鈴蘭は今日もわたしを苛む 1

 先輩は悪い人だ。

 わたしを脅して、時間と労力を割かせて、それをなんとも思ってないとんでもない極悪人だ。

 

 だから、わたしが先輩との時間を楽しみにしているというのは正しい表現じゃない。


 先輩は悪い人だけど、でも、その分わたしが誰にも気遣わずに触れ合える唯一の人だから。

あの人が隣にいる時、わたしはなんの責任も重圧ももたずにリラックスできるから。

 だから、先輩と一緒にいてもいいかな、と少しだけ思っているだけだ。

 本当に先輩に対しておかしな好意的感情を持っているとかではない。ホントに。


 ベットの上で枕に顔を埋めて、唸りながら先輩との関係を振り返る。


 先輩相手には基本的に何をしてもいい。だって先輩は私の秘密をすでに知ってるし。好き放題やっててもあんまり怒らない。


 学校の親友である夏樹や花愛、他のクラスメイトはお酒に酔っている私を見たらなんて思うだろう。夏樹とかは案外受け入れてくれそうではあるが、少なくとも私のクラスでの立場はない。

 わたしは委員長とか学級委員とかを積極的にやるタイプの人間ではないけど、でもクラスでは割と責任感がある優等生って感じのキャラだし、私自身、そういう立ち位置にいたいと思ってる。


 だから、誰にも本当の私を見せられない。


 そんな時、先輩と出会ってしまった。出会ってよかったような気もするし、出会いたくなかったような気もする。


 始まりの出会いは最悪だったけど、先輩の家にいる時、わたしは楽でいられる。

 あんまり認めたくないけど。


 ついこないだまで、そうやって利用して利用されての関係で釣り合いを持っているはずだった。


 でも先輩があんなこと言うから。


 『やっぱ好き』


 先日の朝、先輩にこんなことを言われた。


 もちろん、友好的な意味での『好き』であることはわかっている。

 でも、そうだとしても『好き』なのだ。


 ーー先輩は私のことを、ただの道具のように思っていて、なんの感情もない。そしてわたしは利用されていて、先輩のことが嫌いである。ーー


 そういう前提があったから、学校とは違う、性格が暗めなわたしや、お酒に酔った情けないわたしを先輩の前で見せられていたのだ。


 でも、先輩は確かに『好き』だと言った。

 そしてわたし自身も、先輩個人のことはともかくとして、先輩と一緒にいる時間が嫌いじゃない。


 そういうのって…………なんか違う気がする。


 先輩は普段あんまり激しく起こったり落ち込んだり、喜んだりしないタイプだ。

 冗談を言ったり、からかってきたりすることもあるけど、それもあんまり過激なものではない。

 一言で言えば穏やかで掴みどころがない人だ。


 だから、私のことなんてなんとも思っていないと思って、普段の愚痴を話したり、ネガっているわたしを慰めてもらったり(心のこもってないものだったけど)してたのだ。


 でも、先輩が好意的な感情を持っていたとしたら、そんなわたしを見てなんと思っただろう。酔っているわたしを見てどう思っただろう。


 あんまり覚えていないけど、きっとすごいことをしてたと思う。

 あたまなでてって言ったり、先輩の服を脱がそうとしたり。

 ………ちゃんと覚えてた。記憶なんてなくなればいいのに。

 酔っている時は意識してなくても、目が覚めたら案外覚えているものだ。


 急に恥ずかしくなって足をバタバタとさせる。

 

 恋の告白でもなんでもない『好き』でこんなに動揺させられるなんて、私はどうかしている。


 だいたい、なんでわたしがこんなに気持ちが揺れ動かされなければならないのだ。


 全部先輩のせいだ。安心感を与えてくるのも、酔って暴走しても止めてくれないのも、全部先輩が悪い。


 秘密をバラされないように先輩の家で勉強を教えて、せめてもの抵抗として全部曝け出して楽になってしまおうとしていたのに、今は…………。


 もしも、もしも先輩が休日に一緒に遊ぼうとか言い出したら、わたしはその提案に断れるだろうか。楽になれる居場所を提供されて、それを簡単に捨てられるだろうか。


 ………これ以上は考えたくない。


 先輩は悪い人なんだ。それだけでいい。

 変なことは考えなくていい。


 わたしたちは、ただの主従の関係でしかないはずだ。そこに個人的思慮の入った依存は含まれない。せいぜい、開き直ってやる、くらいの精神が働いてるだけだ。


 もしくはあれだ、なんとか症候群とかいう、監禁された被害者が容疑者と長い時間を過ごすうちに共感意識が生まれてきてしまうやつだ。


 いや、だとしたらそれって結局………。


 わたしは自分の思考にハイキックをかますくらいの勢いでベッドから飛び起きた。


 無駄だ。こんなことを考えるくらいなら、先輩のことを考えるためにわざわざ時間を割くくらいなら、早く買い物でも行こう。


 近くのスーパーに向かうべく、急いで着替え、バックを手に持つ。この間わずか一分足らず。


 誰もいない一軒家に向かって虚空の挨拶をする。


 「いってきます。」


 もちろん、誰からも返事はなかった。


 外に出ると、夕日が落ち始め、あたりがだんだんと暗くなってくるところだった。


 まだ早い時間なのに、これほどの暗さを感じるあたり、冬になったんだと実感する。


 

 家は、父親は海外出張、母親は夜中の仕事に午後4時ごろから出向くため、学校を終えて帰ると誰もいない。


 掃除や料理は普段わたしがやっている。

 今だって、食事を作るために買い出しに出ているところだ。


 正直、家に誰もいなくてよかったと思う。


 家での私も、学校の私と同じだ。

 無理して創った、明るく責任感強めな性格。


 ずっとあれを演じ続けるくらいなら、せめて家でくらいはひとりぼっちでいた方がましだ。

 

 ……でも、ひとりぼっちよりも、誰かと一緒の方がいいというのも事実だ。


 その誰かが先輩だった。


 無理しなくていいだけじゃない、独りでいなくても良くなる。

 そういう面でもあの勉強会は居心地の良いものなのかもしれない。


 いけない。また先輩のことを考えてしまった。

 

 たまには夏樹と花愛のことでも考えようと、二人のことを思い出す。


 夏樹は背が低くて、頭があんまりよろしくなくて、のんびりしている珍しい子だ。あんまり気は使えないけど、包容力がある。

 

 花愛はしっかりもので、誰かにズバッと物を言える人だ。義理堅く、友達思いで素直な子だ。あと、巨乳だ。


 巨乳といえば、先輩もまあまあ大きいと思う。

 いきなり先輩の胸を触ったらどんな反応するかな。冷静な先輩も恥ずかしがったりするのかな。

 ちょっとだけ気になる。


 酔ってるときに同じようなことをした気もしたけど、流石に詳しい情景までもが思い起こされることはなかった。


 わたしがまたしても先輩のことを考えてしまった、と後悔する頃には太陽は遠くに見える山に完全に隠れていた。


 それでも、漏れ出る光は、もう少しの間世界を照らし続けている。

 その様子を見て何故か不快な気分になった。

 


 


 


 


 

 

 


 

 

 

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