第9話 フェスが終わって

 アサガオの演奏が終わって、わたし――宇多田秋帆は、同じ中学校に通う子たちを見つけた。観客席で、わたしたちのパフォーマンスを見ていたらしい。みんなはじけるような笑顔で、すごくうれしかった。でも、少しネガティブな気持ちがした。

 奏くんも、気がついていたみたい。わたしが心配になって声をかけると「見てもらえてよかった」と言っていたけれど……やっぱり心配なのは変わらないよ。

 例の子たちは奏くんを「無口くん」というあだ名で呼ぶ。あのあだ名は、いい意味を持っていないと思うんだ。

 どうして「無口くん」なんてあだ名をつけられてしまったのか。それはたぶん、奏くんが話し下手なせいで自分の気持ちを上手に伝えられないことが、悪い方向にはたらいてしまったから。

 奏くんはうまく話せない分、身振り手振りを大きくしている。わたしは気持ちが伝わって助かるけれど、当然みんながそう思うことはないから『もっと大きな声で話してほしい』と思う人はきっといる。「無口くん」と最初に口にした人は、そんな気持ちをあだ名にして吐き出しているのかな……なんて。

 みんなが呼ぶから真似している人もいると思うけれど。

「……ちゃん。秋帆ちゃん」

 奏くんがわたしを呼ぶ声で、現実に引きもどされた。

 わたし、1人で考えこんじゃってた!

「だいじょうぶ? ボーっとしてるけど……」

 奏くんは、わたしの心配をしてくれているみたい。

 あわてて奏くんにからだを向けて、両手を合わせて謝った。

「気がつかなくてごめんね! ちょっと考え事してた。それで、どうしたの?」

 奏くんは首をよこにふって、ふわりとほほ笑んだ。

「ううん。……今日、すごく楽しかったね。それに、たくさんの人を笑顔にできた。秋帆ちゃんが言ってた一番の目標、達成できたんだよ。すてきな思い出、作れたね」

 奏くん、練習のときにわたしが言ったこと、覚えてくれていたんだ……!

 キューンとうれしくなって、わたしは大きくうなずいた。

「うん!」

「元気だね。犬みたいに」

 わ……、奏くん、そういうこと言う子だったっけ!?

 にこにこ笑顔で言ってるけど、どういう気持ちなの……?

「か、からかってる……?」

 急に犬みたいに元気だなんて言われたら、ナゾの恥ずかしさを感じちゃうから、できたらひかえてほしいな……なんて。

「ううん。元気だと思ったから言った」

「そ、そうなんだ」

 素直な気持ちを言葉にしただけだったんだね。

 奏くんからそんな言葉が出るとは思わなかったから、ビックリしたよ。

「……嫌だった?」

 奏くんは不安そうに眉毛をハの字にして、わたしの顔をのぞきこむ。

 わああ、ちゃんと説明しないと勘ちがいされちゃう!

 わたしは、すぐに首をブンブンと左右にふった。

「そういうわけじゃないの! 本当に、ただビックリしただけなんだよ」

 急いで説明しようとしたら声が大きくなってしまったから、ボリュームを落として話を続けた。

「僕が言ったら、おかしいかな……?」

「ううん。おかしくない。わたしのこと、思ったことをすぐ言えるくらい信頼してくれているんだなぁって思うと、うれしいな」

 わたしが笑いかけると、奏くんはパッと表情を明るくした。

 えへへ、と小さく笑っている。

 そんなわたしたちに、玲央くんと玲奈ちゃんが言った。

「すっかり仲良しにもどったな! てか、ケンカする前より仲良くなってないか?」

「うんうん! あたしたちの作戦、大成功!」

 2人はうなずきあって、パチンとハイタッチした。

 息ぴったりで、思わずクスリと笑ってしまう。

「ねえねえ、作戦ってなあに?」

 わたしは、玲奈ちゃんの言葉に首をかしげた。

「あたしたちが、秋帆と奏にボーカルを任せた理由だよ」

 わたしと奏くんに、ボーカルを任せた理由……。

 そういえば、わたしはずっと奏くんのことばかり考えていたな。玲奈ちゃんがわたしたちにボーカルを任せてくれた理由を、ちゃんと考えたことはなかった。

「秋帆と奏、先月……じゃなかった、もう2ヶ月前だね。ケンカしたでしょ? ケンカというより、すれちがいに近いけど」

 うん。わたしが、奏くんはわたしと歌いたくないんだ、わたしが嫌いなんだ――って、勘ちがいしたんだよね。

「2人ともギクシャクしてた。あたしも玲央も、2人の仲が悪くなっているのを、どうにかしてもとにもどしたかったんだ。だから仲直りのために、フェスのボーカルっていう大仕事を2人に担当してもらったの」

 そっか……そうだよね。

 ただの思いつきで、玲奈ちゃんがボーカルを任せてくれるわけない。

 だって、アサガオのボーカルは玲奈ちゃんの担当で、玲奈ちゃんは誇りを持って歌っているはずだもん。『夏の音楽フェス』というはじめてのステージで、歌を歌いたかったにちがいないんだ。

 フェスが終わった今、わたしが玲奈ちゃんに言ってあげられることはなんだろう。

 よく考えて、ぴったりに思える言葉を見つけて、わたしは声を出した。

「本当にありがとう玲奈ちゃん。あのね、やっぱり、わたしたちのボーカルは玲奈ちゃんだけだと思うの!」

 この言葉は、ウソじゃない。

 奏くんと歌うのは楽しかったし、新鮮な気持ちになった。

 でも玲奈ちゃんが歌わずにいるのは、パズルのピースが1つたりないみたいに、心のどこかがさみしい。

 玲奈ちゃんが歌って、わたしたちが演奏で歌を支えるときは、今たりないピースがカチッとはまって、パズルが完成するんだ。

「秋帆……ふふっ。ありがとね」

 わたしの言葉に、玲奈ちゃんはうれしそうに笑ってくれた。

「あっ、あのさ……」

 わたしたちの会話が終わったところで、奏くんが口をひらいた。

 奏くんの目線の先にいたのは、わたしたち全員だ。

「今までの時間、すごく有意義だったよ。秋帆ちゃんと仲直りできたのもそうだけど、それだけじゃなくて……」

 奏くんは言葉を探しながら話しているのか、話すスピードがゆっくり。今までのように声は小さくない。

 いつからか奏くんの声が聞き取りやすくなっていたことに、今さら気がついた。

「フェスで歌わないかって言われたとき、できるわけないと思った。人前で歌うのは緊張するし、こわいし……。でも、みんなが僕の手を引いて前に進ませてくれた。今日たくさんの人の前で歌って、はじめは緊張してたけど……でも、楽しかったんだ。緊張なんて、どっかいっちゃった。みんなが笑ってくれているのを見たら、すごくすごくうれしかった」

 奏くんの表情が、コロコロ変わる。

 はじめは無表情に近かったけれど、優しい笑顔をうかべた。

 と思ったら、目をかがやかせて満面の笑みを見せた。

 奏くん、楽しかったんだね。

 演奏しているときも、わたしに今までにないくらい明るい表情を見せてくれた。

「そりゃあよかった! あ、でも1ついいか? 奏が前に進めたのは、奏ががんばったからだろ。俺たちは奏の手伝いをしただけだよ」

 玲央くんはニーッと口を大きく広げて、奏くんと笑い合う。

「僕が、がんばったから……」

 奏くんは目を丸くして玲央くんを見つめたあと、少しうつむいた。気が抜けたように、やわらかい笑顔だ。

「あとね、上手に言えなくても、一生懸命話せば気持ちが伝わるんだってわかった。今までずっと、話すことが重荷になってたんだ。ちゃんと話さなきゃダメだと思ってたから、頭の中で話すことをグルグル考えて、けどその間にみんな別の話題にうつっちゃってて、僕だけ置いてけぼりで……。だから、無口くんって言われるくらい口数が少なくなっちゃう」

 話を聞いて、わたしは過去と今の奏くんを比べてみた。

 フェスの練習を始める前の奏くんは、全然しゃべらなかった。一回で口にする言葉の数は少なくて、誤解を生むこともあったと思う。

 フェスを終えた今の奏くんは、こうして自分の気持ちを声にしている。みんなに比べると話すペースはおそい。けれど、それは奏くんが、一言一言を選んで話しているということ。

 だからこそ、3人以上の人数で話すときは、みんなの話についていけなくなっちゃうんだ。

「でもねっ、玲央くんと玲奈ちゃんと秋帆ちゃんは、僕に話す時間をくれて話し終わるまで待っててくれるし、言葉につまったりして時間がかかっても嫌な顔ひとつしないから、すごく話しやすいんだよ。だからね、その、ありがとう」

 ありがとう、と言うときだけ、声が少し小さく聞こえた。

 奏くんの目の下が、ほんのり赤くなっている。

 お礼を言うのが、照れくさかったのかな……なんてね。

 わたしたちは絶対、奏くんを仲間はずれにしない。

 当たり前のことだと思っていけれど、奏くんにとっては当たり前じゃなかったんだ。

「僕、もう前とはちがうよ。学校の子とも、みんなと同じように話せるようになる。それで仲良くなって、あとは無口くんって呼ばれないようになる……!」

 奏くんは両手をグッとにぎって、力強く言いきった。

「わたしも手伝うよ!」

「そもそも、奏は無口じゃないよね。あたしたちの前では、けっこう話すし」

「いや、無口ではあると思うぞ……。でも、それが奏。だから、今すぐ変わろうとしなくていいと思う。少しずつ、みんなの前で話すことに慣れていったらいいんじゃないか?」

「うん。そうだね」

 わたしたちがそれぞれの思いを口にすると、奏くんはニッコリ笑った。

 話が落ちついたところで、玲央くんが右手をあげた。

「ところで、相談があるんだけど」

 相談?

 わたしは、奏くんと玲奈ちゃんと顔を見合わせた。

「今日、フェスに参加してみて思ったんだ。今までバンドは趣味でやってたけど、もっと真剣にやってみたいなって」

「……あたしも思った」

 玲央くんの言葉に、玲奈ちゃんがうなずいた。

 わたし、そんなこと頭のすみっこにすらなかった……。

 そう思いながら、奏くんに目を向ける。

「奏くん、思ってた……?」

「……」

 奏くんは無言で首をよこにふる。

 わたしだけじゃなくて、よかった。

「秋帆と奏はどうだ? 俺の話を聞いて、どう思った?」

「……うん。わたしも、いいと思うな」

「僕も、賛成……」

 わたしたちが首をたてにふると、玲央くんと玲奈ちゃんはパァッと顔をかがやかせた。

「じゃあさ、これからのこと考えようぜ!」

「いいね!」

「どこで考えるの?」

「あー……帰りながら!」

「……その前に、やること終わらせよう」

 ハイテンションなわたしたちを針でつつくように、奏くんだけが冷静な声で言った。

「もっ、もちろん! わすれてないからな」

 玲央くんのあわてた言葉に、わたしと玲奈ちゃんはコクコクする。

 フェスのお片付けとか、やらなきゃいけないことがまだまだいっぱいあるって、忘れてないからねっ。

「さあ、やることやるぞー!」

 玲央くんのかけ声に、わたしたちは「おーっ!」と右手を空に突き上げたのでした。

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