第101話 幕間15(空橋道世)
何処にでも居るサラリーマンの両親の元で生を受け、幼少期まで問題なく暮らしていた。
だがある時、父が別の女性と写っている写真を見つけてしまい、これは誰だと母に尋ねてしまう。
その日から、あれだけ仲の良かった両親は喧嘩を始めてしまい、遂には離婚する。
どうして家族なのに別れなきゃならないのかと、幼いながらに訴えると、父からお前が写真を見せたせいだと罵倒を浴びせられる。
それをきっかけに、また両親が喧嘩を始める。
道世はいつもは優しかった父の罵倒にショックを受けて、大泣きしてしまうが、喧嘩に忙しい両親は道世を気にも掛けていなかった。
それから母に連れられて、母の実家に戻る事になった。
両親が離婚した事で、苗字が空橋に変わる。最初は慣れなかったが、小学生に上がる頃には違和感なく過ごせるようになった。
祖父母は優しく、道世の欲しい物をなんでも買ってくれた。
孫が可愛くて仕方のなかった祖父母は、年金暮らしではあったが、物以外にも愛情を持って道世に接していた。
そのおかげで、道世は寂しい思いをする事はなかった。
小学校中学年に上がった頃、ある事件が起こる。
ニュースでも取り沙汰されていた、元探索者の犯罪者が道世の暮らす町に来ていると言うのだ。
学校は集団登下校をするように指導すると、それぞれの校区に別れて帰る事になった。
最初は十人くらいで帰っていたが一人、また一人と別の道に進んで行く。
残り五人になった頃、別れ道に差し掛かり道世は一人で別の道を行く。一人になる時間も二、三分の話で心配はないのだが、道世このとき初めて大怪我した人を見た。
家まで後少しといった所で、空き家の草陰に血だらけの女性が倒れていたのだ。
「だ、大丈夫ですかぁ?」
恐る恐るといった感じで話し掛けると、女性は目を開き道世を見た。
「……お嬢ちゃん、こっち来て」
血だらけの女性は身を起こすと、道世に対して手招きをする。
道世は身を竦めながら周囲を見回すが、周囲には誰も居ない。一緒に帰っていた子達の姿も、先に行っておりそこにはなかった。
逃げ出したかったが、女性の必死さを感じ取った道世はゆっくりと近付いて行く。
「ごめんね、驚かせちゃって。 それでね、お願いがあるの」
「お願い?」
「そう、これをこの写真の人に渡してほしいの」
道世は意識が遠のきそうな感覚に襲われる。
これが何なのか理解出来ないが、この女性のお願いは聞かないといけないと思えて来る。
十年後であれば、催眠のスキルに掛かっていたのだと分かるが、まだ幼い道世では知ることも防ぐ事も出来なかった。
「頼めるかしら?」
傷だらけの女性の問いに頷くと、フィルムケース二つと写真を受け取る。
そして振り向かずに家へと向かい、何事も無かったように家の中に入って行った。
直後に数名の武装した男達が空き家へと入って行くが、その事に気付く者はいなかった。
道世はその日の出来事を忘れてしまう。
血だらけの女性のスキルによる影響だが、それを指摘してくれる人は居ない。
机の上に置いてあるフィルムケースと写真が何なのか分からず、何故かランドセルの奥に入れてしまった。
これが、どこか分かり易い所に置いていれば、この後に起こる悲劇は回避出来たのかも知れない。
元探索者の犯罪者が町にいると噂になって一週間、何事もなく日常は過ぎて行く。
学校の帰り道では、夕飯の支度をしているであろう家から、お腹を空かせる匂いが漂って来る。育ち盛りの道世のお腹が小さく鳴り、足の動きが速くなる。
途中まで一緒に下校していた友達と別れると、家まで後少しだ。
それなのに、いつもは人通りの少ない道が、人で埋め尽くされていて前に進めなくなってしまう。
どうしたんだろうと顔を覗かせていると、焼け焦げた臭いが漂い、人混みの先で火の手が見えた。
凄い火事だと幼心に興奮したが、それが自分の家だと気付いて体を震わせる。
どうして、どうして私の家が……。
人混みを掻き分けて前に出ると、そこには消防車が沢山停まっており、消防士が消火活動を行っていた。
火の手は道世の家だけには留まらず、周囲にも燃え広がっており、消火活動は難航していた。ホースから大量の水が排出され、これ以上燃え広がらないようにしているが、道世の家は既に全焼していた。
「お爺ちゃん、お婆ちゃん……」
母は近所のスーパーに勤務していて、この時間帯は家にはいない。だが、年老いた祖父母は、家でのんびりと寛いでいた筈だ。
きっと大丈夫、逃げたはずだと自分に言い聞かせて、周囲に祖父母が居ないか確認する。しかし、そこでは見付けられず、人混みを掻き分けて外に出た。
そこにも見当たらなくて不安に駆られる。
大丈夫、大丈夫……。
そう信じていた。
だが、火が鎮火され、残った建物の中には、二人寄り添った姿が確認された。
母は悲しみに暮れ、道世も泣き崩れた。
それでも母は、道世を育てるためにその足でしっかりと立ち上がる。
祖父母の生命保険もあり、当面はお金に困る事はなかったが、道世の将来を思って、母は必死に働く。
朝は一緒に家を出て、帰りは母の職場に行き、一緒に家に帰る。
そんな生活が一年程続いたある日、警察を名乗る人物が尋ねて来た。
警察が来た理由は簡単で、祖父母をあんな目に遭わせた犯人が分かったという。
祖父母が亡くなった火事は、ただの火事ではなかった。
強盗が入り、犯人は祖父母を手に掛けた後に、家を物色していたのだ。
吉報ではあるが、母はもちろん道世の心は動かなかった。
犯人がいたからといって、祖父母が帰って来る訳ではない。
更に警察官は言葉を続ける。
犯人はあの日の火事で、既に亡くなっていると。
……そうですか。
母の口から出た言葉は、脱力したような、それでいてホッとしたようなものだった。
そして、警察官は一枚の写真を取り出す。
写真には女性の姿が映っており、この人が犯人ですと差し出した。
その写真を手に取ると、母は小さく震えた。
その様子を見ていた道世は、ある出来事を思い出して怖くなり、何も言い出せずにいた。
その女性は、以前、道世にある物を託した女性だったからだ。
知っていると言えなかった。どうして忘れていたのかも分からなかった。ただ恐怖が心を覆い尽くそうとしていた。
もしかしたら、託された物を取り返しに来たのではないかと考えてしまったから。
「お嬢ちゃん、何か知ってそうだね」
下を俯いていると、警察官から尋ねられる。
知らないと言うのは簡単だった。それでも、罪の意識から逃れたいと思ってしまった。もしかしたら、私が受け取ったからお爺ちゃんとお婆ちゃんが……と。
「道世、何か知ってるの?」
母からの問いかけがきっかけとなり、涙を流しながら告白した。
女性からある物を受け取った事を、それをある人に渡してほしいと頼まれた事を話し、女性が血だらけで倒れていた事を話した。
母は真剣な表情で聞いていたが、責めるような事はしなかった。
しかし、警察官の雰囲気が変わった。
「……お嬢ちゃん、それは何処にあるのかな?」
警察官の表情は笑顔だ。
だが、その笑顔が作り物のようで気持ち悪いと感じてしまう。
それでも警察官の言う事だからと、しっかりと応えようとして、声が出なかった。更に言えば、指でランドセルを指す事も出来なかった。
女性の催眠は、道世の行動を束縛する。
「どうしたの道世? 気持ち悪いの?」
顔を青白くさせた道世を見て心配する母だが、道世は何も言えずに首を振るしかなかった。
娘の様子がおかしいと感じ取った母は、後日に訪ねて来てくれと警察官にお願いしようとする。
「あの、申し訳ないのですが、娘のちょうー!?」
銃声が鳴り響く。
目の前で赤い飛沫が上がり、床を汚す。
「お母さん……?」
何が起こったのか理解出来なかった。
突然倒れた母から、赤い何かが流れ出ており、それが血だと理解するのに時間が掛かった。
「お母さん!お母さん!!」
血を流す母に駆け寄ると、どうしたらいいのか分からずに呼び掛ける。腹部を撃たれたようで、息はしているが浅く弱い呼吸だった。
救急車を呼ぼうと黒電話に手を伸ばそうとするが、その行動を止める銃声と声があった。
「お嬢ちゃん、写真の女から預かった物、何処にあるか言えば見逃してあげるよ」
銃弾に撃ち抜かれた黒電話が、下に落ちて転がる。
ダイヤル部分が取れており、もう電話として機能しないだろう。
引き金を引いた警察官は、気持ち悪い笑顔を張り付けた状態で、道世に問いかける。
黒電話を撃ち抜いた銃弾は警察官が撃った物だ。
そして母を撃った銃弾も警察官が撃った物だ。
「ど……どうして?」
どうして撃ったのか、そう問いかける道世だが、警察官は答える気がないのか銃を道世に向けて構える。
「時間がないんだよ、おじさん。 五つ数えるまでに答えてくれるかな?」
なんでなんでと思考が停止しそうになる。
警察官がどうしてお母さんを撃ったのか、どうしても分からなかった。
「ひとーつ」
このままじゃ、お母さんが死んでしまう。
速く救急車を呼ばないと! 隣の家に!
「ふたーつ、 おっと、何処に行くんだ?」
また銃声が鳴り、道世の近くに当たって尻餅を突いた。
「早く言えは楽になるよ。 みーっつ」
警察官が回転式拳銃に弾を込めて行く。
ここに来て、ようやく道世は自分の命の危機だと気付いく。そして、恐怖で動けなくなってしまった。
「よーっつ」
助けて助けて助けて助けて助けてたすけてたすけて……誰か助けて!!
「いつーつ。 はあ、残念だ。じゃあねお嬢ちゃん」
警察官の指に力が入り、ゆっくりと引き金が引かれる。
そしてガラスが破れる音が響き渡り、同時に家の中に誰かが侵入して来た。
「ーなっ!?」
銃口が道世から外れ、侵入者に向く。
立て続けに引き金が弾かれ弾丸が発射されるが、侵入者はその全てを躱し警察官へと接近する。
「ガッ!?」
そして、拳が警察官の顔面を貫き、もの凄い勢いで床へと叩き付けた。
叩き付けられた衝撃で跳ね上がり、転がる警察官。
その横で、ふんすと鼻を鳴らし佇む侵入者の男。
「クズ警官が! 子供に何向けてんだ!!」
侵入者の男が警察官を見下ろして激昂している。しかし、警察官の意識は既になく、何の反応も返っては来なかった。
道世は二転三転する出来事に理解が追い付かず、呆然としているしかなかった。そして、助かったと気付いたのは、侵入者の男が母の治療をしてからだった。
男は部屋の中を一瞥すると、倒れている母親に手を添える。道世の母は肺を撃たれており、一刻の猶予もない状態であり、本来なら助かる見込みは無かった。
「治癒」
その声と同時に、母を暖かな光が包む。
光は絶望的な状況にあった母の傷を癒し、命を救う。
幻想的な光景を見ていた道世は、呆然としながらも母は助かるのだと何故か思えてしまった。
そして、その通り母の命は救われる。
「もう大丈夫だ」
立ち上がり道世に笑いかけた男の姿を見て、道世はハッと息を呑む。そして道世の口から出た言葉は助けてくれてありがとうとか、どうして分かったのとか、そんな物ではなかった。
「お姉さんから預かり物があります」
男は女性から渡された写真の男性だった。
これが、後に探索者協会を作る
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