第13話 高校時代 仮の話


 「ニナおりじなる?」


 彼女は言葉の意味が理解できないといった風に小首を傾げた。


「いや、だから、ニナオリジナル……」


「なあに、それ?」


 そんな言葉、初めて聞いたとでも言いたげだ。

しかし、そんなことはありえない。


「……ニナが昔、俺に見せてくれた、ニナが自分で考えたダンスの振り付けのことだよ」


「…………」


 ぱちぱちと目を瞬かせるニナ、これだけ説明しても理解に至っていないようだ。


「ああ、そっかあ、そういやそんなこともあったねぇ」


「え、あ、うん」


「たしかここで、アイドルごっこしてたっけ……マナブくんと」


「……そうだよ」


 ――――軽く、いやかなりショックだった。

俺にとっては大事な思い出だったのに、ニナにとっては、簡単に忘れてしまう程度のことだったのだ。


「ねぇ、見せてよ」


「え?」


 がっかりした表情を見せないように顔面を強張らせていると、急にニナが言い出した。


「マナブくん覚えてたら、そのニナオリジナルってのを見せてよ」


「ええ……」


「ねぇ、おねがい」


 一度は難色を見せてみたものの、なにやら真剣な眼差しでニナが懇願してくる。

ちらりと周りを見回してみると、さきほどまで疎らに居た公園内の人影が消えている。


 丁度いいタイミングではあるが……。


「……わかった」


 意を決してベンチから立ち上がり、ニナの前に立つ。


「こう、片手を腰に当てて、脚を開いて踵を地面に……」


 ニナオリジナルはダンスにおける一つの動作だ。

小学生のニナは当時人気だったアイドルのコピーをしていたわけだが、その中で自ら考案した振り付けを差し替えていた……それがニナオリジナル。


 色々なアイドルのダンスを見様見真似でやっていたニナだが、どのダンスでも必ず、このニナオリジナルを取り入れていた。


 それが彼女のオリジナリティだった。


「そんで、もう片手でこうする」


 俺は手を左右にフリフリとはためかせながら、弧を描くようにして上空を撫でた。

当時のニナ曰く、流れ星のイメージらしい。


 そのことを自信満々に、そして輝かしい笑顔で教えてくれたニナの幼い顔を、俺は今でも鮮明に覚えている。


「へぇ、そういうやつなんだ」


 それを、まるで他人事のように見ているニナ。

俺は落胆を隠しつつ、またベンチに座り直し、努めて平静を保ってニナに聞いてみた。


「忘れたのか?」


「うん、忘れた」


 素っ気なく答えるニナを見て、俺は悲しい気持ちになる。


「……ねぇ、なんか悲しそうだね」


「えっ!?」


 その気持ちを簡単に見透かされて、俺は驚き慄いた。


「な、なんでだよ」


 しかし、それを素直に認めるわけにはいかず、なぜそう思ったのか聞き返す。


「別に。 なんとなく、そう思っただけ」


 それきり、ニナは黙ってしまい、俺も言葉は出なかった。

気まずい沈黙が流れる……。


 それに耐えかね、そろそろ解散しようか、と俺が言いかけた時だった。


「……仮にさ」


「……ん?」


 ニナが口を開いた。

何を言い出すのか待っていると、彼女は一拍おいて――――。


「仮にさ、マナブくんがさ、私のことを小さい頃から好きだったとするじゃん?」


「――――ホワッ!?」


 驚天動地の爆弾発言に俺は奇声をあげた。

仮にって……仮じゃなくて真実だよ!!


「それで仮に、今もマナブくんは私のことが好きだとして、それは本当に私自身が好きって言えるのかな?」


「え、ええ?」


 そんな奇妙なことを問われて、俺はいくらか冷静さを取り戻す。


「ど、どういうことだよ、それ」


「だからさ、マナブくんは小さな頃の私を好きになったわけで、今の私は好きじゃないんじゃない?」


「なんでそうなる」


「だって今の私は、昔の私を忘れちゃったもん」


「だから別人ってことでもないだろう」


「それはそうだけど……ううん、何て言ったら良いのかなぁ」


 ニナは顎に手を当てて、首を傾げて目を閉じる。

まさしく『思考中』であることが明確に分かるポーズだ。

やがて答えを見つけたのか、再び俺と視線を合わせて、語る。


「人ってさ、変わっちゃうでしょ? 考え方も、生き方も。 それなのに、ずーっと一人の相手を好きでいられるって、何か変じゃない?」


「それ、は…………」


 変、か?

いや、変じゃない、だって……。


「だったら人は結婚なんてしないだろ。 相手をずっと好きでいられるのは変じゃない」


「結婚はまた違うでしょ。 だってあれは『相互扶助』だもん」


「そ、そうごふじょ?」


 急にニナが難しい単語を使い出し、困惑する俺。


「結婚は『子供』だったり『生活の支え合い』だったり……『世間体』とかだったりがあるから、別に相手のことを好きじゃなくなっても続けられるじゃん」


 思わずあんぐりを大口を開けてしまう。

こんな……こんなドライな結婚観を持っていたとは夢にも思わなかった。


 しかし、それでも俺は反論を試みる。


「で、でも、仲の良い老夫婦も居るだろう」


「うん、それはきっと『昔とは変わってしまった』相手をまた好きになれたパターンだと思う。 もしくは『昔も今も変わらなかった』っていうパターンかな。 人間ってたくさん居るから、たくさんパターンはあるよね」


「あ、ああ」


「だからこそ、私は不思議なんだよね。 その人が『変わった』か『変わらなかった』かも分からないのに、それが自分にとって『良いこと』なのか『悪いこと』なのかも分からないのに……。 その過去と現在を同一視して恋心を抱き続けるのって、変だよね?」


 …………変、なのかもしれない。

ニナの論調に驚き、そして押され、自分の考え方が変わっていく。

しかし完全に賛同することもできず、きっぱりと反対することもできず……。


 まるで思考実験だ。


「話を最初に戻すけど」


 実験はさらに続く。


「小さな私を好きだったマナブくんが、その小さな頃を忘れてしまった今の私を、好きだと思うのは正しいこと? 間違ってること?」


 それは――――。


「正しいことだろ。 だって……全部が全部、ニナがニナじゃなくなったわけじゃない」


 そのはずだ。

そりゃ、細かいことを忘れてしまっているのかもしれないが、大部分ではニナはニナのまま。

だから、俺は正しいことを言っているはずだ。


「ふうん」


 ニナはつまらなそうに呟き、そしてベンチから立ち上がる。

そして俺に背を向けたまま、また問いを投げかけてくる。


「じゃあ、私が記憶喪失だったら? 小さな頃を完全に忘れちゃった、今の記憶しかない私だったら――――?」


「えっ……」


「好きじゃなくなっちゃっても、おかしくないんじゃない?」


 それは……そんなはずはない。

以前の俺は、簡単にそう言えただろう。


「…………」


「…………」


 ニナは背を向けながら俺の答えを待っている。

俺は答えを導き出せずに戸惑っていた。


 それは何故かと言うと、余計な考えが頭を回るからだ。


 記憶喪失のニナ。 小さな頃を忘れてしまったニナ。

それらは全て仮定の話だが、たかだか仮の話だと笑い飛ばせない俺が確かに居た。


 それは今までの部活動における思考実験の影響か。

俺は考えてしまう。


 俺は幼いころからニナに恋してる。

小さい頃のニナが好きだった。


 じゃ、今は?

もちろん好きだ。


 でもそれはどうして?

それはニナがニナだから、ニナが好きなんだ。

昔から、ずっとニナを好きだったし、だからこそ今も好きなんだ。


 だけど、そのイコールが成り立たなかったら?

記憶喪失、完全な忘却……それは現在のニナと過去のニナとの断絶なのか?


 もし、そうだとすれば。

俺が現在のニナに抱く恋愛感情は、過去の思い出と、ニナの見た目の良さだけで構成される感情になるのだろうか。


 そこに、現在のニナという存在への真っ当な愛情はあるのか?


「…………」


 ある、と言ってしまえばいい。

いまだ答えを黙って待ち続ける後姿のニナに、そう言えばいい。

ただでさえ、全ては仮の話……そう深く考えずに『今のニナも好きだ』と言ってしまえばいい。


 だけど、それが出来ないのは――――。


「ごめんね」


 俺が答えを出す前に、ニナが謝った。


「変なこと聞いちゃったよね……ごめん」


 謝ることなんてない。

それを言い出す前に、継ぎ早に彼女は別れの言葉を言う。


「じゃあね、また明日」


 そう言って、ニナは背を向けたまま去っていく。

その姿に、俺はとてつもない焦燥感に駆られて立ち上がり、叫んだ。


「ニナ!」


 彼女が振り返る。


「俺は――――だったら俺は、改めてニナを好きになる!」


 その言葉に、彼女は大きく目を開いた。


「ニナが記憶喪失になったら、俺もニナへの思いを失くす! そしてまた好きになってやる! それが俺の答えだ!」


 そう、これが俺の答え。

理由はどうあれ、ニナが昔を失くしたなら、俺も昔の恋心を捨てる。


 さっき、ニナオリジナルを忘れてしまったニナへのショックも忘れる。


 俺は今のニナしか見ないし、未来のニナしか見ない。

そうすればきっと、俺はニナを好きで居られ続けるはずだ――――。


 俺の言葉を聞いたニナは、しばし振り返ったまま立ち止まっていたが、やがてこちらへと駆け寄ってきた。


 その表情は――――。


「カッコイーこと言うね~、マナブくぅ~ん」


 悪戯っぽい、からかうようなニヤつき。

そこで俺は、とんでもなく恥ずかしいことを大声で言ってしまったと気付く。

猛烈に顔面が熱っぽくなるのを感じる。


「ねーねー、今のって私へのプロポーズ?」


「ちっ、ちがっ! 仮の話だろ、仮の! もし俺が小さい頃からニナのことを……っていう仮の!」


「あはは、そーだったね。 まーいいや、じゃあ帰ろ」


 ニナは再び俺に背を向けて、今度は楽し気な様子で歩き出した。

それを見て、俺は思う……もしかしてニナは俺をからかっただけなのか? と。


 しかし、それを問いただす気力は、もう無い。

敗北感を抱きながら、ニナの後を付いていった。


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