第92話 幕間13(黒一福路)その2

「みーこ、降りてきて〜!」


 小さな女の子が、木の上にいる子猫に向かって手を伸ばしている。

 子猫の首には鈴の付いたリボンが結んであり、飼い猫であることが分かる。この女の子の親が飼い主なのだろう。


 女の子が子猫を抱いてお散歩していると、突然犬に吠えられて逃げ出してしまったのだ。

 勢い余って子猫は木に登ってしまったのだが、思った以上の高さに怯えて降りれなくなっていた。


 女の子は呼んでも降りてこない子猫を心配して、木によじ登ろうとする。木には枝が多く生えているので、足場には苦労しない。


「みーこ、みーこ」


 ある程度まで登ると、と言っても1m程度だが、手を伸ばせば子猫に触れる距離にまで来ていた。

 あと少しあと少しと手を伸ばして、子猫を捕まえる事に成功した。


 ふうと一仕事終えた女の子は、思わず下を見てしまった。


「ひぅ」


 そして今度は、子猫と女の子が降りれなくなってしまった。


「ミィー」


 子猫が頼りない飼い主に、溜息を吐いた気がした。


 そんな時である。

 黒いスーツの男が通り掛かったのは。


「おやおや、どうしました? 降りれなくなったんですか?」


 女の子の様子に気付いた黒いスーツの男、黒一は、落ち着いた声で怯えさせないように話しかける。


 女の子は無言で頷くと、黒一は分かりましたと言って女の子と子猫を地面に下ろしてあげる。

 簡単な事だった。

 黒一からしたら目線の先に、ちょこんと子猫を抱えた女の子が座っていただけなのだから。


「ありがと!」


「いえ、お気になさらずに。では」


 女の子のお礼に、何でもないように返事をして去って行く。

 そんな黒一の後ろ姿を見て、カッコいいなーと女の子は純粋に思った。そして、腕の中にいる小さな子の様子に気付く。


「みーこ?」


 子猫は女の子の腕の中で、怯えたように震えていた。






 黒一は一軒のBARに入る。

 まだ昼間だというのに開店しており、店内にはバーテンダーが一人と三人の客が座っていた。

 客の方の面子は知らないが、バーテンダーとは顔見知りである。

 黒一は気心知れたバーテンダーに「おはようございます」と挨拶をすると、少しだけ怯えた表情を見せた。


「奥に通してもらってもよろしいですか?」


「は、はい、オーナーにも連絡しておきます」


「いえ結構ですよ。彼ならもう気付いているようですから」


 扉の奥から警戒するような視線を感じる。

 これは今に始まった事ではない、黒一が来る度に同じような反応をするのだ。これは黒一が探索者を取り締まる部署に所属しているのと、過去のいざこざでオーナーに嫌われているからだ。


「来やがったな。また仕事の話か?」


 扉を潜った先、もう二つの扉を進むとサングラスを掛けたいかにもな中年の男が座っていた。

 スーツを着崩しており、胸元と首筋には刺青が彫ってある。


「ええ、どのようなモノがあります? 難しいモノは除いてもらえると助かるのですが」


「ケッ、テメーがやらないからだろうが。 今あるのは三件だ、好きなのを選べ、期日はどれも明朝までだからな」


 男は三枚の資料を机の上に置くと、黒一の前に移動させた。


「ははは、友人がどうしてもお金が必要と言うので、仕事を回して上げてるんですよ。 そうですね……この売買の阻止にします」


 黒一が取った一枚には、海外から進出して来た麻薬カルテルの売買を阻止する依頼が記載されていた。

 勿論、誰からの依頼なのかは書いていない。

 大方、自国の犯罪組織がマーケットを荒らされるのを嫌っての依頼だろう。

 公に事を構えるには、相手の力が強過ぎて表立っての対立は出来ない。だから、このような手段を取るしかないのだろう。と勝手に予測する。


 反社会勢力が仮にプロの探索者を囲えば、それだけで粛清対象だ。下手をすれば、20階に到達しただけの元探索者であっても、その対象になりかねない。

 それが分かっているから、反社会勢力、犯罪組織は探索者の加入を見送る傾向にある。

 だからこそ、裏ギルドと呼ばれる場所が作られ、後ろ暗い依頼が各所よりひっきりなしに回されて来ている。


「なあ黒一さんよ」


「何でしょう?」


「お宅の組織は大丈夫なのか? ユートピアの連中に引き抜かれているみたいだが」


「問題ありません。 抜けて行ったのは引退を考えていた方達です。補充は幾らでも利きます、いざとなれば……と、これ以上はやめておきましょう。 では私はこれで」


 男は黒一を見送り、扉が閉まると同時に盛大に息を吐き出した。


「はぁー」


 毎度、黒一の相手をしていると冷や汗が止まらない。

 スキル千里眼と予見の使用を止めると、椅子に凭れ掛かる。

 狩られる側だった頃に比べれば、仕事を提供するなど黒一との関係は改善しているが、いつ気まぐれで殺されるか分からない。

 後ろ暗い事をしている自覚はある。

 だが、今更辞める気はない。というよりも、秘密を知り過ぎて辞めた瞬間に殺されると理解している。

 そして、真っ先に殺しに来るのがあの黒一だというのも理解している。


「あー、誰かあの化け物殺してくんねーかな」


「そうそう忘れてました……どうしました?」


 突然の再登場に、男は凭れていた椅子から転がり落ちた。

 なんでもないと答えて、用件を聞くと黒一は今度こそ出て行った。


 余計なことは、本人がいなくても言うべきではないと学んだ。






「黒一さん、本当にここに乗り込むんですか?」


 場所は埠頭近くの倉庫。

 ダンジョンからかなり離れており、車で片道二時間は掛かる距離だ。

 その距離を後藤田の運転で来ており、帰りもそうするつもりでいる。


「ええ、そうですよ。相手は一般人ではありませんが普通の人達です。フル装備をした後藤田さんの相手ではありません。 なに、今回ばかりは人を傷付けるのに躊躇する必要はありません。彼らを放置していた方が、より不幸な方達を生み出しますから」


 気弱な様子の後藤田に優しい声音で語りかける。

 これまでに黒一が持って来た仕事の依頼は、四度ほどこなしているが、そのどれもが後藤田の肉体と精神を削るものばかりだった。


「それなら警察に連絡した方が……」


「何を言っているんです。これは後藤田さんの贖罪なんですよ。人に迷惑を掛けたと仰ってたではないですか。それを償いたいという気持ちに感銘を受け、私もお手伝いさせて頂いているのです。 この仕事は、結果として人助けになります。更にその報酬で、後藤田さんの被害に遭われた方への救済もできる。 まるで後藤田さんのためにあるような仕事ではないですか。 これ以上何を望むのです?」


 黒一は徐々に圧力を増し、後藤田に反論させる意欲を奪う。別に呪言のスキルは使用していない、こんな事で寿命を削るスキルを使用する気はなく、その必要もなかった。


 後藤田の目から精気が無くなり、俯きながらも車から降りる。

 自分がそれ程の罪を起こしたのかと、自問しながら武器を手に取る。

 多くの人を傷付けたのは自覚している。

 家庭が滅茶苦茶になった家族がいるのも知っている。

 自殺した人がいるのも知っている。


 それでもと、車の中にいる黒一を睨みつけた。


 そして、直ぐに目を逸らす。


 黒一は異常だ。

 それには直ぐに気が付いた。

 持って来る仕事が異常な上、どうしても逆らえない。

 生物的な本能か、絶対に逆らってはいけないと、そう告げて来るのだ。


 逆らえば、どんな目に遭うのか分からない。

 それが、後藤田の反抗心を失わせていた。



 倉庫内にいるのは十四人、誰もが成人しており強面だらけだ。半数が外国人で半数が日本人。手には銃を持っており真っ当な人間ではないと分かる。


 それでも、黒一に比べれば恐怖は感じない。


 後藤田は取引現場に乗り込み、全員を再起不能にし、アタッシュケースを全て海に放り込んだ。


「お疲れ様です。 これをどうぞ」


 黒一から差し出されたポーションを飲み、撃たれた傷を癒やしていく。

 何発も銃で撃たれたが、鎧で防ぎ、受けた箇所も急所ではなかったので、命に関わるようなものではなかった。


「報酬は振り込んでおきますので、ご安心ください」


「ああ……ありがとう」


 後藤田は海を見る。

 夜の海は、真っ暗で全てを飲み込むような恐ろしさがある。


 いっそここに飛び込めば……。

 そう考えてしまうほどに、後藤田は追い詰められていた。


 だが、それでも……。


「また、よろしくお願いしますね」


 この悪魔からは逃れられないと、心が折れていた。





 昨日の事を思い出すと心が躍る。

 自然と笑みが浮かんでくる。


 後藤田の苦悩する姿が美しかった。

 後藤田の絶望に染まった目が面白かった。

 後藤田の反抗をしようとする意思が好きだった。

 そして何より、後藤田の諦めながらももがく様は、黒一に活力を与えてくれた。



「クロイツさん楽しそうですね」


「ええ、昨日は良い事がありましたので気分はいいですね」


 場所は探索者観察署特課にある黒一達チームが使用している一室。部下である宮塚影美みやつかえいみに指摘されて、何も隠さずに告げる。


 影美はパソコンで報告書を作成している。

 前回、遊香が使用した小瓶などの道具を経費で落とすため、カタカタと打ち込んでいく。

 この黒一が率いるチームで事務仕事が可能な人材は、影美と黒一の二人である。

 他の三人は無理無理と言ってパソコンに向き合わない。

 影美が教えるからと説得しても、ネット動画を見るだけで時間の無駄だった。

 黒一は黒一で、自分の仕事をやり終えたら消えるので、残りの事務仕事は全て影美によって行われていた。



「そういえば影美さん、例の兄弟の情報は入っていますか?」


「……入ってます」


「そうですか。捕らえれば、教会を潰す良いきっかけになりそうなんですけど……あるのですか?」


「あります。あの、居場所が判明したみたいです。 炎姫パーティと戦鬼パーティが仕掛けるって来ています」


「それは困りましたね、彼女達では対象を殺しかねません。これからでもその作戦、私たちも参加できませんかね?」


「それは無理だと思います。 時間も迫っていますし、動けるのは黒一さんと総司君しかいません」


「おや、影美さんは不参加ですか?」


「まだ仕事が……」


 そう言う影美の机の上を見ると多くの資料が積まれており、その一部を無言で掴んで黒一に差し出す。

 黒一はバツが悪くなり、黙ってコーヒーを啜る。

 良い気分があっという間になくなってしまった。


「少し掛け合って来ます」


 影美と居づらくなった黒一は、そそくさと居室を出る。

 スカウトした当初は初々しかったのに、今では半ば立場が逆転していた。

 スカウトしたきっかけは、黒一が影美のスキルに気付いたのと、タイミング良く影美が看護師の職を辞めていたので声を掛けたのだ。


 あの頃が懐かしいと思いながら、コツコツと足音を鳴らして廊下を歩く。

 普段、黒一は足音を鳴らさない。

 探索者観察署に黒一がいると知らせる為に、敢えて鳴らしているのだ。


 無用な諍いを生まないように、探索者達の気を引き締めるのを目的にコツコツと足音を鳴らす。他の探索者は関わりたくないが為に、進むルートを変えるか一室で通り過ぎるのを待つ。


 そんな中でも、例外が正面で待機していた。


 彼は受付嬢の格好をしており、普段は探索者観察署のエレベーター前で待機している人物だ。

 初めて見た人は、誰もが美しい容姿に騙されるが、彼は男性である。


「おや珍しい。リオさんがこちらに来られるとは、何かありましたか?」


 受付嬢の彼、リオは一礼すると黒一に一通の封筒を差し出した。


「署長より預かっております。確認次第、至急向かってほしいそうです」


「またいきなりですね…………逃しましたか」


 中身を確認すると、討伐対象だった新島兄弟を逃したというものだった。

 失敗の概要も記載されており、気持ちの先走った者が作戦を無視して突入し勘付かれたようだ。

 新島兄の闇属性魔法により逃走を許し、足取りを掴めない状況になっていた。


 勝手に突入した者は返り討ちに遭っているが、命に別状はない。ただ、彼には操られたような形跡があり、辺りを調べたところ、精神に異常をきたすトラップが仕掛けられていた。

 そのトラップは錬金術で作られており、幾つかの箱のようなものが発見されている。


 何にしろ不甲斐ない。

 たった二人を十倍近い数で囲んで逃げられているのだ。

 幾らでもカバーは出来たはずである。


 その上、新島兄弟の足取りは掴めていない。


 報告書と参加依頼書を封筒の中に戻し踵を返した。


「影美さんに頼むしかないですね」


 書類仕事で忙しい影美だが、どうしても彼女の力が必要になってしまった。

 きっと嫌がるだろうなと、その時の影美の表情を思い浮かべて、少しだけ楽しくなった。





「ダンジョンに向かったようです」


「まあ、予想通りですね」


「ふっ、俺の手からは逃げられん」


 新島兄弟が潜伏していたマンションの一室を調べて、その痕跡を辿った結果、影美はそう結論を出した。


 黒一はUターンして戻ると、影美を半ば強引に連れ出した。帰ったら書類手伝えコールが良いBGMとなり、黒一の心は少しだけ満たされた。

 道念総司どうねんそうじは動画を撮って暇そうにしていたので、強制参加だ。


 影美はスキル追跡を持っており、一時間以内ならば問題なく追える。ただそれ以上時間が経過すると、痕跡を辿るのが難しくなり、十時間を過ぎると完全に追えなくなる。


 また、影美にはスキル以外にも特殊な能力がある。


「…………はい、仇は必ず」


 影美は所謂見える人だ。

 看護師時代は、この能力のせいで奇行を繰り返し顰蹙ひんしゅくを買って、いづらくなってしまったのだ。

 理解のある人は引き留めてくれたが、それでもこれ以上迷惑は掛けれないと職場を辞めた経緯がある。


 余談だが、ダンジョンで最初に『交流』というスキルを得てしまい、この世のモノではない人との意思疎通が可能となり、その力は増してしまった。


 そんな影美は、潜伏していた一室の隅で何かと話していた。


「どなたかいらっしゃるのですか?」


「……はい、連れ去られた女性がいたようです」


「許さん!」


「総司君は落ち着いて下さい。 影美さん、その情報は後ほど報告をお願いします。今は追いますよ」


 影美は頷くと、黒一の後に続きマンションから出る。

 必ず報いは受けさせると決意して、犠牲となった女性の冥福を祈った。



「なあクロイツさん」


「どうしました?」


 道念総司がやけにハスキーなボイスを作って、黒一に話しかける。

 総司から黒一に話しかけるのは珍しい。

 一緒に仕事に赴いても、無口なキャラが好きらしく、黒一から話しかけないと殆ど話す事はない。

 基本的に独り言が多いので、そういう奴なんだとチームメンバーも理解していた。


「どうして俺達は奴らを追ってるんだ?」


「……そこからですか」


 何も理解していなかった総司に溜息を吐く。

 説明は以前からしていた。

 新島兄弟が、探索者観察署の情報をミンスール教会に流していた可能性が高く、一般人に危害を加えており、粛清対象になったのだと。

 また、それだけでなく……。


「魔人化の兆候が見られます」


「……魔人化……か、それは大変だな」


「総司君、知らないなら知らないって言った方が良いですよ」


「はい、知らないです」


 影美の指摘にあっさり認める総司。

 チームの中でも最年少の総司は、このチームに加入して約一年だ。大学を卒業後、ひたすらにダンジョンに潜っていたのを黒一にスカウトされたのだ。


「魔人化とは、簡単に言うと人のモンスター化です。 魔人になる方法は簡単です。分かりますか?」


「ふっ、簡単な事だ。暗黒面に堕ちれば、人はもう戻って来れない」


「スター◯⚪︎ーズですか?」


 影美はこの子の相手は大変だなと思いながら、同僚である遊香は苦労しているんだなと理解する。

 そんな総司の回答を無視して黒一は続ける。


「ダンジョンで人を殺す事です。 どの程度、人を殺せば魔人に成るのかは分かっていません。ですが、より強い人を、より多くの人を、より永くいる仲間を殺せば魔人化に近付くと言われています。 そして、新島兄弟は40階突破後に仲間を殺しています」


「……おっ……おっかねーだな」


 総司は田舎出身だった。


「前兆がある程度ならば、それで見逃す事もありますが、彼らはその後もダンジョンで人を殺していました。 いつ狂ってもおかしくない状況ですので、可能なら生捕りにして地上で始末します。 今回、私たちに依頼が回って来たのも、生捕りにする必要があるのと、いざとなればダンジョンで始末する為です。私なら魔人化を回避出来ますからね」


「お、おら、俺達は何したら良いだべ、良いんだ?」


 ゴクリと唾を飲み込んだ総司は黒一に問いかける。

 もしかしたら、自分達は必要ないのではないかと思ったのだ。

 総司も黒一の実力は知っており、こと戦闘においては反則と言ってもいいスキルを持っている。魔人化の回避も、そのスキルの恩恵だとも推測できた。


「勿論、生捕りです。 教会を潰せるかも知れませんから」


 黒一の狙いは一貫して変わっていない。




 ダンジョンに到着すると、影美に指示を出してどの階に飛んだのか調べさせる。

 逃亡生活するならば40階の可能性が最も高いが、30階から進んで行く可能性もあり判断に困っていた。


「30階に行った……と思います。ごめんなさい、転移魔法が絡むとはっきりと見えないんです」


「十分です。では行きましょうか」


 ダンジョン30階に飛び、再び影美に調べさせると、予想に反して逆走している事が判明する。


 何のために?

 そう考えて、嫌な予感がした。


 もしも、逃げる為ではなく、程々に強い探索者を殺しに向かったとしたら?

 魔人化を早めるために行動しているのなら、それは黒一にとって最悪な結末になってしまう。


 扉を出てフィールドに出ると、少し離れた場所から戦闘音が聞こえてくる。


「急ぎましょう」


 走って向かうと、途中で探索者の遺体が転がっていた。

 どういう経緯でこうなったのか予想は出来た。

 運が悪かった。

 探索者であるならば、その一言で片付く。

 ただそれだけ。それ以上も以下もなく、ただそれだけの話。


 影美が立ち止まり手を合わせているが、黒一は止まらずに先を急ぐ。


 そこで目にしたものは、新島兄に止めを刺そうとする田中の姿だった。


「失礼、少々お待ちを」


 縮地を使用して間に入り、腕に装備した手甲で戦斧を止めた。

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