フロントラインノット 4
授業の終了のチャイムと共に私は駆け足で教室を出る。
学校は駅から五分ほどの位置にあるため、下校時、その足で電車を使える。
山下さんの家までは歩いて行けない距離でもなかったが、どれくらい時間がかかるのかが未知だったため隣駅まで電車を使う。
早足で駅前までの道を通り抜けると、すぐに最寄駅が見えてくる。
久しぶりに使う駅は、前に見た時よりだいぶ大きいものに見えたが、10年近く近寄ってなかったので改装くらいするか、と納得した。
駅を使わないということはもちろん定期もicカードも持っていないので切符を買ってホームへと向かう。
生徒の下校ラッシュであるため、ホームは同じ高校の生徒で詰められていた。
満員電車は好きではないが、背に腹はかえられない。
人混みに呑まれつつも電車に乗り込んで一駅分だけ群衆と時間を共にしたあと、人の合間を縫って下車する。
隣駅は高校の前の駅と比べるとだいぶ小さい。降りる人もあまりおらず、制服姿の生徒がまばらにいるだけだ。
ホームの端に設置された古い木のベンチがなんとも哀愁を漂わせている。
駅を出たときにはすでに日が落ち始めていた。
山下さんからもらったメモを元に、駅前のメインストリートを歩く。
ここら一帯は商店街のようであるが、多くの店でシャッターがしまっており、とてもじゃないが賑わっているとは言い難い。
山下さんの家は、その商店街の先の住宅街の最奥に位置していた。
地図を何度も見ながらなんとか「山下」の表札を見つけることができた。こういう時に携帯があったらな、と思う。
家まで来たのはいいけど、そこからどうしようか迷うことになった。
何故かというと、山下さんの家はとんでもない大豪邸だったからだ。
まず敷地がありえないくらい広い。
森みたいななのもあるし、庭も農場かと思うくらいだ。
全体が洋風の塀で囲まれていて、正面に大きな格子状の扉が立ちはだかっている。
そこから私の部屋より大きそうな噴水が見えて、その奥に西洋風の領主邸みたいな映画に出てきそうな建物がある。
………ここであっているのかな。
何度も地図と照らし合わせても間違いなくここだった。
念の為、周りに山下という家がないか探したが、やっぱりこの豪邸が山下さんの家だと確定させるだけだった。
本当に何者なんだあの人。
内面性も不思議な人だし、外面性も異常だ。
この家を建てるのにいくらかかるんだろう。
あの人は実は資産家のお嬢様だったりするのかな。
門の前でたじろいでいる間にも時間は過ぎていく。
ここで時間を潰すわけにはいかない。
以前の私ならここで建物の威圧に負けて逃げ帰っていただろう。
ここで一歩を踏み出せなきゃいつまでも自分の意思から逃げ続けるだけだ。
何も得られないかもしれないけど。
ここで何かを得ても無駄になるかもしれないけど。
それでも、可能性がほんの少しでもあるなら。ユキとの距離が僅かでも縮まるなら。
私は決意を込めて、門の前に立って呼び鈴を鳴らした。
少しすると、呼び鈴から返事が返ってきた。
「はい。どちら様でしょうか。」
知らない人の声だった。
家族かな?
こんなに家が広いんだからお手伝いさんとかでもおかしくはないかな。
「えと、永井雛です。そちらの………山下さん?はいらっしゃいますか。」
ぎこちなくも、来訪の要件を説明しようとするが、山下さんの下の名前が思い浮かばなかった。というか、多分知らない。ここは山下邸なんだから、山下さん、と言われてもどの山下さんなのかわからないのではないかと危惧したが、幸いにも呼び鈴の向こうから「確認いたします」という声が届いたのでその場で待つ。
山下さんにどんな反応をされるだろうか。
ほんとにきたの?と嘲笑われるだろうか。
いろいろな不安が混ざり合うが、ユキの顔を思い出してなんとか自制した。
しばらくすると、目の前の門が小さな音を立てて開いた。
そして、奥の建物の扉も開き、そこから肩までかかるブロンズを優雅に靡かせながら山下さんが姿を見せた。
中に入っていいのか分からなかったが、遠くに見える山下さんがこっちこっちと手を振るので、それに従って前へと進む。
「やあ、ひなちゃん。来ると思ってたよ。さ、とにかく中へどうぞ。」
私を出迎える声が、いつもと同じはずなのにどこか別人のように感じるのはこの豪勢な家のせいだろうか。
言われた通りに中に入る。
家の中もその外観に負けず劣らずの荘厳さであり、萎縮しつつも先へ進む。
そして、一つの部屋に案内される。
「ちょっとここで待っててね。今なんか用意するから。」
いつもの笑顔で山下さんは棒立ちになる私を部屋に残してその場を去る。
ここで「おかまいなく」とか言うべきだったのかもしれないが、私にはそんな余裕はなかった。
待っている間、部屋の中を眺める。
多分山下さんの自室だと思われるこの部屋は、それだけで私のアパートの部屋より数倍広いだろう。
ベッドや机はきれいに整っており、壁に設置された本棚には分厚い本が敷き詰められている。
机の上には写真立てが置いてあり、興味本位で覗くと、おそらく山下さんと夜道さんであろう二人のツーショット写真だった。
やっぱり仲が良いんだなぁ、と写真の向こうで笑い合う二人を眺めていると、山下さんがトレーにカップを乗せて持って戻ってきた。
そうして二人で部屋の中央にあるソファーに座り、その前にあるテーブルを通して向き合う。
「よかったらどうぞ。」
「あ、どうも。」
紅茶の入ったカップをゆっくりと手に取った。私は味がわかる人間ではないけど、なんか高そうだってことはわかる。
飲んでいると、先ほどまでの緊張感がほぐれていくような暖かさが体を包む。
「で?わざわざここまで来たってことは、この前の話の続きでしょ?」
貴族のようにカップをコースターの上に置いた山下さんがどこか神妙な趣で尋ねる。
「………はい。」
「もちろん教えるけどさ。その前にひなちゃんのことを教えてよ。」
「私のこと?」
「うん。そうだなぁ………。そのデート相手のどういうところが好きか、とかね。」
……………あー。
そういえば山下さんに変な誤解をさせたままだった。
この人は私が恋してて、デートをしたいと思っているんだっけ。
昨日は面倒くさかったから訂正しなかったけど、こういう話になるならちゃんと事情を説明しないと。
「あの、すいません。一緒に行く子、女の子なんです。」
「ん?そうなんだ。で?その子のどういうところが好きなの?」
山下さんは軽く首を傾げただけでそのまま同じ話題を続けた。
ホントに状況理解してるのかな?
でも、一緒に行くのは女の子だって言ったわけだし、デートではなく、ただ遊びに行くだけという前提でいいってことだろう。その上でユキの好きなところを答えろってことか。
「えーっと。………………………私を嫌わないってところですかね……。」
なんだか消極的な意見になってしまったが、考えてみると実はこれが一番だと思う。今まで誰かと関わったことのない私にとっては『嫌じゃないのに一緒にいてくれる』というのはそれだけで嬉しい。もしかしたら、自覚してない面で好きなところもあるのかもしれないけど。
「………ふーん。随分とハードルが低いんだね。じゃあ、相手の子はひなちゃんのことどう思っているか、とか分かる?」
ハードル?
人と馴染むことって、そんなに深い理由がないと成り立たないのかな?
「あまり分かりませんけど………でも、私たちは本来仲良くするような関係じゃないのに、それでも一緒にいることを『嫌じゃない』って言ってくれてるんで、たぶんそこまで嫌われてはいないと思います。詳しいことは言えませんけど。」
これで、やっぱり嫌いです、とユキに言われたらもうどうしようもないけど。
しばらく山下さんは腕を組んで眉にシワを作って熟考していたが、やがて手をぱんっ、と合わせて目を開いた。
「よし。心配しなくてもオッケーだよ。私に任せて。
いまから、ひなちゃんに『可憐な仮面』をつけてあげる。」
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