第12話 心に近づく一歩


 図書館に向かう放課後の廊下は、思いのほか賑やかだった。

 放課後の図書館って、静かで誰もいないイメージだったけど。

 あちこちに、女子生徒たちがかたまっておしゃべりしている。3年生もいるけど、1、2年生の方がやや多そうだ。琉生は、3年の顔見知りの子たちに、手をあげて、軽く目で挨拶する。一瞬、下級生の間から、きゃあ、と声が上がるが、ここは図書館前で、『静かに』と書かれた貼り紙がある。声を上げかけて、あわてて口にフタをしている子もいる。



 放課後、数学の先生に質問に行った後、琉生は、図書館に向かった。

 今日は図書委員の当番の日だ。

 どうしても抜けられない仕事の入っている日は、お昼休みに当番を振り替えてもらうことになっていた。でも、幸い、今日は、仕事もレッスンもない。

 

「ごめん。遅くなって」

 琉生は、カウンターの中に座っている織田 空の隣に座る。

 かすかに、図書館の中の空気が、ざわっとした。

「いえいえ。私もついさっき来たところやから」


 織田の言葉に、一瞬懐かしいような気持ちになる。

 なぜだろう? そう思ったすぐあとに、琉生は気がついた。

 自分の大切な友人の話す言葉と、同じだ。妙に嬉しくなってしまう。


「あのさ、もしかして、織田さんって、関西出身?」

 小さい声でささやくように訊く。

「……やっぱり、わかる?」

「うん。アクセントとか、やわらかい言葉の響きで、わかる」

 琉生は笑顔で言ったけど、織田は少し困ったような顔でうつむく。

「……アクセント……。難しいなあ。すぐバレてしまう」

「何か問題あるの?」

「う~ん。表だっては、何も言われへんけど、なんか微妙な顔されたりね。……そもそも関西弁、受けつけへんわ~って顔されるときもある」

「そうか……。そういう人もいるんだ……」


 自分は、初めて会ったときから、想太の話す関西弁の響きが好きで、時々自分もつられてしまうこともあるくらいだ。琉生は、外国語も好きだけど、日本の中でも、それぞれの地方で話される方言も好きなのだ。方言には、そこで暮らす人たちの日常や歴史が溶け込んでいると思う。生き生きとした温かい言葉だと思う。

 以前、想太と2人で出演したドラマの地方ロケで、地元のおばあちゃんやおじいちゃんたちの言葉が、上手く聞き取れなくて、何度も繰り返し教えてもらって、2人で一生懸命覚えた記憶がある。それがすごく楽しかった。

 ロケが終わって、最後に、おばあちゃんたちと笑って手を振り合って帰るとき、ちょっぴり泣きそうになったりしたほどだ。


 同じ言葉を話す。それは、相手の心に近づく一歩だと思う。

 言葉は、誰かと優しく繋がるためにある。人を貶めたりケンカしたりするためにあるのじゃない。

 想太も琉生も、そう思っている。

 だから、言葉巧みに相手の優しさにつけ込んで、詐欺を働くやつは許せない、と強く思うのだ。

 前に、オレオレ詐欺のニュースを聞いたとき、2人でそんな話をしたことがある。



「僕の友達も、関西弁、話してるよ。大阪が好きやから、関西魂忘れたくないねん、って」

 琉生の言葉に、ところどころ関西弁が混じる。

「……そうなんだ……そうだよね。……なんかね、こっちへ来て最初に、ちょっといやな思いしたことがあって。それで話すの、なんだか怖くなって。なるべくしゃべらんようにしてて」

「そんなこと言わずに、どんどんしゃべってや。僕、関西弁好きやし」

 琉生は、ほほ笑んだ。

 切れ長の涼しい目元。黒い瞳がきらめく。唇の両端を少しあげて笑う、綺麗な歯並びの口元が美しい。さらりと斜めに額を横切る前髪は少し長めで、形のいい眉にかかっている。

 至近距離で、その笑顔の威力をまともに受けて、織田が頬をあかくしてうつむいた。


 図書館の中が、今度はハッキリとざわめく。

 ドラマやライブのステージで、画面を通して見る笑顔ではなく、生で目の前にいる琉生の笑顔だ。

 あちこちに佇んでカウンターの琉生の様子をうかがっていた子たちが、うわあ……。とため息のような声を上げる。


 そのとき、カウンターの奥の書庫から、先生が出てきた。図書委員会担当で、司書教諭の先生だ。

「ん? なんかあった?」

 カウンターにいる2人に言った。

「いえ、別に。何も」

 琉生が応える。

「そう? なんか一瞬ザワザワしてたから」

「大丈夫です」

「そう、じゃあ、カウンターはまかせるね。こっちで作業してるから、なんかあったら呼んで」

 先生は、すぐに書庫に戻った。

  

 先生が顔を出したので、図書館は、落ち着かない空気ながらも、静かな状態に戻った。

「……お仕事、しましょう」

 織田が言って、琉生もうなずく。

 返却された本を棚に戻す作業、カウンターでは、貸し出しと返却の受付、そして、レファレンスの仕事がある。

 レファレンスは、本に関する問い合わせに応えて、本を探す手伝いをする仕事だ。

 琉生たちのクラスの、前期の図書委員たちがボヤいていたのが、その仕事のようだ。

 どうしてもわからないときは、司書の先生に聞くこともできるが、自分が訊かれたものなら、やはり、自分で答えたくなるものだ。とはいえ、見当もつかない質問には答えようがないから、できるだけややこしいことは聞かないで、と思う気持ちもわかる。


「あの」

 ひとりの女子生徒が、カウンターにやって来た。1年生の学年の色のクラス章をつけている。

「……ずっと、探している絵本があって」

「はい。どんな本ですか。題名とかわかりますか」

 織田が、嬉しそうにその子を見ながら答える。

「お姫様がでてくるんですけど。なんか可愛くない、意地の悪いお姫様の話で。あ。でも最後には優しい子になるんですけど。題名忘れてしまって。小さい頃に一度だけ、親戚のうちで読んでもらったことがあって」

 織田はうんうんとうなずきながら話を聞いている。 

「白っぽい表紙で、オレンジ色かピンク色か、よく覚えていないけど、淡いやわらかい色の、ふわっとした絵で」

 

(ん……。それってもしかして)

 琉生の頭に、一冊の絵本が浮かぶ。姉のレイの部屋で、見た記憶がある。

 あれかも?

 思わずその題名を口にする。

「みにくいおひめさま」

「みにくいおひめさま」

 2人ほぼ同時に声が出た。ほんの一瞬、織田の方が早かったかもしれない。

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