第3章

猫の集会は夕日の向こう 1

 私は机に腕を乗せて頬杖をつきながら、ぼーっと日本史のおじいちゃん先生の声を流し聞く。滑舌が悪くてうまく聞き取れない。

 せっかくやる気になって教科書に集中しているというのに、授業を行う側がこれじゃあ全くもって学力の向上につながらない。

 とはいえ、このクラスは学力順で見れば学校の最底辺なので、寝ている生徒や携帯をいじっている生徒がたくさんいる。先生が真面目に授業したくないのも分かる。


「えー。じゃあこの問題。戦後に過度経済力集中排除法によって分割された会社の数を答えなさい。これを…………永井さん。答えてくれますか。」


 先生の掠れた声が私の名前を口にして、急いで頰杖をつくのをやめて姿勢を正す。

 いきなり指名されて戸惑うが、この問題はたぶん答えがわかる。たしかこの前ユキが作ってくれた小テストにあったはず。


「10社です。」

「惜しいですね。答えは11社です。」


 そうだった。小テストで間違えた選択肢の方を言ってしまった。

 自分の記憶力の悪さにはつくづく嫌になる。せっかくユキが作ってくれた小テストの内容も頻繁に復習しないとすぐに忘れてしまうし、変な勘違いをしたまま覚えてしまうこともある。

 さすがに申し訳なく思うが、頑張っても案外できないものだ。


 自分の不甲斐なさを痛感していると、やがて授業を終えるチャイムが鳴り響く。


 先生が私以外誰も聞いていないような最後の挨拶をして教室から出ていくと、教室は帰宅の準備を進めて、帰りのホームルームを待つ生徒のたちの騒々しさが目立つようになってきた。

 そのなりを見ていると、どうしてこの人たちより私の方が頭が悪いんだろう、と思わないでもない。でも勉強しないクラスメイトよりも私の方がテストの点数が低いのは紛れもない事実なので嘆いたところで仕方がない。


 ホームルームも終わり、クラスメイトたちが一斉に教室を出ていったあと、私も席を立って下校をする。

 今日はバイトが無い日だから、ユキと会える。

 

 ユキと会えることが嬉しい。


 こんな考えが浮かんでくるあたり、私は本当にユキに対しての情が強いらしい。

 それも、この前の土曜日が原因なのかもしれない。


 あの日、山下さんからもらったアドバイスを参考にして、ついにユキに友達になりたいと告白した。

 恥ずかしかったけど、山下さんにもらった服を着て行ったし、できるだけユキに対して私を意識づけさせられるように頑張った。

 正直山下さんのアドバイスが正しいのかどうかは半信半疑だったが、最終的にうまくいったのだからあれで合ってたんだと思う。


 すごく緊張した。心臓が止まりそうになってたけど、ちゃんと好きだって伝えられた。

 普通の人が小学生や保育園のころに体験したようなことが私にはわからない。あんなに勇気を振り絞って誰かに想いを打ち明けたことは初めてだったし、拒絶されるかもしれないと不安だった。


 でも、ユキは私を友達だと認めてくれた。

 ユキと私は友達、いい響きだ。


 ユキがどのくらいの好意で私と接してくれているのかはわからないけど、とにかく私は嬉しかった。

 意味もなく勝手に顔がニヤけてしまい、すぐに意識して直す。


「センパイ。」


 校舎の玄関を出たところで後ろから聞き慣れた呼び声が聞こえて振り向く。

 この学校内で私のことを先輩と呼ぶ人間は一人しないない。


「ユキだ。」


 制服姿のユキが靴を履いて私のもとへと駆け寄ってくる。


「学校では会わないんじゃなかったの?」

「どうせ行き先は一緒なんだし、帰る時くらいは一緒に行きます。嫌ですか?」

「ぜんぜんいいけど。」


 今まで一緒に帰ろうなて言われたことがなかってので少し躊躇したが、嫌かと聞かれればむしろ嬉しい。

 これって友達特典かなぁ、なんて思いつつ二人で私のアパートまで無言で歩く。

 こういう時、せっかくなんだから私から話を振れればいいんだけど何を言えばいいのかがわからない。普通の高校生は友達とどんな話をしているのだろうか。物言わぬロボットになってしまった自分を心中で自虐しつつ、冬の冷気が宙を漂う帰宅路を進む。

 自転車で私たちを追い抜く男子生徒や、私たちのすぐ後ろを歩く女子生徒なんかもいたけど、ユキはあまり気にしていないようだった。

 そのまま周りに気にすることなくこちらに体を向けて言う。


「センパイ、どっか寄っていきません?」

「どこかって?」


 買いたいものでもあるのかな。


「どこって、なんか食べるところとか。」

「お腹空いてるの?」

「……………。」


 なんか会話が噛みあってない気がする。


「先輩とたまには女子高生らしいことしたいな、って思っただけです。」


 そう言って呆れているユキの顔は若干赤くなっていた。


 こんなお誘いを貰えるなんて、ユキも私のことを気遣ってくれているのかな。

 そう考えれば嬉しいことなんだけど、少々新鮮さが強すぎてこそばゆさを感じる。


「で、センパイはどこに行きたいんです?」

「うーん。」


 そんなこと言われても、どういうところへ行くのがセオリーなのかもわからない。というか、私には明確かつ単純な弊害がある。


「……誘ってくれるのはありがたいんだけど、私お金ないから。」


 ユキと親睦を深めたい気持ちはもちろんあるが、残念ながらうちの家計は常に輪廻のように回り続ける火の車なので、金銭面で一切の妥協は許せないのだ。


「………奢りましょうか?」

「いいの?流石に申し訳ないんだけど。」


 今日のユキは出血大サービスなのかと思うくらい変に仕掛けてくる。

 何か食べさせてくれるなら感激至極なのだが、この前も奢ってもらったばかりだし、友達に何度もお金を払わせるのはなんか対等な関係じゃないような気がする。

 なんなら普段勉強を教えてもらっている私がお礼をするべきなのに。

 

「嫌ですか?」

「嫌ってわけじゃないけど。」

「わたしもです。だからいいんです。」


 よく分からないな。

 そういうものなのかも分からない。


 山下さんから色々教わった時もそうだったが、私はあまりにも人とコミュニケーションをとる際の常識がなさすぎる。

 間違いを訂正するどころか何が間違っているのかがわからないのは致命的だと思う。


 とにかく、ユキがそう言うなら私も乗っかってもいいということなんだろう、と勝手に結論づけた。

 




 

 

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