前章
不幸な野良猫と不憫な飼い猫 1
約2ヶ月遡る。
その日の夜もいつもと変わらず、学校が終わった後で働きに出ていた。
といってもただのアルバイトなのだけど。
両親がおらず一人暮らしの私にとって、バイトは生活の生命線であり、バイト先であるこの店、バー『Hyakuyo』は学校、アパートと並ぶ私の生活拠点と言ってもいいだろう。
ちなみに私はすでに満18歳を迎えているため、お酒を提供する店でも働けるし、22時以降の労働も認められている。
17歳だったとしてもお構いなしだったとは思うが。
この店も怪しい店では決してない。ガールズバーのようところではなく、ドラマとかでよくある落ち着いた感じでクラシックのBGMが流れているようなところに近い。
昨日と変わらず、いつも通りの仕事をこなすが、多分今日は私が苦手な『あの人』が来る日だ。
「いらっしゃいませ。」
カウンターの数メートル横にある扉が開き、上部に取り付けられた鐘が鳴る音が聞こえて、すぐさま来店の歓迎を知らせる。
カウンターの内側に取り付けられた電子時計を見ると時刻はすでに23時を回っていた。
やっぱり来た。
毎週この日のこの時間、決まってここに訪れる客人の女性に目を向ける。
「あ、ひなちゃん。今日もシフト入ってたんだー。先週ぶりだねぇ。」
肩まで掛かる華麗なブロンズヘアを纏い、柔和で端正な顔立ちと見つめていると吸い込まれるような不思議な雰囲気を持ち、それでいてどこか可愛らしさを持ち合わせている若い女性客は、店に入るなり私に無邪気に話しかけてくる。
「ええ、山下さん。今週もご来店いただきありがとうございます。」
「またまた。そんなにかしこまることないよ。私はもっとひなちゃんと仲良くしたいんだけどなぁ。」
「はあ、」
いつものようにグイグイと私に突っかかってくる山下さんに申し訳ないが少し辟易する。
私があまり人と関わることに慣れていないせいもあるのだろうか、この人の、なんでもできると思っているような輝きが苦手だった。
「こら。うちの店員にちょっかい出してんじゃないよ。」
そんな私に助け舟を出してくれたのは、身長が170センチほどあり、モデルのような体型でこれまた整った顔立ちを持つこの店の店主である夜道さんだ。
カウンターの奥で私と山下さんのやりとりを聞いていたと思われる店主は、長い黒髪を揺らしながらこちらまでツカツカと歩いてきて、山下さんの頭にべちんと手刀を喰らわせた。
「いで。」
チョップされた山下さんがややオーバーなリアクションをとって痛がる。
普通に考えれば店主が客に暴力を振るっていいはずがないが、この二人は何やら特別な関係らしいから、まあ大丈夫なのだろう。
「ほら、酒が飲みたいならとっととここに座って。そうじゃないなら早く帰って。」
「ひどいなぁ。それがお客様に対する態度かね。」
山下さんがぶつぶつ言いながらもカウンターの席に着く。
まあ、実際酷い接客態度だと思うが、夜道さんがいつもお客さんにあんな態度をとっているかと言われれば全く違う。
いつもは落ち着いていて、言葉遣いも綺麗な夜道さんが女大将のような態度を取るのは山下さんにだけだ。
私が仕事を始めたての頃は、夜道さんが山下さんに対したときの豹変ぶりによく驚かされたものだった。
やがて、山下さんが、注文したスコッチをグラスに揺らしながら夜道さんと雑談を始める。
20代の二人がカウンター越しにやりとりする姿はアンティーク風の店内によく映える。
対面した図的には、おちゃらけて喋りかける山下さんに、夜道さんが面倒くさがりながらも返事をする、という構図だが、二人を見ているとどちらもとても自然体に見える。
いつも仕事に真面目そうに取り組んでる店主が、山下さんと一緒にいる時はとても楽しそうだ。
以前そのことを指摘してみたところ、あいつなんかと一緒にいても楽しいわけない、と一蹴されてしまったが、あれは一種のツンデレなんだと思う。たぶん。
何はともあれ、二人は良い意味で特別な関係なんだろうな、横目に見ながら思う。
羨ましいと思っているわけではないが、気兼ねせず自然体を見せ合えるというのは良い関係性だと思う。
二人みたいなのを親友と呼ぶのかもしれない。
私には………友達すらいないな。
いけない。
こんなことを考えても無駄だ。無駄なのに、自分の惨めさがいやでも浮き出てきてしまうからこの空間が、この空間を作り出す山下さんが苦手だ。
しかも不運なことに、毎週この日この時間にはなぜか客が山下さんだけになることが多く、私と夜道さんと山下さんの3人になることが多い。
今の時間、私以外にももう一人従業員さんはいるが、ホールに回っている。
この店はとても小さいし、お客さんも少ない。
そのためお客さんはほとんどが常連さんであり、そのおかげで私でもこの店に馴染めた。
それはいい。でも、こうやって私だけが阻害されるこの場所が作り出されることがある。
私と夜道さんは雇用者と労働者。私と山下さんは店員と客。
山下さんと夜道さんは親友。
どう考えても私は蚊帳の外だった。
いつも、山下さんが来店すると自分が邪魔者になったような気分になる。ここに立って話を聞いていることすら罪なことのように思えてしまう。
隣で笑い合う二人は輝星がぶつかり合ったのではないかと思うほど、私にとって眩しかった。そこらに転がる石ころの私は空を見上げる気力も起きなかった。
今思えば、ユキとの出会いは運命なんかじゃなかった。山下さんと夜道さんみたいにはなれなくても、ただ誰かの隣にいればそれでよかったのかもしれない。その相手が偶然ユキだった。
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