落ちた羽にはインクをつけて 2
──最初から、私は優秀なんかじゃなかった。
運動もできないし、勉強だってせいぜい平均くらい。そして何より他人とのコミュニケーション能力が絶望的なほどに希薄だった。
それなのに承認欲求だけは一人前ある人間だ。
誰かに話しかけることが苦手なのに、誰かに認めてほしかった。
だから、偽りで塗り固めた、自分じゃない自分を作って、現在のように気さくな感じを装って他人と関わっている。
そうやって、自分という人間が社会的に立派な存在であると納得し続けないと多分私は二度と立ち上がれなくなる思う。
それが私という人間なのだ。
でも、虚像の自分を作り上げることの代償もある。
単純な話、無理して人と柔らかく接しようとするのはとても面倒くさいし、相手の顔色を窺って空気を読むのは疲れる。
世間で言うところの「友達」を続けることは、私にとっては足元に無数にある地雷をすべてかわして歩き続けることに等しい。
だから、社会とは違うところにいる私、具体的には家にいる時の私は、疲れを癒すことや鬱的な気持ちを抑えることに、手段を問わない。
それがお酒だった。ただそれだけ。──
「ふぅ。」
自分のスピーチを終えた私はそっと息を吐く。
「各大学における入学時の合格倍率と卒業時の大手会社への就職率の相関」
一応まともっぽいテーマを作って調べたもののあまり良いデータは得られなかったので元々満足はしていなかったし、昨日のこともあってほとんど無感情でスピーチを終わらせた。
横では夏樹がところどころかみながら、ナマケモノかと思うほどにゆっくりとスピーチを発表している。
人間は人前で発言をする時早口になってしまい、聞き取りにくくなるというのはよくある話だが、この子は流石にマイペースすぎだ。
それもいいところだとは思うがいつかその緩慢さが対人関係で悪い方向にいかないといいけど、と夏樹の心配をする。
他人より自分を心配しろ、と本能からのツッコミが入るが、現実逃避くらいさせてくれてもいいだろ、と理性が一蹴する。
やがて夏樹の長いスピーチが終わった。
時間的にもこれで終わりだろう。
正直めんどくさいとは思っていたが、こんな授業はどうでもいい。
実際問題私にとって大切なのは学校に昨日のことが問題にならないか、ということである。
『あの人』のいう通り私の名前や学校名まで知られたわけじゃないし、実際に通報される可能性が低いことはわかっているが、それでもやはりこれまで積み上げてきた学校での社会的評価が水の泡になる可能性を考えると不安にならざるを得ない。
やっぱり深夜テンションであのバーに行ったのが間違いだった。たいして深夜というような時間帯じゃなかったけど。
それ以前に高校生でストレス発散のために違法な飲酒をしているところからすでに道を踏み外していた。
いや、そんなことはわかっている。わかっているのにやめられないから困っているのだ。
いつの間にか、授業を終えるチャイムが教室のスピーカーから鳴り響いた。
「おわったおわったー。」
夏樹の相変わらずの間延び声を横に聞きながら三年三組の教室を出ようとする。
「ねえ。」
後ろから呼ばれた声を聞いて、本能的に体がビクッと身震いする。
………話しかけられただけなのに?
なんで?
どこか違和感を感じながら後ろを振り向く。
そこには授業の開始前から開始直後にかけて、私の表情をチラチラと窺っていた三年の先輩の姿があった。
そういえば授業中に発言をしていたのは彼女の隣に座っていた真面目そうな男子生徒だけで、この人は一言も話していなかった気がする。
この人を見た時と同様に、声もどこかで聞いたような気がする。知らない人でも、姿はたまたま見ていて覚えていることもあるかもしれないが、声まで覚えていることはなかなかない。
「えーっと、なんですか。」
頭の中に変な疑惑が渦巻いているのを感じるが、無視するわけにもいかないのでとりあえず返事をする。
「昨日、うちの店に来た───」
「ーーーっーー!!!」
彼女口から全て言い終わる前に、私は本能的に、飛びかからんとするほどの勢いで手を出して口を閉ざした。
──そうだ、そうだ!そうだ!!
記憶が一瞬で脳内を満たして昨日のことがフラッシュバックする。
この女、昨日行った店で私を案内した店員だ。
髪型も雰囲気も違うから全く気が付かなかった。
顔や声に覚えがある気がしたのはそのせいか。
でもなんで?なんでこの人がここに?
たまたま昨日行った店でこの人が働いていて、たまたま次の日の学校の授業で顔を合わせるなんて、そんなことあるか?
いや、偶然であることは間違いない。
昨日この人と会ったのは私の気まぐれが原因だし、今日の授業はずっと前から学校によって計画されていたものだ。
というか経緯は今はどうでもいい。
とにかくここからどうする?
この人は今私が店に来たことを指摘しようとしている。
いまから人違いだと誤魔化すか?
いや、この人の口を封じてしまった時点で思い当たることがあるのは確定させてしまった。
それなら───
どうしてこうなったかこれからどうするかを脳を急速回転させて考えていると、私の手によって口を封じられた先輩が、手を退けて、と言わんばかりの表情で、ジロッと私を見つめているのに気がついた。
私は急いで手を退ける。そうだ、ここは教室の中だった。
「ユキ〜?なにやってんの?その先輩と仲良しだったの〜?」
私の隣で一部始終を見ていた夏樹が訝しげに私に聞いてくる。
まずい。いくら鈍感でノロマな夏樹だったとしても、私と先輩の繋がりに気付かれたくない。
後々私の秘密に繋がりかねない情報はできるだけ遮断すべきだ。
状況に対応すべく、思考回路を勢いよく巡らせる。
「えーっと、、そうなんだよね。実は同じ中学校の先輩でさ、久々に会ってちょっとはしゃいじゃったというかなんというか………。」
なんだそのアホみたいな言い訳は。
自分の臨機応変さに絶望するが、でも夏樹ならきっと騙されてくれるはずだ。お願いだから変に冴えないでくれよ、と祈る。
「んー?そうなんだ。じゃあごゆっくり〜」
いつもの穏やかな口調で夏樹はそう言うと、
ひょこひょこと頭を揺らしながら教室を出て行った。
よし。なんとか巻けた。いつもは心配になる程のんびりとした夏樹の性格が今回は有利に働いてくれたみたいだ。
間髪入れずに私は行動を起こす。
「センパイ。来てください。」
そのまま先輩の手を引いて教室を勢いよく出る。その際先輩の顔を見る余裕はなかったが、特になにも言わずに着いてきてくれた。
とにかく二人きりになって話がしたかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます