最前線のその先を眺めて 4

「見てません。」

「見てたと思うよ。」


 先輩が私の否定を否定する。

 いくらなんでも言いがかりだ。

 たしかに、先輩の格好や恥ずかしがってる姿を見て気持ちが揺れ動いた面があったかもしれないけど、そんなに胸をジロジロに見てたなんて事実はない。


「先輩の気のせいでは?」


 たしかに、隣を歩いている時、先輩とのことを色々考えてて、自分の目線とか気にしていなかったけど、わたしが先輩の胸をずっとのぞいていたなんて確証はない…。


「見てない…と思います。」

「そういうの、案外分かるものだよ。」


 少しずつ、でも確実に袋小路に追い詰められていく。


 ……………………マジで?

 わたし、無意識のうちに先輩の胸を凝視してたの?

 だとしたらとんでもない変態だ。


 絶対に嘘だと言えない自分が情けない。


 わたしってそんなヤバいやつだったの?自分でも自覚がないまま他人の胸を凝視するとかキモすぎてドン引きするレベルだ。


 顔はこっちを向いてるのに、目線だけどこかに逸らしている先輩を正面にして、何か言わないとと思って、慌てて口を開く。

 

「見てた、かもっ、しれないけど、センパイがかわいいなーって思ってただけです……。だから、気にしなくて…いいと、思います……。」


 誰か今すぐ私を地中に生き埋めにしてくれ。

 裏返った声でこんなみっともない白状をするなんて最低最悪だ。

 今日だけで何人自分を殺しただろうか。


「えっ、あの、その……ありがと………。」


 真っ赤になった先輩が、今度は顔を斜め下に動かして、目線だけこちらに向ける。

 当然の如く、先輩の目線にさらされたわたしは目を合わせることができない。


 ………こんなのおかしい!


 以前までも、ときどき感情的にはなることはあったけど、基本的にはわたしたちはあまり表情を出さない関係だったはずだ。

 なのに二人してお互いに恥ずかしがってるなんて、

 まるで、でーとみたいじゃん…。


 店内のヒーターの熱が足の爪先から頭の頭皮まで行き渡り、全身が火傷する感覚に襲われる。足の指をグーパーさせてなんとか気を紛らわそうとするが、茹るような体は熱を冷ませない。


 そもそも、さっきまで自分のことで精一杯だったから考えるのを後回しにしてたけど、なんで先輩までこんなに揺らいでいるんだ。

 まさか、先輩もわたしに『そういう』気持ちを持ってたりするんだろうか。『先輩も』じゃなくて『先輩は』か。

 それはないと思うけど、もしそうだったら困る。なんか……色々と困る!


 まだ午前中で太陽は高かったけど、一瞬雲がよぎり店内はやや薄暗くなった。

 紅潮した表情の中に黒曜石のように輝く瞳が私の目を吸い寄せた。


 この人、こんなに綺麗な目してたっけ。


 昨日まで気が付かなかったようなことが、私の意識に紐づいて息苦しさを誘発する。

 そして目が離せなくなる。

 

 見たいときに見れない、見たくないときに見てしまう。本能ってホントに役立たずだ。


 何か会話をしようと思ったけど、わたしたちに共通の話題なんて最初から無い。会話の内容を気遣わないといけない関係だったら、わたしは先輩との時間を気楽に感じることもないだろうから、それも当然だ。

 わたしが無理をしなくてもよくなるのが先輩と一緒にいることの利点のはずなのに、今は無理をしてでも先輩と会話をしたかった。

 そうしないと、もっと呑まれてしまう気がした。何にとは言わないが。


「おまちどうさま。」


 いよいよ気まずい空気に耐えきれず、お手洗いに立とうとしたところで、人魚似の店主さんがちょうど良く注文したコーヒーとチーズケーキを持ってきてくれた。

 なんとか圧迫し始めた空間が元に戻り始めた。


 コーヒーからはほんのりと湯気が上がり、鼻によく合う豊穣な香りが立ち込めている。

 口にすると、中庸の徳と言うべきか、苦味も酸味も絶妙なバランスをとって、喉を潤す。


「美味しい。」


 さすがはブルーマウンテンというべきか、それともこの店が特別おいしいのか。

 どちらにせよ、値段に見合った素晴らしい味だ。


 存分にジャマイカの山地の味を堪能した後、チーズケーキに手を伸ばそうとしたが、その前にふと先輩の反応が気になって目を向ける。


 横に取っ手がついているのに両手でカップを持って口をつけては離してを繰り返していた。

 どこか顔が歪んでる気がする。


「あの。コーヒー好きじゃないんですか?」

「そうみたいだね。」


 苦々しく言った後、カップを置いて先輩が口を拭う。

 なんで頼んだんだよ。高いですけどそれ。


「そんな顔しないでよ。初めて飲んだんだから。」


 わたしの表情から不満を読み取ったのか、先輩が反論するように口を尖らせる。


 お子様はインスタントコーヒーでも飲んでればいいのに。

 よりにもよってブルーマウンテンが初めて飲むコーヒーだなんて、贅沢な上満足できないなんて勿体無い。


「いらないならもらってもいいですか。」


 これほどの品を先輩に無駄に消費されるくらいならわたしがもう一杯分頂いた方がこのコーヒーも報われるだろう。


 「どうぞどうぞ」と先輩はわたしにカップを押し付けてチーズケーキにフォークをつける。

 よっぽど苦いのが辛かったらしい。

 なんとか甘さで舌を治し、嬉しそうにケーキを口にしている。


 そういうところもかわいい。

 今日のわたしは先輩の『かわいい』にあまりにも敏感だったが、それゆえにもう慣れてきた。慣れちゃいけない気もするけど、どうしようもない。


 ちなみに、チーズケーキも味は抜群だった。私たちの住む街にこの店がなかったことが悔やまれる。絶対常連になるのに。


 自分の分のコーヒーを飲み終わり、先輩から貰った分のコーヒーに手をつける。

 さすがに、間接キスだー、なんて小学生みたいなバカな意識はしなかったが、口をつける直前に先輩と目が合ってしまい、少し気が揺さぶられて一気に飲み干した。やっぱり今日のわたしはバカだった。


「センパイは先に外で待っててください。」


 一段落ついて、休憩も取れたので席を立って会計を済ませようとする。

 先輩は「ありがと」とそっけなく感謝を伝え、先に退店した。


 「ごちそうさまでした。おいしかったです。」


 会計時、財布からお金を取り出しながら、店主さんに感謝を伝えた。

 実際、コーヒーもチーズケーキも、今まで食べたことがないくらい美味だった。行列ができてもおかしくないのに、なんで客がわたしたちしかいないんだろうと疑問に思うくらいだ。


 銀髪の美女店主はフフッと艶っぽく笑うと「お互い様よ」とだけ言って店の奥へと消えていった。


 どういう意味だろう。


 少し考えてみたけど、結局わたしの理解には及ばなかったので、不思議な人、ということで結論づけて店を出た。


 先輩に対してもそのくらいあっさりした答えが見つけられるといいんだけど、もうとっくにそのフェーズは超えてしまっている気がした。


 


 


 

 


 


 


 

 

 


 

 

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