落ちた羽にはインクをつけて 1
「ユキ、なんか今日ちょっと元気なくない?」
机に突っ伏している私の右横で夏樹が呑気そうに言う。
「いや、どう見ても元気ないなんてもんじゃないでしょ。この様子は。」
左横から花愛がツッコミを入れながら私のことを心配する。
顔を上げて辺りを見渡すと、教室は昼休みに入ってざわめき立っていた。
「ユキ、勉強のしすぎで体調崩したんじゃないの?無理しないで保健室行ったほうがいいよ。」
花愛の言葉は嬉しいが、残念ながら私に活力がないのはそんな殊勝な理由ではない。
はぁ。
あんなとこ行くんじゃなかった。
昨日のことだ。
興味本位で、「あの人」に薦められたバーに行ってみた、がやっぱり未成年だとバレて逃げ帰ってきた。しかも、運悪く顔までバッチリみられた。
家に帰ってから急に色々な不安が込み上げてきて、怖くなった。
もし学校に通報されたら?特待が取り消しになるかもしれないし、大学の推薦も無理だろう。周りに広まりでもしたら、私の評判は地の底。隣で心配してくれている友達たちも態度を変えるかもしれない。どうしようどうしよう。
お店にも迷惑をかけた。あとあと考えてからでは遅いが、もしかしたら私のせいであの店に警察が来るなんてことも………。
怖くなって、「あの人」に連絡してみたが、
「あははは。大丈夫だよー。そんなことで訴えたり、通報するような店じゃないから。っていうか身バレしてないならなんの問題もナシ!」
お前はあの店の何を知ってるんだよ、と心の中で毒づいたが、もうそれに賭けるしかない。
まるで自分が処刑直前の犯罪者になったような気分だった。
そんなに後悔するならなんで行ったんだと思われるかもしれないが、何となく気分が昂っちゃって無茶な行動もできると思っちゃうことだってあるじゃん。夜はテンション上がるじゃん!
誰に言ってんだわたし。
ともかく、私にできることがない以上ただ普段通りに生活するしかない。
そう決心した私だったが、やはり学校への足取りは重かった。
今日だって、授業にほとんど集中できなかったし、花愛と夏樹の心配の声もあまり響かない。
「ねぇ午後の総合の時間、私たち何組にいくんだっけ?」
「?何の話だっけ。」
今日なんかあったっけ。花愛の言っていることが全然思い出せない。
「今日は三年の教室に行って探究授業のまとめレポートを発表するんでしょー。めんどくさいよね。」
隣で気だるそうに話す夏樹の言葉を聞いて思い出す。
私たちの学校では週に一、二時間総合の時間があり、自分で探究テーマを決めてそれについて調べるというものだ。
そして、今日はそのまとめレポートを上級生の前で発表する日だった。
「私みたいな存在価値のない人間ののしょーもないレポートなんて誰も読みたくないし聞きたくないでしょ。もう早く帰らせてよ。その方がよっぽど先輩たちも時間を効率的に使えるだろ。クソが。」
普段は特になんとも思っていなかった授業に対して、自虐と苛立ちが沸き起こり焦燥感を覚える。今の私の気分が最悪だからか。
まあ、レポートはもう完成してるし、もう発表するしかないんだけど。
ん?
ふと隣を見ると友人二人が何やら驚いたようにこちらを凝視してくる。
「え………ちょ、ユキ?」
「うわぁ、ついにユキが壊れてしまった。」
え、なんのこと。
驚いているのはむしろ私の方だ。
二人が示していることがどういうことなのかが理解できない。
ハテナマークで埋められた私の表情を察してくれたのか花愛が少しの沈黙の後口を開く。
「いや、しょーもないとか、クソが、とか言ってたから。それに、そんなにネガティブなこともいつも言わないじゃん。声のトーンが低くてガチっぽくて怖いよ。」
………あ、やからしたかも。
花愛の指摘でようやく状況を理解する。
どうやら心中で発したつもりの言葉を、実際に口に出してしまっていたらしい。
「ごめん。やっぱり嘘。ほんとに。」
だめだ。こんなに乱心状態でこのまま普段通りの生活を送れるとは思えない。
「やっぱり今日のユキ疲れてるんじゃない?いつも真面目に授業でてるんだから、たまにはサボっちゃってもいいんだよ。」
花愛の心配する声も、いよいよ不安げに揺れているように思える。
花愛は優しい子だ。
「ありがと。でも大丈夫だから。」
実際のところ、このまま体調不良ってことにして帰ってもいいかなという甘えた考えもあったが、全ては自分で蒔いた種。
こんなこと、と言ったらなんだが、今更恐怖に怯えたところでもう遅い。
それに過去の不安から逃げ続けてはあまりに自分自身が不甲斐ない。
「あ、もうすぐ始まるよー。ちなみにユキとわたしは3年3組。花愛は3年1組だからね。」
五分前を知らせる予鈴が鳴り、普段と変わらない伸び伸びとした声で夏樹が教えてくれる。
机の中を弄り、随分と前に完成させていたレポートを手に取る。
急いで教室を出ようとすると、夏樹と花愛がドアの前で待ってくれていた。
二人はいい友人だと思うし、他のクラスメイトとも良好な関係を築いている。勉強の方も特に大きな問題はない。
だからこそ、私の秘密を知られるわけにはいかないのだ。
教室のすぐ隣にある階段登り、3階から4階に移動すると三年生の教室に着く。
3ー3と書かれた室名札を眺めながら教室の中へと入り込んだ。
予定だと、三年生二人と二年生二人の班を作り、二年生が三年生にレポートの内容をスピーチで発表、終わったら二年生二人は移動し、別の三年生二人にまた発表、三年生は二年生のスピーチを聞いて感想やアドバイス等等……。
………正直あんまり楽しいイベントだとは思えない。勉強の一環なんだから当たり前、と言われればそれまでだが。
心の中で不満を漏らしながら用意された席に座る。
私の隣には夏樹が座った。
そして正面には三年生が二人。
一人は真面目そうなメガネをかけた短髪の男子。
もう一人は長い髪を下ろしてはいるが、髪の先端がくるっと癖毛になっている感情の薄そうな女子。
こっちの人とはどこかであったような気がするなぁと思いつつ、同じ学校なんだから顔を合わせることくらいあるかと納得させる。
「………………」
なぜだろう。女子の先輩の方からやけに視線を感じる気がする。
私の顔に何かついてるだろうか、と自分の頬を弄ってみるが特に何もない。
「ユキ、ほっぺたもちもちさせて何やってんのー。」
「いや、なんでもない……。」
隣の夏樹が不思議そうにこちらを見ているが、私も同じ気分だ。
なんでこっち見てるんですか?と正面の女子に聞きたかったが、チラッと目を合わせると、あちらは逸らしてしまうためどうにも話しかけにくい。
まあいいや。
別に大した要件があるわけでもないだろう。多分初対面だし。
今は色々考えることが多すぎて、優先度の低い事項に脳の容量を割くことはできない、と判断して気になっていた目線を意識からシャットダウンした。
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