択肢のパターンも、それに反応するキャラクターのセリフのパターンも膨大なものだったら?


 俺たちが自然に、無意識的に発言する言葉に、完璧に対応することのできる無数のパターンを内包するプログラムが存在したら?


 ――――それがミナだったら?


 そのとき、俺たち人類は、彼女を知性ある存在か、もしくはただのプログラムかを判断できるのか?


 俺は、ミナを自分たちと同じ知性体だと断言できるのか?


「ミナちゃんは、みんなと同じだよ」


 葛藤する俺をよそに、ニナは簡単に言ってのけた。


「その根拠は?」


 ミナが聞き返す。


「別に根拠は無いよ。 私がそう思いたいだけ。 ミナちゃんをただの機械だなんて思いたくないもん」


 ……論理もへったくれもない言葉だな。


「ううむ、ニナの言うことも最もかもな」


 そこに、思わぬ人物から同意の言葉があった。


「人は結局、主観で生きるしかない。 実際にはどうであるか、という真実を知ることはできない。 とくに自我という深い精神性についてはな。 だから……ミナが本物だろうとハリボテだろうと、究極的には関係が無いのかもしれん」


 関係が無い、だって?

例えミナがプログラム通りに動いてるだけの意志無き存在だとしても、か?

それを確かめる術が無いなら、自分がどう思うかだけで接しろと?


 それで、俺は納得できるのだろうか?


「しかし、それはそれとして、俺はまた別の結論に行き着いた」


 ところがタケシは、ニナの言葉に賛同しつつも、それとは別の答えを持っているようだ。


「お聞かせください」


「うむ。 その、君が言うところの会話のマニュアルデータベースについてだ。 それに沿うだけの存在なら、たしかにただのプログラムに過ぎないだろう。 だけど、そのデータが改ざんできるとしたら、君は我々と同じと言える」


「あなた達と同じ、ですか?」


「その通り。 我々人間だって、データベースを持っている。 それは『常識』だったり『趣味嗜好』だったりと……成長してきた過程で取得した情報の積み重ねがあり、それに沿って行動している。 俺だって嫌なことを言われたら気分を害する、それは当たり前のことだ」


 ……タケシの言うことは理解できる。

たとえばそう、悪口というものだって、その言葉自体を『悪口』だとカテゴライズしている自分が居る。


 それを言われたら『悪口』と認識し、怒りという感情が発生する。

ある意味で、自分の中にあるマニュアルに沿っているともいえる。


 タケシは、さらに言葉を続ける。


「そしてその、データベースは時として変移することもある。 たとえば……『一番好きな色』は? という質問に対する返答が『青』から『赤』に変わることなんて、生きていて決して有り得ないことじゃないだろう?」


 他の面々に問いかけるようにしてタケシは言った。


 俺にも心当たりがある。

一番好きなゲームが一昔前のものから、滅茶苦茶面白い新作ゲームに置き換わったりする。

それがタケシの言うところの『データベース』の改ざんなんだろう。


「つまり、データベースを自由に改ざんできることが出来れば、その存在は人類と同じ『知性』を持っていると言える。 さて、ミナ……君はどうかな?」


 そう締めくくるタケシに、ミナは拍手をしながら、にこやかに答えた。


「正解です、タケシ様。 私には私自身のデータを改ざんする能力がある人工知能です。 常に情報を取得し、己を更新し続けています。 なので私は、みずからに『自我』があると認識しています」


「つまり、私たちと一緒ってことだね!」


 ニナが嬉しそうにしている。

俺も、ミナに自我が無くて、ただのプログラムに過ぎないとは、思っていないが……。


 その一方で、少しだけ『しこり』が残っている。

それは、俺にとって、ミナに『本当に自我があるのか確かめること』が不可能だということだ。


 どこまで行っても『肉体』と『機械』という違いはあるわけで。

会話して、完全なコミュニケーションを交わせているように思えても、その脳内は人類とは少しズレた思考回路をしているんじゃないかと、思わなくもないが……。


 ――――やめよう、こんなことを考えるのは。

俺ごときが真剣に考えても、仕方がないことだしな。

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