中編

 腰まで伸びた長い髪に眼鏡。

 愛嬌のある顔立ちではあったけど、その顔は引きつっていた。

 

「あの……石川貴之さんのお宅で良かったですか?」


 夜遅い時間。

 一人暮らしの男の自宅。

 玄関に立つ中学生の女の子。

 そのミスマッチぶりに理解が追いつかない。

 戸惑っていたが、ふと我に返った。


「君は……誰?」


 彼女は酷く子供っぽい背格好のため、咲良の面影を感じたせいだろうか。

 僕は驚くほど優しい口調で言うことが出来た。

 先ほどまでの苛立ちもどこかに消えていた。

 ただ、少女の方は異様な風体の男を前にして、戸惑っていたんだろうか。

 どこか怯えた様子で言った。


「私……吾妻優子あがつまゆうこです。あの……初めまして。母からここに行くように、と」


 吾妻?

 その特徴的な名字は間違えようがない。

 まさか……あの……

 でも、なんで?

 念のため確認するか。


「吾妻って……もしかして吾妻明子さん?」


「はい。母から、自分が死んだ後は石川貴之さんの所に行きなさい、って言われて。連絡先も受け取ったんです」


「明子さん……亡くなったの? って言うか……まさか君……」


「はい。あなたとの間に出来た子だ、と母が伝えて欲しいと。母は先月脳腫瘍で亡くなりました。その前にあなたの住所を調べたようで」


 僕はまだ理解が追いついていなかった。

 そんなことあるのか?

 普通あり得ない。

 でも……明子さんならあり得る。

 付き合っている頃からあり得ないくらい奔放な人だった。

 でも……まさか。

 僕との……子供。

 この少女が。


「親戚の家とかは考えなかったの? いくら親でも……会った事の無い人の家って……キツくない?」


「母は……親戚に若い頃虐待されていたらしくて、子供の頃に両親を亡くした母にとって、頼れる人があなたしかいなかったようで。『この人なら大丈夫だから』って」


 何という無茶な……

 僕は呆れて物も言えなかった。

 いやいや、普通は施設だろう。

 あ、でも優子さんの言葉が事実なら僕は身内なのか。しかも父親。

 優子さんの性格は知ってるけど、嘘偽りを言う人じゃない。

 

 そんな僕の考えを察したのか、優子ちゃんは続けた。


「母は虐待を受けた後、親戚から引き離されて施設に入りました。でも、そこでも辛い目にあってたらしくて……だからだと思います。私もそんな所いやです」


 優子ちゃんはそう言うと、僕にペコリと頭を下げた。


「お願いします。私をしばらく……半年でいいんです。中学校を卒業するまで。卒業したらどこかに住み込みで働ける仕事を探しますので」


 半年……

 普通なら断る。

 あり得ないことだ。

 でも、僕は頷いて言った。


「分かった。いいよ。ただ、中が汚いから掃除だけさせてくれないかな?」


 優子ちゃんは頷いてくれたので、彼女を全く手つかずになっていたリビング横の四畳半の部屋に待機してもらい、適当にゴミを片付けて掃除し始めた優子ちゃんを見たとき、フッと思ったのだ。

 

 どうせ死ぬ前に、たった1つでも誰かの助けになりたい。

 それが元の彼女の忘れ形見なら申し分ないじゃないか。

 彼女の助けになれたら死んだ後、天国で数十分でも咲良と話せるかも知れない。

 その後すぐに地獄行きだろうけど、咲良に謝る時間くらいはもらえるかも。

 ……あの娘は許してはくれないだろうけど。


 そう思うと、力がわいてきた。

 ただ、やはり飲まず食わずのツケは重くて、掃除して優子ちゃんを迎え入れた途端、気が抜けたのかその場に座り込んで動けなくなってしまった。


「だ、大丈夫ですか!?」


「ごめん……最近何も食べてなくて」


「あ、じゃあ何か作りますね」


 そう言って優子ちゃんは、そそくさとキッチンに立つと冷蔵庫の中を見たが、見事に空っぽだったので、やむなくカップラーメンを出してくれた。


「あの……明日、食料品を買ってきますね」


 ※


 こうして始まった優子ちゃんとの生活は予想以上にスムーズだった。

 同居において最低限の決め事として、優子ちゃんの部屋となった四畳半には立ち入らない。 2階の部屋には入らない。の2つを決めた。

 優子ちゃんには咲良の事は話せなかった。

 隠すつもりはなくて、人に話せるくらい僕の中で受け入れることが出来てなかったのだ。

 なので、咲良の遺影がある2階の部屋には入らないで欲しいと伝えたのだ。


 最初はなかば無理だろうと思っていた生活も、優子ちゃんの生来の明るさのせいだろうか。 段々と僕の中で受け入れられるようになった。

 何より、暗く淀んでいた家の中が明るく華やぐように感じられた。


「石川さんの事、実はずっと母から聞いてたんです。出会ったときからの事をずっと。母は本当に幸せそうに話してくれました」


 そう楽しそうに話す優子ちゃんを見ていると、こちらの心まで柔らかくほぐれていくのを感じた。

 

「あの……私で出来ることがあったら言って下さいね! 家事は一通りできますので。バイトもしてるので僅かですがお金も入れれますし」


「いや、無理しなくていいよ。君は学生なんだから。学校生活を楽しめばいい」


 そう言うと、彼女はフッと顔を伏せてポツリと言った。


「学校はいいんです。私、働きますから」


 そのどこか思い詰めた様子に僕は何も言えなかった。

 僕への遠慮か、他の事情か……

 そんな事を思ったからではないけど、翌週にはまた介護の仕事を始めた。

 優子ちゃんの事を考えて、昼間高齢者の人たちが過ごす場所である、デイサービスで。

 ここなら彼女を夜中一人にしなくてもいい。

 そんな事を考えていると、心が驚くほど軽くなる。

 

 でも、その正体は分かっていた。

 咲良への罪滅ぼしのつもりなのだ。

 安っぽい贖罪。

 優子ちゃんへの行為で、咲良への心を握りつぶされそうな、吐き気を伴うような罪悪感を薄めたいという気持ちがあることを自覚していた。

 今度は見捨てていない。

 そう思いたかったのだ。

 相変わらずクソみたいな奴だ。

 そう思えたが、優子ちゃんの明るい声で「お帰りなさい、石川さん」と言ってもらうことでそのドロドロした汚い物が流されるように感じた。


 そんなある日。

 仕事を終わらせて家に帰ると、優子ちゃんの姿が見えない。

 どこに……

 そう思ったとき。

 2階でカタッと言う小さな音がした。

 あの音は……

 2階に上がってみると、思った通り優子ちゃんが2階の部屋……咲良の遺影が置いてある部屋に居たのだ。

 どうやら掃除をしていたらしい。

 

 あれだけ入るなって言ってたのに……

 思わず頭に血が上るのを感じて、優子ちゃんを見た僕はハッとした。

 仏壇の前に立ち、僕を見る優子ちゃんの表情……いや、様子にどこか覚えがあったのだ。

 僕は、怒りが潮が引くように亡くなっていくのを感じながら言った。


「君……わざとだろ?」


 優子ちゃんはポカンとした表情で言った。


「何で……分かったんですか?」


「君の表情や様子……凄く似てたんだ。僕に」


 そう。

 彼女の表情。

 それは自分への罰を望む顔だった。

 咲良を死なせた自分に誰かが罰を与えて欲しい。

 でも、叶わない。

 だったら……


 僕は優子ちゃんに咲良との事を話した。

 そして、黙っていたことも。

 なぜ、僕がいきなり家に来て「実はあなたの娘です」と名乗る彼女を受け入れたのか。

 その本当の訳を。


「僕は、君が本当の娘であって欲しいと願った。それは僕を救って欲しいからじゃない。罰を与えて欲しかったからなんだ。自分と母を捨てて幸せな家庭を築いている男。そんな僕に対して憎悪を向けて欲しかった。だから君に咲良の事を話さなかったし、この部屋に入らせないようにした。なのに君は……」


 そう言うと苦笑いを浮かべた。

 どうだい。

 この最低の男は。

 君さえも……利用した。


「だから、何となく君もそうかな、って。君は責められたがっているように見えたんだ。それにいくら母親に言われたから。僕の話を聞いてたから、って言っても人は簡単に親近感なんて沸いてこない」


 優子ちゃんは僕の顔をジッと見ると、こくりと頷いた。


「その通りです。私、あなたに嫌われたかった。でも娘として好きになってほしかった。私、まだ母の病気が分かる前に母と喧嘩したんです。その勢いで……母に『死んじゃえ』って。その数日後に倒れて……そこで脳腫瘍と。あんなに女手1つで頑張ってくれた母に酷いことを言った。あれは私への報いなんです。お母さんに死ねって言って……どれだけ辛かったんだろ……で、ホントに……死んじゃった」


 そう言うと優子ちゃんはポロポロと涙をこぼした。


「私、あなたの事が嫌いです。なんでいい人なんですか? あなたがクズで居て欲しかった。そうすれば『母を捨てた憎い奴』と思えた! 楽になれた! そんな相手のそばに居て自分も苦しむことが出来た。なのにあなたは優しかった……なんで!」


「じゃあ、君の望みは叶った。僕も充分クズだよ。咲良を見捨てた。あの子は寄り添って欲しかった。僕に。それだけで良かったんだろうな。でも、僕は自分の事しか考えていなかった。今もそうだよ。君と暮らして幸せだと思っている。お腹も空くし、眠くもなる。君の『ただいま』を聞くと、君の笑った顔を見ると心が華やぐ。それが嫌なんだ。……咲良のそんな幸せをゴミみたいに扱った僕がそんなの感じちゃダメなんだよ!」


 話ながら声がうわずっているのを感じた。

 目が熱い……泣いてる?


「あの子は生きてれば色々と幸せを感じられた。青春だってあったし、好きな人も出来たかも。友達だって……結婚だって出来た。お風呂に入ったり好きなご飯食べたり。暖かい布団で寝たり……そんな細やかな幸せや大きな幸せも一杯あった! 全部! 全部! 僕が奪った! 泣いても叫んでもあの娘は……戻らない。もう『パパ』って呼んでくれない……」


 僕は立っていられなくなって、その場にしゃがみ込んだ。


「お願いだ。僕を嫌いになって欲しい……僕も君を嫌いになる。目が覚めた。やっぱり僕は幸せになっては行けない」


「……ホントに……自分勝手ですね」


 優子ちゃんはそう言うと、僕に近づいた。

 そして……泣き出した。

 何も言わずに。

 

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