第3話 相談
奏は玄関で3人が帰るのを手をふって見送り、すがたが見えなくなると小さく息をこぼした。
(僕が、秋帆ちゃんと歌う……。そんなの……)
「できっこないよ……」
奏はおくびょうだ。人前に立つことが苦手で、そのうえ歌うなんて考えられない。だれよりも仲がいい3人の前ですら、ワンフレーズも歌うことができないのに。
「わたしと歌うのが嫌なの……?」
1ヶ月前、秋帆に投げかけられた言葉が、頭の中で反響する。
ちがう、と記憶の中の秋帆に言っても、本人にはとどかない。
あのとき秋帆がうかべた悲しそうな表情が、奏の記憶にこびりついて離れなかった。秋帆を見るたびに、あの顔を思いだしてしまう。
(歌わないって言ったら、また傷つけちゃう)
それは絶対に嫌だ。大切な友だちを、ふたたび傷つけるなんて。
けれど、奏はどうしても歌えない。歌うことは、ハードルが高すぎて飛び越えられない。
友だちを守るか、自分を守るか――。
奏にとって、どちらか1つを選ぶことはむずかしい。どちらも手にすることができたら苦労しないのに。
今のように道に迷ってしまったとき、奏は自分を理解してくれる味方のもとへ向かう。
奏の兄はいつも部屋でギターを弾きながら歌っている。
今日の曲はしっとりしており、ギターが悲しんでいるように聞こえた。同時に、兄の歌声が奏にやさしく響いた。
兄が1曲弾き終わるまで、ドアにもたれかかり目を閉じて、兄によってつむがれる音に聴き入った。
数分たつと、音が消えた。
「……兄さん」
コン、コン、コン、とドアをノックして、声を張った。普段話さないためか、のどがふさがってしまっていて声を出しづらい。
「はいー」
兄の返事が聞こえて、奏はドアを開けた。
部屋にいたのは、ベッドに腰を下ろしてギターを抱えた、ジャージすがたの兄だ。長めの前髪を、ヘアピンで頭の上にとめている。外に出るときはシャキッとしているけれど、家にいるときはラフな格好をする。
今日のように友だちが家に来ることがあるのだから、もう少し恥ずかしくない格好をしてほしいものだが。
「そのジャージ……新しいの?」
「そ。気に入ったから買った。どうよ、これ」
兄は立ち上がると、両うでを大きく広げて新しいジャージを見せびらかした。今度はモデルのようにポーズを取って、奏にドヤ顔を向ける。
「…………」
なんと言えばいいのだろう。
一言で簡潔に感想をつたえるべきか、それともくわしく言うべきか。くわしく言うのならば、いいと思うところを数か所見つけなければならない。
……こんなことを会話のたびに考えるから、口数が減って「無口くん」なんてあだ名をつけられてしまうのだけれど、奏の性格上やめられない。
(あんまり考えていたら、兄さんのドヤ顔が持たないな)
奏は、簡潔に感想を述べることを決めた。
「……似合ってるよ、すごく」
「だろ?」
変な間があいたことを気にせず、兄はかがやく笑顔を見せる。奏もつられて笑った。
友だちや学校のクラスメイトと話すときは、おかしな間があいてどう思われただろうと考えたり、今の言葉は相手を嫌な気持ちにしなかっただろうかと不安になったりするけれど、兄と話すときは気が楽でいい。
「んで、どうした? 相談なら、いくらでも聞くよ」
ギターを壁に立てかけて、奏に向き合う兄。もう一度ベッドに座ると、自分が座っているとなりを右手で軽くトントンたたき、奏を座らせた。
「……ありがとう。……えっと、その……玲奈ちゃんに言われたんだ。秋帆ちゃんと、2人で歌わないか……って。しかもフェスのボーカル……」
話しながら、気分が沈んでいく。
玲奈と玲央が奏と秋帆を一緒に歌わせようとしている理由は、少し考えればわかることだった。
1ヶ月前のいざこざを、解決するため。そして、奏と秋帆の間に入ったヒビを直すためだ。
だからといって、いきなりフェスという大舞台で、歌に慣れない2人に歌わせるのはどうかと思った。それに2人は幼いころから奏と友だちで、奏の性格をよく知っているはずなのに。
「フェス?」
兄が首をかしげる。奏に「どんなフェス?」と質問する。
「あ……言ってなかったね。あのね、バンド組んでる4人で、夏の音楽フェスに出ることになって……今年から始まったフェスなんだ」
「ああ、そのフェスか。それなら知ってるぞ。地域で開催されるやつだろ? 俺も出たかったけど、あいにく時間が合わなかったんだよなぁ。そっか、夏の音楽フェスに出るのか。うん、いいんじゃないかな?」
フェスの説明をすると、兄は大きくうなずいた。
奏もついにそこまで成長したか、とうれしそうにほほ笑む。
うれしそうな兄を見ると、奏もうれしくなる。
けれど、これから話す内容を考えると、その気持ちは煙となって空気に溶けてしまった。
「…………出るのは、いいんだけど……歌うのは、怖いかな」
兄から目をそらして、自分のつま先を見つめる。
指を曲げたりのばしたりして、絶え間なく動かす。心臓がドキドキして、少しでも動いていないと落ち着かない。
「歌うのが怖い、か……。どうして?」
兄はやさしい声音で聞く。
「人前に立ったら、緊張して……」
「そうか……。だけど奏、演奏はできるんだろう?」
たしかに、人前は緊張するのに問題なく演奏できるのは変かもしれない。でもちゃんと理由はある。
「それは、だ、だって……緊張するけど、みんなが見るのは、歌ってる玲奈ちゃんで……僕はだれにも見られてないし……」
「そんなことはないぞ」
だんだん声がしぼんでいく奏に、兄はハッキリそう言った。
ついさっきまでの笑顔はなく、真剣なまなざしを奏に向けた。
「たしかに、一番注目されるのはボーカルの玲奈ちゃんかもしれない。だけど、奏を見る人がだれもいないだなんて、そんなことは絶対にない」
奏の肩をつかんで、しっかり目をあわせる。
「俺は、玲奈ちゃんがどんなにかがやいていても、その影で一生懸命がんばるお前を1秒たりとも見逃さない。父さんも、母さんもな」
「兄さん……」
胸が温かいやさしさに包まれた。
家族なんだからあたり前――と思ってしまえば、それまでだ。
だが、自分を見てくれる人がいるという事実は、奏の暗い心を照らすために十分であった。
「それに、お前の音は人の心を惹きつける」
兄は話を続けながら、奏の頭に大きな手を乗せた。
「人の、心を……?」
頭をポンポンとなでられながら、奏はきょとんとした。
自分はただ好きなことをしているだけで、誰かに気に入られようとしているわけではない。
「そこに惹かれるんだよ。純粋に音楽を楽しむ、そのまぶしさに」
むずかしい問題に行きづまったときのように首をかしげる奏に、兄がフッと笑った。それは決してバカにした笑いではなく、兄の包みこむようなやさしさが表れていた。
「俺は知っているぞ。奏は歌うことが大好きだ。人前で披露できる歌唱力は、十分に持っている。歌に自信、あるんだろ?」
「な、ない……と言えば、うそになる……」
歌うのは大好きだ。ピアノを弾いたときも、歌を歌ったときも、音楽の世界に全身で飛びこむことができる。
ステージに立って歌うときも、もしかすると同じかもしれない。
だが勇気が出ないのだ。
玲央のように、みんなを引っ張るリーダーになれたら。
玲奈のように、人前で自信を持って歌えたら。
秋帆のように、何事もおそれずにチャレンジできたら。
そう思うことはあるけれど、実現できたことはない。
「も、もし、失敗したら……歌詞をわすれたり、音程をまちがえたり、いつもみたいに、うまく歌えなかったりしたら……やっぱり怖いよ……僕にはむり」
舞台に立って歌う自分を想像するだけで、手がふるえて足がすくんでしまう。
そうすると悪い想像ばかりが頭にうかんでくる。
声が出ないかもしれない。たくさんまちがえて、笑いものになるかもしれない。
考えれば考えるほど、おそろしくてたまらない。
奏はギュッと目を閉じて、手で顔をおおいかくした。
「……奏」
兄の落ち着いた声が、奏を呼ぶ。
「失敗をおそれるな。失敗してもいいんだよ。たくさん練習して、それでもうまくできなかったときは、自分をほめてやるんだ。よくがんばったってな。そしてその失敗を次につなげるのさ」
奏は、ハッと顔を上げる。おどろいて見開いた目をしばたたく。
「失敗しても、いいの……?」
「ああ。やらない後悔より、やった後悔だ。『あのとき、ああしておけばよかった』って、やらなかったことを悔いるよりも、実際に行動にうつした結果の失敗を悔いたほうが、これから先、奏が生きていく中で役に立つ。それに単純な話、そのほうが気分がいいだろ?」
兄は太陽のような笑顔を見せて、親指を立てた。
(やらない後悔より、やった後悔……)
奏は心のなかで兄の言葉をくりかえす。
(失敗しても、いいなら……)
でもそれは、バンドメンバーにとってはどうだろう。奏の失敗が、みんなの思い出をよくないものにしてしまうのではないか。
そう思ったら、とたんに不安になった。
奏をだまって見つめていた兄は、そばに立てかけておいたギターを手に取り、奏にわたした。
「え、何」
「ステージに立つのは、奏だけじゃない。それを悪い方向にとらえるのは、仲間に悪いんじゃないか? 仲間は、お前を責めるためにいるんじゃない。助けるためにいるんだ」
兄の言葉を聞きながら、奏はギターに目線をおとす。
頭にうかぶのは、顔いっぱいに笑顔を広げて、楽しそうにギターを弾く秋帆のすがただ。
「失敗していい。後悔していい。とにかく全力で楽しめ!」
その応援が、奏の胸に火をともす。
(全力で、楽しむ……か)
すっかり、わすれていた。
音楽は楽しむものだ。玲央も玲奈も秋帆も、みんな音楽を楽しんでいる。もちろん、奏も。歌うことも、いつものように楽しめばいい。
「…………」
カチ、カチ、と壁にかけられた時計の秒針の音が、部屋に響いている。
その音が奏の決断をせかしているようにも、背中を後押ししているようにも聞こえた。
どのくらいだまっていただろうか。奏はグッとこぶしをにぎった。
「……うん。僕、やってみる。ありがとう、兄さん」
「おう!」
ニッと歯を見せて笑う兄に、奏も笑顔をかえしたのだった。
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