第8話 僕らのステージ

「奏くん! 歌えた!? 歌えたね!!」

 そのとき秋帆ちゃんは、僕――初音奏が歌えたことを、まるで自分のことのように喜んでくれた。

 顔いっぱいに笑顔を広げ、僕の両手をにぎって跳びはねた。

「う、うん、え、今歌った?」

 最初は状況に頭が追いつかなかった。

 だれかの前で歌ったのは初めてだったから、信じられなかったんだ。

 本当に歌えたんだってわかったのは、玲央くんと玲奈ちゃんが笑顔で駆けよってくれたから。

「奏、進めたな! すごいよ!」

「おめでとうだね! 奏が歌えてうれしい!」

 2人も秋帆ちゃんと同じように心から喜んでくれていて、僕の気持ちも喜びに満ちあふれた。

 ――ふつうなら、歌えることは立てて当然のスタートラインだ。僕のように、スタートラインに立つことさえままならない人は、ボーカルに向いていないだろう。

 さらに今回参加するフェスは、アサガオとして初めての大きな舞台。今まで趣味程度に気楽にやってきたバンドが、その気楽さを投げ出してチャレンジする舞台だ。

 玲奈ちゃんは、本当は悔しかったんじゃないかと思う。

 フェスで歌いたかったのは玲奈ちゃんのはず。でも、僕らに歌を任せてくれた。ボーカルのスタートラインにすら立てない僕を、何度もはげましてくれたんだ。

 みんなは僕に笑いかけてくれた。「遅い」とか「やっとか」とか、トゲのある言葉は1つも言わなかった。

 みんな、すごく優しくて……。だから思ったんだ。

「本番を絶対にすばらしいものにしよう」と。

 この気持ちは、僕を支えてくれたみんなへの恩返しだ。


 みんなの前で歌えた日から2週間がたった。

 この2週間、毎日何時間も練習した。みんなで練習する時間が終わっても、自主練を続けた。

 はじめは震えてばかりだった声も、練習を重ねるごとに安定してきて、僕だって歌えるんだと自信がついてきた。

 今日は夏の音楽フェス当日だ。

 空を見上げるとスカッとした晴天。彩度の高い青い空と、ひつじのように真っ白でモコモコした雲は、だれもが想像する夏の象徴だ。

 フェスの出演者には、小学生から大人まで幅広い年齢の人がいた。僕らのようなバンドだけじゃなくて、ダンスグループもいれば、たった1人で胸をはって歌う人もいてカッコイイと思った。他にも、インストという歌がない楽器だけの曲を披露した人たちもいる。

 次は僕らアサガオの出番。用意を終えてステージに立ったところだ。

(う、すごい人……)

 フェスの会場に集まっているたくさんの人を目にして、僕はシャツのすそをグシャリとにぎった。

 今日の服は、みんなでおそろいのTシャツだ。発案者は玲奈ちゃんで、バンドらしく見えるかららしい。

 おそろいの服っていうのは少し恥ずかしかったけど、実際に着てみると意外にしっくりきた。それに、このTシャツをとおしてバンドメンバーとつながっているみたいで、離れていてもだいじょうぶな気がした。

 けれど大勢の人を目にすると、そんな気持ちはしぼんでしまった。

 僕らの出番じゃないときにも人が多いと思っていたけれど、こうして演奏直前になると余計に気になってしまう。

(こんなにたくさんの人がいる前で歌うのか……)

 ドクンドクンと暴れはじめた心臓を、大きく深呼吸しておちつけようとするけれど、思いどおりにいかない。

 時間が近づいてくると、落ちついてくれるどころか、もっとひどくなってしまった。

 いつもこうなんだ。いっぱい練習したのに、練習どおりにいかない。こんな性格の自分が、嫌になってしまう。

 逃げ出したい。

 こんなところにいたくないよ。

 失敗したら――なんて嫌な想像が頭に広がる。

 兄さんが言ってくれた『失敗していい。後悔していい。とにかく全力で楽しめ!』という言葉も、今の僕には意味がないように思えてきた。

 みんなに恩返しするって、決めたのに……。

「奏くん」

 秋帆ちゃんが僕を呼ぶ声がして、ハッとその方を見た。

 僕のとなりにギターを持って立つ秋帆ちゃんは、強い目をしていた。見ていると、なんだか自信がわいてくるみたいだ。

「だいじょうぶだよ」

 にこっと笑顔を向けてくれて、僕の心臓が少しおとなしくなった。

(そうだ。きっと、だいじょうぶ。あんなに練習したんだ。今までとは、ちがうんだから)

 自分を勇気づけながら、僕から見て秋帆ちゃんよりも奥に立つ玲奈ちゃんに目を向けた。

 玲奈ちゃんは僕と目が合うと、うなずいて笑顔を見せてくれた。

 続けて、僕らの後ろでドラムスティックを持って、準備万端な玲央くんを見る。

 玲央くんも玲奈ちゃんと同じように、太陽のようにまぶしい笑顔を向けてくれた。

(僕は、ひとりじゃない)

 人の心って不思議だ。『自分はひとりじゃない、仲間がいる』って思うだけで、勇気が生まれてあふれてくる。

 さっきまで、あんなに不安でこわくてたまらなかったのに、今は前へ足を踏み出せそうな気がする。

 僕はキーボードに手を置いた。

 この鍵盤を押せば、もうもどれない。緊張して逃げたくなっても、演奏を投げ出すことはできないから。

 でも、だいじょうぶ。絶対できる。僕には仲間がいるんだ。

「――♪」

 演奏を始めると同時に、僕は声を出した。

 緊張のせいで、うまく声が出せない。

 僕の音に合わせて、みんなもそれぞれの楽器を弾いた。

 音が重なり合って、音色が作られていく。

「――♪ ――♫」

 僕と入れかわりで、秋帆ちゃんが歌った。

 声が少しふるえていて、練習のときよりうまく歌えていないみたいだ。だから、秋帆ちゃんも緊張しているんだって気がついた。ギターを弾く手がもたついていないから、やっぱり「ステージで歌う」という慣れないことがむずかしいのだろう。

 次にチラッと玲奈ちゃんを見た。

 玲奈ちゃんはいつもどおり、楽しそうにベースを弾いていた。もともとボーカルとベースをこなしていたから、役割が1つになって集中できているのかもしれない。

 玲央くんを振りかえって見ることはできないけれど、ドラムの軽快なリズムから、玲奈ちゃんと同様に楽しんでいるんだろうなと思う。

 玲奈ちゃんと玲央くんの2人は、僕とちがって人前に出るのが好きな性格だ。だから、楽しい気持ちが大きいのかも。

 ――秋帆ちゃんを見て思い出した。

 緊張するのは僕だけじゃないんだ。みんな、自分の気持ちと戦いながら一生懸命がんばってる。

 そんなあたり前のことを、すっかりわすれていた。

「――♪」

 僕は1音1音を大切に歌声と音をつむいだ。まわりが音であふれだす。僕が鍵盤を押して新しい音を世界に送り出すたびに、色とりどりの音符があらわれた。

 気がつくと、それまで目に入ってしかたがなかった大勢の人が、みんな姿を消してしまっていた。

 ステージの下にいる人が1人も目に入らなくなると、僕の緊張が解けて声の引っかかりもなくなった。

 この世界にいるのは僕のほかに、秋帆ちゃん、玲央くん、玲奈ちゃんの3人。

 練習していたときと同じだと思ったら、リラックスできた。

 僕らだけの世界で、自分の声をのびのびと響かせる。

(楽しい!)

 心のもやもやはすっかり消え去った。

 玲央くんのドラムが、軽やかにビートを刻む。

 玲奈ちゃんのベースが、僕らの演奏を支えてくれる。

 秋帆ちゃんのギターが、みんなを音の世界にみちびく。

 僕もみんなの音と一緒に、キーボードの音色を奏でる。

 初めて音を奏でたときと同じ気持ちだ。

 とにかく楽しくて、世界がカラフルにかがやいて見える。

 ――そのとき、手拍子が聞こえた。

 不思議に思うと同時に、僕の視界いっぱいに人が見えた。

 みんな笑顔で、楽しそうに手拍子している。

 それを見て、緊張することはなかった。

 僕らのパフォーマンスで、こんなにたくさんの人が笑顔になったんだ。

 うれしくて、胸が高鳴って止められない。

 思わず、秋帆ちゃんを見た。

 秋帆ちゃんは僕に気がついて、花が咲くように笑ってくれた。

 演奏が終わると、大きな大きな拍手が鳴り響いた。名前も顔も知らない人たちが、僕らに拍手を送ってくれている。

 その中に、同じ学校の子がいることに気がついた。

 僕を「無口くん」と呼ぶ子たちが、ほかの人と一緒に楽しそうにしている。

 秋帆ちゃんも気がついたらしい。退場するとき、僕に小さな声で言った。

「奏くん、あの子たち、学校の子だよね?」

 ちょっと心配そうにしているのは、僕をあだ名で呼ぶ子たちだからだと思う。

「うん。……見てもらえてよかった」

 これは本音だよ。

 フェスをきっかけに、みんなと仲良くなれたらいいな。

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