第九WAVE 罪状

 久保(くぼ) 安博(やすひろ)。43歳フリージャーナリスト。


 ボサボサの髪を手ぐしでワシワシして雑に整える。顔が整っているだけにそれを1つのスタイルとして確立している。

 相棒のカメラを肩にかけて家のドアを開ける。


「さて、大物釣りと行きますか。待ってろパンドラ、その全てを明らかにしてやる。クヒヒっ」


 口の端を軽く吊り上げ不敵に笑う。夕日がサングラスを透かして久保の獰猛な瞳を晒す。

 これぞ正しくジャーナリストの顔。ダーティースマイル。

 ちょうど学生の下校時刻だ、子供が見たらきっと泣きわめくに違いない。

 そんなことは一切気にすることなく、目的地へ車を走らせる。


 今は昔、久保は自身の笑顔がチャームポイントだったと記憶している。

 見る者によってはその笑顔で虜にする魔性の男。人に好かれる才能を持っている。

 若い頃はそれを利用していくつもの記事を生み出していた。

 もう久しく使っていない若気の至りし剣。



 向かった先は神奈川県藤沢市江ノ島。

 神奈川陥没から1月、自衛隊が今も日夜怪しげな活動をしている。

 ネットで得た情報では未確認生命体と戦っていると。バカなと鼻で笑いたいところだが、実際に起きていたらこんなに面白いことは無いと、むしろそうであってくれと願っていた。

 国が情報を閉じている。そんなもの世界に言いふらしたいに決まってる。大きな声で叫びたいに決まってる。

 それがジャーナリストの性だから。ジャーナリストは欲に忠実でいてこそ、より魅力的な情報を手に入れることが出来る。

 嗅覚に従うだけだ、より甘美な匂いを漂わせてる方へ。そうすれば自然と声が聞こえてくる。

 人の口は鯉よりも軽い。



 路肩に車を止めて、ここからは歩いて近づく。


 歩き始めてすぐ、視界いっぱいに広がる立ち入り禁止のバリケードが見えた。

 大穴があるのだからバリケードがあるのは当たり前だろう。ここから先が未公開エリア。

 陥没から3日目くらいまでは上空ドローンからの撮影がテレビでも流れてた。

 当時の驚きは言葉では言い表せないものだった。政府が秘密裏に行った人口削減だとかなんとかネットでは騒がれてたが、やるならもっと静かに、それか大胆にだ。なにか中途半端に思えた。

 もしかしたらこれから更に多くの地域で陥没が起きるのかもしれない。それならば政府と関連付けることも無くはない。可能性としてはありえる。


 ただ、少子化のこの時代にやるのは不可解。死亡者も多少シニア世代が多かったが世代は満遍ななった。平日の昼間でも学生は夏休みだったからか少なくない人数が巻き込まれた。そうなると意図が読めない。


 そんな時、ネットに現れた現地情報に胸を焼かれた。これは調べなければならない事案なのだと。

 迷いは一切なく欲のままに体が動いた。

 こんな衝動、ジャーナリスト冥利に尽きる。


 体が動いたんだ、当然頭も動かす。知りたいのは全て。政府が隠していること全てを、隠し通そうとしている全てを、パンドラの箱をひっくり返して世界に轟かせる。この事件の真相を。

 事故ではなく事件だと決めつけてる。


 まず大切なのが誰に声をかけるか。避難勧告が出され一般人は立ち入り禁止区域。一発退場なのが当たり前。

 人以上に規則を破る生物はいない。人は思い通りに動かせ思い通りに動かせない。


 感情が規則を破らせる。不平不満や好奇心は縛られた心を容易に解く。

 人間が自分勝手だというのは俺が1番よく理解してる。


 だからこそ人を選ぶ。ここでジャーナリストの資質が問われる。1人目で全てが決まる。


 直感。これまで蓄積してきた経験が上乗せされたそれは、もはや超能力の域にまで昇華し、約束された結果を掴み取るにまで至る。




 T字路の角で人と交錯する。ひと目見て即座に行動へと移す。

 目線はそのままに、ポケットから折りたたみ財布を取り出して名刺をすっと引き抜く。

 向こうもこちらに気づくとすぐに用心深い視線を向けてきた。

 それもそうだろう。ここは関係者以外立ち入り禁止区域、くたびれたおじさんがいるような場所では無い。


 しかし、慌てることは無い。場の流れは作り出すもの。


 偶然のハプニングを装った衝突。転校生と街角でバッタリのイメージをなぞって、大きく一歩踏み込━━。


(ドンっ)


 狙いを定めた男……ではなく、一歩遅れてもう1人が角から出てきてぶつかった。


 計算された偶然を前に飛び込んできた偶然の産物。正真正銘の偶然。

 だからこそ、表情は大胆に頭は冷静に。


「うわっ!!っと」


 すってんと尻もちをつく。当然手に持っていた財布と名刺は前方にいる男たちの方へ放り落とす。偶然の産物に見せかけた必然の散物。


(ボトっ)


 転ぶまでは体勢を崩さなかった男は財布と名刺を拾い上げる。


「すみません。大丈夫ですか?」



 2人の男とは高木と明石だ。

 マッドサイエンティストこと老越のラボからの帰り道に久保と遭遇した。ぶつかった高木は財布と免許証を拾って、立ち上がる久保に声をかけながら渡した。



「こちらこそよそ見してました」


 警戒を少しでも緩めてもらうために下手(したて)に丁寧に接して無害そうな印象を与える。少しでも会話ができる状態になればそれでいい。

 それにこの男、情報の匂いが充満してる。

 ぶつかった時に咄嗟に右手で左胸を押さえた。落としたら困るものを胸ポケットに入れてるに違いない。


 目線の動きから名刺を確認したのも見れた。

 顔、名前、職業、性格がわかればその者の情報は十分だろう。男の中で仮想の俺が作られる。


「今、こう思ったんじゃないですか?

 欲しかった協力者を見つけた。と」


 どうやら表情に出やすいタイプらしい。

 揺れ動く瞳の中に浮かんだ疑惑の念が溶け落ち、目と目が合う。


 そこで確信へと至る。

 男か持ってるのは情報と確かな証拠。水面に上がってくる鯉が見える。

 話したがってる相手にはその機会を用意してやればいいだけだ。と、難所を越えたところで緊張を解いて心拍を下げる。




 1時間前。片瀬江ノ島駅付近のラボにて3人は集まっていた。

 白い机にポツンと置かれたマンデイの破損部位。それは高木が伏潜種(ハイド)の血と零式の毛髪を入れて老越に渡した器。


「立ち話しするような内容でもないし、とりあえず座って話すか」

「「はい」」


 高木と明石は老越と対面になるようにそばの椅子を動かして腰をおろした。

 

 


「それで…もう鑑定終わったんですか」

「コネだよ。技術を持ってるとすり寄ってくるやつ寄り添ってくれるやつが多いんだ」


 老越はなんでもないように言うが、このラボには最新鋭の機器が揃っていて個人で使うにはいささかオーバースペックすぎる。

 それらを持て余さない技術と知識を有しているのが老越という男だった。

 潤沢な資金と最新鋭の機器はどこからともなく湧いてくる。

 老越を求めて寄ってくる。



「先に1つ聞いておきたいことがあるんだが、お前ら俺を試してるわけじゃねぇよな?」


 その顔は今まで見たどんな時よりも真剣で、ここで1度でも目線を外せばこれまでの信頼が崩れてしまうのではないかと、そう錯覚を起こしてしまうほど空気が張り詰める。


 その目からは真実のベクトルが飛んでいた。虚偽は許されない。これがマッドサイエンティストたる所以、とある物事に対してのみ異常な熱量を持つ。この世界にそれがある限り、その熱は昂り続ける。


 しかし、高木にはその質問の真意が分からない。なぜそんなことを聞くのか。なにを疑っているのか。


「━━━━」


 深く考えず、ただ真実のみを話す。ただし知っていることは少なく、理解している単語を繋げて話す。


 老越はその回答に納得し、高木の胸は撫で降ろされた。


「なら心して聞け」


 マッドサイエンティストが一拍置く程のことなのか、一瞬の沈黙に2人の緊張感がグッと跳ね上がる。興味本位で聞いてはいけない内容なのかと、それとも椅子に座らせたということは腰が抜けるような拍子抜けする内容なのか。


((ごくり))


 2人は同時に唾を飲み込む。2人の上下する喉仏を見て覚悟を持ったことを悟り老越は話し始める。



 人間の犯した罪。大罪の禍根。人智の遺物。


 その全てを集約した1つの真実を。



「DNA鑑定の結果だが、1組だけ99.9%一致したのがある。そのなんつったか、えー伏潜種(ハイド)だったか…同じやつの血を分けて入れてねぇよな?」

「?はい。そこはしっかりと分けましたよ。混ざるようなことも無いようにしましたから」

「だろうな。それでこそ、この仮説に真実味が帯びるってもんだ」

「何を言いたいのか全く理解出来ないんですけど」

「まぁ、聞け。

 最初からフルスロットルでドバっとガババっと話すからな、世界がぶっ壊れるぞ。

 あまりの情報量に吐き出すなよ。俺は他人のケツを拭くのが大嫌いなんだ」


 秩序の破壊者であるマッドサイエンティストがそんなことを言う。常識知らずが丁寧な前置きをするというのはとんでもない違和感。はたして真人間である2人は無事にここを出て帰れるのかどうか。

 高木と違って明石は案外ケロッとしている。

 それなりの緊張感を味わっているがそれなりだ。

 日本標準時子午線の土地名を持つ者はやはり肝の据わり方が違う。


「想像できるか?

 その伏潜種(ハイド)と99.9%一致した人間がいる。それも6人だ。

 伏潜種(ハイド)の血のサンプルは7つ持ってきて1つは被りだった、ってな訳で全ての身元が判明したと言っても過言じゃねぇ。こいつらを知ってるか?」


 サラッと放った言葉の全てを理解する前に引き出しから机の上に1枚の紙が置かれた。それには顔写真と名前が記載されていた。


「こっこれは!」


 高木が驚きで声を出すのも無理は無い。

 というのも、つい2日前に調べた人物たちだったからだ。

 仮設本部に出向いた自衛隊とは無関係な6人。違和感しかなかった政界人や財界人。


「でも一致したってどういうことですか!」

「どうもこうもねぇよ。そもそもかなり昔からその技術は完成してたし今じゃ必要不可欠な技術。

 倫理観に欠けるといった理由でその使用は法律で禁止されたがやるやつはやる」


 老越は知っていて当然とでも言うように、淡々と説明していく。

 情報の整理が追いついていない2人は言葉が出ない。

 その口は止まることなく、衝撃の真実を告げる。



「同じDNAを持つ個体が複数存在するなんてのは1つしか考えられねぇ。当時はまだ俺があんまり興味なかった分野だったからな、どんな状況でこうなったのかは知らない。


 こいつらの正体は……クローン人間」

「「……」」


 クローン人間が人類の敵になるなんてのはフィクションの中だけだと思っていた。

 そのクローン人間は既に、人間が生身で応戦できる状態にはない。訓練した者が完全武装してなんとか戦える。

 地球上の生物の中で最も恐ろしいのでは無いだろうか。

 もし地上で暴れたとしたらひとたまりもないだろう。一瞬にして世界が混乱の渦に飲み込まれるだろう。

 なんせ触れたら即ゲームオーバーの相手。

 そして、家にいても核シェルターにこもっても侵入するのに手間もかからない。

 強いて言えば上空は安全だろうか。


 それにしてもなぜあんな。


「あれはクローン人間の末路ってことですか?」


 高木の投げかけた疑問を老越は軽く否定する。


「それとこれとは全くの別問題。クローン技術は確立してるって聞いてるからな、やろうと思えば俺でもできる。それはどうでもいいが。

 それに家畜のクローンは正常に生きてるだろ。

 大方、クローン人間でマウス実験の延長でもしたんだろうな。マウスでは上手くいった。それでも人間に使うのは躊躇われた。そんな時、都合よくクローン人間と出会った。

 なら利用しない手は無いってとこだろ。

 地産地消ってのは適した表現じゃねぇか。

 命の価値ってのは結局のところ物の価値と変わらねぇ。量産できると分かれば……」


 高木はただ震えていた。手を強く握りしめているのがわかる。驚愕か憤慨か。


「その実験が失敗して伏潜種(ハイド)が生まれたと」

「さあな、そこまでは知らねぇよ。ただ、聞いた情報から推察するにそうなんだろ。伏潜種(ハイド)ってのはもう人間じゃねぇ。正真正銘、怪物だ」



 政府が隠したかったとされる真実を知った。溢れる喜びと同時に、妻がクラシックの曲で指揮棒を大胆に振っている光景が頭に浮かぶ。勝利のBGMだ。

 これには脳内物質がドバドバと溢れ出す。

 歓喜の破顔。


 道は違えどマッドサイエンティストと同種の存在。周囲に熱気が立ちこめる。


 明石と老越はそれに気づく。


 明石は元から高木のねじ曲がった性格を知っていたから。

 高木の性格は、二本の針金が絡み合ってより強固に真っ直ぐ伸びたような。正義心と探究心が物事に対して異常な執着を生み出した。


 老越は同種の匂いを感じ取ったから。

 目は口ほどに物を言う。さらに、口端は奇妙につり上がっていた。



 老越が若干呑まれながらも話を広げていく。


「……。

 それと零式部隊つったか、そいつらもそういうことだろ。今はまだ人間の形を保てているだけなのか、当時は未完成だったものが完成したのか。

 対抗手段として創りだしたってところか」


 クローン人間。

 真実を知った喜びはあるが、零式の話が入り込み戸惑いも生まれた。


 高木は思い出す。琴平に助けられ、なじられ、貶されたことを。あれは正しく人間だった。

 あれだけ至近距離にいたにも関わらず一切の疑念を抱かなかった。いや、傷の再生を目の当たりにしてやっと、その現実離れした身体能力への懐疑心が働いた。あの事件がなければ零式を疑うようなことは無かっただろう。

 つまり、クローンとはそういう存在なのだと。ただの人間なのだと思い知らされた。


 肉体が改造されたクローンだとしても人間には変わりない。

 伏潜種(ハイド)がクローン人間だと聞いた時、なぜだか腑に落ちた。それは先入観で、クローンは偽物という意識があったからか、クローンの末路に顔を顰めることすらしなかった。

 しかし、零式までもがクローンだと知った時、自分の考えの間違いを知った。

 人間のクローンも等しく人間。当然だろう、同じDNAの持ち主なのだ。むしろ人間じゃないと考える方がおかしい。

 意識があり心があり成長し寿命がある。


 生まれた瞬間から被検体になる運命。意識の改革は瞬時に行えるものでは無い。だからこそ、余計に考えてしまう。

 零式の未来を。この戦いが終わったら彼女たちはどうなってしまうのか。

 未完成だった場合の末路は決まっている。既に再生能力は脅威だと言えよう。


 当然ながら対処はひとつ。

 伏潜種(ハイド)になる前に電磁兵器(レールガン)での撃退。



「ところでその小指どうしたんですか?昨日には無かったですよね」


 高木が疑問に思ったのは老越の右手小指には包帯が巻かれていた。それも一巻き程度ではなくがんじがらめに。おかげで親指よりも太くなっている。


「ちょっと好奇心に負けてな。伏潜種(ハイド)の血を触ったんだ。そしたら第二関節くらいまでドバっと溶けてな」

「何やってるんですか!言いましたよね!1000℃はあるので気をつけてくださいって!」

「いやぁ、マッドサイエンティストの血が疼いてな。時間が経って鮮度が落ちれば温くなるかなと。1000℃だけに」

「一切笑えませんから。冗談で済ませられない冗談ですよ、それ。全然綺麗に纏まってないですから」

「俺だって反省してる。けどな、これだけの材料があるんだ、指の1本や2本の再生なんてわけないだろ?


 おいおい、そんな怖い顔するなよ。先っちょだけ、先っちょだけなんだからよ」


 老越の不穏な発言に高木が顔を顰めたように見えたが実はそうでは無い。

 単に真実の余韻に浸っていて顔に力が入っただけだ。そもそも。


「別にその技術をどう使おうと老越さんの勝手じゃないですか。なんで俺にそんな言い訳みたいなこと言うんですか?」

「え。だって悪は絶対許さないマンだろ?」

「そんなふうに思ってたんですか。俺はただ隠された真実を知りたかっただけですよ。

 俺なりの正義、正義心が動いたからそれに従って体が動いたんです。

 世界の善悪には興味ありません。

 隠された真実。ただそれだけが知りたかったんですよ」

「ぶっ飛んだ自己中野郎だな。さっきのでなんとなく察したけどよ」

「自分のことは自分が1番良く分かってますよ。貪欲に貪るんです。隠そうとした真実を。

 昔からそうなんです。俺は一生、渇望の奴隷なんです」


「はっ。お前もこっち側の人間かよ」


 そんなやり取りをして、2人はラボを後にした。




 全てを聞いた久保は息も途切れ途切れになり、顔は上気して赤くなっている。

 本人も混乱状態で自分の状態を理解できていない。


「ハァハァ…こんな事を聞いたら口を開かずにはいられない。記事を書かずにはいられない。ジャーナリストというよりも、この世界で生きる1人の人間としてこの情報は世界へ発信しないといけないと、魂でそう感じとった。

 ハァハァ…なんだこれは……手のひらの上に青い星が見える。まさか、世界を掌握したと。そう解釈したのか?俺の頭は。

 こんなの妻と子作りした時以来の征服感だぜ。……ふぅ」


「んー話しを1度整理したいな。

 近くの店に入ってもいいですか?10分くらいで終わらせますので」


 そう言って、誰もいないお店に入った。

 上の階はボウリング場だった。


「この後、すぐに公表するんですか?」

「そうですね、明日にしようと思ってます。

 人間は尊ばれるもの、儚いもの、

 というわけで明日なんです。

 10月11日。語呂合わせで尊い日ということでね。案外こういうの大事なんですよ」



 その後、零、壱、弐式部隊は湘南の海を満喫した。

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