第14話 雛鳥研究所 訪問


 眠りから覚醒する。

独特の匂いと、微かな振動と、シートの背面。

右方向へと視線を向けると、窓越しに景色が流れている。


 ああ、自分はどうやら車内に居るらしい。

左方向へ視線を変えると、そこには同乗者が座っていた。


「お目覚めですか先輩」


「ああ……雛鳥後輩か」


 小さな体躯の少女が、ちょこんと座っていて、その眠たげな半眼を俺に向けていた。


「ここはどこかな」


「車の中です」


「操縦者が居ないようだが」


「完全自動運転車両だからです」


 前の席にあるべきのハンドルは何処にも無く、計器を映したモニターしか存在しない。

いわゆる運転を全てAIに任せたタイプの自動車であり、目的地さえ設定すれば勝手に動き出す代物だ。


「なんで俺はこんなのに乗っているのかな?」


 この、いわばAIが運転手になってくれる自動車は、そのシステムの複雑さから高級車並みの値段がする。

一般人が乗れるようなもんじゃない。


「寝ぼけすぎですよ」


「そうかな」


「そうですよ。 私の祖父に招待されたことも忘れたのですか?」


「君の祖父?」


「ええ、雛鳥総一郎さんに」


 雛鳥総一郎……『世界のAI科学技術を100年は進めた大天才』と称される、その分野のトップに立つ偉大なる研究者。

雛鳥後輩は、その孫……だったな。


「祖父の研究所を見学できるというのに、その前日、徹夜で研究に没頭するなんて呆れました。 私が起こしに行かなければ、どうなっていたことか」


「…………ああ、悪かったな」


 そういや……そうだったな。

徹夜で研究していた覚えがある。

机に突っ伏して寝ていた俺を、雛鳥後輩が起こしてくれた光景も思い出してきた。


「しかし、あの雛鳥博士の研究所を見学できるとは光栄だ。 持つべきは偉大な祖父を持つ後輩だな。 ところで、いつ研究所に着くのかな?」


「目覚めるなり、はしゃがないでください。 ほら、もう着きますよ」


 雛鳥後輩の言う通り、AI車は一つのビルの、地下駐車場に入っていく。

しかし俺は、そのビルに掲げられていた縦型の看板を見逃しては居なかった。


「ちょっと待て、森巣警備保障と書いてあったが」


 聞いたことのないセキュリティ会社だ。


「研究所はその地下にあるんです」


「……なぜ?」


「さあ?」


 雛鳥後輩も分からないらしい。

まぁ、祖父の研究所だからといって、何でも知ってるわけじゃないか。

しかし警備保障の会社にある研究所なんて……聞いたことがない。


 車は暗い屋内を走っていくが、ある地点で停車した。

そこは白線で囲われた駐車スペースではなく、コインパーキングにあるようなゲートであった。


 どこかに設置されているセンサーがAI車を認識したのか、自動的にゲードバーが上昇する。


「随分と不思議な構造の駐車場だな。 こういうのは入り口にあるものだろう」


「あそこに『ここから先は関係者専用駐車場になります』とありますよ」


 だからといって、わざわざゲートを設置するほどなのか?

いや、この先が世界最高峰の博士が居る研究所なら、不思議ではないのか?

しかし、だったら何故、警備保障会社の地下に……そのことについて、雛鳥博士から聞いてみるのも良いかもしれない。


 車は右へと曲がり、地下を走り続ける。

そこで俺は、この地下駐車場が明らかにビルの敷地外まで広がっていることに気が付いた。


 やがて、突き当りまで来ると、そこで車は停まった。

そこには駐車場らしく白線の囲いがあったが、どう見ても範囲が大きい。

通常の倍以上はあり、かなりの余白があることを車内からでも見て取れる。


 つぐづく不思議な駐車場だと思いながら、俺は車内のドアに手をかける。

そのまま開こうとするも……ドアロックがかかっていた。


「まさかドアの開閉はスイッチ式なんて言わないよな?」


「さあ」


 ――――そのとき、決して弱くは無い振動が身体を揺らした。

窓の外を見ると、景色が上昇していくのが目に入った。

張り付くようにして窓の外の様子をうかがってみる。


「……驚いたな、巨大エレベーターだ」


 そう、駐車場の地面ごと下降するエレベーターに俺は車ごと乗っていた。

巨大な地下空間が眼前に広がり、俺は少年のように心躍らせていた。


「すごい、すごいなあ。 まるで秘密組織だ」


 実際、そうなのかもしれない。

警備保障会社の地下に拠を構えているあたり。

しかし、となれば、一般人の俺に見学を許したは何故なのだろうか?


 それも、雛鳥総一郎氏、その人に聞くしかあるまい。


 やがて下まで降り切ると、巨大な灰色の機械式シャッターを背景にして、一人の女性が待ち構えていた。


「ようこそ雛鳥研究所に」


 魅力的な黒く流れる長髪をした、案内嬢の制服に身を包んだ彼女に一礼される。


「これはこれは。 こちらこそ、お招きいただき光栄です」


「いえいえ。 それでは早速、雛鳥総一郎様の元へとご案内を……。 と、その前に軽く自己紹介させていただきますね。 私は案内型ロボットのメテルと申します」


「ロボット! ほほうそれはそれは!」


 俺は思わず驚いた。

目の前のロボットを、てっきり人間だと認識していたからだ。


「なるほどなるほど! やあ、これは凄い。 この肌の素材は人工皮膚ですかな?」


「ええ、その通りです」


「構造の何パーセントがバイオテクノロジー仕様で?」


「39、となっております」


「大変な高性能ですなあ!」


「先輩、そのへんにしといたらどうです」


 おっと、普段目に出来ない高性能型ロボットに興奮して、我を忘れてしまったか。

なんせ、普段デパートや観光施設で見るようなロボットとは違うもんなぁ。


「ああ、悪い悪い。 じゃ、さっそく案内願えますかな」


「はい、ではこちらに……」


 内臓されている電子機器で合図でもしたのか、自動的にシャッターが唸り声を挙げて開きだす。

なかなか厳重な入り口だ。


 その先は、今まで居た薄暗い空間と打って変わって、純白の風景だった。

天井も壁も床も、全てホワイトカラーであり、材質からか光を僅かに反射している。


 一つの飾りも無く、道と扉があるだけの空間。

まるで神々の世界の神殿に迷い込んだような錯覚さえある。


 案内嬢のメテル氏も、一言も喋らずに、ただひたすらに先を歩いている。

三人の足音だけが響く空間に、俺はふと違和感を覚えた。


「ところでメテルさん。 職員の姿が見えぬようですが」


「職員は全員、休暇中で出払っております」


「ほう、なるほど」


 なかなか充実した待遇で雇用しているらしい。


「この先に雛鳥総一郎様がいらっしゃいます」


 メテルさんは一つの大きなシャッター扉の前で止まった。


「では、私はこれで」


「どうも、ありがとうございました」


 高性能ロボとの短い邂逅を内心惜しみつつも、その後姿を少しだけ見送る。


「……さて」


 俺は閉じた扉へと前進した。

どこにも開閉スイッチが見当たらなかったからだ。

すると思った通りセンサー式のようで、自動的にドアが開く。


 ――――そこは巨大な空間だった。

近未来的かつシンプルなデザインの長机が四つほど並んでおり、PCが設置されている。

しかしそれでも閉塞感を感じないほど室内は広い。

それは、それ以外に雑多な物が存在しないのも一因だろう。


 あるのは、その四つのデスクと――――向こう側の壁にある巨大な機械装置。

円柱を縦に割って、それを横に倒したような形状をしている。 ドーム型と言ってもいい。

目測だが縦3メートル、横9メートルほどだろうか。 いったい何の装置なのだろう。


 その謎の装置の前に、一人の老人が居て、車いすに座っていた。

彼は機械式の車いすを操って車輪を動かし、こちらへと向かってくる。


 白髪、禿げあがった頭頂部、皺だらけの顔、全てを知って全てを諦めたような眼……写真で見た通りだ。


「お初にお目にかかります、雛鳥博士」


 偉大なる先達に深々と礼をする。


「こちらに来たまえ」


 しゃがれた声と遠のいていくモーター音。

下げた頭を上げると、すでに雛鳥博士は元居た場所に戻っていた。


 面食らいながらも、俺は博士の元へと小走りで近づく。


「あの、俺、いや私は……」


「この子に挨拶しなさい」


 名乗ろうとするも博士は無視する。

巨大な装置の、それを操作するらしいタッチパネルを指で弄っている。

すると、唐突に第三者の声がした。


「どうも、はじめまして」


 雛鳥博士でも、雛鳥後輩でもない、まったく別の……整然とされた女性の声が聞こえる。


「だ、誰だ?」


「あなたの目の前に居ます」


「目の前?」


「ここだよ」


 雛鳥博士が、巨大な装置の側面を、優しく触れている。


「ここって……この装置ですか?」


「はい、そうです」


 装置が応えた。

正確には、内蔵されたスピーカーか。


「博士、これは一体?」


「私が作ったAIだよ。 世界で最高峰のAIだ」


 博士が作ったAI。

AI技術の最高峰である雛鳥総一郎が、世界最高峰と謳うAI。

それが意味することとは――――。


「どうも初めまして、私はミチル……と名づけられました」


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