第5話 自分の中に
「お? 何それ? 見せて」
浅香先輩が、ピンク色のかたまりを想太の手から取り上げた。たまたま、カバンの中から、転げ落ちて、想太は急いでしまおうとしたところだった。
今日は次の舞台に向けてのレッスンで、今は10分の休憩中だ。
「あ。浅香さん。ちょ、返してくださいよ」
想太が、少しあわてたように手を伸ばす。
浅香公平。EMエンタテインメントの研修生で、想太と琉生の2年先輩だ。年齢は、3歳上だけど、入所日が2人より、2年早い。想太と琉生が入所して以来、一緒にNIGHT&DAYのバックについたり、時々ユニットを組んだりすることもある。2人にとって比較的親しい先輩でもある。
EMでは、実年齢よりも、入所日の早さで、先輩か後輩かを判断することも多い。もちろん、自分より年長者に対しては、後から入所した後輩であっても、それなりに気を遣って敬語を使うこともある。
ただ、多くの場合、同じグループのメンバーになったら、入所歴や年齢に差があっても、意識して敬語を使わないようにする。メンバー同士が対等な立場で言いたいことが言える関係の方が、よりよいパフォーマンスを生み出すことにつながる、という考えがあるからだ。
公平は、手のひらにのせた、ピンクのかたまりをじっと眺める。
ふわふわの綿のようなものでできた小さなブタだ。片方の手のひらにすっぽり収まるくらいの。お尻のところには、小さなきゅるんと巻いたしっぽがついていて、体全体はコロンとした可愛い姿。顔は少し上を向いて、甘えるようにこちらを見上げている。
そして、何より、目。小さな黒目が、じっとこちらを見て何か訴えかけてくるようで、胸がキュンとなる。
公平は、たまらず声が出た。
「おおお。めっちゃ可愛い~。ブタ? コブタ? これ、手作り?」
そう言って、ちょっと意味ありげな視線を想太に向ける。
「もしかして……彼女か? 彼女にもろたんか?」
「ちゃいますよ~」
想太は、あっさり笑って顔の前で手を振る。
「え、でも手作りやろ?」
公平は訊く。
「そうすよ。手作りですよ。ただし、オレの、手作り」
「え~、マジで~?」
「まじまじ」
「ほんまか~? うそつけ~ 彼女ちゃうん?」
公平が疑惑の眼差しを注ぐ。
時々、彼はしつこい。琉生は、ちょっとハラハラする。
公平に、悪気はないのはわかる。彼は、想太にも琉生にもよくからんでくるけど、どちらかというと、2人に親しみを感じて、そうしているのだと思う。ただ、少し押しが強くて、琉生はちょっと引いてしまうときがある。
想太の関西弁は、穏やかで優しいけど、公平の関西弁は、時々少し強引で押しつけがましく感じるのだ。
(悪い人じゃないけど)
琉生は、ちょっとため息をつく。
ちょっとやそっとで、想太は怒ったりいらだったりしないけど、必要以上にしつこいのは、あまり好きじゃない。
当たり前のことだ。
今、浅香先輩が騒いで、このまま他の先輩たちも巻き込んで変な雰囲気になったり、想太に『彼女がいる疑惑』がどこかで噂として流れてもいけない。
思わず、琉生は自分のカバンのポケットから、同じピンクのかたまりを取り出す。そして、水戸黄門の印籠のごとく、先輩の目の前にかざす。
「これ! 2人おそろいでお守りにして持ってるんです! 想太作!」
そう言って、琉生が見せた、小さなブタも同じように小さくてコロンとした愛嬌ある姿だ。想太の持っているものより、少しだけ、顔がりりしい。
「え? うわ。ほんまや。……ええなあ」
先輩の眼差しが、疑惑から一気に羨望に変わった。
「ええなあ……」
ため息交じりに、公平が繰り返すのをみて、想太が言った。
「オレ、作りましょか? 浅香さんの分」
「え? ほんまに? ええの?」
「いいですよ。ただし、定期試験終わってからですよ。それまでは時間ないんで」
「ほんまに? ……嬉しい」
公平は、とても嬉しそうだ。単純なのだ。だから、憎めないのだけど。
「何がいいですか? オレ、今まで作ったことあるのは、パンダとブタとうり坊とクマと雪だるまとタコだけです」
「だけって……。そんだけ作ってたら、たいしたもんやで」
「あ。でも、ピンクのブタは、琉生とオレの専用やから、ブタでもいいけど、色は他の色ですよ」
「ん~。そうか。そやなあ。じゃあさ、ネコ! ネコ作ってくれへん?」
「ネコ……初挑戦になるから、ちょっと自信ないけど」
「三毛猫がいい」
公平がワクワクした顔になる。公平のネコ好きは有名だ。道端で、ネコを見ると、どこまでもトコトコついて行ってしまいそうになるほどだ。
「……先輩、なにげにめんどくさいこといいますね。三毛猫って……」
「あかんか?」
「ええけど、毛の色、3色ってちょっとめんどくさいな」
想太が小さい声でつぶやくのを見て、公平が少ししょぼんとすると、想太はあわてて言った。
「……しゃあないなあ。わかりました。三毛猫、オーダー承りました!」
顔の横で、手を構えて、笑いながら敬礼する。
キリッとした眉の下で、目が優しくキラキラ輝いている。
可愛いと言われ続けた笑顔にカッコよさが加わって、頼もしく見える。琉生の好きな笑顔だ。
『おまえ、先輩に向かって、しゃあない、とか言うなよ~』と公平にぼやかれながら、想太も、『いや、だって、オレ、今まで、三色使うの作ったことないし、ネコの形ってけっこうめんどくさいんすよ』と言い返している。
『そんなん言わんと、頼むで~』と公平に言われ、『しゃあないなあ』と想太が苦笑いして、『あ、おまえ、また、しゃあないって、言うた~』と2人はいつの間にかじゃれ合っている。
そうなのだ。
想太は、いつだって、するりと人の心をほぐしてしまう。
浅香先輩は、はじめ、想太をからかうつもりで、彼女のはなしを持ち出したはずだ。それで琉生は、ハラハラしたのだ。でも、いつのまにか、状況は変わっている。
笑いながらじゃれている2人を見ながら、琉生は、心の中に、チクリと小さなトゲみたいなものが刺さるのを感じる。自分なら、こんな雰囲気には、ならない。たぶん。
『しゃあないなあ』という、関西弁の柔らかい響きのせいもあるけど、琉生が、『しかたないな』 なんて言ったら、なんだか、その場の空気が冷えてしまいそうだ。というか、それ以前に、琉生なら、『しかたないな』という言葉も先輩には言わないし、言えない。気を悪くさせそうで、気を遣ってしまう。
想太は、言いたいことは言う。
さっき、想太が、ピンクのブタは、琉生とオレの専用とハッキリ言ったとき、内心、琉生はホッとしていた。
2人で、いつかデビューする、との思いを込めて想太が作ってくれた、2人のお守りのようなマスコットだったから、正直、他の人が同じものを持つのはいやだと思ってしまった。もし、同じのがいいって言われたらどうしよう、そう思った。
だから、琉生は、自分が持っているブタを見せたことを一瞬、後悔してしまったくらいだ。
(自分って、心、狭い……)
琉生は、自分に少しがっかりする。
想太に出会うまでは、琉生は、『冷静で穏やかで、大人っぽいね』なんて言われてきた。
自分でも、そう思っていた。小さな箱の中に行儀よく収まっている人形のように、琉生は、おっとりゆったり日々を過ごしてきたのだ。
でも、想太といると、胸が熱くなったり、ハラハラしたり、必死になったり、思いっきり笑ったり、自分の中に、こんなにもいろいろな感情があったのだと、琉生は自分でも驚いている。
そんな自分を喜べるときもあるけど、逆にがっかりすることも、同じだけたくさんあるのだ。
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