終/ゆりかごに、子守唄を。



 ――子守唄に、揺られている。


 子どもは無事に生まれた。母子共に元気だ。

 白籠はくろうが安定するのを待ってから、新居に引っ越すことになった。

 と、云うもののおんぼろアパートすぐ近くのやっぱりぼろい木造一軒家だ。借家である。大家さんもアパートの一階にいた管理人さんで、同一人物。間取りも部屋が全体的にやや広くて、部屋数が一つ多い程度の些細なグレードアップ。納戸と納屋が増えたので収納に困らないし、台所も手狭ではなくなったので複数人で料理できるようになったし、何より風呂が大人二人ぎりぎり入れるくらいの直方体になったので白籠と一緒に湯船に浸かれるようになったことが何より揺唯ゆいはうれしかった。

 引っ越しの理由は、単純に三人家族となるとこれから手狭になってくるということ、そしてアパートの二階となるとそれでなくても足許のおぼつかない白籠が子どもを背負って階段を上り下りすることが心配だったから、そして一応夜泣きなどの騒音問題に配慮して、というものである。

 可鳴亜かなりあの伝手を駆使してもらったところで、現在の収入を考えればまあこんなものか、というおんぼろ具合だったが――白籠に似合うすてきな家だと思った。どうしてか、白籠には和風家屋が似合うのだ。縁側と小さな庭があることも、実はポイントが高い。

 ちなみに、そこからそこだったので引っ越しはほぼ手作業だった。精々、親方に借りた廃品回収用の荷車を使ったくらいだ。何せ、物が少なかったから。

 この春生まれたばかりの二人の子どもは、白籠が〝籃帷かごい〟と名づけた。

 揺唯も意味はいろいろと聞いたものの、要はおれとハクローの名前を合わせたすてきな名前なんだな、と納得した。だいたい皆籃帷のことをカゴだとかカゴちゃんと呼ぶ。揺唯自身も、カゴって省略して呼ぶのが定着した。

 髪も瞳も、全体的に両親のいいとこ取りしたね、と周囲の人には云われた。

 揺唯にはその実感がないが、なんとなく白籠の面影は感じる。

 自分の子なんだ、とは理解しているものの、どこか遠い存在でもあった。

 小さくて、か弱くて、触れたら壊れそうな儚い命。

 ほっぺはぷにぷにしてるし、だっこしても頼りないし、人さし指を差し出してもぎゅっと握る力のなんて弱いことか!

 この小さな命が、恐ろしい。

 何も害されることなんてないのに、むしろ自分が壊してしまいそうなほど、ちょっとした不注意で呆気なく喪えてしまえるその弱さが、何より怖かった。

 産後すぐは身動きの取れなかった白籠の代わりに自分が父親としてしっかりお世話しないと!と、はりきった揺唯だったが相当空回りした。謠惟うたいや可鳴亜、医者などの手佐けあってのことだし、白籠本人にカバーされることもあったくらいだ。

 でも、どうにかこうにか子育てしているうちに、自然と愛着が湧いてきた。義務や責任感ではなくて、この愛らしい存在を守りたいと心から思えるようになった。籃帷が揺唯を認知して、自ら手を伸ばし、笑顔を振りまいてくれた瞬間、自分はこの子の親なんだな、とじんわり沁みた。

 白籠はというと、引っ越しまでの数週間で体調も戻り、むしろ籃帷が生まれてから母親としてがんばらなきゃ!といった感じで気合が入っている。だからといって、揺唯を蔑ろにはしなかった。子育てしながらも、揺唯の寂しさにすぐさま気づいて触れ合ってくれる。だからこそ、揺唯は白籠を支えよう、とあれこれ手伝っているのだが白籠に心配される始末だ。外に仕事に出ているんだからあまり無理してほしくない、と。それを云うなら、白籠だって家事育児しながらも家計の足しにと内職をがんばってるのに。

 ……白籠が内緒で、たまに納戸で静かに内職を夜なべしていることを揺唯も知らないわけではない。穏やかで柔軟なようでいて、実は独特なプライドが高く、頑固な一面を持つ白籠にそのことを指摘すれば、喧嘩とまではいかずともだいぶ平行線な話し合いが続くことは目に見えている。だから、黙認しているのだ。白籠のがんばりたいという気持ちとか、ダイヤモンドみたいな高潔さとかを、叩き割りたくはない。大事にしたい。

 がんばりすぎる白籠を甘やかすのが、もっぱら揺唯の仕事だ。

 たまに、抱き潰すという強硬手段に出る。揺唯が休みの日、全日白籠を甘やかす日、と称して。朝、いつもなら早起きして朝食を作ってくれている白籠が、雪見障子から漏れる穏やかな日射しに包まれて、まるまって眠っているところを見るのが好きだった。白籠にとってここは安心して眠れる場所なんだなって、実感できて。

 あれもこれもと気を回すのは大変で疲れるときもあるし、なんでハクローはいつもこうなんだって溜め込みがちな白籠にやきもきすることもあるし、カゴにハクローとられる!って実の子どもに嫉妬することもあるし、謠惟や可鳴亜が親戚みたいな顔して籃帷を構い倒すのを見ると微妙な気持ちになるし、おれってちゃんと父親やれてるのかな?って不安になる日もあるし、仕事に疲れることも、なんか自由に好き勝手したいなって散歩してしまう日もある。

 すべては、紫煙とともに流れていく。

 けれど、結局――ああ、この場所に帰ってきたいな、って思うんだ。

 うつら、うつらと春の陽気と子守唄に誘われて微睡んでいたら、ふわりと口づけられた。

「ふふ、籃帷だけじゃなくてゆーちゃんまで眠っちゃったら、お写真撮れませんよ?」

 目の前には、白籠の桜色の唇が。さっき、ちょこんと揺唯に触れていたであろう――と思ったが、どうやら触れていたのは指らしい。すらっと長細い指が桜の花びらを挟んでいる。紛らわしいことに、花びらが口許にひっついていた、のを取ってくれただけなのだ。

 けれど、その花びらに白籠は口づけて、微笑んだ。

 そのなんと妖艶なことか!

 口許が、内緒ですよ、と形作る。

 籃帷のおくるみに桜が挿された。

 白籠が軽く揺唯の衣装を整えてくれている間に、現状を把握する。

 そうだった。引っ越しや籃帷の誕生を記念して、新居の門扉で写真を撮ろうとしていたのだった。

 籃帷が珍しくぐずるから、白籠が子守唄で寝かしつけていたところで、揺唯までもが夢見心地になっていたのである。

 今日の白籠は少しおしゃれしている。正直、揺唯にとってはどれも和服だし、何を着ても可愛く見えるのだが。グラデーションがかった紅色に桜の描かれた着物に、臙脂の帯をしっかり締め、黒い羽織まで纏っている。いつだかに頼んで鼻緒を直してもらった草履も履いて。

 一人分の命を抱えていたとは思えないほどに、産後腹がしぼみ痩せ細った白籠の体重を元に戻すのはだいぶ苦労した。もう食べられない、と云い始めるのが異様に早いのだ。あの手この手を使って食べさせ、揺唯の手料理を最後まで無理やり詰め込んで笑顔を張りつけていた白籠の絶妙な福笑いも、もう既に懐かしく愛おしい思い出だ。

 今日、どうにか下ろし立ての着物が着こなせたのも、本人と周囲の努力の賜物だった。

 揺唯も黒い袴を着せられた。ちょっと早い成人式みたいですね、と云われたけれどよくわからない。白籠は似合うと大絶賛だったから、まあいいのだろう。

 修理屋の親方にもらってから、事あるごとに白籠がカメラで撮って記録することに傾倒している。揺唯はまだ一度も見たことはないが、アルバムの写真は着々と増えているらしい。

 謠惟が撮影してくれる、と云うので任せたのだが、カウントダウン係として可鳴亜も向こうで手を振っている。

 自然、白籠と揺唯は笑った。

 咲くふわり笑うふわり、と桜も笑顔も満ち満ちている。

 パシャリ。

 現像してみる必要もないくらい、揺唯にはありありと見えている。

 笑顔の咲く白籠と、その腕に抱かれてすやすやと眠る籃帷と、そして二人を見て微笑む自分の姿が。

 きっと、いつかアルバムを見ながら、大きくなった籃帷に白籠がどんな言葉をかけるのかさえ、想像できた。

 きっと、始まりは――



       〆



『――食べて、眠って、ハクローは悪夢を喰って夢を見て、しろいゆめのなかでこいをする。そんな、にちじょうだ。/揺唯の覚書より一部抜粋』



       終

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