第1章

星が一つ増えたところで 1


 2ヶ月が過ぎた。

 何を基準にするかといえば、私がユキを脅して勉強を教えてもらうようになってから2ヶ月だ。


 朝の日差しがカーテンの隙間から垣間見えるのを見て布団から自分の体を起こす。まだ薄暗い私のアパートの自室を眺める。

 狭く薄暗い部屋には昨日やり残した学校の課題が散乱しており、ところどころにお酒の缶やお菓子の袋が散らばっていて余計に見栄えが悪い。


「汚い部屋。」


 誰に言うでもなく、なんとなく呟く。


 私の部屋が汚いのは、このアパートが家賃2万の安物件だからではない。いや、それもちょっとあるけど。

 それでも古さはともかくとして、部屋の中はこまめに掃除しているつもりだった。


 それなのにこんな惨状が広がっているのは、主に部屋の中央のセンターテーブルに突っ伏しながらぐーすか寝ているだらしない後輩のせいだ。

 


 あの日、私はユキに対して、10000円を返すこと以外になんの感情もなかった。

 たまたま前日に店に来た子が私の前にいたから、お金を返しておこうと思っただけで、この子がどんな人間だろうが、どんな事情を抱えていようが別にどうでもよかった。

 でも、ユキにお金を渡してそのまま去ろうとしたとき、私に悪い考えが浮かんだ。


 ーこの子の弱みは私が握ってるんだ。私だってバイトもあるし、勉強に関しては全く良い改善案が見つかってない。このまま留年してしまうくらいなら、いっそのことこの子を利用して………。ー


 この子の成績がいいことは知っていたから、勉強教えてもらえたらラッキーだなぁ、くらいの思いで、半ば冗談で勉強教えてくれなきゃバラす、と脅しをかけた。


 断られても、本当に学校にバラすなんてめんどくさいことはするつもりなかったけど、結果としてはこの子は2ヶ月前から今に至るまで、私の留年回避のために尽力してくれている。


 いや、尽力しているという表現はいささかこの子を褒め過ぎたかもしれない、と昨日泥酔して暴れまくったあげく、何事もなかったかのように眠るユキを横目に見ながら思う。


 勉強を教えてくれるのはありがたいが、大きな問題点もある。それが今まさに目の前で起こっていることなんだけど。


 最初、私たちは街の図書館で勉強会を開いていた。学校の自習室でいいじゃん、と私は思ったが、ユキ曰く誰かに見られたくないらしいので、仕方なく少し遠めの図書館に行くことになった。


 それはいい。バイトは週4〜5回出るので、バイトがない日に図書館まで行くことには別に躊躇いもない。

 勉強会の途中、ユキはあからさまに不満そうにしてて、勉強ができない私のことを蔑むような態度でもあったが、なんだかんだいって私が分からない点をうまく教えてくれていた。


 しかし、勉強会を数回行った後、ユキは私の家でやりたいと言い出した。


 これが今起こっている問題を引き起こすことになる。いや、厳密にいえばユキが私の部屋に酒を持ち込むようになったのが原因だ。

 私が彼女の秘密を知っていることで開き直ったらしく、平気で勉強中に缶を開けるようになった。

 そしてひどい時は昨日のようになる。


 別にこの子が何をしようが私には関係ないが、昨日のように大きな支障が出るなら話は別だ。

 とはいえ、私もユキを脅していることに申し訳なさを覚えないわけでもないので、飲むのをやめろ、と強くいえないような状況だ。普段からだいぶストレスも溜まっているみたいだし。


 酔わせたまま帰らせるわけにもいかないので、よく私の家に泊まらせてあげている。

 女子同士なんだし別に問題はないし、実際に何も起こってない。

 ………ユキが暴走するとちょっとおかしな雰囲気になることはあるけど。


 私は親がいないから別にいいけど、ユキの親は自分の子供が頻繁に外泊することを咎めないのか、思うことはある。あと、彼女が高校生にして立派な飲んだくれになっていることも。


 でも他人の家庭のことを気にしても仕方ない。

 ユキと私はお互いに損得のために関係を築いているに過ぎないからだ。

 

 ……だから、最近になって、もっと仲良くしたいなという思いが生まれてしまったのは間違っていると思う。

 ユキは私が唯一同じ高校で会話をする人物だし、少しくらい友達みたいな存在であって欲しい、と考えることもある。しかし、当人を脅しておいてそれは荒唐無稽な話だろうとも思う。




 眠気が消えていきはっきりとしてきた意識のもと、携帯の時計で時刻を確認すると、時間は8時20分を指していた。

 まずい、そろそろ準備を始めないと学校に遅刻する。


「早く起きないと遅刻するよー。」


 本人の耳元で声をかけてみるが、反応はない。


 仕方がないので両手で肩を掴み、ゆっさゆっさと揺らす。

 ユキの顔が肩と同時に振れ上がって、そのままテーブルの上にべちんと言う音を立てて顎の下からぶつかった。


「ウビャっ。」

「あ、大丈夫?」


 しばらく地面に突っ伏して痛みを堪えていたユキは、ゆっくりと顔をあげてこちらを睨んだ。目が覚めたようで何よりだ。


「さすがにその起こし方はないでしょう。」 「ごめん。でもわざとじゃないから。」


 一度声をかけたのに起きないからこうなるんだ。でもちょっとかわいそうだったかも。ごめん。


 心の中でもう一度謝ってから、腕をだらんと下げてゆっくりと洗面所へと向かうユキに言う。


「早くしてよ。ユキが家を出ないと、鍵がかけられないんだから。」


 当然だが家の鍵を持っているのは私なので、ユキを待たなければいけない。



 先に家を出て、外で待っていると、10分ほどして制服姿のユキが家を出てきた。

 もっとも、昨日の夜からずっと制服を着たままだが。


「遅い。そんなに身支度に時間かからないでしょ。」

「センパイが速すぎるんですよ。よく水で濡らしただけでそんなに髪が艶々になりますよね。羨ましい。」


 そう言って、ユキは私の後ろ髪を撫でてくる。なんだかむず痒さを感じ、ユキの手を払う。


「はいはい。わかったから早く行ってよ。」


 ユキが家に泊まった次の日は休日なら良いのだが、平日ならもちろん学校へ行かなくてはならない。

 その際、二人とも歩いて登校するのだが、ユキは私と一緒にいるところを見られたくないようで、私たちは時間をずらして登校する。

 まあ、一緒に行ったところで特に話すこともないから別にいいんだけど。


「………今日は一緒にいきません?」


 意外な提案が隣から飛んできて、一瞬驚きの感情が湧き出る。

 一緒に行こう、なんて言われたのは初めてだ。二日酔いで倒れ込むのが不安なのかな。まさかね。


「私と一緒は嫌なんじゃなかったの?」


 一緒に行く理由も特にないけど、一緒に行かない理由もない。だからそのまま提案を受けることもできたが、一応気になったので理由を聞いておく。


「なんとなく。今日はそう言う気分なんです。」


 自分のことを脅してくるやつと一緒に学校へ行きたい気分、かぁ。

 最近の若者のことはよく分からんね。

 でも本人がそういうなら、そうなんだろう。


「じゃ、行こ。」


 そう言って、ユキの隣を歩き出す。


 道中何を話そうかな。あんまり気まずくなりたくないな。でも、一緒に行きたいと言い出したのはユキなんだから、そっちから何か言いたいことがあるのかもしれないな。



 心のどこかで、なんとなくだけどユキとの日常に思いを膨らませている自分がいるような気がした。

 

 人を脅しておいてそんな考えが浮かぶ私って、ヒドイ女だな。ほんとに。


 

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