鈴蘭は今日もわたしを苛む 4
夜も更けてきた。
壁にポツンと設置されている掛け時計は午後8時50分を指している。
わたしと先輩は午後5時ごろから午後10時ごろまで勉強会を実施しているわけだが、もちろん5時間休みなしで続けているわけではない。そんな胆力があるなら留年なんて話にはならない。
今みたいに先輩がそこら辺の床に寝そべりながら小説を読んでいる時間も長い。
「センパイ、それ何読んでるんですか?」
小説を読んでる人が全員頭がいいわけじゃないけど、先輩が読んでるとなんか違和感がある。先輩が国語だけは人並みにできることを考えると順当なような気もするけど。
それと、先輩がどんなジャンルに興味があるのかも気になる。
普段、趣味や嗜好の話はあんまりしない。
わたしも世間で言われるような俳優やアーティストに興味はないし、先輩はもっと興味がないと思う。
だから、なんとなく自然な流れで疑問を口に出した。
「はい。」
特に補足もなく持っていた文庫本を渡される。
先輩の声はいつも通りのものだった。
6時ごろに大福を食べさせた時はすこぶる上機嫌だったので、それが消えてしまったことに安堵する気持ちがあったり、残念な気持ちもあったり。
本を手に取り、作品名と作者を見ると、作品自体は初めて見るものだったが、作者は小説についての知識がないわたしでもギリギリ知っているくらいの有名な人だった。
「好きなんですか?」
「別に。普通くらいだけど。」
わざわざ読んでるのに好きじゃないんだ。
それはいいとして、なんかイメージと違うというか、腐っても2ヶ月付き合ってきた経験から考えても、どうもしっくりこない。
「そんなに私が小説読んでるのへんかな?」
私の表情を読み取ったかのように、先輩がわたしに問いかける。
「いやいや、別に変とかじゃないですよ。さすがに他人の趣味にまで文句を言うつもりはないです。ただ、あんまり楽しそうに読まないな、って思って。」
今日の大福の件ほどではなくても、先輩はまったく無表情というわけではなく、ちゃんと笑うし、機嫌がいいと表情に出る。気がする。
だから小説を読んでる時にあまり楽しそうな表情をしないな、と思っただけだ。
………わたし、先輩のこと観察しすぎでは?
いいや違う。こうやって一緒にいる時間が増えれば自ずとお互いのことを知っていくものだ。意識の有無に関わらず。
わたしが一人で質疑応答をこなしていると、先輩は少し気まずそうな表情で言った。
「暇つぶしにはなるからね。あんまり好きじゃなくても、時間を過ごせるだけで意味があるから。」
「ふうん。」
まあ、本人がそれでいいなら別に言うこともないけど。
……………………。
ふと、この前の朝の出来事が脳裏をよぎった。先輩はわたしのことを好きだと言った。
そして、小説のことは普通だと言った。
自分の手にある小説を眺めながら、先輩にとってわたしはこの小説よりも好感をもっている存在ってことか、とボーッとしながら考える。
……何言ってんだわたし。
冷静に考えると、渋々勉強を教えてるだけのわたしがこんなことで喜んでるのはおかしい。
いや、喜んでない。
そして、こんな関係性なのに趣味よりもわたしが好きだと言ってくる先輩はもっとおかしい。
「そういえばユキ。今日はお酒飲まないの?」
脳内で思考回線をわけがわからなくなるほどごちゃ混ぜにしていたわたしを現実に引き戻すかのように、先輩の声が夜の部屋に響いた。
「………今日はなしです。」
最近先輩に関することで困っていることはもう一つある。
それは先輩の前で酔うことに抵抗感が生まれてしまったことだ。
だって、酔ったわたしは何をするか自分でも分からないし。
先輩の前で『そういうこと』をしてしまうのは、なんか恥ずかしい。
ちょっと前までなんの抵抗感もなく、先輩に対して好き勝手できていたのに、最近になって、具体的には先輩に『好き』と言われた日から、わたしもどこか意識してしまっているのが現状だ。
人間の心って一つのきっかけでこんなに変わるもんなんだな、と思うくらいこれまでやってきたことが急に恥ずかしく感じられた。
だから、しばらくは泥酔しない程度に抑えようと決めた。
そう決めた日に、偶然にも先輩も同じタイミングでわたしに飲酒の規制を設けてきたため、お酒の誘惑に耐える必要も無くなった。
でも、先輩から規制されるのは気に食わなかったから、その日は腹いせに高度数のお酒を飲んでしまって結局後悔したんだけどね。
とにもかくにも今日は断酒だ。
この会話以降、お互いに何も言わずに黙々と勉強を進めた。今は、日本史をやらせているが、これに関してはべつに私から教えることもあんまりない。暗記が中心だし。
9時半を過ぎたあたりだ。
不覚にも外の風以外無音を保っていた室内に、わたしの腹の虫が鳴ってしまった。
「お腹減ったの?」
聞き逃さなかった先輩が顔を上げてこちらの様子を伺う。
「そうですね。ちょっと早いけどこれでお開きにしましょう。わたしも家に帰ってなんか食べます。」
家を出る前に何も口にしてこなかったので、流石にお腹がすいた。
やっぱり大福を先輩あげなきゃよかったと若干後悔したがもう遅い。
勉強道具を片付けて、帰り支度の準備をする。寒いので、できることなら外に出たくないが、そういうわけにもいかないので上からコートを着て少しでも暖かみを上乗せする。
「そうだ。うちでご飯食べる?大したものもないけど。」
意外な提案が飛んできた。
たしかに今日は家に何も作り置きをしていなかったので、帰って何か作るか、コンビニで何か買おうか悩んでいたところだけど、先輩からそんなもてなし精神がある発言が出るとは思わなかった。
「ケチな先輩がわたしに奢ってくれるなんて、なんの企みがあるんですか?」
「失礼な。今日のお礼だよ。」
今日のお礼?ああ、大福のことか。
別に気にしなくてもいいのに。
「…………そうですね。じゃあ遠慮なく、いただきます。」
少し悩んだが、結局先輩にご馳走になることにした。
とくに含みはなく、なんとなく、が理由だ。
先輩は「わかった」と了承の意を示すと、早足でキッチンへと向かう。
キッチンといっても簡易なもので、部屋の奥の方にちょこんとあるだけで、こちらからキッチンに立つ先輩の後ろ姿が確認できる。
「なんか手伝いましょうか?」
もしやることが多かったら、座ってるだけでは申し訳ないため、一応声をかける。
「大丈夫。もうできたから。」
「早過ぎでしょ。」
突っ込む間も無く、先輩は大きめのお椀二つを両手に持ち、その上に箸二膳を乗せて帰ってきた。
1、2分でできるとか、どれだけの手抜き料理が出てくるのか、一周回ってちょっと期待した。
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