猫の集会は夕日の向こう 4

 そのまましばらく時が止まったかのようにお互いに体を動かさなかったが、やがてユキの方からやれやれというような表情のまま席に座り直した。


「ほんとにバカなんですね。わたしの言いたいことも少しは汲み取ってくださいよ。」


 どういうこと?

 鉛筆の先みたいにツンツンした言い方で不満を言われても、混乱してしまって私にはどうすればいいのかわからない。

 ユキは一体何が言いたいんだ?


 いよいよ、窮屈な雰囲気が広がり出したところで、小さく息を吐いてユキが口を開く。なんとなく目線は私から逸れていた。


「……だから、そんな歪な関係じゃなくて、ちゃんと友達として勉強会をやりたいって言ってるんです。」


 ボソボソとした声だったけど、一言一句聞き逃さなかった。透き通るように耳に直接流れ込んできた。


「なんで!?」


 気づいた時には大きな声を出していた。

 なんで、という質問はどう考えてもおかしかいことはすぐに理解した。

 でも、てっきり会える時間が減ると思ってたから。

 ユキの方から、私に会いたい、と能動的に言われるなんて思ってもみなかったから。


 私とユキが初めて関わりを持ったときも、この前の土曜日に遊ぼうと言ったのも、私からだった。

 時々一緒に学校に行くとか、今日みたいに一緒に帰るみたいな場当たり的な場面ではユキの方から誘われることが多かったが、ロングタームな事象についてユキは提案に肯定はしてくれても、自分から提案してくれることなんてなかった。

 だからこそ、ユキに嫌われているのか好かれているのかが分からなくて不安になってたわけだけど。


 でも、脅し無しで一緒にいたいってことはつまり私はユキに認められたのだ。

 これからもユキと会えるんだ。


 ほんの数分前に下がったばかりの体温は再び熱を帯びて、いつのまにか熱すぎるほどに上昇していた。


 ただの友達一人に対する評価としては、世間だと一喜一憂していると捉えられるかもしれないけど、それだけ私にとってユキは大きな存在だった。


「……そんなに嬉しいですか?」


 ユキが、今度は間違いなくこちらを注視して言う。

 自分でもどんな表情をしているのかわからなかったけど、ユキの言い方的に、今の私は客観的に見てすごく喜んでいるんだろう。

 

 肯定を示すようにぶんぶんと首を縦に振ると、ようやくユキも軽く微笑んだ。


「それならいいんです。」


 ユキが私にかけてくれる友好的な言葉が、全部私を楽にしてくれる。

 それだけで一歩進めてよかったと思う。


「お待たせいたしました〜。」


 気分が上がったり下がったりして、ここがなんの店か忘れかけてきたところで、大学生くらいのお姉さんが注文を持ってきてくれた。

 

 先程のやりとりはほんの数分のことだったのに、もう何時間もたったかのような疲労感を覚える。それに見合った安堵感もあるのだけど。


「お先にどうぞ。」


 もちろん焼肉屋は肉を焼くところなので、調理する必要があるユキが頼んだクッパよりも私の夜に入りかけのランチメニューの方が早く届いた。


 正面から催促が来たので遠慮なく箸を伸ばす。


 メニューを見れば詳細がわかるんだろうが、皿に乗っている肉の名称なんて滅多に肉なんて食べない私には分からない。

 だから適当に火の通った網に生肉を並べていく。

 外食なんていつぶりだろう、少なくとも近五年くらいはない気がする。


 そういえば、ユキが私をこの店に連れてきた理由ってなんだったのだろう。

 今日の話は別に私の家でもできたはずだ。


「ねえユキ。結局私に奢ってくれる理由ってなに?」

「え?まあ、これからの話なんで社交辞令というか。センパイがご飯に夢中になってたら話を持ち出しやすいかなって。センパイ美味しいもの好きだし。」


 いまいち納得しにくい理由だな。

 あと、ユキはさも私が食べ物に執着している人間かのように語るが、美味しいものが好きじゃない人なんているのだろか。


「あ、店員さん、ご飯おかわりください。」


 それはそれとして、ご飯おかわり無料だったので、付け合わせの野菜をおかずにして一杯かき込んだ後速攻で追加しておく。食べれる時に食べておかないと。

 私はユキの優しさにも、飯の誘惑にも耐えられないチョロい女だった。


 網の上ではジュージューと音を立てながら、ちょうど良さそうに焼けた肉が脂を落としている。

 さっきまでユキのことでいっぱいになっていた思考が解放されたかのように、本能的な欲求が頭の中の大半の容量を支配する。残った僅かなストレージにはユキが入っているのだと思う。

 ごくりと喉を鳴らして箸でつかむ。

 

 飢えすぎてほとんど野獣みたいだ。

 

 そんなツッコミを入れるのも束の間、キラキラ輝く肉を口の中に放り込む。

 熱が口内に広がったのち、肉に歯を立てると中から熱い汁がじゅわじゅわ出てきて、舌を刺激してきた。

 

 やば。美味しすぎる。

 

 いくら普段の生活が質素なものだと言っても、肉一つでこんなに鮮やかな感情が出てくるなんて思わなかった。

 ユキが私を見てることは分かってたから、できるだけ平静を保ちたかったのに、口角が勝手に上がっていって笑みを作ろうとしてしまう。

 しばらく自分の頬の筋肉と無駄に激しい戦いを繰り広げていたが、その様子を見ていたユキがいきなり吹き出して波風に目を擦るように笑い出した。


「ふっ、あはは。センパイ、そうやってるときが一番面白いですよ。素直に笑ってもいいのに。」


 そうやって揶揄うように笑うユキに少しむっとしたけど、ユキがこうやって嬉しそうに笑うことは滅多にないので物珍しい気持ちの方が大きかった。

 思えば、ユキは私と一緒にいる時、笑うことなんてほとんどない。それに対して、私はユキの前でよく笑う気がする。当社比だけど。


 別にそれがどうというわけじゃないけど、ユキが笑わないのは楽しくないからじゃないかと思ってしまう。

 ユキとの関係問題についてはさっき解決したはずなのに不安に思ってしまうのは、私がユキのことばかり考えてしまうからなんだろうな。


「そういうユキはあんまり笑わないよね。あ、店員さんご飯おかわりください。」

「まあ、わたしは学校で笑いすぎてますからね。先輩と一緒にいるときくらい笑顔から逃れたいものです。」


 それは私にとってポジティブなことだと考えていいのだろうか。それとも笑ってくれないことを嘆いた方がいいのか。

 まあ今更ニコニコ笑い続けるユキを前にしても違和感しか感じないだろうから、たまに笑ってくれるだけでいいか。

 

 私にとってユキは特別な存在だけど、ユキにとって私とはどういう扱いになっているのだろう。

 気になることはたくさんあるけど、不躾に直接聞ける関係でもないと思う。

 喉に残る突っかかりを流すように、ご飯を飲み込んだ。


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