陽は落ち猫は月に鳴く 3

 一生ここにいたいと思うような安息感を覚えていたが、残念ながら永遠というものは存在しない。朝、あと5分だけ、と願うように、私ももう少しこの場に留まりたかったが、時間というのは残酷だ。

 

 瓶を失った造花のように、ユキに頼り切っていた身体が前に倒れた衝撃で、意識が覚醒した。

 何事かと思って体を持ち上げて見渡すと、私がユキにのしかかるように跨っている。当の本人はくぅくぅと寝息を立てて安眠の世界へと旅立っていた。

 私を支えていたユキが眠ってしまったことで倒れ込む形になったのか。


 意識が元に戻り、不気味なほどに冷静さを取り戻すことができた。


「今日はウチに泊まるの?」

「………スゥ……」


 未だに顔が赤いままのユキは完全に熟睡している。

 どうやら家に返すのは無理そうだ。


 このまま風邪を引かせても悪いので、掛け布団を持ってきて上からゆっくりと被せる。


「おやすみ。」


 もちろん返事はなかった。

 

 私も眠くなっていたところだけど、掃除をしないとただでさえ古いこの部屋は瞬時にゴミ屋敷へと変貌するので、お酒の缶を手を苦しませながら水洗いした。

 冬の間は、とにかく水が冷たいのが辛い。室内も寒いし体が固まって動かなくなる。かといって夏はクーラーなしの地獄が待っているため歓迎はできない。

 生活環境に文句を言いながら、凍えて洗いつつさっきのことを思い出す。


 想定外のことが起こった時は、ひとつひとつ考察していくことが大切だ。

 まず、ユキはどうしてあんなことをしたのか。答えは簡単で、理由なんてない、だと思う。今日の行動は、いつもみたいに酔って正気を失っていることの延長線上だ。素面のユキが頭を撫でさせて、なんてねだってきたら流石におかしいと気づくけど、いつもの泥酔時の暴れ具合からして、今日くらいのことはあってもおかしくないだろう。

 じゃあ、私はどうしてそんなユキに夢中になって周囲を忘れるほど没頭してしまったのか。

 それも、理由はなんとなくわかる。

 甘やかされることに私が異常に弱いからなのと、ユキのことをただの友達ではなく、特別視するほど好きだと気づいたからだ。

 だが、理由はわかっても原因がわかるわけではない。

 わたしが甘やかされるのが好きなのは、どうしてだろう。なんとなく好きなのは分かるけど、そのなんとなくの真相を知りたい。

 それに、ユキのことを特別視しているというのは、どういう関係になることを望んでいるのだろう。私は友達じゃ満足できていないのだろうか。親友?相棒?姉妹(仮)?どれもそんなような気がしてどれも違うような気がする。


 でも、確かに私は違う世界を見た。ユキが見せてくれた。

 だからそれが本意じゃなかったとしても、彼女を特別視するのは間違ってないと思う。


 片付けを終えて、私も寝ようと敷布団の上で大の字になる。


「布団、ユキにかけてあげたんだっけ。」


 真冬と言ってもいい時期に布団なしで眠るのはさすがに自殺行為なので、いつだったか夜道さんに貰ったブランケットを取り出してそれにくるまって寝床についた。

 ユキの隣で寝ようかとちょっとだけ迷ったけど、結局数メートル離れた部屋の隅に、ダンゴムシのように固まることにした。

 いまだって先はどのことで頭がお花畑状態なのだ。ユキの隣にいたらきっと眠れなくなる。


 電気を消していよいよ目を瞑ろうするが、その前に夜を照らす自然光に気がついた。

 それは、わずかに開いたカーテンの隙間から刺す月明かりだった。


 相変わらず言うことを聞いてくれない身体は、立ち上がって窓のそばまで歩く。

 そして、そのまま鍵を開けて外界を望んだ。

 外は幸いなのか風は吹いていなかった。それでも冷気が部屋のなかにに波となって押し寄せる。


 寒いな。


 当たり前か。

 でも、上を見ると空に浮かぶ星は何よりも美しく輝いていた。

 それを見ただけで夜空を眺めて良かったと思える。

 遥か遠くに、うっすらと、しかし確かな光を放つ、小さな星を見つけた。今この瞬間、この小さな星を凝望している人は私以外にいるだろうか。

 

 その星とユキを重ね合わせた。


 私にとってユキは特別だし、ユキにとって私が特別であって欲しいと思う。もちろん、いい方向で。

 そして、私はこの気持ちの名前を知らない。

 何かに当てはめられそうなのに、私の経験不足な人生では答えが導き出せないようだ。


 だから、今はただユキの隣にいたい。

 この気持ちの正体を知るまで、ユキは隣にいることを許してくれるだろうか。

 泥酔している人間から何かに目覚めてしまった無法者を受け入れてくれるだろうか。

 どうなるかは、私次第だ。


 あの星のとなりに、誰にも見られてなくても、私という星を並べたい。

 星が一つ増えたところで、世界は気にしたりしないのだから。


 

 布団の中で、ユキが身震いしたのが見えた。


「ごめん。すぐ閉めるね。」


 聞こえてなくても話しかけたかった。

 やっぱり返事はなかったけど、独り言も案外悪くないと思う。

 

 自分の布団に戻ろうとした手前、意味もなくユキに触れたいなと思った。

 犯罪者みたいな思考回路だ。もし、ユキがここで目を覚まして、こんな変態とは縁を切りたいと言い出したらどうしようか。不安がよぎったけど、行動を打ち止めるには至らない。私という人間は倫理観があまりないのかもしれない。


 かがみ込んで月明かりに照らされた寝顔を見つめると、再度血脈の動きが激しくなる。

 ただのアル中の寝顔だと思っていた過去の私はもういなかった。

 そっと首元に手を触れると、自分の手の冷たさとユキの肌の熱さの温度差にビクリと手が跳ねる。

 もう一度触れると、今度は熱に手が慣れて首元を撫でることができた。


 もっと触れていたい。

 もっと触れてほしい。


 昨日まで、ユキの頭を撫でることに大して気持ちが揺らぐこともなかったのに、撫でられることを知ってしまってから、私からも触れたいと思ってしまう。


 こんな考え、普通じゃないことは分かっている。でも、わざわざ普通である必要もない。

 私はそれでいい。

 酔っていないユキにそうあってもらうのは無理難題かもしれないけど。

 

 明日目を覚ました時、ユキは今日のことを覚えているのだろうか。私を抱きしめ甘やかしてくれたことがユキの記憶の一部として残っていたとしたなら、嬉しいような恥ずかしいようないたたまれない気持ちにはなる。でも、彼女の性格的に覚えていたとしても覚えていなかったとしても、自主的に同じように頭を撫でてくれることはないだろうと思う。


 そう考えると、酔ったユキと離れるのが辛くなる。

 そう思うくらい、わたしはユキに没頭していた。没頭させられていた。


 いろいろ考えたいことはある。

 それでも、ずっとこうしているわけにもいかないので、名残惜しいけど気力をはいて手を離す。

 手の感触なんて、寝ているユキにはわからないだろうけど、でも確かにその跡を残せたことが私を楽にさせた。


「おやすみ。」


 去り際に挨拶をかけた。

 数分前に同じセリフを言ったことは、ユキに夢中でとっくの昔に忘れてしまっていた。

 

 そのくらい、あなたのことを──


 

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