第5話 素直な気持ち
部屋を飛び出した奏を、玲央はすぐに追いかけた。
玲央は体育が得意だ。クラスでの足の速さの順位は上から数えたほうが早い。そんな玲央とちがって、奏は体育が苦手で足もそんなに速くない。奏は部屋を出てすぐ玲央に追いつかれた。
「奏まって。だいじょうぶか?」
玲央はうつむいて自分をふりかえらない奏に、そっとやさしく声をかける。手をつかんだり、奏の道をふさぐように立ちはだかったり――そんな乱暴なことは絶対にしない。
奏は「まって」と声をかけられるとすぐに足を止めたし、玲央は奏の味方でいたいからだ。大切な友だちを傷つけたくない。
奏が部屋を飛び出した理由は、本人が言わなくてもわかる。こうなることも、奏に歌ってもらうという案が出たとき、玲奈とふたりで予想していた。だから、おどろいたり不安になったりはしていない。
「……っ」
奏は息をつまらせながら顔をあげた。目のはしに、じわじわ涙がうかぶ。玲央と一瞬だけ目をあわせたけれど、すぐに足元を見つめてしまった。
「ごめん、なさい……。や、やっぱり僕、歌えないよ……」
ふるえる声で、言葉をとぎれさせながら首をよこにふる。
「……あー…………うーん、そっかぁ……」
玲央は頭をかいた。
(こういうとき、なんて言ったらいいんだっけ?)
はげますことはできても、なぐさめたり寄りそったりするのは、むずかしくて苦手だ。
涙が出るほど苦しんでいるのに「きみなら、きっとだいじょうぶ!」と言ってむりやり背中をおすのは、今ではないように感じる。友だちとして大切なことのひとつだと思っているけれど。
「それじゃあさ……、なんで歌おうと思ったんだ?」
できないことが今すぐできるようになることはありえないので、話を少し変えることにした。
今までの奏なら、玲央たちの誘いをことわったはずだ。人前に立つのが苦手で、目立つことをさけるクセがある奏は、玲奈の「秋帆と2人で歌わないか」という誘いを受けなかっただろう。
でも、今回は勇気をふりしぼってくれた。奏が勇気を出したことは、玲央だけではなく玲奈も秋帆も気づいているにちがいない。
「そ、それは……兄さんが、背中をおしてくれたから……」
「へえー。奏のお兄さん、優しいもんな」
ポツリとつぶやくように話す奏に、玲央は大きくうなずいた。
奏はいろいろと考えすぎてしまう子だから、大げさに反応して感情をめいっぱい表に出すほうが、安心してもらうことができるのだ。
「うん、優しくてたよりになる。兄さんが『失敗していい。後悔していい。だから全力で楽しめ』って、言ってくれたんだ。それで勇気づけられて、チャレンジしてみようって思った」
玲央がうなずきながら話を聞くため、奏の声がはずみはじめた。うつむいていたけれど、元気が出てきたのか顔をあげて玲央と目をあわせて、いつもどおりのやわらかい笑顔を見せる。
「そっか。めちゃくちゃいい言葉だな。俺もそう思ってがんばろっかなー」
玲央は何度も首をたてにふって、ニッと歯を見せて笑う。
「それがいいよ。僕もそれでがんばれそうな気持ちになったから」
奏は玲央に賛成したけれど、すぐに「でも……」と表情をくもらせる。
「やっぱり、僕にはむりなのかも……」
「……どうして?」
奏の言いたいことがわかったけれど、玲央は何もわからないふりをして聞いた。玲央に言い当てられるよりも、奏自身の言葉を使って、心のなかで本当に思っていることをつたえてほしいと思ったからだ。
「どうして? ……どうして……か」
奏は目をパチパチして、ふせた。長いまつ毛が、瞳に暗い影を落とす。
「…………歌おうとすると、声が出ないんだ。きんちょうして、心臓がバクバクうるさくて胸が苦しくなって、酸素が吸えてない気がして……」
奏は胸に手をあて、服をギュッとにぎりしめた。苦しそうに顔をゆがませて、声をしぼりだす。
「歌うなんてむずかしいこと、僕にはできないよ」
また、うつむいてしまった。
(奏の言うことは理解できる。むりするのもよくない、けど……)
玲央の心は、奏に最後までがんばってほしい気持ちと、奏を楽にしてやりたい気持ちの間でゆれていた。
今は、がんばってほしい気持ちの方が強い。どうすれば、奏がボーカルに挑戦すると言い切ってくれるだろう。
玲央は心の中で考えて、ひとつの方法を思いついた。奏を嫌な気持ちにしてしまう。ひどい言葉を言わなければならない。
言いたくないけれど――やってみるしかない。玲央には、それしか思いつかないから。
「それってさ……チャレンジせずに逃げるってこと?」
「えっ――、ちがうよ! これはたぶん、逃げてるわけじゃない……と、思う。……玲央くん、知ってた? 考えるのとやってみるのは別物なんだよ」
一瞬声をあららげて、奏はひと呼吸おいた。ゆっくり口をひらくと、おちついた声音で言った。
「僕ね、想像してみるんだ。ステージに立って、キーボードを弾きながら歌う自分を。玲奈ちゃんみたいに、楽しそうに大きな声で歌う僕は、どうどうとしていて、キラキラかがやいてる。思いえがくとおりの自分になれたなら、きっと――」
そこで、言葉を止める。
話しながら、少しずつかがやきを増していた瞳は、また暗く重たくなってしまった。
「……僕の性格で何言ってるんだって感じだよね。ちゃんとできないのに、夢ばっかり語ってごめん」
「いいや、こんな自分になりたいって思うのは、すごくいいことだよ。想像するすがたが本当の自分とちがっても、それって悪いことじゃなくて、めちゃくちゃ大切なことじゃないかな……って、俺は思う」
玲央は言葉をていねいに選びながら話した。
玲央にも経験がある。
あれはたしか、小学校低学年のときのこと。たまたま、バンドの生演奏を見る機会があった。そのとき玲央の心をうばったのは、ボーカルでもギターでもなく、ドラムだった。
あの人のように、ドラムをかっこよくたたけたら――。
大きなあこがれを抱いて、練習を始めた。
最初はわからないことだらけで、まったくできなかった。あこがれの人にとどきそうになくて、想像する自分になれる気がしなくて、くじけそうになったこともある。
それでも、玲央は練習をやめなかった。毎日続けて、できることが増えた。少しずつだけど、前に進むことができた。
まだ、想像上の自分にはとどかない。あこがれの人に手をのばしても、背中すら見えなくて空気をつかむだけだ。
けれど、だからこそがんばろうと思える。なりたい自分を目標に、レベルアップできる。
『こんな自分になりたい』と思うのは成長するために必要な気持ちで、絶対に失くしてはいけない心持ちだと、玲央は考えるのだ。
「なあ奏。できないって決めつける前に、一歩進むことを目標にがんばってみないか? みんなが認める『できる』まで進まなくていいよ。奏自身が『できた』って思えるところまで、どんなに小さな歩幅でもいいから歩いてみよう。俺たちが奏のそばにいるからさ」
声を出すことができた。ワンフレーズだけ歌うことができた。そんな小さな「できた」を積み重ねて、できることを増やしていってほしい。
玲央の気持ちがつたわったのか、奏はいつの間にか暗い表情ではなくなっていて、玲央に向けてほほ笑んだ。
「……玲央くんには、いつもはげまされるよ。明るくてやさしくて、太陽みたいにまぶしくて……、玲央くんの言葉で勇気が出てくる。ありがとう」
ありがとうと言われて、玲央の胸があたたかくなった。自分の言葉がとどいたと感じた。
「もう一度がんばってみる。前に進めたら、僕も玲央くんみたいになれるかな……?」
「ああ、なれるよ」
奏が言う「玲央くんみたい」が玲央の何をしめしているのか、玲央にはわからなかった。けれど、玲央は強くうなずいた。
「そっか……!」
奏はうれしそうに笑う。
それから、思い出したように口をひらいた。
「ねえ、玲央くん。きいてもいい?」
「ああ、いくらでもきいてくれ。なんでも答えるぜ」
玲央は、ドンと自分の胸をたたく。
「秋帆ちゃんと僕のふたりで歌わせたい理由って、先月のいざこざを解決して、仲直りさせるためだよね?」
「あ、やっぱりわかった? そうだよ」
奏の質問に、玲央はうなずいた。
秋帆と奏がギクシャクしだしたのは、奏が秋帆と歌わなかったことが原因。歌えない本当の理由を言わずに謝るだけですませてしまったから、秋帆は自分が嫌われているのだと勘ちがいしてしまった。
奏が秋帆を嫌っていないことは、練習前の会話でつたわっただろう。でも、まだたりない。1ヶ月前、どうして秋帆と歌うことを拒否したのか――その理由を、秋帆につたえなければならない。ふたりで歌うことによって言葉だけじゃないと知ってもらい、完全に仲直りすることも必要だ。
(でも、それだけじゃないんだよな)
玲央は心のなかでつぶやく。
もうひとつ、わすれてはいけない理由がある。それには奏自身に気がついてほしい。
「……玲奈ちゃん、本当はフェスで歌いたいんじゃないのかな」
奏のつぶやきに、玲央は目を見開いた。
――玲奈は、秋帆と奏のふたりにフェスでのボーカルをお願いするという話が出たとき、複雑な表情をして言った。
「秋帆と奏にボーカルをゆずるの、フェスだけだとしても嫌だな……」
それから、あせった顔で早口になり玲央に聞いた。
「バンドのボーカルは秋帆と奏っていうイメージがついちゃって、あたしが歌いづらくなっちゃうとかないよね?」
(そんなことをきかれても、なんて言えばいいのか……)
玲央は言葉につまってしまった。まさか、玲奈がそんな不安を持つことになるなんて、考えてもみなかった。
「……だいじょうぶ。俺たちのボーカルは、何があっても玲奈だからさ。今回だけは、奏と秋帆に任せてほしい」
結局、玲奈が求める答えを言うことはできなかった。
「……わかったよ。今回だけだからね。あたしも、秋帆たちに仲直りしてほしいし、奏にステップアップしてほしいから……」
玲奈は複雑な表情のまま、小さくうなずいた。
――あのとき、玲奈にどう声をかければよかったのか、玲央は今もわからない。
「僕たちにボーカルを任せてくれるって言ってる玲奈ちゃんの分まで、がんばらないとね」
どうやら、奏はかなりやる気になっているようだ。
頼りになるなぁと思っていると、なぜか奏がしゅんとしてしまった。
「でも……その前に、秋帆ちゃんと話さなきゃ。なんて言えばいいのかな……。秋帆ちゃんと歌うのは嫌じゃなくて、えっと、僕がただ歌えないだけで……、あっ、歌えないのは緊張しちゃうからで……。うぅ、玲央くん、どうしよう……」
奏は瞳をうるうるとうるませて、玲央に助けを求めた。
「上手に話そうとしなくていいんだぞ。自分の言葉で一生懸命話したら、きっとつたわるから」
「そうかな……。そう、だよね」
奏は不安そうにしながら、首をたてにふった。
「もどろう。秋帆と玲奈がまってる」
「……うん」
玲央が言うと、奏はコクっとうなずいて大きく深呼吸した。
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