星が一つ増えたところで 3
五限の終了を告げるチャイムの音が、教室に取り付けられたスピーカーから鳴り響いた。
クラス内ではもう下校後の話をしている生徒たちの声がざわめき立つ。
私がこの教室で、いや、この学校で業務連絡以外の会話をすることはない。
理由は友達がいないから。
ちょっとだけ寂しい。
唯一、私が日常生活で会話をする可能性のあるユキは、学年も学科も別だ。私は普通科でユキは特進コース。
うちの学校は全生徒合わせて3000人を超える大きな学校であるため、ばったりユキと出くわすこともないし、出会ったとしても顔を合わせることすらないだろう。
私とユキが話すのは私の家でだけだ。
今日はバイトがない日なのでウチに来るはずだ。
待たせるのも悪いので、急足で家に帰る。
家への道中、私の前を小さな野良猫が駆けて路地裏に消えていくのが見える。
それを見て、ふと、ユキを動物に例えるならなんだろう、と考え始めた。
犬にしては懐っこさという面での可愛げがないし、猫にしては自由気ままさがない気がする。
そもそも、もうユキとの関係は二ヶ月になるのに、私が彼女について知っていることはそれほど多くない。
学校でのユキは頭が良くて、気配りがうまく、空気も読めるリーダータイプ、らしい。でも私は実際にはそのユキを見たことがない。私と一緒にいる時は穏やかで内向的であり、少し暗めの雰囲気を感じさせる陰キャタイプな気がする。私に対しては平気で悪口も言うが。
あともう一つ、お酒で酔っている時は、テンションが上がって性格が明るくなる。あと、やけに私に甘えたがったり、生意気になる。
というように、ユキの性格は外向的でもあり、内向的でもあり、感情的でもあると言える。どれが本性なのかは分からないし、本人が家ではどんな性格なのかとかも分かっていない。
でも一つわかることは、酔っている時のユキと邂逅しているのは私だけだということだ。
ユキがお酒を飲んでいることを知っているのは私だけ。つまり、感情的なユキを知っているのも私だけだ。
だから、──何が『だから』なのかは自分でもよく分からないけど──私は隣でユキがお酒を飲んでいるときが嫌いではない。私だけが知ってるってなんだか特別感があるし。
ただし、部屋を荒らされるのだけは勘弁。
日が少しずつ落ち始めた頃、アパートに着く。部屋の鍵を開けると、見慣れた古めかしい部屋が私の目線を覆う。
今日は酔って暴れないことを祈って部屋を片付けていく。
毎回のようにこうなってしまうと、勉強を教えてもらっていることを差し引いても私にとって損になってしまっている可能性すらある。
それでは元も子もないので、ユキには申し訳ないがこちらから制限をかけるしかない。
これ以上彼女を縛り付けることは関係悪化につながりそうだが、それも仕方ないと諦めなければいけない。
高校卒業とユキを天秤にかけたら、まだ高校卒業の方に錘が傾く。
でも、お酒がなくてもユキのストレスを発散させてあげたい、と考えることもある。
あちらをとればこちらがとれない。
人付き合いって難しいんだなぁ、とどこか他人事に思った。
これまで誰とも関わってこなかった弊害か、それとも今の関係が特殊すぎるのか。
いろいろなことを考えながら掃除をしているうちに、ドアのノック音が聞こえていた。
この時間に私の家に来る人物は一人しかいない。掃除を切り上げて、特に相手を確認することもなく扉に手を掛ける。
しかし、少し予想外のことも起こった。
扉を開けると、深いグリーンのロングスカートに白い無地のtシャツを綺麗に着こなしたユキが立っていた。
私服だ。初めて見た。
ブラウンの髪がとても服のコーデにマッチしていて、制服のときより数段大人らしさを感じさせている。一瞬別人かと思った。
少なくともこのまえ酔っ払っていた人とは別人だと思う。
「………なんですか。じっと見て。」
私の目線がそれないことが気になったのか、ユキが焦ったそうに言う。
「あ、ごめん。制服で来ると思ってたから。」
今までユキは毎回制服のままウチに来ていたので、初めて見るユキの私服につい見入ってしまった。
「なんで私服できたの?」
「なにか問題ありますか?」
別にないけど。でも、制服から着替える意味もないと思う。
「その服、似合ってる………よ?」
「………なんで疑問符なんですか。」
「いや、こういう時なんて言ったらいいかよく分かんなくて。」
「別に何も言わなくていいですよ。恋人でも友達でもないんですから。」
なんだかんだで満更でもなさそうなユキの表情が服装とは合わない幼い様子を感じられて、今度はもっとちゃんと褒めようと思った。
が、やっぱりユキの言葉に少しだけ傷つく。
そっか。やっぱそうだよね。友達じゃないよね、私たち。
とはいえ、少しだけ今から言う言葉も楽に伝えられるかもしれない。
決して、友達じゃないと言われたことへの腹いせではない。
「ユキ、今日からお酒、缶一本までね。これ以上酔われると困るから。」
「……………………………………まじですか?」
「マジです。」
なんとなく予想はしていたが、やはりユキはあからさまに否定気味な表情を浮かべた。
私には理解できないけど、本当にお酒が大好きなんだということはわかる。
ホコリのたった古い室内に余計によくない空気が漂う。
私だってほんとはこんなこと言いたくないけど、仕方ないじゃん。
高校二年生にして酒カスと化しているこの子が悪いとしかいえない。
しばらく苦虫を噛み潰したような顔で沈黙していたユキだったが、やがてクイズの答えがわかったかのようなひらめきを纏った表情に変わった。
「いいですよ。その代わりもっと真面目に勉強に取り組んでください。私がどんなに頑張っても結局は自分次第なんですから。」
「わかってるよ。」
………案外普通に受け入れてくれたな。
さっき何を思いついたんだろう。
まあいいか。これで問題も少しは解決するだろう。
都合よく考えすぎな気もしたが、ともかく今夜も勉強会が始まる。
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