不幸な野良猫と不憫な飼い猫 2

 山下さんがきた次の日のことだ。


「ひなちゃん、これ、しまっといてくれる?」


 店長がいつもの仕事モードの真面目な声で、私に指示をする。


「はい」


 名前もわからないお酒のボトルを受け取って、ラベルに書かれた番号を見ていつも置いてある場所に戻す。


 店内にはお客さんが四人ほど座っている。

 お客さんはいずれも常連さんのようであり、常連さん同士も仲が良いのか、お酒を嗜みながら談笑している場面がよく見られる。


 私は経営のことはよくわからないし、どれくらいが相場なのかもわからないが、この店の客入りでお店の利益が出ているのかは甚だ疑問だ。


 小さな店だが、満員になることはほとんどないし、新規のお客さんが来る様子もあまりない。


 アルバイトの私が気にするようなことでもないかもしれないが、もしもこの店が経営のたち行きが悪くなって、ここを辞めなければいけなくなっても困るので、やはり少し心配だ。


 そんなことを考えていると、リンリン、と店のドアが開く合図が聞こえ、私は急いでそちらに目を向ける。


 そこには黒いパンツに灰色のパーカーのフードを頭まで被った客が立っていた。


 フードで顔が隠れているが、体つきや、胸の前まで伸びた横髪を見るにおそらく女性だろう。

 身長は私より少し低いくらいで、何となく不思議な雰囲気な人だった。


 これまでに会ったことのないお客さんだ。


 私も毎日出勤しているわけではないので確証はないが、初めて来店したか、少なくともここ数週間以内に通い始めたかのどちらかだろう。


「いらっしゃいませ。」

「ん。」


 素っ気ない返事が返ってきたが、特に気にせずカウンター席に案内する。


 しかしその途中、私はある疑問にたどり着く。


 この人、もしかすると未成年じゃないのか。


 どうも私には、初めてみるこの人がとても若く見えていた。


 もちろん何か確証があるわけではないが、背が低いことだけじゃなく、フードからわずかに見える顔つきとか、なんか………こう、上手く文章化できないが、印象というか像のようなものがこれまで会ったお客さんのものよりも幼く見えたのだ。


 一見、この客が未成年だったところで私には関係のない話に見えるが、実際は違う。 

 確か法律では未成年が飲酒した場合、お酒を提供した店の人が罪に問われることになっていたはずだ。


 考えすぎかもしれないが、もし彼女が未成年で、もし帰り道に警察に補導されて、もしこの店の店主である夜道さんが何かしらの罰を受けることになり、もしこの話が広がって店の印象が悪くなれば…………、私にも影響のある話だ。


 例の客を案内した後、夜道さんを呼んで感じた疑問について聞いてみる。


「あの………、今来たお客さんって常連さんですか?」

「いや?今日初めて来てくれたみたいだね。それがどうかしたの?」

「あの人、かなり若く見えません?」


 直接、未成年だと思う、と言えばよかったのに、何故が回りくどい言い方をしてしまった。

 だが幸いにも夜道さんは私の言わんとすることを理解してくれたみたいだ。


「あの子が未成年かもしれないってこと?それなら早い話、本人に聞いてみればいいだけだ。」


 そう言うと、夜道さんはカウンター席に座る灰色パーカーの女性の前に立った。


「お客様、もしお酒をお飲みになるのでしたら、身分を証明するものを提示していただけませんか。」


 夜道さんはそう言い切ったが、よくお客さん相手にそんなにキッパリと言えるなぁと思う。

 いや、夜道さんに換気したのは私なんだけど、もしも相手が30代とかだったら大変に失礼なことだ。 


 夜道さんの丁寧な証明を催促する声を聞いた灰色パーカーさん(仮)は、一瞬ビクッと、体を震えさせて、明らかに怯えている様子に変わった。


「えと、その………、ごめんなさい、今日は何にも持ってないです。」


 灰色パーカーさんはビクビクとしながら申し訳なさそうに声を絞り出した。


 ………普通に考えてそんなに動揺するのはおかしいだろう、と思う。自分が未成年だと思われた上で、身分を証明するものを持っていなかったとしても、本当に成人済みなら怯える必要はないはずだ。

 こんなにあからさまなのはなんだか逆におかしい気もするが、少なくとも彼女にとって年齢を確認されるのは都合が悪かったのだろう。となると、やっぱり………。


 隣を見ると、腕を組んだ夜道さんが気まずそうな顔をしている。


 いつの間にか雰囲気を察した常連さんたちも様子を見るように黙りこくり、暗めの店内にはアンティークはBGMが流れるだけになる。


「えーっと、申し訳ないんだけど、あなたの身分証明ができない以上は、ちょっとお酒は出せないかな………。すごく若く見える顔つきなのかもしれないけど、店としても………ね。あ、でもお酒以外なら何でも頼んでいいからね。」


 ………たぶん無意識的だが、夜道さんの言い方は子供に説得させるような言い方だ。敬語が抜けてる。


 夜道さんは店長として、灰色パーカーさんに気遣ったつもりだろうが、かえって恥を晒させてしまっているようで、見ているこっちが気まずい。


 俯く灰色パーカーさんの様子を見つめながら思う。


 何でこの人はこのバーに入ろうと思ったのだろう。


 この店がバーと知らなかったなら、知りませんでした、と言えばいい話なのだから、おそらく彼女は自分が未成年でお酒を飲むことを許されていない存在だと理解した上で飲酒をするためにこの店に入ったのだろう。


 非行少女なのかな?

 それにしては態度が初々しいというか、年齢を聞かれてあんなに動揺するのもおかしいというか。


 そんなことを考えていると、灰色パーカー少女は、ばっと席を立った。


「ご、こめんなさい!帰ります。」


 慌わてふたむきながら、彼女はいそいそと店を出て行こうとする。


「あ。」


 そのとき、彼女のパーカーのフードが捲りあがって、顔が晒された。


 おそらく地毛だと思われる、ブロンズのかかったやや明るめの髪を肩下まで伸ばし、僅かに瞳にかかった前髪を揺らしながら困惑している灰色パーカー少女と目があった。


 顔を見ただけで完全に判断できるわけではないが、やはりかなり若く見える人だった。


 灰色パーカー少女はあわあわしながらすぐさまフードを被り直すと、店の扉を勢いよく開けて逃げるように去っていった。


 扉についた鐘の音が鳴り止まない店内は静寂に包まれた。


 先ほどまで彼女がいたカウンター席には10000円札が置いてあった。何も頼んでないのに何でお金を置いていったんだろう。


 何なんだあの人。結局何がしたかったのか意味がわからない。


 夜道さんも困り顔だったが、少しすると、店内の雰囲気は元に戻り、先程までと変わらない話し声が聞こえるようになった。


 こういうことがあってもあんまり気にしないのかな?


 まあいいや、私は自分のことでていっぱいなのだ。店のことは夜道さんに任せておけば問題ない。


 少し考えて、何事もなかったかのように振る舞って、仕事を再開した。

 

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