最前線のその先を眺めて 1
土曜日。
わたしは駅の東口に立って先輩を待っていた。
最近の寒さに比べると今日は暖かく、空には雲ひとつない。が、わたしの心は残念ながら微妙に曇っている。
時間は巻き戻さないからどうしようもないが、あの時、先輩の誘いを受け入れた自分を憎みたい。
あの選択のせいで今週の間、常に今日を待ち望んでそれしか考えられなくなった。
わたしはこれからどうなってしまうのだろう。
朝起きても、学校で授業に向き合っている時も、ご飯を食べている時も、お風呂に入っている時も、先輩先輩って頭から離れてくれない。
一昨日、先輩が学校で私に話しかけてきた時は驚いたし、秘密がバレることへの恐れから先輩を拒絶した。でも、その後先輩に「今日は勉強会は中止」と言われたとき、私はなんて考えた?面倒な勉強会に行かなくて済むという安堵でもなく、それまで続いていた先輩への拒絶感でもなかった。
沸き起こってきたのは落胆の気持ちだった。
それはつまり、わたしが先輩からの脅しが無くても先輩と一緒にいたいと思っているということだ。
いや、それ自体は前々からなんとなく自覚していた。大事なのはその後だ。
先の通り、わたしは先輩との関係が花愛や夏樹に露呈しそうになり、先輩に怒りを感じていた。しかし、その怒りが落胆に上書きされたのだ。
どういうことかというと、『自分の社会的評価よりも先輩を優先している』かもしれないということだ。
もちろん、夏樹たちに先輩との関係を勘付かれそうになっても、中学時代の知り合いだから、という逃げ道があるため正当な比較はできないが、それでもわたしにとって先輩はそれほど大きい存在になってしまっているのだ。
わたしはこれまで、他人からの評価だけを求めて生きてきた。学校で無理して明るい性格をしているのも全部『世間体の良い私』を創り出すためだ。
それほど大切にしていた意思なのに、それが先輩によって覆される可能性があるのだ。
冗談じゃない。
先輩なんかに振り回されてたまるか。
今日は先輩と一緒に遊ぶけど、次はない。勉強会以外では先輩には会わない。勉強会でも余計な話はしない。
そう決めたかった。
でも、先輩ともっと一緒にいたい自分がいることも確かで、わたしの脳内では常に論争が巻き起こっている状態だった。
………………どっちにしろ、今日はいい。今日は先輩と一緒にいていい日だ。難解な事象は明日以降考えればいい。
明日になっても結論を出せる自信はなかったが、結局わたしは答えから逃げた。
駅前には、休日であることもあってかなり多くの人が屯していた。
この街は典型的な地方都市という感じで、中央だけが突出して発展しており、郊外は田んぼや畑しかない。
そのせいもあって、駅前だけは都会とも張り合えるくらいに栄えている。
人が多いから先輩はわたしを見つけられるかどうか不安だ。
第一、待ち合わせ場所は駅前、って言われても駅がそれなりに大きいため、北口なのか南口なのか、一階なのか二階なのか、候補が多すぎる。もっと詳細を聞いておくべきだった。
とりあえず一番人通りが多いメインゲートである南口の二階入口にいるが、このまま何時間も会えないなんてことは避けたい。
携帯くらい持っててくれよ。ほんとに。
時間が過ぎていき、いよいよ不安が頭をよぎり始めたとき、左斜め後ろから最近何度もイメージしていた声がわたしを振り向かせた。
「ごめん。待った?」
当然、先輩の声だった。
さっきまでの考えを遮断して、できるだけ先輩に無感情で返事をしようと試みる。
でも、無駄だった。
「いえ、時間ちょうどで………す…。」
途切れそうになった言葉をなんとか最後まで絞り出すので精一杯だった。
なぜなら、わたしが先輩の姿を見て動転してしまっていたから。
わたしの前に現れた先輩は、いつもの先輩とは別人だった。
首元を大きく開き肩を露出させているオフショルダーに、透明感のある足を大きく出したミニスカートをマッチさせ、髪は毛先にウェーブをかけていて目立たない程度に化粧を施している。ほんのりと控えめな花の香りもした。
……………!?!?!?!?!?!?
一瞬の困惑の後に、経験のないほどの情報処理回線の働きを認知する。
え?
え?
だれ?
ほんとにセンパイ?
いや。だって。先輩の家には化粧品すらなかったはずだ。服だって、持っているかは知らないけど、性格的にこんなに露出の多い服を好むタイプではないはず。
「ユキ?」
いや、雰囲気や目つきはいつもの先輩と同じだ。だからこの人は先輩のはずだ。それなのに、まるで別人のようみたいに……
………かわいい。
……………いや、かわいくない。
…………………………だめだ、かわいい。
…………………わたしは何を言ってるんだ。
認めたくなくても、無理やり否定することすら出来ないほど先輩は可愛らしく思われた。
見つめている時間が経てば経つほど直視できなくなる。
いや、いや、どうしてこんなに動揺しているんだわたしは。
先輩のいつもからは想像もつかない身の纏い方をしているからビックリしただけだ。たぶん。
もう一度先輩を認識するころには、頭から熱湯を被ったように体が熱かった。故障した発電機みたいに心臓がバクバク鳴っている。
だからなんで!?
おかしい!どう考えてもおかしい!
先輩がお洒落しているだけじゃん。
そりゃあ意外性はあるかもしれないけどさ。
こんな気持ち、まるで、
「ユキ!」
人混みから溢れる声の中で、ようやく外界からわたしを連れ戻す呼び声を脳が認識し、ハッとして現実に戻る。
「大丈夫?何度も呼んだのに。意識がないみたいだったよ。」
おーい、と先輩がわたしの顔の前で手を振る。
先輩を見つめて、ついつい時間の流れを忘れてしまっていたのか。
「えと、あの、大丈夫です。」
まだ全然大丈夫じゃなかったけど、そう答えるしかなかった。
「よかった。じゃ、いこ。」
「あ。は、い。」
上手く羅列が回らない。
どんだけ慌ててるんだよ。
斜め前で歩く先輩の背中を眺めながら、さっき先輩に呼ばれて気づくまでの間、自分の頭に浮かんだことを思い出す。
わたしが先輩の前で思ったこと。あれは。
……………いや。いやいやいやいや。
百歩譲って、わたしが先輩に依存意識があったとする。
千歩譲って、その意識がこれまで持ってきた既存の意思より大きいものになっていたとする。
そこまでで終わりだ。絶対に。
それ以上先はない。
本当に絶対にない。
先輩に対してそういう好意を持つことはない。
「絶対にない。」
考えすぎて、いつのまにか外に出していた。
わたしの声を聞いて先輩が振り返る。
「なにが絶対にないの?」
「………なんでもないです。」
ここで先輩に誤魔化せるくらいにはまだわたしの理性は生き残っていたようだ。
さっき想像していたことは全て何かの勘違いだ。
すーはーすーはーと息を吐いて自分を落ち着かせる。
わたしにとって先輩はせいぜい友達だ。そこが最高到達点であり、先に道はない。
ーー少し前のわたしは先輩を友達だと認めていた?ーー
嫌がらせのような言葉が脳信号となってどこからか送られてきた。
手が届きそうで届かない体の痒みを感じて、気持ち悪さを感じる。
わたしの先輩に対して起こっている感情はなんだ?
先輩とわたしについて、わからないことだらけだ。昨日までもわからなかったし、今日はもっとわからなくなった。
思慮すべきことは無限にあったが、それらを全て強引に無視して先輩の背中を追った。
今の私にはそれしかできないと思った。
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