第70話 七十日目
朝早くからギルドに来ている。
昨日、麻布さんから指定された通りに来ているのだが、当の麻布さんが来ない。
百万円もする本の使い方を教えると言っていたが、魔法陣が描かれただけの本に、どのような使い道があるというのか疑問である。
昨日は俺もいろいろと試してみたのだが、結果はさっぱりだった。
麻布さんに本の使い方なんて言われたから、てっきり本に描かれた魔法陣に魔力を流せば、魔法陣が発動するものだと思っていたが、何も起こらなかった。
全ての魔法陣に魔力を流した訳ではないのだが、ランダムに試しても反応がなければ結果は同じだろう。
ギルドの飲食コーナーでコーヒーを注文して、麻布さんの到着を待つ。
そして麻布さんが来たのは、指定された時間から一時間後だった。
あっざっぶっさんよ〜!!な〜に人を一時間も待たせてんだよ!あんたが指定した時間だろうがい!
二日酔いだから大声は止めてくれ?
なめとんのか!!
顔を真っ青にした麻布さんは、ヨロヨロとした足取りで俺を案内しようとして、そのままトイレに直行した。
お前は俺をどこに連れて行きたいんだ。
トイレから出てきた麻布さんは、使っていない会議室に案内すると、自身が持っている本を取り出して俺の前に置く、そして無造作に本を開いた。
そこには一つの魔法陣が描かれており、麻布さんは徐に手を乗せると魔力を流す。
それは、俺が昨日やったものと同じだった。
それをやっても何も起きなかったのだ。
俺は冷めた目で見ていると、麻布さんは魔力を流していた手を俺に向けて上げた。
……は?
麻布さんの手には、魔力で作られた魔法陣が浮かんでおり、その紋様は本に描かれているものと同じだった。
すげーーー!!
俺は今、宙に浮かんだ魔法陣を見て猛烈に感動している。この前の探索で戦ったデーモンも魔法陣を使用した魔法を使っていた。威力は強力で、まともに食らえば重傷は避けられなかった。
この本があれば、それほどに強力な魔法を放てるとでもいうのか。
俺は期待に満ちた目で麻布さん、いや、麻布先生に問いかける。
「使えませんよ。これだけです」
え?じゃあ、この魔法陣はなんに使うんですか?
「これだけですよ」
えっ?
「これだけです」
俺の拳に膨大な魔力が宿る。
宴会芸レベルの物に百万円も出した上に、貴重なモーニングタイムまで消費したのだ。このアホの麻布の顔面を陥没させてやらねば、俺の心は晴れない。
強烈な殺意に焦ったのか、麻布は手をブンブンと振って冗談冗談と必死に主張する。
アホか、冗談はお前の七三とちょび髭だけにしとけ。
殺意が俺の拳を強くする。
今なら麻布を木っ端微塵に出来そうだ。
麻布が何か叫んでいる。
やめてくれ!もう一度チャンスを!このままじゃ損しますよ!絶対に役に立ちますから!
まったく、死にたくないからと往生際が悪い。
このまま麻布を殴ればスッキリするだろう。だが、と考えて俺は魔力を霧散させて拳を解いた。
怒りはあるが、損はしたくない。
役に立つなら、聞いてからでも遅くはない。
だからチャンスを上げよう、さあ説明したまえ。
魔力を流した魔法陣には力がある。以前失敗したとはいえ、俺がテントに縫い付けた魔法陣にも力が宿っていた。
魔法陣には多くの種類があり、探索者は少なからず魔法陣に触れて生活している。特に魔法スキルを持つ者には必須の物となっており、そうでない者でも装備品に刻まれていたり、ダンジョンで使用する魔道具には魔法陣が刻まれている。
それを前提として麻布が語るのは、魔法使いが使う魔法陣についてだ。
ただイメージしてスキルで魔法を使っているが、そこに魔法陣を加えると更に強力な魔法が使用出来ると言うのだ。
うん、知ってた。
拳に魔力が篭る。
再び殺気が放たれて焦る麻布に、面倒な説明はいいから、この本で何が出来るようになるのか結論だけ言えと指示を出す。
「うおっほん! この本で、魔法陣を使った魔法が使えるようになります」
それは衝撃だった。
説明を省かせたので、どうしてそうなるのか、はっきりしないが、あの手に浮いた魔法陣に秘密があるのかもしれない。
本当ですか先生!と少しだけ見直した俺は、麻布さんにどうしたら出来るようになるのか問いかける。
麻布先生の説明によると、この本の魔法陣に魔力を通して魔法陣を浮かせる事で、格段に魔法陣習得の効率が上がり、簡単に強力な魔法が使えるようになると言うのだ。しかもそれだけではなく、スキルに無い種類の魔法も使えるようになるかもしれないと言う。
……なんという事だ。
こんな方法があったなんて。
てっきり、日々の魔法の練習で熟練度を上げ、魔法陣を取り込み使えるようになるものだと思っていた。
それをこんな簡単な方法で、強力な魔法を使えるようになるなんて。
あの時、デーモン相手に魔法の威力が足りずにかすり傷すら付けられなかった。それが、この魔法陣で練習するだけで解決するのだ。しかも、新たな属性というおまけ付き。
やや、かもしれないという言葉には引っ掛かるが、こんなに買いな物はないだろう。
麻布先生は更に続ける。
別の魔法陣の本を机の上にドンと置くと、自信満々に言い放った。
「魔法陣辞典完全版、今なら二百万円です!」
買った!
ダンジョン11階
麻布先生の講義はまだまだ続き、裁縫に使える魔法陣や特殊な組み合わせなどの説明をしてくれた。というかそっちの方が長かった。
だが、俺はもうそんなものどうでもよかったので、目を輝かせたフリをして適当に聞き流していた。ひたすらに早く終われ講義と願い続けながら。
講義が終わり、俺は早速、麻布先生に教えられた魔法陣を試していた。
魔法陣に魔力を流してそれを維持する、そして前に手を出すと魔法陣が浮かんでいた。
今、浮かんでいる魔法陣は火を灯す効果のあるものだ。魔道具のコンロに使われている魔法陣であり、俺も愛用しているコンロにも描かれている。
魔法陣を展開した俺は、火が灯るのをイメージして魔法を発動しよう魔力を流す。
そして魔法陣は霧散した。
……これはどういう事だ。
俺はまた騙されたのか?
いや、まだそう断言するには早過ぎる。他の魔法陣も試してみなければ結論は出ないだろう。
基本属性なる項目にある魔法陣を試して行く。
そして全ての魔法陣を試した結果、全てダメだった。
そう、全滅だったのだ。
何も反応しなかった。スキルを持っているはずの地属性や治癒についてもだ。
あの野郎〜!!
騙されてしまった。一度ならず二度までも。
結局は宴会芸レベルの物でしかなかったのだ。
……いや待て、あいつは言っていた。練習が必要だと。
そうだと思い出した俺は、魔法陣に手を当て再び魔力を流す。再び手に魔法陣を浮かせると、魔法陣に流れる魔力に意識を集中する。
魔力は陣の中を一定方向に流れており、少しずつ量が減っていく。そこに魔力を供給すると、勢いを増して回転するが、更に量を増やすと陣が耐え切れずに霧散した。
それを何度も繰り返して、魔法陣を浮かべてる。
もしかしたらこれは無意味な事かもしれない、それでもこの魔法陣を浮かべるという現象が、それだけで終わる筈がないと信じている。
何より、麻布が自信満々に言っていたのだ。
これで嘘なら、俺は人間不信になってしまう。
妨害してくるモンスターを片手間に蹴散らし、魔法陣を浮かべては集中する。
あと少しで何かが掴めそうだが、魔力の残りが少なくなって来ていた。
俺はスキル魔力循環を使用して魔力の回復に努める。
座って瞑想のように意識を集中する事で、魔力の回復速度が格段に上がり、一時間もしないうちに魔力は全回復する。
これまでは一晩掛けなければ回復しなかった魔力も、このスキルのおかげで時間を短縮することが出来る。
スキル並列思考を使い動きながらでも回復は出来るが、その際は効果が格段に落ちるので、可能なら止まってから使用した方が良いだろう。
魔力を回復した俺は魔法陣に手を置き、興味本位で魔力を流す前にトレースを使ってしまった。
そして、俺は何かを掴んだ。
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