第10話 青い海の底で


「まるで透明な青い海の底にいるみたいやな」

 想太は言った。


 今日は、事務所の先輩グループ、HSTのライブを観に、想太と琉生は、バックステージ側の関係者席にいる。

 先輩たちのライブを観ることは、研修生や練習生にとっては、めちゃくちゃ勉強になる。もちろん、バックについて踊ったりすることも勉強になるけれど、自分もステージに出ているので、落ち着いて全体を見たり、観客の動きや反応を冷静に見ることはなかなか難しい。

 それに、何より、憧れているグループのライブは一観客として楽しみたい、という気持ちがある。


 HSTは、デビューして間もない頃は、研修生や練習生がバックにつくことも多かったが、今は、ほとんど自分たちだけでステージを回している。メンバーの数は現在8人。デビュー時は、10人でスタートしたらしいが、途中、留学などの理由で2人が抜け、以来ずっと8人だ。

 想太の父、妹尾 圭が所属するグループでもある。


 今日の関係者席は、研修生や練習生らが数人、観に来ている。昨日はかなり大勢が来ていたらしく、琉生と想太は、今日に割り振られたのだ。

 HSTは、そのステージの大胆な演出や、ユニークな試みで、同じ事務所の中でも群を抜いて人気が高い。

 関係者席には、マスコミの取材記者らしい姿もある。さっきから、テレビカメラが想太と琉生の方にも向いているから、もしかしたら、明日朝の情報番組か何かで、HSTのライブがあったことを紹介しながら、2人が観に来ていた映像なども流れるかもしれない。


 ライブ会場は、青みを帯びたライトに照らされ、開演前の緊張と期待に満ちた独特の空気の中にある。

 今日は、自分たちがステージに上がるわけではない。

 それでも、開演時間が近づくにつれ、次第に胸が熱くなってくる。

 想太は、青い光に包まれた会場を観ながら、研修生としての初めてのステージを思い出していた。

 あのときも、隣りには琉生がいた。



 入所して初めて研修生として、NIGHT&DAYのバックにつく日。開演前のライブ会場を見て、

「まるで透明な青い海の底にいるみたいやな」

 想太は言った。

「同じこと思ってた……!」

 琉生はうなずいて、続けた。

「海の底やから、少し息がしにくいのかな?」

 そう言いながら、琉生は両手を広げて、一生懸命何度も深呼吸した。

「うん。なんか思い切って吸わんと空気が入ってこーへん気ぃする」

「空気が薄いのかな?」

「どうやろ?」

 2人で首をひねっていると、研修生の先輩が横から、

「……ふつうに緊張してるだけだよ。動き出したら忘れる」

 笑いながらそう言った。

 

 そうなのか。

 そうかもしれない。この胸いっぱいに緊張と期待とが目一杯ふくらんでいて、だから、上手く息が吸えないのかもしれない。想太は、深呼吸を繰り返しながら思った。

 

 初舞台は、オーディションのときだった。

 あのときは、そういえば、緊張はほとんどしなかった気がする。やたらテンションは上がって、夢中だったけど、こんな息苦しいような気持ちにはならなかった。

 けれど、今心臓は、想太の胸の中でさっきからずっとドクドク、大きい音を立てている。


「あまり緊張とかしないの? ドキドキしたりとかは?」

 以前、幼なじみの、みなみから、そう訊かれたことがある。みなみは、緊張したら、カチカチになってしまうタイプで、いつも本番で実力が出せないと悩んでいた。

 それにひきかえ、何をするときも、いつもと変わらない平気な顔の想太を見て、彼女は羨ましがった。

「いや、緊張もするし、ドキドキもするで」

 そのときはそう答えたのだが。実は、それほどでもなかった気もする。

 今になって初めて、みなみの気持ちがわかる。それくらい、想太は自分が緊張しているのを感じた。


 研修生として初めての、この舞台は、オーディションの時の緊張をはるかに超える。

 ドクドクする心臓の音を全身で感じながら、想太は隣を見る。

 隣りには琉生がいる。


『ん?』 琉生が、すこし首を傾けて想太に目で訊いてくる。

『ドキドキ』 想太は、胸に手を当てて、声に出さずに答える。

 うなずいた琉生が、自分も胸に手を当てる。

 そして、握ったこぶしを、お互い軽くぶつけ合う。笑顔を交わす。

 その琉生の笑顔を見た瞬間、一気に、肺に空気が入ってくる気がした。

 琉生の穏やかで、落ち着いた笑顔。

 同じステージに琉生がいる。1人じゃない。

 そう思うと、想太の心に一気に光が差し込んだ。

(よし。大丈夫! いっぱい楽しんでこよう!)


 ライブの始まりを告げる、曲の前奏が流れ始める。

「行くで!」

 想太と琉生は、舞台に向かって駆け出した。


 そこから後は、緊張していたことも忘れるくらい、2人は夢中で歌い踊り、ステージ上を駆け巡った。

(いつか、先輩たちのバックではなく、自分たちのためのステージで、パフォーマンスする日のために。今は一つ一つのステージを、全力でやりきる……!)

 2人の思いが、全身からあふれ出す――――。



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