鈴蘭は今日もわたしを苛む 5
どんなものが出てくるか楽しみにしていたが、案外、というかある意味予想通りのものだった。
お椀の中にはうどんが一玉分入っているだけだった。多分昨日買ってた冷凍うどんだろう。
ちょっと拍子抜けしていると、先輩は冷蔵庫から麺つゆと卵二つと赤い何かが入った容器を取り出してきた。
「どうぞご自由に。」
そう言って、先輩は卵を一つとって割って、うどんの入ったお椀に直接中身を入れた。
なんとなく、わたしもそれに倣う。
「これ……七味ですか?」
先輩が持ってきた謎の赤い物体の入った容器を持ち上げると、なんだか水っぽくて、少なくとも粉末の七味ではなさそうだ。
「それ、ラー油。」
「うどんに合うんですか?」
「うん。味がおんなじだと飽きちゃうから、最近はそれで食べてる。多分すぐに別の調味料に変えるけど。」
先輩は言いながらラー油とめんつゆをそのままうどんにかける。
昨日の買い物の時点でだいたいわかってはいたけど、話を聞くに、この人は本当に炭水化物と調味料しか食べてないみたいだ。
「もっと栄養のあるもの食べたほうがいいですよ。絶対早死にしますよ。このままじゃ。」
とはいえ郷に入っては郷に従え、だ。
なんかことばの使い方が少し違う気もしたけど、わたしも先輩と同じようにする。
「私のこと心配してくれるの?」
急にロマンス映画のヒロインみたいなことを言い出されて、一瞬迷う。
「まあ、いちおう。」
ありきたりな上に曖昧な回答をしてしまったが、実際これが本音だ。
先輩は友達でも家族でもない。もちろん恋人でも。でも、少なくとも先輩は私のことが嫌いじゃなくて、わたしも先輩が嫌いじゃなくて、それでこうやって一緒にご飯を食べたり、勉強を教えたりしてるわけだから赤の他人でもないし、ただの知り合いでもない。
だから、一応心配に思っただけ。それ以上でもそれ以下でもない。
先輩もわたしもそれっきり黙りこくってうどんを啜った。
たまに食べたいと思うくらいにはラー油とめんつゆと卵を混ぜたうどんは美味しかった。
「ごちそうさまでした。」
空になったお椀の前で手を合わせる。
結局時間は10時を回ってしまったため、今日は家に帰ることにした。
せっかくご馳走になったのにすぐに帰ってしまっては先輩と一緒に食べたメリットがあまりない気もするが、酔っていなければ先輩の家にわざわざ泊まる理由はないので、タダ飯にありつけたということにしておこう。
今度こそ家に帰る身支度を揃えて、先輩に別れの挨拶をしようとしたときだった。
「近くまで送っていくよ。」
またしても先輩から意外な提案をされた。
家に泊めてもらったことはあっても、わざわざ見送りに来てくれるなんて能動的なことをされたのは初めてだ。
「なんか今日はらしくないことばっかりしますね。」
ご飯を食べさせてくれたことも、見送りに来てくれることも、別に嫌なことでもないし自由にしてくれって感じではあるけど、今日の先輩はちょっといつもと違う気がする。
「だめ………?」
先輩が若干不安そうな低めの声で疑問を問いかける。
なんでそんなに引き気味にいうのか分からなかったが、ダメかと言われると断ることはできないので首を横に振って否定を示す。
ここで『ついてこないで』と言えないくらいには先輩のことが嫌いではなかった。
二人で並んでアパートの前の小さな道へと出る。
私たちが住んでいる街自体が、昔は栄えていたのが廃れてしまったという背景を持つため全体的に古い感じだが、先輩のアパートを含むここら一帯はその中でも特に廃れている感じがして近寄りがたい雰囲気をもっている。
だから、この道を歩く人は住民以外はあまりいない。
夜の10時ならなおさらだ。
風の音がわずかに聞こえるだけの夜道をお互いに何も言わずに歩く。
消えかかった街灯、中途半端に塗装が剥がれて文字化けしてしまっている看板、錆びた鉄の柵。
いつもここを通るたび不気味に感じられる風景が今日は目に行かなかった。
理由は先輩が隣にいるから。
最近自分がおかしくなっていることは分かっている。先輩のことばかり考えて、今日の先輩はいつもと違うとか、小説を読んでる先輩が楽しくなさそうとか、どうでもいいことばかり目がいってしまう。
でも、おかしいのはわたしだけじゃない。
先輩の言動も最近少し変だ。
前よりも感情的になって、喜怒哀楽を読み取れることが増えた気がする。あと、わたしにに気を遣ってくれていると感じる場面が多い。
これは、わたしが先輩のことばかり観察しているからではなく、実際にそうだと思う。
先輩も私と一緒にいることを、楽だと感じているのかもしれない。
そういうの、やめてほしい。
自分勝手な話だが、わたしは先輩と今の関係のまま終わりたい思っている。
これ以上前に進みたくない。
きっと後戻りできなくなるから。
本当の意味で依存してしまう気がするから。
たとえば、先輩が卒業した後も会いたいと思ってしまったり、………友達以上のことをしたいと思ってしまったり。
そんなことになりたくない。
これまで、先輩はわたしの居場所を作るだけだったのに、今はわたしを引きずり込もうとしてくる。しかもたぶん無意識に。
隣を見ると先輩は無言だったが、少しだけ頰が緩んでいるように見えてしまい、すぐに目を逸らす。
「ここまででいいです。じゃあまた今度。」
現状から逃げるように、隣を歩く先輩に別れを告げる。
それでいい。
私たちの関係において、先輩がこれ以上前に進む必要はないし、そうしてほしくない。
理性は確かにそう言っていた。
どうでもいいことばかり考える本能は無理やりどこかに押し込んでおく。
でも、先輩はわたしを逃がしてはくれなかった。
曇って星一つ見えない夜空の下、壊れかけた電灯に照らされて、先輩がゆっくりと口を開く。
「あ、ユキ。その……今度の土曜日…‥暇だったりする?よかったら、一緒に……ーー」
緊張しているんだな、とすぐにわかるほどに不安そうに揺れる声だった。
でも、私の方にまっすぐと目を向けられて、釘付けにされたように目を逸らせなかった。
やはり先輩はわたしと友好的な関係を築きたいらしい。
とっくに周りは暗いのに、一歩を踏み出した子犬のようになびく瞳が見えて、わたしの意識をかき乱す。
ここで、残念なことに本能は理性を裏切って前へと出てきた。
だから、断れなかった。
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