復讐の弾丸をその胸に

かける

復讐の弾丸をその胸に



 銃声が一発、響きわたった。

 伸びた白い脚が、脳天に穴の開いた男を無遠慮に寝台の下へと転げ落とす。哀悼どころか蔑みを込めて死者を一瞥した薄緑の眼差しは、透きとおる肌にかかった長い金糸の髪をはらうと、闇の向うへ肩をすくめた。


「もっと早くなんとか出来なかった?」


 粗末なシーツを引き寄せ適当に返り血をぬぐう。その身は細いが華奢とは遠く、しなやかについた筋肉の輪郭が瑞々しい。まごうことなく青年のものだ。

 けれど引き裂かれた衣服は、煽情的な女性のそれだった。場末の酒場――そこの別棟の寝台に横たわるには相応しい服装だ。


「悪党の血は浴びるし、大事な仕事着は台無しだし、最悪なんだけど」

「お前の位置取りが悪かったんだろ。一緒に頭を撃ち抜いてよかったのなら、もっと早く仕留めてやったが?」

 そう雑に投げてよこされた男物の服が、立ち上がった青年の頭に綺麗にひっかぶさる。


「そりゃまずったけど……勢いづく野郎を前にいい位置決めるの、結構骨なんだよ」

 破られた服をとっとと脱ぎ捨てながら、青年はぶつぶつと文句をぶつけた。その先には、部屋の暗がりに溶け込むように立つ黒衣の男の姿がある。


 年は青年と同じほど。背丈は頭ひとつ分高いだろうか。纏う衣服と同じ色の髪はさらりと短く、整った顔だちのなかで黒い瞳がより一層、その冷ややかな雰囲気を際立たせていた。


「まあ、確かに、見苦しいほど猛ってはいたが……。むかれかけて男とばれてなお、事も勢いも止まることがないのはどうしてなんだろうな」

「そんなのもちろん、性別問わず惑わしちゃう、俺の迸る美貌のせいでしょ」

「やはりさっき一緒に撃ち抜いておくべきだったか」


 得意げに胸を張るほぼ全裸の男に冷ややかに返す。確かに彼の見目は心囚われる麗しい造形をしているが、その性根がわりと濁っていることを、黒衣の彼はよく知っていた。

 思えば、彼らは長い付き合いになっているのだ。


「とっとと着替えを済ませろ、レイ。人が来る前に行くぞ」

「はいはい。最優の執行者様たるゼト殿の足は引っ張りませんよ」

 するするとレイが衣服に袖を通す間に、ゼトは懐から出した黒い封筒を、転がる男の上に落とし置いた。


 さっさと窓から人気のない裏庭へ飛び降りたレイのあと追って、窓枠に足をかけ、一瞬、ゼトは後ろを振り返る。


 暗い部屋に、無造作に転がる虚ろな躯。その上の黒い封筒の内には、男が生前犯した罪が記されている。彼は困窮につけ込み二束三文で年若い娘を買いたたき、残虐に辱めて命を奪っていた。だから――


(殺されて、当然……)

 そう、当然なのだ。


 燻ぶる硝煙の臭いを断ち切るように、胸の内で繰り返して、ゼトは静かに窓辺から身を翻した。




 +




「夜は過ごしやすい時期になってきて助かるね」

「前を止めろ。露出癖があるのか、お前は」


 月明かりの夜道を行く。夏に移ろいつつある季節は、昼日中の日差しが苛烈に変わってきているが、夜ともなればほどよく涼しい。適当に羽織った上着の前をくつろげているのは、さぞ心地いいのだろう。


「しかし、過ごしやすいのはいいものの、夜が短くなると、仕事はしづらくなるねぇ」

 闇夜にまぎれて為されるのがゼトたちの仕事だ。

 咎人たちへの私的な断罪。始末屋家業が彼らの生業だった。


 《協会》と呼ばれる依頼の請負先が、執行者と呼称される実働員へ仕事を割り振っている。執行者は別に《協会》に所属しているわけではないが、傘下にはあり、チームを組む者もいた。が、個人で動く場合がほとんどで、ゼトもずっと一人でこの仕事を請け負い続けてきた。


 それがレイを相棒とすることになったのは、去年の秋のはじめ。少々厄介な好色貴族を標的とすることになったからだ。その貴族を確実に仕留めるために、《協会》が協力者として紹介してきたのがレイだった。


 《協会》が執行者同士を仲介するのはごく稀だ。よほど大金が動いた依頼だったのだろう。だが、そのおかげで仕事は苦も無く終わり、ゼトも懐を潤した。

 しかし――その一回限りの関係であったはずの男が、なぜかそのまま傍らに居座りだしたのは完全に想定外だった。


『得意分野は体を張った人心篭絡。組むと仕事の幅が広がってお得だよ?』

 などと売り込んできて、どれほど邪険にしても、まったくめげない。

『俺、暗殺術は素人だから、君といる方が取り分のいい仕事がたくさん回って来るんだよねぇ』

 と下心をあけっぴろげに迫り、にべない対応に怯みもしなった。


 そうして、なんやかんやとともに仕事をするようになってしまい、気づけば今に至っている。実際彼と組んで、助かる部分が多いのも確かではあった。

 だが――隣に誰かの居場所を作ってしまったことに、戸惑いがないといえば嘘になる。


「それにしても腹が減ったなぁ。俺、君のミートパイが食べたい。帰ったら作ってよ」

「脳みそ浴びておいてよく食べようという気になれるな」

「殺し稼業のわりには繊細だよねぇ、ゼト」

 ゼトの気も知らない顔で、腰まである長い金糸がからかうようにふわりと揺れた。

「俺だからいいけどさ、気をつけな? そういう君の細やかで真面目なところ、最近 《協会》にやっかまれだしてるのは気づいてるだろ?」


 《協会》の依頼は近ごろきな臭い。始末に負えない悪党だけではなく、標的に利益や金の臭いが絡みだしていた。正直、今回の件も犯人が本当は誰だったのか、少々曖昧なまま執行を迫られた。その際、相当に《協会》と揉めたのはゼトの記憶にも新しい。


「忠告、いたみいる。もう手遅れかもしれないがな……」

 溜息とともに頭を抱える。信頼関係はガタガタだ。それで続けられる仕事でもない。


「レイ……もし俺が《協会》の傘下から抜けるなら、お前はその時どうする?」

「俺? そうだなぁ……君がもう少し俺好みの男になるなら、一緒についていってもいいよ? 具体に言うと、髪長い方が好き」

「そうか。邪魔くさいな。この話はご破算だ」


 誘ったのはそっちなのにと、不服げな抗議があがる。それを聞き流すつもりで耳に留めている己に気づいて、ゼトは呆れた。

(本当に、いつの間に……)


 隣に空白が生まれることを、恐れるようになってしまったのだろう。


 その時、ふいに隣から伸びた白い指先が、首筋に触れるようにしてゼトの短い髪先を撫でた。一瞬のうちにまさかの隙をつかれて瞠られた黒い瞳に、淡い笑みが映る。


「残念だな」

 ほのか寂しげな音色は、宵風に溶けて消えた。


 その意味をゼトが知るのは、ほんの数日あとのことだ。




  ◇




 暗く闇に沈む廃屋。崩れた屋根から射しこぼれる月明かりだけが頼りのそこは、昔は礼拝堂だったらしい。


 かすか月光が蹲った祭壇の片隅。そこに片膝をついたまま、ゼトは暗がりを睨みつけていた。

 ぼんやりと闇に浮かぶのは細い輪郭。なお明るく煌めく長い金糸の髪。常とは違う笑みのない冷たい顔。そして――突き付けられた銃口だ。


 最後にするつもりの《協会》からの依頼だった。レイとふたり乗り込んだ廃屋のうちに、標的の代わりに見慣れた黒い封筒があるのを見止めて、ゼトは膝をおった。

 なぜ、封筒だけこんなところに――その疑問を相棒に問おうと視線をあげるより先に、冷たい気配に息を詰めた。それが――ここに至るまでの顛末だ。


「……なるほど。《協会》がおびき寄せた標的は俺だったわけか」

「意外と驚かないね。ちょっと勘付いてた?」

「お前が忠告したことだろう? 《協会》が方針に乗らない俺を疎ましく思い始めているのは感じていた。だから、排除されることには驚きはない。が――その執行役がお前とは……予想したくなかったな」


「嬉しいことを言ってくれる。自分の腕に自信が持てるよ。最初に言ったろ? 得意分野は体を張った人心篭絡。普通にやって最優の君を相手取れる執行者なんていないから、送り込まれた。それに――俺は君に恨みがあるからね」


 銃口を突き付けられてもピクリともしなかったゼトの肩が、その言葉にかすかはねた。固く引き結ばれたままだったレイの口元が、皮肉げに緩む。


「君が覚えているかは知らないけど、姉を君に殺されたんだ。俺、物心ついた時には両親が死んでて、年の離れた姉に育てられたんだよ。悪人に身売りした金でね。まあ、お涙物の献身がすべてではなくて、姉もその悪人と一緒にイイ思いをしてたみたいだし、君に殺される理由は確かにあった。けど、それでも――俺を大事にしてくれてた人だった」

「だから……復讐、ということか?」

「ああ。君を狙って《協会》に繋がった。そしたら運よく利益が一致したってわけ。でも――」


 ふと、淡々と灰のように降るだけだった彼の声音がかすか変わった。あの日出逢って、聞き慣れるにまで至ってしまった、いつものまろみを帯びた柔らかな声で、笑う。


「……君と過ごすのは、かなり楽しかったよ」


 瞠られた黒い瞳が震えた。

 その仕草と笑みが嘘ではないと分かった。分かってしまうほど、隣を彼に捧げてしまっていた。


(本当に……ずいぶんと上手い具合に――)

 絆されたものだ。


 薄く、緩んだ唇が弧を象る。

「そうだな……俺も楽しかった。その礼に、お前には殺されてやってもいい」

「――意外だな。死にたがりには見えなかったけど……。まあ、いいや。君を憎み続けるのも、君をいい奴だと思っていくのも、どっちも嫌になってたんだ。だから、今ぐらいで打ち止めが、ちょうどいい」


 穴だらけの礼拝堂へ風が寄せ、長い金糸が月光をさざめかせてなびいた。

 眩くて、綺麗だと思った。長い髪が好きだと言っていたが、確かに悪くない。


 銃声が、響いた。


 本当に、レイにならいいと思ったのだ。それに嘘偽りはなかった。けれど――

 幼少からゼトは殺すことを磨いていた。己が奪われるより先に奪うことを、息するように出来るよう。それが、この世界で生きていく術だった。だから――


 身体が先に動いていた。

 慣れぬ狙撃手の銃弾は反動を逃しきれずに軌道が反れ、ゼトの肩をかすめえぐった。それに反射的に抜いた銃。引き金の感触は意識するより早く指先に痺れ、そして、振動がゼトの身体と空気を震わせた。


 銃声が響いていた。


 狙いは外れた。執行者としては、だ。一発で仕留めるよう仕事をしていた。無意識の反撃ではそうはならなかった。それだけのことで――命を奪える銃創ということは、変わらなかった。

 腹を押さえて頽れる金色の長い髪。その名を呼んで駆けよれば、見上げた薄緑の瞳が満足げに笑った。


「……腕がいいのも考え物だね。でも、こうなるかもって思ってた。それでもいいと思ったんだ。君への復讐を飲み込むのも、君を殺してしまうのも嫌だった。だから――こうなるのが、よかった」

 支えようとした腕を押しとどめ、代わりに血濡れた掌がゼトの頬を覆った。


「情けない面。ざまぁみろだね。そいつが見れて、満足だ」


 会心の笑みに、言うべき言葉を失って声を詰める。それでもなお足掻くように動いた唇がようやくこぼしたのは、ずいぶんと間の抜けた世迷言だった。


「……あの時、髪を伸ばすと言ってたら、お前は一緒に来てたのか?」


 縋るように、あの夜の会話を辿り直す。もう取り戻せるはずもない可能性に、救えるものなどないというのに。

 それを突き付けるように、死の翳りをのせた笑みは力なく頭を振るった。


「どうかなぁ。俺は復讐ひとつ貫けず、友になろうと腹も括れないやつだから、結局こうなってたと思うけど、でも……残念だったのは、本当だよ」

 瞬きさえも虚ろに、けれどなお鮮やかに、薄緑の瞳が、頼りなく惑う黒い双眸を微笑みで捉えた。


「ゼト、俺以外に……殺されてくれないでよ?」

 囁くように、耳元に吹き込まれる。


 それはほんの一瞬。けれど、心臓を撃ち抜くには十分だった。


 力なく倒れた身体は、もう動かない。死に顔さえ自負したように美しくて、笑ってしまう。


「お前が殺さないなら……いつ、俺は死ねるんだ?」

 届かぬ問いかけとともに、行き場なく頬をなでる。

 堕ちるのはどうせ同じ地獄なのに、先延ばしにさせるとは底意地が悪い。


「好みの男になったなら――一緒についていってもいいのか?」

 それともあの世であった時、いまさらに髪を伸ばしていたら、レイは彼を笑うだろうか。

 彼の手に握られたままの血濡れた銀の銃を、ゼトはそっと拾い上げた。




 +




 殺しの大義すら捨てた《協会》が滅びたのは、それから数年のちのことだった。幹部を殺戮し尽くした執行者を目撃した男は、震えながら伝えたという。

 血濡れた銀の銃を持った――長い黒髪の男だった、と。








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