第2話 練習開始
十数分ほど歩くと、奏くんの家が見えてきた。
この地域の家としては大きい。白い壁は、暑い夏に見るとさわやかで涼しく感じる。敷地内は小石がつめられていて、踏むとジャリジャリ音がした。
奏くんは玄関を開けると、わたしたちを招き入れた。
「「「おじゃまします」」」
3人声をそろえて、くつを脱ぎ家にあがらせてもらう。ちゃんとくつをそろえたことを確認して、家の様子を見てみた。前に来たときと変わらない、相変わらず素敵な家だ。外観も綺麗だったけど、中もとっても清潔にたもたれている。
靴箱の上に置かれている花瓶には、色あざやかな赤い花が咲いていた。1ヶ月以上前、梅雨真っただ中の雨の日にここにかざられていた花とは別の花だと、ひとめで気がつく。なんていう名前の花か知らないけれど、だれが見ても美しい花だということだけはわかった。
家のいろいろなところから、ピアノの演奏や、ギターの音色と歌声、オルゴールの音……たくさんの音楽が聞こえる。
目を閉じてギターの音に耳をすませていると、パタパタ走る足音がして、目を開いたときにタイミングよく奏くんのお母さんがすがたを見せた。わたしたちを見るとやさしい笑顔をうかべる。
「奏おかえり。みんなも、いらっしゃい。うちにある楽器は好きに使っていいから。いっぱい練習してね」
「ありがとうございます」
玲央くんがだれよりも速くお礼を言う。玲奈ちゃんとわたしも、続いて頭を下げた。
おいでおいで、と手招きする奏くんについていく。2階にあがり、廊下のつきあたりの部屋に入った。
学校の教室より広いのではないかと思えるその部屋には、たくさんの楽器が置かれている。
「さっそく練習……と言いたいところだけど、先にエントリーシートを記入しないといけないんだ」
玲央くんがリュックからファイルを出して、その中から1枚の紙を取った。『夏の音楽フェス エントリーシート』と書いてある。
わたしたちは輪になって床に座り、玲央くんの話に耳をかたむけた。
「ここに、バンド名とメンバーの名前を書くんだけど、俺たち趣味でやってるだけだから、バンド名を決めてなかったんだよな。今の時間で決めたい」
そう言ったけど、楽しそうな表情ではない。バンド名を決めるのって、ワクワクするものだと思うんだけど……。
「それがさ、俺と玲奈で考えてみたんだけど、まったくいい案がうかばなくて。せめて今日、候補として持ってこれたらよかったのに……」
玲央くんは、ガックリ肩を落とした。となりに座る玲奈ちゃんも、同じように落ちこんでいる。
そうなんだ……それで困った顔をしているんだね。
「奏くん、何か思いつく?」
2人が思いつかなかったのなら、わたしと奏くんで考えてみないといけないよね。
ダメもとで奏くんに聞いてみるけれど、奏くんはわたしと目をあわせずにだまったまま。
4人で話すのはよくて、わたしと2人で話すのは嫌らしい。そう思ったら、チクリと胸が痛んだ。原因がわたしにあることはわかっているのに、心は正直だ。
「こんなイメージ! って、ワードがほしいな」
玲奈ちゃんがわたしたちに言う。
イメージ……か。
「飛ぶ、とか、跳ねる、とか?」
もっとレベルアップしたいと、いつも思っている。
それを単語に言いかえてみたらいいと考えたけれど、どうかな?
「いいね。飛ぶ、跳ねる…………ときたら、舞う!」
玲央くんがわたしの案を肯定して、次の案を出す。思いついたことがうれしいのか、ニッと口を左右に大きく開いて笑う。
玲奈ちゃんと奏くんはくりかえしコクコクして、目をかがやかせた。
日本語のままだと、バンド名にするには合わないかな。英語に変えてみよう。
「飛ぶはジャンプ。跳ねるは……バウンド、とか? 舞うはダンスかな」
ジャンプ、バウンド、ダンス……?
バンド名らしくしようとすると、難しいな。
「「たしかに……」」
玲央くんと玲奈ちゃんが同時にうでをくんで、同じ角度に首をかしげた。
「うぅー、いったん全部ボツ!」
ええ、やめちゃうの? 玲央くんったら、行きづまるといつもリセットしようとするよね。
「もっとこう、いい感じのがいいなぁ」
玲央くんは両うでを大きく広げて背中から床にたおれて寝転がる。
そう言われても、困るなぁ……。
「……アサガオ」
ポツリと息をはくようにつぶやいたのは、奏くん。
「アサガオ?」
「……気にしないで」
わたしが聞きかえすと、奏くんは首をよこにふってうつむいた。
もしかして、みんなに言ったんじゃなくて、心の中で思ったことを口に出してしまったのかな。
「待って。理由を教えてくれないか? ほら、名前にこめられた意味とかあるじゃん? そういうの聞きたいんだ。いいかな?」
ガバっと身を起こした玲央くんが、奏くんに言う。
その勢いにおどろいた奏くんは、ビクと大きく肩を揺らして、からだをのけぞらせた。
「あ、えっと……うん……。………………。アサガオは……空に、のびていくから……」
空に――そうだ。「飛ぶ」も「跳ねる」も「舞う」も、全部めざす方向は上。アサガオも、上をめざして育つよね。
「そっか、ありがとな! えっとつまり、俺たちはアサガオのように、高く大きく空に向かって――高みをめざして成長していきたい! ……でいいかな?」
玲央くんが聞くと、奏くんは何度も大きくうなずいた。
「奏の案、俺めちゃくちゃ賛成なんだけど、玲奈と秋帆はどう思う?」
「うん、いいね!」
「もちろん、すっごくいいと思う!」
玲央くんの言葉に、玲奈ちゃんとわたしは勢いよくうなずいた。
「だってさ、奏」
奏くんは言葉を口にしない代わりに、ブンブン首をたてにふる。
「よーし、じゃあバンド名は『アサガオ』……」
玲央くんは、さっそくエントリーシートに記入していく。
「メンバーは、
書き終えるとボールペンを置いて、みんなにエントリーシートを見せる。
玲央くんの言うとおり、ちゃんと記入は終わっていた。
みんなで確認し合ったあと、玲央くんがエントリーシートをファイルにもどして、リュックにしまった。
「エントリーシートは俺が帰りに出してくるよ。そんじゃあ、今から練習しよう!」
「「おー!」」
わたしたちは立ち上がって、右手を天井につき上げた。
わたしはギターを用意して、3人に目を向けた。
玲央くんはバンドを始めたころから使っているドラムスティックを手に、部屋にあるドラムを借りてたたいている。玲奈ちゃんはベースのチューニング。奏くんはキーボードでフェスの曲を弾いている。わたしもチューニングをしよう。
今から練習する『絆』は、わたしたちが初めて演奏した曲だ。初挑戦ではないから、なんとかできる気がする。
「よーし、試しに一回合わせてみようぜ!」
玲央くんの声がかかって、わたしたちはそれぞれの動きを止めた。
玲奈ちゃんが奏くんにうなずきかける。
奏くんはうなずきかえすと、キーボードの鍵盤を押す。美しい和音が響きわたり、その音を聞いて玲奈ちゃんが息を吸った。
「――♪」
玲奈ちゃんの歌とベースと同じタイミングで、わたしと玲央くんも楽器を鳴らす。
小米雪の『絆』は曲名からしっとりした曲の印象を受けるけれど、実際はまったくことなる。実はライブでノリノリになれる曲調で、カラオケで歌うと必ずと言っていいほど盛りあがる曲なんだ。
「――♪ ――♬」
玲奈ちゃんの力強くて芯がある歌声には、このままずっと歌を聴いていたいと思わされる魅力がある。
それでも、終わりはおとずれるもの。玲奈ちゃんの歌とベースも、玲央くんのドラムも、奏くんのキーボードも、わたしのギターも、最後の音を出し切った。演奏はおしまいだ。
「いいじゃん、いいじゃん! みんな息ぴったりだ!」
「ねえ玲央。ほめるのもいいけど、ところどころズレてるし、ミスもある。まだ上達できるよ」
瞳をかがやかせる玲央くんに対して、玲奈ちゃんはおちついて言う。
「わかってるよ。これからどんどん練習していこう」
玲央くんはニッと歯を見せて笑う。
それから緊張した面持ちになると、玲奈ちゃんとしっかり目をあわせる。
「……玲奈、例の話」
「うん。言ってみようか」
例の? いったい、何のことだろう。2人で何か話していたのかな。
首をかしげていると、玲奈ちゃんがわたしたちにからだを向けた。わたしと奏くん、それぞれと目をあわせて口を開く。
「秋帆、奏。フェスでのボーカル、2人でやってみない?」
シーン……と、その場が静まりかえった。
「……え? ええええっ!?」
「!?」
わたしは大声でおどろいて、奏くんは無言で目をまるくして口をあんぐり開けた。
「ちょ、ちょっとまって玲奈ちゃん! わたしと奏くんが、ボーカル? しかもフェスで!?」
「そう。2人に歌ってほしいの」
「でっ、でも、ボーカルは玲奈ちゃんの担当だし、それに……」
奏くんは、わたしと歌いたくないに決まってる――。
そう思うと、胸がギュウッとしめつけられた。
「秋帆の気持ちを聞かせて。奏と一緒に歌いたくない?」
「わたし、は……」
玲奈ちゃんに問われて、わたしは言葉をつまらせた。
1ヶ月前の、あの日のことを思いかえして。
あの日は、いつもどおりバンドの練習をしたあと、みんなで歌おうという話になった。
「楽器は〝モノ〟だけじゃないの。あたしたちの〝声〟も楽器だよ」と、玲奈ちゃんが言ったことがはじまり。
わたしは「奏くんと歌いたい」と思った。だから、奏くんに言った。
「奏くん、一緒に歌おう!」
「……」
奏くんはうつむいて何も言わなかった。
どうして?
そう思うと同時に、奏くんに向けたはずの笑顔はしぼんでしまった。
「歌うの、好きじゃないの?」
「……ううん」
不安な気持ちで聞くと、奏くんは首をよこにふった。
「じゃあ、一緒に歌おうよ」
「……」
また、だまりこんだ。
歌うのは好きなのに、一緒に歌おうと言うとだまってしまう。
嫌な想像が頭にうかんで、それがとてつもなく事実に近いように思えた。
「もしかして、わたしと歌うのが嫌なの……?」
嫌な想像を声にして、自分の表情がゆがんだのがわかった。
そんなことないって、言ってほしかった。
友だちだもん。バンド仲間だもん。
だけど奏くんは――
「………………ごめん」
長い沈黙のあと、たったそれだけを、苦しそうな声で、表情で、ふるえながら言った。
それで思った。
奏くんは、わたしのことが嫌いなんだ――と。
「わたしの方こそ、ごめんなさい。もう一緒に歌おうなんて、言わないから」
せいいっぱいの笑顔を見せた。
奏くんが笑いかえしてくれるわけがないのに。
「ぁ……」
空気に溶けてなくなってしまいそうな小さい声をこぼして、奏くんはわたしを見つめたあと、またうつむいた。
奏くんを傷つけてしまったんだと考えなくてもわかったから、その場に居続けることができなくなって、わたしはギターを抱えて家に逃げ帰った。
あんな過去があるのに、玲奈ちゃんも玲央くんも、わたしと奏くんを一緒に歌わせようとしている。
そんなことされても、ぜんぜんうれしくないよ。
わたしは嫌われてるのに……。
「ねえ秋帆。奏とのいざこざは、今はいい。秋帆がどうしたいかだけ考えて」
「……わたしが……」
玲奈ちゃんに強くやさしく言われて、キュッとくちびるをかんだ。
純粋に、歌いたいかどうか……。
そんなの、考えなくても決まっている。
「わたしは――歌いたい!」
「そっか……!」
玲奈ちゃんはパッと顔をかがやかせると、玲央くんソックリに笑った。
「奏は?」
「…………」
奏くんは、静かに首をよこにふると、
「……考えさせて」
と、ひとり言のような声の大きさで言った。
今日はその話を最後に、練習を終了して帰宅することになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます