第9話 高校時代 シュレディンガーのポーカー
「シュレディンガーのポーカー?」
不思議そうにタケシが言った。
「ええ、そうです。 みなさんはシュレディンガーの猫というものを、ご存じで?」
「ああ、知ってる」
俺はそう答えた。
何を隠そうゲームで得た知識だ。
あれは謎解きのゲームだったか……。
「では、私の代わりにご説明願えませんか?」
「え? えーとたしか……」
その謎解きゲームをプレイした過去の記憶を必死で掘り起こす。
「ええと、一時間ごとに50パーセントの確立で毒ガスが発生する箱があって、そこに猫を入れる。 一時間後、箱を開ける。 その箱を開けた瞬間に猫の生死が決まる……みたいな話だっけ」
「大雑把な解説だが、まあ概ね、その通りだ」
上から目線ではありつつも、タケシがお墨付きをくれた。
「それ、なんか変じゃね?」
すると思わぬところで異を唱える者が居た……アキラだ。
「箱を開けようが開けまいが、猫は生きてるか死んでるかだろ。 なんで箱を開けた瞬間に猫の生死が決まるんだ」
「いやそれはだなアキラ、これは量子学におけるミクロとマクロの話であって、つまり箱を開ける前の猫の生死は重なり合っていて――――」
「アキラ様のお考えは、決定論ですね」
タケシの講釈を遮るようにしてミナが発言する。
「けっていろん?」
「物事の全ては先だった物事によって決定されているという考え方です」
「よくわからないんだけど……」
「そうですね例えるなら……マナブさん、仮に貴方の今晩の食事が大量の脂っこいステーキだとしましょう」
「え? 俺?」
急に話を振られて困惑しつつも、ミナの例え話を聞く。
「胸焼けするほどステーキを食べたあなたは、翌日の昼、何を食べますか? 予想してみてください」
「うーん、さっぱりしたものかなぁ。 ソーメンとか」
「そうですよね。 脂っこいものを食べ過ぎた翌日の昼食はさっぱりとしたものが食べたくなります。 そして安価で作りやすく、かつ日本食であるソーメンを選択する。 つまり『ソーメンを食べるマナブ様』という未来は『ステーキを大量に食べたマナブ様』という先行した事実に基づき確定されている未来だと解釈することもできます」
「必ず俺がソーメンを食べるとは限らないんじゃないか?」
ミナの例え話は分からなくもないが、確定された未来と言われると、完全には納得できない。
「ええ、その通りです。 マナブ様が何を昼食に選ぶかは、マナブ様の自由意志によって決まるもの。 しかし、その自由意志をというものが存在しなかったとしたら?」
「ええ?」
俺に自由意志が存在しない? そんなことがあってたまるか。
「考えてもみてください、自分という存在について。 あなたはあらゆるものに影響されて今のあなたという存在なのです。 日本に生まれ、一般的な家庭で育ち、義務教育を受けています。 一段階ほど視点をミクロに下げれば、両親や友達の性格、見てきたメディアの数々、体感した自然環境……その全てが今の貴方を象っている」
「言っている意味がよく分からないのだが」
「ではこう言い換えましょう。 貴方の人生は貴方の物であり、寸分違わず同じような人生を送ってきた他者は存在しない。 それは断言できますね?」
「それは、そうだ」
「そして貴方の人生はあらゆる干渉を受けて積み重なったもの、両親や友達の存在はもちろん、まったく見知らぬ人間が作った製作物……芸術品や生活品などを問わずとも、それは貴方に干渉してきた。 ソファに座りながらテレビ番組を見てジュースを飲んだ経験は?」
「そりゃ、あるけど……」
「そのソファ、テレビ番組、ジュースは作られた物であり、作った人間たちにも人生がある。 そういうことであれば、人と人の関わりは貴方が思う以上に膨大であり密接している。 そこに自然現象も加えれば、まさに森羅万象が貴方に関わっていて、それらの影響を貴方は受けていて、その結果が貴方という人間を作っている」
「それは、そうだろうけど、それで俺に自由意志が無いとはならないだろう」
「なるんだよ」
ミナの代わりにタケシが答え、話を引き取った。
「例えば、お前の目の前に、お前の悪口を言いまくるヤツが居たとする。 それでお前は腹を立てるが、ぶっ殺したりはしないだろ?」
「そりゃそうさ」
そこまで短気じゃないつもりだ。
「そうしないのは、お前が法律というものを知っているからだ。 または道徳心というものがあるからだ。 それを教えたのは教師や両親という存在だ。 つまり誰かからインプットした情報であり、無から生まれたものではない」
「……だって、そういうもんだろ、人間ってのは」
「ああ、そういうもんさ人間ってやつは。 血族を問わず人類の先祖代々から、情報を受け継いできて現代の人間がある。 そういうもんだから自由意志が存在しないとも言えるんだ。 俺がこうやって奇怪なダンスを突然踊り出したとしても……」
タケシがガニ股になって両手を上下にバタバタと振る。
これがダンスか? 珍しい昆虫の求愛行動にしか見えん。
「これは俺の自由意志ではない。 こんなユーモア溢れる人間に育て上げた両親が居て、こんなダンスを披露しても気兼ねが無い友人しか居ない空間があって、決定論を知らないお前が存在して、必然的に起こった行動だ。 森羅万象のごとき情報の積み重ねによるダンスだ。 ならば未来も森羅万象のごとき干渉があって、俺やお前の行動も決定づけられているとも言える。 これが決定論…………そうこれは決定論ダンスだ!」
と高らかに言い放ちながら、くるくると回り出す動作も追加するタケシ。
それでも上手く飲み込めていない俺に対し、ミナが再び口を開いた。
「つまりシュレディンガーの猫に対しても、実は50パーセントの確立ではなく、猫の生死は箱に入れる前から決まっているという考え方もあるのです。 ……まあ、理解できなくても無理はありません。 とてもミクロな話ですから。 そしてミクロな話と言えば、このシュレディンガーのポーカーもそうです」
急に話が本筋に戻って俺は気付く。
そうだ、俺はこのヘンテコなポーカーをやっていたんだった。
「物事は観測するまで決定されないという考え方があります。 今の状況が正にそうですね。 この場で誰もカードの中身を観測していない」
……俺はしてしまったが、それはいいのか?
「これならば私も皆様と同じように勝負できます。 ところで罰ゲームの内容ですが」
「罰ゲーム!? 何をいきなり言い出すんだ!」
「いま、思いついたので」
このAI、なかなかに横暴だぞ。
だいたい、どんな罰ゲームを思いついたっていうんだ、AIが。
「そうですね、勝者は一番弱い数字の敗者の胸を思い切りまさぐれる……というのはどうでしょうか?」
「セクハラAI!?」
タチの悪い飲み会の大学生かよ!
さっきまで知的レベルの高い話をしていたと思いきや、急激にIQが下がりやがった。
しかもその罰ゲームって……。
周囲を見渡す。
ゲームの参加者はニナ、アキラ、雛鳥さん。
俺に得しか無いじゃあないか!
いや、プラスチックのボディを持つミナも居るが……。
しかも俺のカードは最強のエース!
うおおおおおおおおおおおお!!
「おおおおおっっ!! だめだだめだ! そんなハレンチな罰ゲームは許しませんぞ!」
あらゆる誘惑を振り切って、そう宣言する。
紳士だな、俺って。
「皆もそうだろお!?」
同意を求めるべく、他の参加者にも聞くが――――。
「いんじゃね別に」
「うん、私はいーよー」
「…………」
「賛成3、反対1、無効票1でゲーム続行とさせていただきます」
無慈悲なミナの声。
なんでたった一人の男子しか反対してないんだ!
「さてゲーム開始……降りる方は? おや居ませんね」
居ないんかい!
最近の女子には恥じらいがないのか!?
「と、なればです。 俄然、マナブ様は勝ちたいわけですね?」
「な、なんでだよ!」
胸中の思いを言い当てられた俺はドギマギしてしまう。
「肌の色つやから鼓動音……マナブ様は今、興奮していらっしゃる」
「そんなことはない!」
「それに女性の胸部に関して並々ならぬ関心がおありなことは、雛鳥様への身体の一部に対する視線の回数から判断できます」
「法廷で会いましょう」
「ちがうんだ雛鳥さん!」
くそう、こうやってAIと人類は敵対していくのか?
「さてさて、是が非でも勝ちたいマナブ様と、未だ観測されていないカード……このとき、マナブ様の強い思いは観測結果に影響するのでしょうか?」
「するわけないだろう」
タケシが汗だくで口を挟んだ。
お前はいつまでそのダンスを続けるつもりだ。
「それは見てのお楽しみ。 ではカードを公開しましょう。 私のカードはタケシ様にお願いしましょう」
そこでようやくタケシは踊ることをやめ、キーボードの上のカードをめくる。
ミナのカードはまたもやハートのキングだった。
アキラと雛鳥さんもめくる。
6のクローバーと、9のダイヤ。
そしてニナは…………スペードのエース!?
驚きながら自分のカードをめくると、それはスペードの3だった、
「え……?」
思わず声が漏れる。
「わーい!」
「…………」
嬉々としてアキラの背後にまわり、胸をわしわしとするニナ。
アキラは黙ってそれを無表情を受け入れていた。
いや、瞳孔が大きく開いているが……おどろいた猫のようだ。
それよりも目の前のカードだ。
なぜ……さっき見たものと変わってしまっている?
「おや、残念でしたねマナブさん」
呆然とする俺にミナが話しかけてくる。
「いや、それはそうだろう」
タケシが俺の手からカードを取った。
他のみんなからもカードを回収すると、それをトランプの山の上に置いた。
「さっきは俺という観測者が居ただろう、ミナ」
「ええ、そうですね」
「それに、そうでなくても……」
そう言いながら、また再びカードを同じ順で配り始める。
「仮に俺が観測していなくても、カードを繰る動作が全く同じなら結果は変わらない」
俺は再度くばられたカードをめくる。
スペードの3だ。
タケシは手に持ったトランプの束を掲げながら言った。
「この中でカードの絵柄が常にシャッフルされているわけじゃあるまいし、配る瞬間をタイムループしたとしてもカードは変わらん。 量子学とはまったく無関係なことだ」
……そうだ、そのはずだ。
そのはずなのに、どうしてカードが変わってしまった?
――――それは、きっと、俺が見間違えたんだ。
そう思うしかないというか、そうでしかありえない。
一度見たカードが、また変わってしまうなんてありえない。
「……タケシ様の言う通りですね、私の間違いでした」
ミナもタケシの言うことを認めた。
シュレディンガーの猫。
箱を開けた瞬間に猫の生死が決まる。
なら俺の場合は?
一度開けたときは猫が死んでいた。
だが二度目には生きていた。
そんなことはありえない。
ありえないから……その見た自分の目を疑うしかない。
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