第75話 七十九日目

 今日はスマホの着信音で目覚めた。

 スマホの画面を見ると、愛さんの文字。

 最近、愛さんからしか着信ないなと思いながら、電源を切って二度寝した。


 まだ朝の九時だ。動き出すにはまだ早い。


 次に目覚めたのが二時間後で、いつの間にか電源を切っていたスマホの電源を入れると、三十件ほど愛さんから着信が入っていた。


 なにこれ怖い。愛が重い。


 なんてのは冗談で、流石にここまで着信があるのなら、何かしら緊急の用事かもしれない。


 もしもし、はい田中です。

 はい寝てました。いえ、気がついたら電源が切れてたんで、寝ぼけてただけだと思います。

 えっ、あのアグレッシブ爺さんが危篤?

 ああ、違う。元気にしてるんですねー。

 いえいえ、またお金取ろうだなんて考えてないですよー、やだなー。

 食事の誘い?アグレッ……お爺さんから?

 いやー、お爺さんと二人での食事はキツいっすわ。

 ちょっと遠慮して良いですか?

 はい、じゃあ、これで……まだある?

 仕事の依頼?またアイテムの試作品を使ってみてほしいと。


 ……報酬は?



 女王蟻の蜜を匙で掬ってクイッと気合いを入れると、ホント株式会社に向かう。

 会社に入ると、以前より人が多くいる気がする。

 皆、スーツをビシッと着こなしており、胸には社員証が付けられている。

 なんだか、一人だけ私服な上に髪もボサボサなので少しだけ恥ずかしい。今度からは、身嗜みには気を付けようと思う。やるかどうかは、その日の気分にもよるが。


 周囲から、なんだこのデブと言わんばかりの視線がチクチクと突き刺さりながら、社長室に向かう。

 俺、お客様だけど、とのっしのっしと腹で風を切って歩く。肩で風なんて切れない、知らない人になんて威張れない。


 廊下の端をのっしのっしと歩いて、たどり着いた社長室の扉をノックして開くと、そこには社長の愛さんと、会長のお爺さん。そして向かい側に座る一人の初老の男性と、その背後を固める探索者の姿があった。


 あっすいません。お取込み中でしたね。

 また来ますんで、じゃあ、また。


 まさか社長室がこんなにピリついた空気になっているとはつゆ知らず、いつも通り返事も待たずに開けてしまった。

 慣れて来たからといって、やって良い行動ではなかったな。反省反省。


 だから、引き留めないでもらっていいですか?


 愛さんから毅然とした態度で、まるで部下にでも言うように田中君はここで待ってなさいと視線だけで場所を指示される。

 なんだか逆らえる雰囲気でもなかったので、そこに立って仁王立ちしてみた。

 別に反対側にいる探索者に抵抗してではない、ただ雰囲気に合わせただけである。だからそんなに睨まないでほしい。


 初老の男性は俺を見ると鼻で笑った。

 なんだこの野郎と見下ろしてジッと見てやると、不快に思ったのか、また来ますよ本田さんと言って出て行ってしまった。


 一体なんだったんだろうな。

 事情を愛さんに尋ねると、何でも初老の男性は大企業の社長のようで、ホント株式会社を買い取りたいと言って来たらしい。

 直近、ホント株式会社は政策の変更により、その成長は目覚ましい。そして、これからも規模は拡大すると目されており、新商品も続々と発売され売上も好調な事から、間違いなく成長する優良企業とされている。

 ダンジョンがある限り存在し続ける探索者協会とも深い繋がりがあり、長年の経営ノウハウもバカには出来ず、ホント株式会社をなんとしても買収したいらしい。


 TOBしようにもホント株式会社の株式は会長のお爺さんと社長の愛さんが大半を保有しており、同意がなければまず成立しないので、直接交渉に来たそうだ。


 当然、その提案を拒否した二人だが、これは一社からではなく、他の大企業からも似たような提案があるようで困っているらしい。

 なかには実力行使を示唆する発言もあり、探索者協会にも相談中なのだそうな。


 ヘー大変ですねーと聞いといて適当な返事をする。

 ごめん、そんなに睨まないで。

 興味なかったんです。

 この会社がどうなろうがどうでもいいとか思ってるけど、潰れても問題ないとか思ってるけど、一応心配してるフリするから許して下さい。


 睨まれて明後日の方向を向くと、仕事の話しましょうと切り出す。

 愛さんは溜息を吐くと、他人事じゃないんだけどねと呟いて立ち上がり、付いてきてと言われて社長室を出た。


 到着したのは、会社に併設された倉庫だ。

 作業をしている人もおり、フォークリフトが忙しなく動いている。


 その倉庫の一角に高さ2m、幅1.5m×3mくらいの車輪付きの白い頑丈そうな箱があり、俺は愛さんに連れられてその箱の前に立っていた。

 横には何か作業しているスタッフがいて、この箱に何かしているようだ。


 この中に何かあるんですか?

 え、違う?じゃあこれは?

 これが試して欲しい商品?この箱が?


 箱の表面にはパネルがあり、そこに触れてくれとスタッフの人に言われて手を乗せると、少し光った後に登録完了の文字が浮かぶ。

 これ何ですかと尋ねると、これは魔力で動く自動ポーターという魔道具で、重量2tまで運搬可能らしい。装甲も分厚く、オークの攻撃ならば一時間は耐えれる計算なのだとか。

 なかは保冷出来る場所もあり、食料の保存も可能。倒れても自動で起き上がる機能が付いている。


 横にはしっかりと『ホント株式会社』の文字とロゴマークがプリントされており、商品名は《ポッタクルー》と言うそうだ。


 どなたが名前をお考えに?

 ああ、娘様。

 あー、えーと、そろそろ別の方が名前考えた方がいいんじゃ?

 いえ、批判とかじゃないです。

 あっそうですね。いい名前だと思います。はい。


 ポッタクルーは登録した人の後に付いて来るらしく、音声による指示かスイッチを切らない限りどこまでも付いて来るそうだ。

 なので、次に音声登録するために、マイクに向かって俺は声を発した。


 マイクを前にすると、歌いたくなるのは何故だろう。

 最初は普通に喋っていたのだが、いつしか俺の美声が倉庫内に響き渡り、そして止めろと注意された。


 五月蝿いと、仕事の邪魔すんなと作業している人達から沢山の苦情を頂き、俺はごめんと思った。


 登録が完了して俺はポッタクルーを連れて会社を出る。

 試用期間は一ヶ月間で、延長も可能。使っている間に二度ほど感想を言ってもらえれば良いそうだ。

 簡単な仕事だなと、ニヤニヤしてポッタクルーを連れてダンジョンに向かう。


 そこで三つほど気付いた事がある。

 一つはこの大きな箱を連れて歩くのは、結構恥ずかしいというのと、もう一つは、俺にポッタクルーは必要無いという事だ。


 収納空間がある俺には、台車の代わりとなるポッタクルーの使い道が無いのだ。


 そして邪魔。とにかく邪魔。

 ダンジョンに比較的近い位置にあるホント株式会社だが、徒歩で二十分は歩かないといけないので、歩道を占拠してしまい人通りが多い場所だと、とてもではないが通れない。

 今は車道に出て、軽車両と同じように左端を進んでいるが、通り過ぎる車両からの視線が痛く、このポッタクルーは通行の邪魔になっている。


 スマホを向ける多くの人達とすれ違う。

 もしかしたら、迷惑だと警察に通報するために証拠画像でも撮っているのかもしれない。


 今度からは収納空間に入れて、ダンジョンに入る時だけ取り出そうと決めた。



 ダンジョン11階


 テストでポッタクルーの中に生卵を入れて走らせてみる。

 凹凸はそれなりにあるので、ガタガタ揺れてダメかと思ったが、タイヤが大きく、サスペンションもしっかりしているからか、中の卵は割れていなかった。

 ポッタクルーは障害物をスイスイと避けて、俺の背後を付いて来る。わざと岩の上を通ったりするのだが、しっかりと迂回して付いて来る。凄い優秀だ。


 動力である魔力の補充は、ポッタクルーの横に持ち手の付いたケーブルがあり、それを持って魔力を送れば良いそうだ。

 一度の補充で一日は使えるようで、俺で十分の一消費したくらいの感覚だ。魔力循環を使えば、数分で回復できるレベルなので問題ない。

 パーティならば、交代で補充すれば良いので、魔力残量を気にする必要も無いはずだ。

 いざとなればマジックポーションでも補充は可能らしく、その料金を考えれば最後の手段となるだろう。



 ダンジョンに入っても、偶にスマホを持った探索者を見掛けるが、もしかしたらヤッてる奴等でも盗撮してるのかもしれない。


 悪趣味だなと思いながら、ゴブリンを土の杭で始末する。


 少しだけ採掘しようかなと考えていると、横から誰かに呼び止められた。


 そちらを見ると五人の男女がおり、何か頭を下げてお礼を言っている。

 誰だか分からなかった俺は、どちら様でしょうと聞くと、先日助けられた者ですと、鶴の恩返しのような台詞が出て来た。


 ん?と記憶を探ると、ヤッてた奴らだと思い出した。


 途端に興味を失った俺は、何か用かと適当に相手をする。

 すると、彼女達は助けてくれてありがとうと、必ずお礼はしますと頭を下げている。使ってくれたポーションも近いうちに返すと、もうダンジョンであんな事しませんと言っている。


 なんだか必死な様子だったので、別に気にしなくて良いと、ポーションも勝手に使った物だから返さなくて良いと言って、これから頑張れよと言っておいた。


 彼女達はまたお礼を言い出したが、そこで一人足りない事に気が付いた。


 女は三人、男が二人いるが、男が一人いなくなっている。もしかして、助からなかったのかと心配になる。

 不安になって、思わずもう一人はどうしたんだと聞いてしまった。


 そして後悔する。


 彼女達は悲しそうな表情をして目を伏せた。


 男の一人は、あの日、モンスターに襲われて失ってしまったそうだ。


 ……大切なムスコを。



 股間がヒュンとなった。

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