フロントラインノット 2

「ひなちゃん。元気がないじゃないか。」


 どこからか自分の名前が話題に出ていることに気づき、顔を上げる。


「うわっっ。」


 見ると、ほんのり頬を赤らめてわずかに酔いを感じさせる様子の山下さんがいつの間にか私の前に立っていた。

 さっきまで私とは少し離れたカウンター席で夜道さんと談笑していたはずなのに、急に前に立たれたことに驚いて声を出してしまった。


 今日はバイトの日。水曜日。

 最近ユキのことばかり考えているので、ずっと一緒にいると錯覚するが、実際に週単位で見ればバイトに出ていることの方が多い。


 そして、ユキのことを考えながらぼーっとしていたところ、いつのまにかアンティーク調ののバー店内には私と山下さんだけがポツリと残されていた。

 

「あの、店長は……?」

「ん?ああ、リカのことね。あいつならトイレ。」


 リカ、という名前に一瞬記憶を辿るが、話の流れ的に店長である夜道さんの下の名前だろう。

 前に教えてもらったかもしれないが、正直全く覚えていない。


「それで?なんか悩んでるんでしょ。おねーさんが相談に乗ってあげるよぉ。」


 何言ってるんだこの人。


 肩までかかる華麗なブロンズヘアの毛先を揺らしながら、山下さんが上擦った声で私に接近してくる。


 私はこの人が苦手だ。

 バイトを始めた当初から店員と客という関係を持っている、私の中ではまあまあ深い知り合いだが、この人の変に絡んでくるところや、夜道さんと仲良くしているところを見るのが苦手だ。後者に関しては完全に私の劣弱意識そのものだけど。


 また酔って絡んできたのか、といつも通り丁寧に、かつ適当にあしらおうとする。


「私に悩みなんてありま…………。」


 …………ないこともないな。


 というか、目と鼻の先に大きな問題があった。


 もちろん、ユキと約束した週末のことだ。


 昨日からずっと考えてはいたものの、やはり全く良い案が浮かばずに悪戦苦闘していたところだった。


 …………この人、もしかして本当に私の事情をわかってているのか?まさかね。

 ユキと私の関係を知っている人は一人もいないし、バイト先のこの店と、プライベートには一切関連性がない。

 

「………どうして私に悩みがあるって思ったんですか?」


 それでも一応その真意を聞いておく。

 変に後腐れをだしても良いことはない。


「そりゃ、顔に出てるからね。毎週見る顔が曇ってたら誰でも気になりはするよ。」


 山下さんは小さく顎を引いて、少しだけ真面目そうになっていたが、やっぱりニコニコ笑っていた。どこか不思議な雰囲気を持つ彼女は、グラスを傾けつつも私の目をじっと見る。


「顔に出てましたかね?」


 変に図星をつかれたような気がして、目線を逸らして仕事をしているそぶりを見せる。山下さんは「そうだよ〜。」と微笑んで調子を崩さない。

 全然自覚がなかった。自分の顔なんてわざわざ鏡を見て確かめたりなんかしないが、調子の良さとか精神面の動揺をそんなに悟られるものなのか。それとも、この人が特別他人の感情を読み取る能力に長けているだけなのか。


「当ててあげよっか。すばり、恋の悩みでしょ。」


 山下さんがぴーんと人差し指で私を指しながら、某探偵のようにメガネをくいっとさせる仕草を見せて言った。ちなみに山下さんは実際にメガネをかけているわけではない。


「違いますけど。」


「あれ?違った?絶対そうだと思ったのになぁ〜。」


 山下さんは「ホントに違うの?」と自分の言っていることに間違いがないと確信しているように言う。いや、実際違うし。

 どうやら、この人を少し買い被りすぎたみたいだ。

 『恋』なんて単語は私の辞書には存在しないし、あって欲しいと思ったこともない。

 たまに、積極的に話しかけてくれる男子もいるけど、私があまりにもコミュニケーション能力がないことがわかると、やがて存在しなかったもののように扱われるようになる。なので恋愛対象になることもない。

 いや、別に人間嫌いってわけじゃない。誰かと関わるのが苦手ってだけで、それ自体が嫌だとは思わない。


 ともあれ、そういうことなので、山下さんの指摘は残念ながら全くもって的外れだ。


「恋路ならデートのコツとかをばっちりレクチャーできるんだけどなぁ。」


 自信満々に笑う山下さんの発言を聞いて、私はピタッと手を止めた。


「………それってなんなんですか。」

「ん?」

「だから、その、デート?のコツ?」


 ユキに恋しているわけではないけど、初めての経験という面では私にとってはデートみたいなものだ。

 正直、山下さんに頼ってもいいことはない気がするが、無策よりはずっとマシなはずだ。猫の手でも役に立つことはある。


「はぁー。なるほどね。やっぱり正解だったか。」


 山下さんが嬉々として指で拳銃の形を作って、ばーんと私を撃ち抜く。

 いや、間違ってますけど。

 ただ休日遊びに行くプランを立てたいだけで。


「違いますけど………でもまあ同じような悩みです。」

「いいんだよいいんだよ。そういうの恥ずかしがる年頃だもんね。」

「……………。」


 盛大に勘違いをする山下さんのにやけ顔が、酔って生意気モードになったユキと少し被って、余計にむかついた。

 本当にこの人に頼っていいものか。

 普段から、笑っているだけで何を考えているのかよくわからない人だけど、人付き合いが上手そうだし、案外他人との関わり方を理性的に理解しているのだろうか。


「それでねー。そのコツってやつは……。」


 なんだかんだ考えつつも、私は聞き逃さないように山下さんを凝視して集中する。


 その時、


「こら。あんた、またひなに突っかかって困らせてたでしょ。」


 急に別の声が届いて、蛇を見つけた猫のように慌ててしまった。

 

 見ると、先程まで私と山下さん以外誰もいなかった店内に、夜道さんが戻ってきていた。

 

「あはは。ひなちゃんは可愛いからね。手を出したくなっちゃうのも不可抗力というものだよ。」

「そろそろ出禁にするよ。」


 にへらにへら笑う山下さんに夜道さんが対して怖くもない凄みを効かせる。 

 こういうの見てると本当に仲が良いんだなぁ、思う。

 私とユキもこういうこと関係にいつかなれるかな。なれるといいな。


「ごめんね。リカが嫉妬しちゃうから、また今度。あ、よかったらここに来てよ。今週は基本的に家にずっといるから。」


 山下さんは近くにいる私でさえギリギリ聞き取れるくらいの小さな声で言うと、瞬時に私の手に白い紙を握らせた。

 そして、店内のわずかな距離を謎の猛ダッシュで戻り、もといた位置に座って、再び夜道さんと向かい合った。


 いつも山下さんを止めてくれる夜道さんには感謝しているが、今回ばかりは裏目に出てしまったらしい。最後まで聞いておきたかった。


 紙を手で隠しながら、中身を除くと、中には住所らしきものが書いてあった。


 ここに来いってことかな?


 なんでわざわざ家に誘ってまで私にアドバイスをしようとしてくれるのだろう。

 常識人の夜道さんやユキと違ってこの人のことは本当にわからない。


…………………………


 正直頭の中では行こうかどうか迷っていたが、結局私は行くだろうな、となんとなく推測しながら、いつも通りの仕事を淡々と続けた。

 


 


 


 

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