第6話 本当の話

 奏くんと玲央くんが部屋を出ていってしまって、わたしと玲奈ちゃんは練習を再開した。

 奏くんのことは心配だけど玲央くんに任せることにしたから、わたしたちは部屋に残って2人を待つしかないんだ。

 でも、1人で練習するのは気が進まない。それは玲奈ちゃんも同じらしくて、ベースを持ってわたしのとなりにならんだ。

「玲央と奏はまだ帰ってこないっぽいよね。奏の説得には時間がかかるだろうし。でさ、練習しようにも秋帆はボーカル初めてでしょ? あたしが秋帆の練習を手伝うことにするよ」

「わあ、うれしい! 玲奈ちゃん、ありがとう!」

 わたしは素直にお礼を言って、歌を見てもらうことにした。

 玲奈ちゃんに見てもらえると、1人で練習するときの何倍も成長できそう!

「まずは歌ってみて。フェスでは奏と分担して歌ってもらうけど、今は奏がいないから全部1人で歌ってくれる?」

「うん」

 玲奈ちゃんに言われたとおり、奏くんとの歌詞の振り分けは気にせずに歌った。

 大好きな曲で毎日聞いていることもあってか、なんなく歌うことができた。音程も歌詞も、ちゃんと覚えている。

「いい感じ! それに、聴いていて楽しいね。秋帆の声はほんわかしてるけど力強さも感じる。あとは声量が足りないかな……」

 玲奈ちゃんがあごに手を当てて少しうつむいた。

「そうだよね……」

 わたしの声量がどのくらいあるか自分ではわからないけれど、少なくとも玲奈ちゃんより出ていないのは確実だ。

 こんなんじゃ、フェスの本番で歌ったときに声が楽器の音にかき消されて、フェスを観に来た人たちに歌をとどけることができない。

「どうしたら大きな声が出せるの?」

「おなかに手を当てて呼吸してみて。息を吸ったときにふくらんで吐いたときにへこめば、腹式呼吸ができているから。その状態で歌えば、大きな声が出せるの。あとは、のどが開くように高い音も地声で出すようにしてみるといいよ」

 腹式呼吸は、中学校の音楽の先生がよく言っていることだ。

 初めての授業で教えてもらった呼吸法だけど、むずかしくて上手にできない。

「腹式呼吸のコツってある……?」

「んー……。とにかく練習しよう。あたしは先生じゃないから、いいアドバイスはできないよ。ごめんね」

 玲奈ちゃんは困った顔をしたあと、わたしに謝った。

「ううんっ、とにかく練習だね! わたし、がんばる!」

「がんばれ……と言いたいところだけど、一度フルで歌ったばかりだし、いったん休憩しようか」

 玲奈ちゃんがそう言った、ちょうどそのときだった。

 部屋のドアがガチャリと音をたてて、勢いよくバーンと開いた。

 どこかへ行っていた玲央くんと奏くんが、部屋に帰ってきたんだ。

「もどってきたぜー!」

 玲央くんは元気にかけ足でやってきた。

「ちょっ、れ、玲央くん、まってよ」

 奏くんはコソッと部屋をのぞきこんで様子を見たあと、そうっと忍び足で入ると玲央くんの背中に隠れて立った。

 玲央くんの肩から、ひょっこり顔をのぞかせている。

 玲央くんはそんな奏くんを見て苦笑いした。

「平気だよ。知らない人じゃないだろ?」

「そ、そうだけど、なんか、その、気まずいというか……」

 さっきは部屋を飛び出していっちゃったもんね。

 わたしが奏くんの立場だったら、みんなになんて言われるかわからなくて、不安になっちゃうかもしれない。

 でも、そんなに気にしなくていい。

 わたしも玲奈ちゃんも、奏くんを責めたり傷つけたりしないから、安心して玲央くんの背中から出てきてほしいな。

 わたしはそう思って、奏くんに近づくと声をかけた。

「奏くん、だいじょうぶ? わたしと玲奈ちゃん、奏くんたちが帰ってくるのをまっていたんだ。一緒に練習はじめよう!」

「あ、秋帆ちゃん……。……うん。だ、だいじょうぶ、だよ。ありがとう。練習、しなきゃね」

 奏くんはビクッと大きくふるえたあと、ぎこちなくうなずいた。

 少し目が合ったけれど、そらされてしまう。でも、前よりは目が合う時間が長くなったと思うのは、きっと気のせいじゃない。奏くんとの距離が少し戻ったようで、うれしいな。

「奏、秋帆に話すんだろ」

 わたしと目を合わせなくなった奏くんに、玲央くんが小さな声で言った。

 奏くんからわたしに話すことって、いったいなんだろう。

「うん」

 奏くんは大きくうなずいたけれど、顔がこわばっている。

 玲央くんの背中から出てくると、わたしの正面に立った。

 ゆっくり深く息を吸って、少しずつはいた。

 ためらいながらも、わたしの目を見つめる。

「練習をはじめる前に、秋帆ちゃんに話したいことがあるんだ」

 落ち着いた声のトーンで、1文字ずつていねいに言葉を発した。

 いつもなら最初の言葉をくりかえしたり、「あ」とか「えっと」とか、とくに意味のない単語で言葉をつないだりするのに今はしなかったから、わたしはおどろいてしまった。

「秋帆ちゃんが僕に『一緒に歌おう』って言ってくれたとき、歌わないでごめんなさい」

 ビュンッと風を切る音が聞こえてきそうな速さで、奏くんは頭を下げた。

「か、奏くん、頭上げて! そんなことしないで。だいじょうぶだから」

 わたしはあわてて奏くんに言った。

 友だちに頭を下げられちゃうと、どういう対応をしたらいいのかわからないよ。

 奏くんは、わたしが言ったとおり頭を上げてくれた。

「秋帆ちゃんと歌うのが嫌だから『ごめん』って言ったんじゃないんだよ。僕は歌うの好きだし、秋帆ちゃんと一緒に歌いたいって思う。今まで秋帆ちゃんから目をそらしてたのは、ひどいことをしたのに前と同じように話すのが、気まずかったからなんだ」

 いつもよりも大きな声で一生懸命伝えてくれる奏くんの言葉で、わたしの胸がポカポカとあたたかくなった。

 わたしと歌うのが嫌じゃないというのは、練習をはじめる前に奏くんの口から聞いた。

 けれど、わたしと一緒に歌いたいと思ってくれているなんて知らなかった。

(でもそれなら、どうして一緒に歌ってくれないんだろう……)

 わたしのモヤモヤした気持ちが、顔に出ていたのかもしれない。

 奏くんはキュッとくちびるを真一文字に引き結ぶと、少しだまった。心臓を服の上からつかんで、ゆっくり口をひらく。

「秋帆ちゃんにだけ、言ってないことがあるんだ」

「わたしにだけ……?」

 どうして――と思ったけれど、心当たりがあった。

 心当たりというのは、わたしは小学6年生に進級するのと同時に、奏くんたちの学校に転校してきたこと。

 ひとりぼっちだったわたしに、最初に声をかけてくれたのが玲奈ちゃんだった。

 それから玲央くんと奏くんとも仲良くなって、一緒に過ごすようになったんだ。

 3人には、わたしが知らない思い出がある。

 みんな6年生より昔の話はしないけれど、それはきっとわたしに気を使ってくれていて、わたしがいないところでは思い出話をして楽しんでいるんだろうなって思うことがあるんだ。

 わたしが知らないことの中に、奏くんが今から話そうとしていることがある。

「言わなきゃとは思ってたけど、うまく話せる自信がなくて……。で、でもっ、今度はちゃんと言う。だから、ちゃんと聞いてほしい」

「うん。一言も聞きのがさないようにするよ」

 わたしが強くうなずくと、奏くんはかたい表情をやわらかくした。

「実は僕、人前に立つのが苦手なんだ。たくさんの人の目に見られることが、すごくすごく緊張して……。みんな同じだから平気って思ってみるけど、それでもやっばり何もできなくなる。頭が真っ白で動けないんだ。そのせいで、ただ立っているだけの様子を見られ続けることになって、もっと緊張して……。でも、バンドはだいじょうぶなんだよ。みんなボーカルの玲奈ちゃんを見るから、僕は気にもされないって思ったら、なんだかすごく楽になる」

 奏くん、注目されることが苦手なんだ……。全然知らなかった。

 授業で手を挙げなかったり、音楽の授業で歌うときに口パクに見えるくらい小さな声で歌ったりするのを見て、おとなしい性格なんだと思っていた。

 けれどそれだけじゃなくて、苦手だから避けていたんだね。

 わたしも苦手なことには触れたくないから、ちょっとわかるな。

「歌うのは、もっと無理。……というか、こわいかも。いろいろ考えちゃうんだ。音程をまちがえたら、声が裏返ったら、歌詞をまちがえたら……そもそも緊張で歌いだせなかったら、僕はきっと笑い者になって――」

「そんなことない」

 気がつくと、わたしは奏くんの言葉をさえぎっていた。

 奏くんはおどろいたように目を見開いて、わたしを凝視している。

「音程や歌詞をまちがえても、声が裏返っちゃっても、だれも奏くんを笑わない。緊張して歌い出せなくても、歌いはじめるまでまってくれる。みんな、きっと応援してくれるよ。笑いものになんて、絶対にならない」

 わたしが強く言い切ると、奏くんはポカンとしたあと「もー……」と言いながら笑った。

「話、最後まで聞いて。秋帆ちゃん、人の話聞かないところあるよね」

「あっ! ごめんね、つい……」

 奏くんが暗い未来の想像をしていることが、すごく嫌だった。

 奏くんの可能性をつぶしてしまっているし、もし現実でそんなことが起こってしまったらと思うと、いたたまれない気持ちになったんだ。

 わたしが頭を下げると、奏くんは「ううん」と首をよこにふった。

「あのね、こわいとか僕にはできないとか、ネガティブなことばかり考えていたけど、やってみなくちゃわからないと思ったんだ。さっきは上手くできなくて逃げちゃったけど……みんなが僕を応援してくれるから、今度こそがんばって歌うよ。だから、その……秋帆ちゃん、僕と一緒に歌ってください」

 奏くんはグッとこぶしをにぎって話したあと、わたしに右手を差し出した。そしてからだを45度に曲げた。

 わたしはとってもうれしくなって、奏くんの手を両手でにぎった。

「うんっ! 一緒に歌おう!」

 奏くんはバッと頭を上げる。

 みるみるうちに表情がキラキラとかがやいて、顔いっぱいに笑顔を広げた。

「仲直りできたみたいだね」

「ああ。よかった」

 奏くんと笑い合っていると、玲央くんと玲奈ちゃんが話す声が聞こえてきた。

 2人とも、すっかり安心した声をしている。

「奏くん、練習しよう!」

「うん。まずは声を出せるように、がんばるよ……!」

 見たことがないくらい意気込む奏くんを見ていると、もっとがんばらなきゃと思った。

 フェスに向けて、たくさん練習しなきゃ!

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