第99話 休日6(百十日目〜百六十日目)

『年末に迫った注目のイベント、グラディエーターが開催される会場に来ています。ここは、ネオユートピアの近くにあり、収容人数も最大五万人とドームに匹敵する闘技場となっています。 併設された商業施設も……』


 気持ちを落ち着けると、汚れたスウェットを脱いで風呂に入った。

 風呂でやっちまったと呟いて長風呂をして上がると、急いで洗濯したのか、最初に着ていたスウェットが用意されていた。


 そしてリビングに戻ると、テレビを見ている父と母。

 兄と姉の家族は帰ったのかいなくなっていた。


 父がテレビを消してこちらを向く。


「……ごめん」


 迷惑を掛けてしまったので謝る。

 情けない所を見せてしまって、どう切り出したら良いのか分からなくなってしまう。


「気持ちは落ち着いたか?」


「大丈夫」


「まあ、なんだ。 こっちに座りなさい、飲み物用意するから」


「うん」


 目を合わせずに、少しだけ下を見て以前購入したソファに座る。ギチギチと悲鳴を上げるが、きっと耐えてくれるはずだ。


「何が良い? コーヒーと紅茶とお茶があるけど」


「紅茶で」


 いつもならコーヒーを飲むが、何だか今は紅茶が飲みたかった。


「砂糖とミルクいる?」


「いらない、ありがとう」


 一口飲むと、少しだけ落ち着くような感覚がする。

 日頃、紅茶は飲まないから不思議な感覚だ。


「……話したくなかったら無理には聞かないが、あっちで何かあったのか?」


 聞きにくそうに父が尋ねて来る。

 俺の醜態を見て心配になったのだろう。

 それでも、俺は何かを言うことはなく、笑って誤魔化す。


「何でもないよ。少し疲れていただけだって」


 これは俺の問題だ。誰かに言って気持ちを軽くするような事はしたくない。


「ハルト、また鼻が膨れているわよ。 嘘は止めなさい、話して楽になるかも知れないわよ」


「だから何でもないって、大した事じゃないよ……」


「あなたは昔から頑固ね、少しはー」


「タエちゃん落ち着いて。 ハルトが何を抱えているか分からないが、話せるようになったら言いなさい。俺たちはいつでもハルトの味方だからな」


「……うん」


 そこで会話は打ち切られ、父はテレビを付けた。

 テレビの内容はニュースだったが、殆どの内容がクリスマスに向けた百貨店の商戦だったり、年末年始の番組紹介だった。


 その中に、お酒を紹介する内容が含まれており、ある事を思い出した。


「なあ父ちゃん」


「なんだ?」


「父ちゃんの趣味って、飲んだ酒瓶を集める事じゃん。今、何本くらいあるんだ?」


「集めてるんじゃない、飾るのが好きなんだよ。 そうだな、二百本くらいじゃないか、同じ種類は飾らないようにしてるからな」


 父の部屋には酒瓶が飾られている棚が置かれており、結構な数が並んでいる。

 正直、何が楽しいのか分からないが、人の趣味にケチ付けるつもりもないので黙っておく。


「これまでに飲んだ酒で、一番美味しかったのってなに?」


「好きだったのは山桐の十六年だな……でも、一番印象に残ったのはタカトと初めて飲んだ舞王だな。 成人した日にお祝いで飲んだが、あれだけ美味いと思ったのは初めてだったな」


「ふーん、俺は祝ってもらった記憶が無いな」


「それは帰って来なかったからだ。 準備はしてたんだぞ。残しておくのも勿体無いから、母さんと一緒に飲んだよ」


「ごめん」


 少しだけ責められるように睨まれたので、素直に謝る。

 まさか、そんなに楽しみにしてくれているとは思わなかった。二十歳の成人式は、大学の学友と飲みに行くのを優先して、地元には戻らなかった。

 帰れば良かったなと今更思うが、当時は当時で楽しかったので何とも言えない所だ。


「まあいいさ、ハルトが健康で無事なら父さん達は満足だからな」


 …………。


 父親の眼差し。普段は頼りないところもある父だが、俺を思ってくれているのは本当のようで、少しだけ照れ臭くなった。

 だから、話題を少しだけ変えた。


「父ちゃんの趣味ってさ、いつから始めたんだ? 成人して直ぐか?」


「いや、父さんが始めたのは、そうだなぁ……三十年前くらい前になるか。 元々、酒瓶を飾るのって俺の趣味じゃなかったんだよ」


「へー、じゃあ何がきっかけで始めたんだ?」


「……父さんがお世話になった人の影響だな。 その人がやってるのを見て始めたんだ」


「ふーん、俺の知ってる人?」


「いや、まだタカトが産まれる前に亡くなったからな。 誰も知らないな」


 そこで一口お茶を飲む父の姿は、昔を懐かしんでいるように何も無いところ真っ直ぐに見ていた。


 少しだけ、胸が締め付けられる。


「……じゃあ、そのお世話になった人が亡くなったから始めたのか?」


「そうだな、真似してみようとは思ったが、まさかこんなにハマるとは思わなかったよ」


「……どうして」


「ん?」


「どうして、亡くなった人の趣味を始めようとしたんだ? その人のやりたかった事を代わりにする為か? その人の意思を継ぐ為か? その人を知りたいと思ったからか? なにか、何か他に! 理由はあるのか?」


 少しずつ感情的になり、最後は叫びそうになってしまった。

 これで何か察してしまうかも知れないが、それはもう仕方ない。それよりも、どうして、どんな気持ちで亡くなった人の趣味を引き継いだのか知りたかった。


 俺の突然の言動に、驚いた表情をしている父と母。

 母は口を挟むような事はせず、じっと聞く事に徹するみたいだ。ここは父に任せた、という事なのだろう。


「……理由か、そんなに大した理由じゃないぞ。 ただ、その人を忘れたくなかったんだ」


「忘れたくない……」


「そうだ。 この歳になって改めて実感するが、人ってのはな、どんなに大切な思い出でも、月日が経つと色褪せて来るもんなんだ。 なかには、忘れてしまったものもあるかも知れない。 でもな、その人との共通点を残しておくと、自然と思い起こせるようになる」


「…………」


「まあ、過去に縛られてるって言う奴もいるが、酒瓶集めはな、他にも使い道があるからな」


「……それってなに?」


「記念日に新しい酒を用意するとな、その瓶を見るだけで、その日の記憶が呼び起こせるようになるんだ。 お前たちが産まれた日に飲んだ酒瓶だって飾ってあるんだぞ」


 そう言って微笑む父を見て、少しだけ下を向く。


「父ちゃんはさ、その……その亡くなった人を思い出して、何かしてやれたらとか後悔してるような事ってない?」


 俺が質問すると、父は黙り込んだ。

 目を瞑り、何か考えている様子だ。


「……ある。 正確にはあっただな」


「あった?」


「お世話になった人だからな、恩返しが出来なくて後悔していた。 それで苦しんだ事もあったが、それじゃその人に呪われているみたいじゃないかって思えてな、無理矢理にでも前を向いたよ」


「呪い……」


「そう、呪いだ。 あの人は他人を責めるような人ではないのに、あの人を思い出して、自分で自分を呪っているようで嫌だったんだ。 だから、その考えを捨てたんだ」


「…………」


「別に忘れるって訳じゃない。 いい思い出を、優しかったあの人を覚えておこうと思えたから、酒瓶を飾ってるんだよ」


「じゃあ、俺は……」


 テーブルをじっと見つめて、父の言葉を反芻する。


 あいつらは、人の不幸を喜ぶような奴らじゃなかった。今の俺を追い詰めているのは、間違いなくあの日の出来事だ。もう戻れない、後悔の時。

 あの日、あの時、どう決断したらあいつらを救えただろうか?そんな疑問が浮かんでは消え浮かんでは消えて、自分を追い詰めていた。

 あいつらはこんな俺を見て、どう思うだろう。

 バカだなと笑うかな?

 考えすぎだと注意するかな?

 もういいよと呆れるだろうか?

 少なくとも、俺を責める姿は思い浮かばない。付き合いは精々二ヶ月間くらいしかなかったが、それでも、酒を酌み交わして本音をぶつけた仲だ。だからこそ、それは無いと断言できる。


「はぁーっ」


 息を大きく吐いて、力を込めて大きく空気を吸い込む。

 そして息を吐き出して、力を抜いた。

 心を落ち着けるためにやった動作だが、母が少しだけ身を震わせていた。


 父の言葉に当てはめるなら、俺は東風達をダシにして悲劇のヒーローを演じている馬鹿野郎のような存在になる。

 そこまで言ってはいなかったかもしれないが、似たようなものだろう。


「馬鹿だな俺は……」


 いつまでも不幸な自分に酔うのは止めよう。

 あっちに行ったら、あいつらに怒られてしまう。


 俺は気持ちを切り替える。

 そんな簡単なことではないかもしれないが、ここで切り替える。そう決心して、俺は立ち上がると父達を見た。


「記念日には、特別なモノを飲むんだよな?」


「あっ、ああ、別にアルコールである必要はないな」


「そうか、じゃあこれも飾っといてよ」


 収納空間から女王蟻の蜜が入ったペットボトルを取り出す。蜜の残量は、せいぜいコップ三杯分。今いるのも三人なので、丁度いいだろう。


「コップある?」


 俺が、何も無いところから取り出したのに驚いて固まっている。急に手品なんて見せられたら、こうなるのかもしれないな。


 困惑していた二人だが、以前に母に送った物と同じだと伝えて、コップに注いでいく。

 母は味を覚えているのか、目を爛々と輝かせており、父は戸惑っていた。

 そして乾杯をすると、一気に飲み干す。


「クィーーー!?」


 三人揃って奇声を上げたのは言うまでもない。





 次の日、久しぶりにスッキリとした朝を迎え、冷蔵庫にある牛乳を取り出してコップに注ぐ。


「おはよう、よく眠れたか?」


 この声は父のジンクロウのものだ。

 いつもより、声にハリがあるのは昨日の蜜の効果かもしれない。

 コーヒーの匂いが漂っており、恐らく父が飲んでいるのだろう。


「うん、よく眠れブフッ!?」


 返事をして、牛乳を飲みながら振り返ると、そこには見知らぬ黒髪のダンディな男性がいた。


「……あんた誰?」


 思わず牛乳を吹き出してしまい、スウェットを汚す。

 これで何度目の着替えになるだろう。


 驚いた俺を怪訝そうに見る男性は、読んでいた新聞を閉じて口を開く。


「何言ってんだハルト、まだ調子悪いのか?」


 その声は、間違いなく父のものだった。




ーーー



 あの後、実家に二泊したのだが、どうにも休まる時間がなかった。

 父が若返り、母は狂喜乱舞で写真を撮りまくり、兄と姉は困惑しっぱなしだった。マサフミさんとヨシナさんは、どうやったのか聞いていたが、父は朝起きたらこうなってたと誤魔化していた。

 怪しんでいたマサフミさんだが、父が何も喋らないと分かると、それ以上の追及はしなかった。



 電車に揺られて進む。

 ヨシナさんに言われた通りにコンビニに寄ったのだが、巨乳は巨乳でも、少々お年の召された女性だった。

 あの人は、巨乳だったらなんでも良いと思っているのではないだろうか。今後、ヨシナさんの言うことは疑った方が良さそうだ。



 新幹線から乗り継いで、アパートのある駅まで向かって行く。

 ダンジョンのある駅まで、あと二駅となったところで、美人な姉ちゃんが電車に乗って来た。

 その手には、参考書やパンフレットが入っているバッグが握られており、見た目から重そうだ。それでも、その女性は何でもないように持っており、その力の強さを示していた。


 美人な女性は寒いのかマフラーをしており、手袋も厚手の物を着用している。

 時刻は五時前で、これから人が増えそうな時間帯。

 今はまだ混む時間ではないが、座れる席が俺の隣にしか空いてない状況だ。


 美人な女性は電車内を見回して、空いている俺の隣まで歩いて来ると、ストンと腰を下ろした。


 俺は少しだけそわそわして、隣をチラリチラリと見てしまう。


「あの、何か?」


 女性も気になったのか、俺を警戒して聞いてきた。


「えっ、えっと、あー、あっそうだ。勉強、勉強は上手くいってるのか…いるんですか?」


 挙動不審になってしまったが、何とか話すことが出来た。美人を目の前にすると緊張してしまうのは、男なら仕方ないだろう。

 女性は不審者を見るような目をしているが、返答はしてくれた。


「ええ、まあ」


 女性はそう短く答えると、スマホを取り出して操作し始める。誰かにメッセージを送っているのか、指が忙しなく動いている。


「あの、まだ何か?」


 また見られていたのがバレたようで、強めの口調で言われてしまった。


「いえ、すいません……。 あの、保育士を目指してるんですか?」


「どうして知ってるの?」


 困惑する女性に、バッグからはみ出ているパンフレットの文字を指差す。

 すると納得したようで、まあそうですけどと言って、またスマホに向き直った。


 駅を一つ通り過ぎる。

 次がダンジョンのある駅だ。


「……俺の知り合いにも、保育士目指している子がいたんです」


 急に話し始めた俺に、また驚く女性。

 側から見たら、きっとヤバい奴なんだろうなと思いながらも言葉を続ける。


「そいつは、気が強いところもあって、いたずら好きで、子供好きの優しい奴だったんです。 子供の頃から保育士に憧れていたみたいで、きっと良い保育士になれると思うんですよ」


「あの、なにを……」


「独り言だ、です」


 ふうっと溜息を吐いて立ち上がる。

 急に飲みたくなったので、次の駅で降りて一杯引っ掛けようと思う。


「貴女ならきっと良い保育士になれますよ」


 女性は俺を警戒しているようで、いつでも動けるように準備している。まあ、見ず知らずの男が話し出せば、こうなるのは当たり前だろう。


 ダンジョンのある駅に到着して扉が開く。


 もうこれ以上言わないでおこうかと思ったが、最後に一言だけエールを送ろうと思った。


「……だからさ、頑張れよ」


 すまんな、俺の語彙力はこんなもんだ。


 扉の閉まる先で、キョトンとした女性がいる。

 何か言いたそうだが、電車は動き出しており、その姿は遠ざかって行く。


 俺は電車が見えなくなるまで見送ると、繁華街に向けて歩き出した。

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