想春

京野 薫

前編

 春の空はどこまでも暖かくて澄み渡っている。

 暴力的に、無慈悲に。 

 匂い立つ桜の香りと共に、どこまでも僕の事を追い詰める。

 

 お前以外のみんなにとって、春は優しく暖かいんだ。

 ざまあみろ。

 

 そんな風に言っているようだけど、別にどうでもいい。

 それならそれでいい。

 いや、むしろ大歓迎。

 お願いだからもっと追い詰めてくれないか。罪人を追い詰める裁判所のように、警察のように。

 笑うことも泣くことも出来ないくらいに。


 たった一人の娘を殺した僕にはそれがふさわしい。

 な? そうだろ? そうなって欲しいよな、咲良さくら


 僕は隣の部屋に置いてある一人娘、咲良の遺影を見つめた。


 ※


 僕、石川貴之いしかわたかゆきは30歳で努めていた介護施設の彼女と職場恋愛の末結婚して、その翌年妻は娘の咲良さくらを妊娠すると共に体調を崩して死んでしまった。

 大学卒業後26歳まで付き合ってた最初の彼女、吾妻明子あがつまあきことの別れのショックを癒やしてくれた人だった。

 そして、僕に幸せな日々をくれた人。

 そんな妻のためにも、この子を幸せにしよう。

 そう決めた。


 それからは日々戦場だった、咲良は元々甘えん坊で気弱な性格も相まって7歳くらいまではそばについてメンタル面のサポートもしてあげないと行けない事が多かったのだ。

 だが、養護施設出身で両親の居なかった僕は、親に頼る事が出来ず咲良の事情に合わせて欠勤や遅刻も多くなっていて、正直職場での居場所は微妙だった。


 そんな鬱屈した心境を抱えては居たが、咲良は可愛かった。

 親馬鹿かもだが、咲良は誰よりも可愛く優しい子だった。

 後は仕事が……

 

 咲良が8歳になった頃、それがやっと叶った。

 元以前勤めていた職場の後輩と話していたとき、新規立ち上げをする老人ホームの話になり、そこの主任候補として来ないか? と言われたのだ。

 僕は全身の血液がカッと熱くなるのを感じた。

 身体が熱くなって、汗が滲む。

 これはチャンスだ。

 咲良も自分のことはかなり出来るようになり以前のように手は掛からない。

 今度こそは。

 能力には自信がある。

 仕事に専念さえ出来ればきっと……!


 そう思い意気込んで、天職したけど、そのタイミングで咲良が不登校になった。

 いくら聞いても理由を言いたがらない。

 僕は焦った。

 しかも、咲良は気が弱く繊細なため、一人で家に居ることが出来ない。

 出来るだけ話を聞き、学校に行ってもらってもすぐに携帯に電話が入る。

 そうなると早退しなければならなかった。

 大事なミーティングがある時も、咲良の説得や休んだときには付き添わなくては行けないため欠勤。

 段々と職場での居場所がなくなっているのを感じた。

 

 可愛い咲良。

 僕の全て……だったはずなのに、時々彼女に酷くイライラするようになった。

 そして、あの日。

 

 この日はいよいよ開設間近となった施設の内覧会。

 絶対に外せない仕事だった。

 前の晩にその事を話すと咲良は「分かった。頑張って学校行く」と行ってくれた。

 良かった……


 そして翌日。

 9時半頃、学校から電話が掛かってきた。

 また……

 しばらく無視したけど、10分くらいしてまた鳴る。

 已むなくお手洗いに行く振りをして出てみると、咲良が休み時間に学校から出て行ってしまったとの事だった。

 目の前が真っ暗になった。

 絶望的な心境で事の次第を伝え、早退した。

 

 心当たりを探してみると、咲良は隣町の公園に居た。

 ここはまだ咲良が4歳くらいの頃、一緒に遊んだ公園だった。

 そこのベンチにぽつんと座っていたのだ。

 僕は思わず目の前が真っ赤に染まった様な気がした。

 周囲の桜の色と匂いさえ甘ったるく気持ち悪い、安物の香水や造花に見える。

 咲良は僕の顔を見ると怯えたような表情を浮かべた。

 よほど鬼のような形相をしてたのだろうか。


 僕は咲良に近づくと……言ってしまった。


「いいかげんにしろよ……どれだけパパに迷惑かけるんだ! 大事なお仕事って言ったよな!」


 咲良は凍り付いたような表情で、血の気が引いていた。


「ゴメ……ン……なさい」


 しまった。

 そう思ったけど、止まらなかった。


「いつになったら強くなるんだ! 嫌なことがあるのはみんな一緒だ! パパは……咲良のために一人でお仕事頑張ってるんだよ……お前がもっと小さい頃からずっと……頼むから咲良も強くなってくれよ!」


 涙を浮かべながらそう話す僕をみて、咲良は凍り付いた表情のまま俯いて、しばらく黙った後ポツリと言った。


「また……やっちゃった……もうダメ」


 何か言わなくては。

 そう思ったけど、言う気にならず咲良の手を引いて家に帰った。

 携帯を確認すると、施設長から「今後のことを相談したい」と言うラインが入っていた。


「なんで……こうなるんだ」


 私は思わず声に出した。


「……あのね……パパ……」


「家に帰ったら職場に電話しなきゃ。話はその後」


 自分でも冷たい言い方だった、と思ったけど止まらなかった。

 僕はイライラと焦りを感じながら、慌てて施設長に電話をした。

 咲良の「パパ……咲良、楽にしてあげるね」と言う声を聞き流しながら、必死に連絡する。

 早く……説明しなきゃ。


 そして、何回かかけてようやく施設長に繋がった時。

 ベランダで「ドスン」と言う重い物を投げ降ろしたような音が聞こえた。

 何なんだ! 今度は何やったんだよ!

 足音荒くベランダに出た僕が見たのは……咲良の倒れている姿だった。


 ※


 救急車を呼んだが、咲良はすでに心肺停止状態だった。

 それからの事はまるで壊れかけのテレビの映像のように、ぼやけてて歪んでてよく分からない物だった。

 ただ、妻の親族から激しく責められて、葬儀を進めて……

 ああ、そうだ……咲良の担任の先生から彼女がクラスでイジメを受けていた事も聞いた。

 その詳細は覚えている。

 

 聞いてる内に身体が酷く震えて何度もトイレに駆け込み、嘔吐したので記憶に残ってる。

 後は、僕みたいな最低の父親に対する罰のつもりだった。

 苦しいだろ? 

 ざまあみろ。それがお前への罰だ。一生思い返せ。死ぬまで苦しみ続けろ


 目が覚めると外は真っ暗だった。

 寝てたのか……

 立ってお手洗いに行こうとしたけど、身体がフラつくのと周りがゴミだらけで上手く歩けない。

 まだ死ねないのか。


 咲良が天国に行ってから、食事をした記憶が無い。

 何気なく窓に映った自分がまるで、RPGに出てくる亡霊みたいに見えて笑えてきた。

 そして、笑った自分への罪悪感で自分の太ももを殴りつけた。


 僕は舌打ちすると、トイレを済ませて玄関に寝転がる 

 ああ、うっとおしいな。

 早く止まれよ心臓。

 飲み食いしてないのに普通動くか?

 なんでしぶといんだよ。


 目を閉じると、ドアの向こうで何かチャイムが聞こえる。

 なんだ……

 ああ、どうせ営業か。

 でも、こんな夜に?

 無視しようと思ったけど、チャイムが鳴り止まないので顔を歪めながら立ち上がる。

 くだらない要件だったら怒鳴りつけてやる。

 そんな力も出ないけど。


 そう思ってドアを開けた僕は……その場に立ち尽くした。

 そこに立っていたのは、中学生らしきブレザーを着た少女だったのだ。

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