第2話 面倒事の予感

「嫌だああああ、行きたくない。なあマケドラング少佐、行かないという選択肢を選びたい。どうにか出来ないか?」


「無理ですよ、隊長」


部屋の隅に置かれた鏡の前で、普段適当に下の方で結んでいる白髪を綺麗に整え、軍服に問題がないか確認しながら少女、ヴィオレッタ・エル・ヴァイオレットは僅かな希望をのせて琥珀色の瞳を鏡越しに副官へと向け、見事に玉砕していた。


昨日の朝、参謀本部から来ていた書類に書かれていた今日の午後に入っている予定が憂鬱すぎたヴィオレッタは、一応予定に向けて準備しながらもどうにか出来ないか悪あがきをしていた。


普段は軍人らしく、不平不満を漏らさず隙を見せないように振る舞っているヴィオレッタだが、自身のことをよく知っている人間の前では取り繕うのをやめるように少し子供っぽさが目立つ言動をする。


「だってなあ、忌々しい……コホン、光栄な事に宰相閣下と元帥閣下から連名で呼び出しだぞ?絶対に面倒事だ。誰が好き好んで面倒事に首を突っ込むか。

寒い中頑張った魔獣狩りの遠征から二日前に帰ってきたばかりだというのに……。

あの二人、キリキリと働く部下に対する思いやりが足りんのでは?

少しくらい私がデスクワークにいそしむ時間をくれてもバチは当たらんと思うんだ。 というか、休みが欲しい。切実に」


ヴィオレッタは露骨に顔を歪めた。


今まで、呼び出されては毎回毎回、無茶無理無謀を地でいくような難易度の高い任務を指示されてきた為、ヴィオレッタは影であの二人を「鬼畜宰相」と「悪魔元帥」と呼んでいる。


断言出来る。

今回も鬼畜と悪魔によって危険度の高い厄介事が持ち込まれるに決まっている。


「しかし、あまり動かずにいると次に任務があった時に体が鈍ってしまうのでは?

それに、魔獣がいつまた氾濫するか、狂化するかが分からない以上我々軍人が数を減らし、調査を進めるべきです」


「そんな真っ当な答えを返さんで欲しい……」


いつも出勤してくるヴィオレッタをわざわざ起立して敬礼した状態で迎える真面目な副官、ウィリアム・マケドラング少佐の答えに、ヴィオレッタはつい苦笑いしてしまう。


「まあ、隊長は軍のエースオブエースですから。招集も仕方のない事でしょう。

個人情報が完全に隠匿されていると言っても、生きて【牙城】と【白銀】の称号を得た人間が帝国にいるというだけで、皇国に対する抑止力にもなっていますしね」


「まあ、九歳から軍にいるしなあ……」


それに、前世の記憶もあるし。


その言葉は飲み込んだ。


九歳で軍に入る事を許され、十五歳で大佐の任についているヴィオレッタがただの少女であるはずがない。


ヴィオレッタは前世の記憶持ちだった。

だが、その記憶はハッキリとあるものではなく、地球の日本で生まれ、アメリカで育ったことと、そこで得た知識が生まれた時からあっただけだった。


前世どのような人生を送ったかとか、家族を事とか、そういうものは全くと言っていいほど残っておらず、日本語や英語も使えない。更にこちらの世界、ニアルガ大陸の北端にあるグラッセ帝国でヴィオレッタとして生きていき、年を追うごとに記憶が薄れていくものだから、ヴィオレッタはほとんど前世に関して気にしていなかった。


だが、そんな曖昧な知識しかないような状態のものでも前世の記憶持ちというのは恐ろしい。


ヴィオレッタは、たった九歳で軍に入る事を許され、その後も年齢に見合わないほどの活躍を果たした。


当時帝国と戦争をしていた隣国のミラン皇国からの捕虜奪還、諜報活動、本来の生息地であるテクニア大陸から氾濫し、ニアルガ大陸に攻めてきた魔獣の討伐などなど、数々の高難度の任務を彼女は遂行してみせた。


ミラン皇国との戦時中、敵戦力の無力化や、魔道具の作動の鍵となる魔石を持つ魔獣の討伐を果たしたヴィオレッタの働きは大きく評価され、望まぬ任務を与えられては望まぬ昇進をするという事を重ね、十三歳の時には大佐になっていた。


五年に渡る帝国との戦争に疲弊した皇国が攻撃を続けられなくなり休戦となった後、我に返った本部がヴィオレッタの十三歳と若い年齢を今更ながら問題視し、ヴィオレッタのこれ以上の昇進はストップがかけられた。


これ以上昇進する事がなくなった事を喜んだヴィオレッタだったが、彼女の本来なら軽く中将になれるほどの功績に、軍と国の上層部にいるお偉いさん達はどうやったら昇進以外で報いる事ができるか考えた。


その結果、ヴィオレッタに【牙城】という対人戦で最も活躍した兵に送られる称号と、【白銀】という魔獣戦で最も活躍した兵に送られる称号の二つを与え、その上で魔獣討伐部隊と特殊部隊の隊長に任命する事にしたのだ。


ちなみにこの二つ、今までは授与される兵が死んでしまっていたし、魔獣戦と対人戦で活躍する兵が別だったため、生きて授与されたのも、両方を保持しているのもヴィオレッタが初である。


昇進したくない、これ以上任務の難易度を上げたくないヴィオレッタからしてみれば、完全なるありがた迷惑でしかない。


加えて、指揮を任されたこの特殊部隊、軍の中から選抜された優秀な人間しかおらず、対凶悪犯罪や皇国への諜報活動、皇帝陛下に対し反乱を計画する貴族の処理などの特殊で危険度の高い任務を遂行する事を目的に作られたものだった。もちろん、実力が足りるかの選抜試験はヴィオレッタも受け、首席で通ってしまった。


現在は軍幹部として、そして魔獣討伐部隊及び少数精鋭の特殊部隊〈からす〉の隊長として、任務を全うする、極めて優秀な軍人として働いている。


【牙城】と【白銀】という二大称号を生きて獲得したヴィオレッタに関する情報は軍上層部や国によって隠匿されており、彼女の多岐に渡る活躍を知る人間は極々一部に限られている。


具体的には、皇帝陛下と宰相、元帥の三人と、彼女と関わりの深い軍の人間、そして彼女の副官であるウィリアムくらいだ。


そのためウィリアム達軍の人間で、彼女の活躍を知っている者は皆、上官だからという理由だけではなく、尊敬の念を込めて一回りも下の、親子と言ってもいい歳の差があるヴィオレッタに対して敬語を使うのだ。


「くそう……。あの鬼畜と悪魔に会って帰ったら、絶対にケーキを買って帰ろう。

帝都に新しくできたケーキ屋の、めちゃくちゃ高いケーキと最近気になっている期間限定のプリンとマフィン、マドレーヌを買って二人にお金を出させよう」


ウィリアムは公爵位を持つ宰相と元帥にはそんな額大したものじゃ無いのではないかと思ったが、なんとかテンションを上げるために甘いものの話をしているヴィオレッタの心の平穏を優先して、そっと口を閉じた。


「マケドラング少佐、知っているか?

何故か私が楽しみにしているスイーツがある時に限って、宰相と元帥は招集をかけてくるんだ。おかげで私はいまだに『期間限定』と書かれているスイーツを食べられた試しがない。もはや何かの陰謀ではないかと思うんだが」


「……今度〈鴉〉や魔獣討伐部隊の奴に声をかけて、私の方でも何か用意します」


食事に関してはお腹が膨れればなんでもいいと言ってはばからないヴィオレッタだが、唯一甘いものに関しては尋常ではない情熱を持っている事を知っているウィリアムは、神妙な顔で陰謀論を唱えだした上司にそっと進言した。


「本当か⁉︎そうか、もちろん何か礼はするので、是非お願いしたい‼︎

よし、そうと決まれば仕事を終わらせてすぐにさっさとあの二人と会って、面倒事を終わらせよう」


ヴィオレッタは、パッと満面の笑みを浮かべたかと思えば、次の瞬間には何も無かったかのように心情を悟らせない無表情で前を見据える。


普段は大人と話しているような気分にさせられるほどに大人びているのに、時折こうやって少女らしい反応をするからよく分からない。


だがそれがヴィオレッタ・エル・ヴァイオレットという少女であると知っているウィリアムは、身だしなみを整えた彼女が席に戻るのと同時に、整理していた書類を彼女の前に置く。


「今まで進めなかった深度7の様子と魔獣の量、魔獣から取れた魔石についての報告書は午後に直接渡すとして……遠征中に溜まった書類はこれで全部?」


「はい。いつも通り、重要度と期限によって分けています」


「そう。ありがとう」


あり得ないと分かっていながらも、ついつい宰相と元帥からの話が楽しいものだと良いなと期待しつつ、背にした窓の外を雪がちらついている事に気づき、今朝見た夢の光景が少し思い出された。


なんとなくしみじみとした気分になりながら、ヴィオレッタは書類の山に手をつけ始めた。


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