羽がなくても空を飛べたら 4

 夜もふけていよいよ外気が冷えていき体内の血液が動きが鈍るのを感じる。

 前々から思っていたけど、この部屋はとてつもなく生活環境が悪い。見ればわかりそうなボロだけど見た目よりももっと悪い。

 今日みたいに特に冷える日はそれが顕著に現れてわたしを苦しませてくる。


「今更ですけどストーブとかないんですかこの部屋。」

「そんな高級品があったらお目にかかりたいな。」

「エアコンはありますよね。」

「電気代。」

「せめて湯たんぽ的なやつとかは?」

「ない。あったとしても水もタダじゃないしお湯を沸かすのもタダじゃない。」

「貧乏人。」

「箱入り娘にはわからないだろうね。これがわびとさびというやつだよ。」


 ちょうど日本史の問題で『千利休』と回答している先輩が自慢げに言う。虚しくならないのかな。


 それはそれとして今やらせている問題の回答を総合的に見るに、社会系の科目はやっぱりなんとかなりそうだ。わたしから言わせれば鳩の豆知識同然だけど、最低限点数が取れる出来にはなっている。

 だが、もちろん安心はできない。わたしたちの高校は赤点が一つでもあったら留年確定なので数学理科をどうにかしないと行き着く先は同じだ。

 

「もうこんな時間だね。」


 あえて気づかせるように先輩が時計を見ながら呟く。


 いつの間にか時計の針は夜10時に達しようとしていた。


「あと二時間くらいやりましょう。時間が惜しいです。」


 手遅れになるくらいなら打てる手は打っておいた方がいい。真夜中になってしまうが、わたしの家には誰もいないんだし気にする必要もないだろう。

 先輩と二人きりで何か起こるわけでもあるまい。


「今日は泊まっていくの?」


 ………………起こるわけないよね?

 

 先輩がなぜかちょっと嬉しそうに声を高鳴らせる。


「………泊まりませんよ。日を跨いだら帰ります。」

「ふうん。そっか。」


 酔って帰れなくなって家に泊めてもらうことはあっても、自分から素面の状態で先輩の家に泊まることはない。寝るだけなんだしメリットも別にない。

 じゃあ露骨に残念がっている先輩には何かメリットがあるのだろうか。

 寝ているわたしに何かするつもり?それともただずっと一緒にいたいのか?どちらにせよちょっと、いやだいぶおかしいことだと思う。


 ここ最近の先輩の変に接近してくる言動には、実は思い当たる節がある。


 あれはたしか、わたしが先輩に焼肉を奢ってあげた日のことだ。

 あの日は今日のようにこの場所で勉強会を開いていた。それで、わたしは脅し関係を解消して友達として先輩と関係を築くことが出来たことが理由で、肩の荷が降りて安心したせいか久しぶりにここでお酒を飲んでしまった。先輩を前にした時の自分の自制心のなさには本当に呆れる。

 でだ。結局酔い潰れて先輩の家に泊めてもらうことになってしまったわけだけど、あの夜についてあまり覚えていないのだ。

 先輩が『わたしが死んだら悲しい?』って聞いてきて、わたしが『悲しいです』と答えたところまでは覚えてるんだけど、そのあとがうまく思い出せない。そのまま寝てしまったような気もするけど、何かがあったような気もする。

 いつものわたしなら、先輩相手だしまあいっか、で済ませてしまうのだが、先輩の様子が変わったのがこの日以降なので、やはりなにかあったのではないかと勘繰ってしまう。

 直接本人に聞ければそれが一番なんだけど、踏み込んだら引き返せない領域な気がして足踏みしている。


「じゃあなんかご飯作るからまってて。」


 まだわたしは何も言ってないのに、当然のようにご飯を作るために立ち上がる先輩はわたしのことをどういう立ち位置だと思っているんだろう。


 ガサガサと冷蔵庫から何かを取り出している先輩に手伝いを供与しようと声をかける。


「なにか手伝いましょうか。」

「もう少しでできるから大丈夫。」


 どうせまともな料理なんて出てくるはずがないことは分かっているのに、台所に立つ先輩がなんだか様になっている気がする。料理人っていうより、晩御飯を作る家族みたいな。

 家族。

 先輩と?

 うーん。部分的にはともかく大事なところがなんか違う気がする。


 先輩との関係について思案しているうちに相変わらずの速さで先輩が両手にお椀を持って台所からやってきた。


「おまたせ。」


 そのままトンと机の上に置かれたお椀の中身を覗き込む。

 楽しみにしてたわけじゃないから別に落胆したりはしないけど、お椀の中身は少し都合が悪いものだった。

 

「………あの。わたし、制服なんですけど。」


 なかには以前も食べたうどんひと玉がカレーの中に沈んでいた。

 俗にいうカレーうどんというやつだ。

 具は何も入ってない。ただのカレールーとうどんを混ぜただけのカレーうどん。

 制服に跳ねたらとんでもないことになるので、できることなら回避したい食べ物だ。もう遅そうだけど。


「脱げば?」


 自明の理のごとく、箸を持った先輩が平坦に指摘してくる。

 自分が部屋着だからって適当言ってるな。


「脱いだら下着なんですけど。」

「ユキが下着姿で食事する変態になっても、私は別に気にしないよ。」

「わたしが気にします。寒いし。」


 ほんとうにわたしの下着姿には興味なんてなさそうだった。


 …………………全然それで良かったけどね?


 くだらない会話をしている間にも先輩は橋ではぐはぐと上手にカレーうどんを食べている。


 わたしも気をつけて食べれば大丈夫か。

 先輩が出してくれたものなんだし、食べないという選択肢はもちろんない。

 意を決して箸でうどんを持ち上げて一口一口慎重に食べる。やっぱりちょっと食べづらかった。


「随分とかたい表情で食べるんだね。」

「気をつけて食べてるんですよ。」

「それ材料費30円ちょっとかかってるんだから贅沢は言わないでね。」

「…………。」


 作ってもらっておいてなんだけど、30円で贅沢を言えないなら何円の料理だったらいいのだろうか。ていうかこれ30円で作れるんだ。やす。


「普通にうどんじゃなくてカレーライスじゃダメだったんですか?」


 そうすることだってできたはずなんだから、文句の一つくらいは言ってもいいだろう。


「カレーライスは具がないと寂しい。食べてて虚しくなる。でも、カレーうどんなら具がなくてもそんなに違和感がないから、得した気分になる。」

「いまいち役に立たなそうなライフハックですね。」

「同じ理論で、具なし焼きそばをそのまま食べるよりも、パンに挟んで焼きそばパンにすると相対的にマシに見えてくる。」

「…………………。」


 ご自慢の節約術をドヤ顔で披露してるけど、ドヤ顔がかわいいということを除けば基本的には哀れなだけだ。将来わたしも使うかと聞かれたら使わない。

 

「今度料理教えてあげましょうか?」

「えー。別に困ってないし。そもそもユキって料理できるの?」

「料理対決をしたら絶対に先輩に勝てるくらいには。」

「それなら今度勝負してあげてもいいよ。」


 なぜか勝ち誇るように薄ら笑いを浮かべている。その無駄な自信はどこから出てくるのだろう。


 普段我が家のご飯を作っているのはわたしだし、少なくとも先輩よりはまとな料理を作れる自信がある。

 まあ、たまには先輩をボコボコにしてわからせてやるのもいいかな、と思った。



 こんなことをいちいち小学生みたいに楽しみにしているあたり、先輩もわたしも同レベルで幼稚なのかもしれない。


 


 


 

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