第61話 幕間9(後藤田久満)
後藤田久満はガーディアンHDに長年勤めた功労者である。
五十歳を過ぎた彼は、威圧的で人の話を聞かないなどの悪い特徴を持った社員だった。
かつてはそうではなかったのだが、年月が経ち、思い通りになる事が増え、いつしか部下や歳下を見下し暴言を吐くようになっていったのだ。
だが、彼の能力は確かなものがあり、たとえ問題行動を起こしたとしても、それが会社の利益になると判断されれば許されていた。
彼がこうなったのも、或いは会社のせいなのも知れない。元から彼が持っていた気質と言われたらそれまでだろうが。
とにかく、彼は成果を上げる傍ら部下からは嫌われていた。
その中には役員の親族もいたようで、悪評を流され、役職も部長から上に行けなくなっていた。
それに気付いた時には挽回は難しく、能力がありながらも部長という役職で落ち着いてしまった。
本来なら、部長でも十分に社会的地位のある立場なのだが、自尊心の高かった後藤田は段々とフラストレーションを溜めていく。
その結果として出されたのが、部下への更なるパワハラと妻への暴言だった。
無理難題を部下に命令して、失敗するとストレス解消に当たり散らしていた。
そのせいで、何人もの社員が辞めて行く。
その事態を重く見た会社は、次にやれば降格させると忠告するが、一時的に治るだけで時間が経てば再発した。
家族もそんな後藤田を見捨てて離れて行く、子供達が妻を説得して家から出て行ったのだ。
書き置きと共に離婚届がテーブルの上に置かれており、それを見た後藤田は酒に溺れ、気の済むまで暴れた。
後藤田はダンジョンを22階までクリアした者である。
昔、妻や仲間達と潜り、限界を感じて探索者を止めた者だ。
挫折者ではあるが、探索者ではない一般人より強い力を持っている。そんな力を使えば即刻逮捕され重い刑に処されるが、その辺りの理性は残っており、何とかしてストレス発散の方法を探し回っていた。
そして思いついたのが、再びダンジョンに潜ることだった。
モンスターを倒せばストレス解消になるかと、21階でオークに挑む。タンクであった後藤田は攻撃を受け止めることは出来ても、長年のブランクもあり攻撃が上手く通らなかった。
無理だと思い20階に来るが、そこでは更に無理だった。コボルトにいいようにやられて撤退したのだ。
ならばと11階でビックアントを倒しても手応えがなく、無駄に疲れただけだった。
後藤田は更にフラストレーションを溜めていく。
頭に血が昇り、冷静さを失った状態でやり返してやろうと再び21階に戻って来た。
そしてオークを探して徘徊していると、誰かが戦っている音が聞こえてくる。ゆっくりと近づき様子を窺うと、探索者パーティがオークを相手に劣勢に追い込まれていた。
それを見て湧いた感情は楽しいというものだった。救助や手助けなどの思いではなく、人がやられていて楽しいと思ってしまったのだ。
後藤田は自身の新たな性癖を知り、興奮を収める事が出来なかった。
他人に知られれば軽蔑されるだろうが、誰にも言わなければ問題にはならない。しかし、後藤田の思考はどうやったらもっと見られるかに傾いていた。
どうすればあの場面が見れる?
どうすれば苦悶に表情を歪めさせれる?
どうやったら手を汚さずに……。
そうして導き出した答えが、装備品の耐久テストだった。
話が飛躍し過ぎて付いていけないが、導き出した答えがこれだった。そして、タチの悪い事に後藤田にはその能力があった。
プレゼンの場で、盾や防具の耐久テストや数字の出し方の改善案を出し、それに伴ったモンスターの攻撃に耐える映像を撮り宣伝する事で、売上アップが見込めると宣言したのだ。
誰もが懐疑的に、失笑しながら聞いていたプレゼンだったが、社長の「自信があるならやってみろ」の一言で実行されてしまう。
その結果、前年比1.5倍の売上を叩き出した。
装備を購入しに来た探索者は、ディスプレイに映った映像を見て興味を引かれ、オークの攻撃にどれだけ耐えたかという具体的な数値を見て購入を決めていた。
どの素材が使用されたとか、ただ高くて良い物だから購入しようという意識から、安くても十分に機能する装備品にしようと意識がシフトチェンジしていったのだ。
後藤田自身、予想外の成果に驚いていた。
欲望のために出した馬鹿げた案だが、このような結果になると思わなかった。これだけの成果を出したならば、昇進のチャンスが巡って来てもおかしくはない。
たとえ少々の問題行動があったとしても、この功績ならば昇進して然るべきだろう。
そう思っていた。
だが、一向に声は掛からない。
功績を讃えて表彰され金一封は貰ったが、それだけである。
会社は分かっていたのだ。
この方法に問題がある事を。
発案した後藤田も気付いていたが、それとこれとは別の話だと思っていた。だが、会社はそうは思っていない。生贄が必要なのだ。責任を取る生贄が。この売上を維持しつつ、首を差し出せる者が必要だったのだ。
それが後藤田の最後の仕事になる。
そして、それに気付いた後藤田は容赦しなくなった。
ただ、己の欲望を満たすため、他者が苦しみ必死に生にしがみつく姿を見続けた。
最初は探索者に依頼して行っていたが、やがて苦情が入り探索者協会で依頼を出せなくなった。
個別で探索者に声を掛けても、広まった悪評から受けてもらえない状況にまで至っていた。
だから、社員から選別してオークの前に立たせたのだ。
態々、社長に掛け合い、社員を20階までクリアさせる必要があると説得したのだ。
探索者を雇い、社員を20階のポータルまで連れて行く。経費は掛かるが、それ相応のリターンが期待出来ると力説して納得させた。
そして、力の無い一般人がオークの攻撃に堪える映像を撮り自己の欲望を満足させていった。
鎧を装備していると苦痛に歪む顔が見難いので、人物をCG化すると言い出したり、一度に数体のオークに襲わせたりと危険な行為を行ってきた。
この二年間で十三人の社員が辞めていった。
その中でも印象に残った社員は、小太りで気弱そうな青年だった。
彼は探索者をしていたようだが、22階で断念して引退したそうだ。スキル頑丈を持っていたが、もう一つが聴覚増強というイマイチなもので、サイレントコンドルに苦戦して仲間を一人失ったと言っていた。
「そうか、大変だったな。まあ、ここなら死ぬことはないだろうから安心しろ」
「はい! 精一杯頑張ります!」
コイツはどんな顔するかな。後藤田はそんなことを思いながら、青年に安心させる言葉で近付いた。
「後藤田さん…。 これ、本当に仕事なんですか?」
ひたすらにオークの攻撃に堪えた青年は、疲れた表情で心配そうにしているが、その表情もまた後藤田の嗜虐心に火を付けた。
「何言ってんだ。当然だろうが! この会社はな、これで社員に飯食わせてんだよ!」
「そ、そうですよね。すいません。変なこと言って……」
それからも青年は業務をこなし続ける。
これまで探索者として活動を続けており、社会経験が全く無かった青年はこれが普通なんだと自分に言い聞かせて、言葉の通り精一杯頑張った。
何社も受けて、唯一拾ってくれた会社に恩返ししたいという気持ちもあったので、無理をして頑張ってしまった。
半年間。
彼はこの地獄のような行いを半年間堪えた。
そして壊れる。
鬱病を発症し会社で自殺を図ったのだ。
運良く一命は取り留めたが、植物状態となり寝たきりになってしまう。
青年は遺書を書いていたが、それは第一発見者の手により隠されてしまった。
青年には病気を患った母がおり、遺書の内容もその母に向けられたものだったが、責任が自分に及ぶと考え焦った者の手によって、内容も確認されずに捨てられてしまったのだ。
病気の母は会社を訴えたが、証拠が無い訴えには何の力も無く、聞き入れてもらえず泣き寝入りするしかなかった。
この一連の騒動を受けて、会社側も後藤田を庇えなくなって来ていた。他にも被害者はいるのだ。一斉に訴えられたら後藤田だけでなく会社にも被害は及ぶ。
だから、忠告をした。
「後藤田部長、貴方は我が社によく尽くしてくれている。 だがね、これ以上やり過ぎるなよ。次はない。そう覚えておけ」
「はい…」
「不服なら言ってくれ、転勤先も用意しておく」
「大丈夫です。次からは上手くやりますので…」
この時の後藤田は、無表情なのにある種の狂気を纏っていた。目的のためなら手段を選ばない、そんな狂気が。
それからも後藤田の欲望を解消させる為の業務は遂行される。予め同意の書類にサインさせ、後藤田自身が前に出ることはなくチームとして動くようになった。
生贄も一人ではなく、数人の交代で行わせるようにして不満を分散させた。
大所帯で潜ることも増え、仕事はさらに増えたりもしたが、苦情や不満は後藤田には向かず仲間内で起こるようにも仕向けた。
これで何も心配せず、これまで通りにやって行くだけだ。
そう思っていた。
ある日、中途採用者が来ると聞いて、必要な書類を準備する。今回の採用者は頑丈のスキルを持ち、ダンジョンも24階まで潜っているそうだ。
どんな奴が来てもやる事を変えるつもりはないが、注意はしておいた方がいいだろう。
部下達にもその旨を伝えると、自分の業務に戻る。
何も仕事は、ダンジョンで行うモノばかりではない。工房から送られて来た装備品を鑑定、ダンジョンで調査する。そして適正な値段を算出し工房に伝えて、許可を得てから販売開始なのだ。
「本日より、こちらで働かせて頂く田中です。よろしくお願いします」
また若い奴が来たなと思って書類をみたが、年齢は24歳と見た目よりも随分上だった。これも自分が歳を取ったからだろうと納得して、威圧的に接して行く。
最初が肝心なのだ。
「ああ、聞いている。技術部の後藤田だ。まずはこの書類にサインしろ、社に提出するやつだからな早くしろよ」
「はい、あの内容を確認しても?」
「どこでもやっている誓約書みたいなもんだ。会社の情報を外部に漏らしたときの罰則とかのな。 早くしろよ、今日から仕事を始めてもらうんだからな」
「今日からですか? 業務の説明とかは無いので?」
「そんなもんは遣りながら教える。ごちゃごちゃ言ってないで早くしろ! 仕事が溜まってんだよ!」
「そ、それは俺に関係……何でもないです。はい、サインしました」
「おし。 おい!コイツに作業着を渡してやれ、準備出来次第ダンジョンに行くぞ!」
後藤田は部下に指示を出して、中途採用者の田中の準備を任せた。
部下は後藤田の指示に従うイエスマンで固められており、反論する者はいないのだ。内心どう思っているか分からないが、少なくとも自分に被害が出なければそれで良いと考えている者達で固められている。
「えっ?今からですか?」
疑問に思ったのは、新たに加わった田中だけだった。
田中は逸材だ。
初日に熟した仕事量は、本来なら三日掛けて行う予定だった量だ。しかも、交代でするはずのものを一人でやってしまった。
スキル頑丈を持っていたとしても、ダメージは蓄積されていくものだが、田中にその様子は見られなかった。全ての攻撃を受け止め、息を吐き出すだけで次の盾を持ってオークの前に立ったのだ。
社員は田中を絶賛した。
だが、後藤田は見たいものが見れなくてストレスを溜めてしまう。
表面上は後藤田も絶賛したが、どうやって田中を苦しめるか考えるようになっていた。
「田中、明日も頼む。お前みたいな気骨のある奴は滅多にいないからな、期待しているぞ」
「はい、任せて下さい!精一杯頑張ります!」
田中の笑顔に、以前いた青年の面影を見る。
何かが背後に迫って来ているような、薄ら寒いものを感じた。
次の日も次の日も無茶をさせたが、田中はポーションを一本飲むと何でもないように立ち上がる。
部下のなかでは、田中は不死身なんじゃないかと噂が立つほどだ。
これまでに苦しむ様子を見たのは、攻撃を受け損なった一度だけだ。普通ならば、一撃受けただけで死んでもおかしくない攻撃なのだが、田中は再び盾を構えてみせた。
コイツは必要ない。
たとえ会社が欲していた人材だったとしても、後藤田にとっては邪魔な存在でしかなかった。
だが、排除する方法が思い浮かばない。
多くの社員を潰して来た過酷な業務を、なんでもないような顔で熟す化け物を追い詰める方法が思い浮かばないのだ。
精々が休みを与えないというものだったが、これも田中なら何も言わずにやってしまうだろう。
得意先から映画の撮影を手伝ってくれと頼まれていたので、これに田中を合わせた数人を向かわせたが、何故か笑顔で戻ってきた。やはり休みを奪った程度では、どうにもならないようだ。
そして次の日、退職届を顔面に叩き付けられた。
「おい、何のつもりだ田中ぁ!?」
「やってられるかボケ! なんで休み無しでオークに殺され掛けにゃならんのだ! こんなクソ会社辞めたるわボケ!」
「おい、待て!誓約書にもサインしただろうが、簡単に辞めれると思うなよ!給料も無しだぞ!」
「うっさいわ!労基署行くから覚悟しろよ!?人の生命を何だと思ってんだ。この人でなし!!」
「待て!労基は困る。分かった。落ち着いて話し合おう」
怒り心頭の田中を説得して、給与を倍払うと言って納得させた。
今回は田中が頑丈なのもあって、前に出過ぎたのが仇となった。いつもなら対処は部下に任せていたのだが、田中なら大丈夫と勝手に思い込んでいた。
部下に期待していると噂を流して、こちらに不満が来ないようにしていたのだが、効果は無かったようだ。
とにかく、田中を追い出せたのと、出費は痛いが金で黙らせたので問題は無いはずだ。
そして二日後。
「後藤田部長、忠告しましたよね、次は無いと」
「待って下さい!田中とは話が付いています。誓約書にもサインを貰っていますし、相応の金額を支払うと約束しています!弁護士先生と話をさせて下さい!まだ何とかなるはずです!」
「それだけじゃないんですよ」
「……どういう事です?」
「貴方に被害を受けたという元社員が集まって、訴えを起こしているみたいなんです。 既に後藤田さんの懲戒処分は決まっているんですよ。明日からの半年間の出勤停止命令です。この意味は分かるでしょ?」
自己都合退職。
退職金はくれてやるからさっさと辞めろ、そう言いたいのだ。たとえ辞めなくても、降格と給与の減額までされるだろう。
この時、ショックのあまり呆然と立ち尽くした。
覚悟はしていたつもりだった。
仕事を辞めても、暫くは生活できる貯金もある。
給料は下がるが、別に雇ってくれるという会社だってあり、生きていく分には問題ない。
それでも、長年勤めていた会社にいざ裏切られると、胸にポッカリと穴が空いてしまった。
まさか後藤田自身、こんなにガーディアンHDに愛着を持っていたとは思わなかった。
次があるから大丈夫。そうではなかった。これまで積み上げたモノが崩れる感覚は、奈落の底に落とされる絶望のようなものだった。
会社に辞表を提出して、各書類に記入して正式に退職するまで有給消化に入る。
誰もいない家に一人、寝転がって何故こうなったのかを考える。
勿論、自分自身が悪いのは理解している。それを抜きにして、どこで失敗したのか考えていた。
この性癖は治らない。きっと死ぬような目にでも遭わなければ、この性癖を沈静化するのは不可能だろう。ならば、それを考えるだけ無駄なのだ。
どこで失敗した?
社員を使い始めたときか?
アイツを追い込んだときか?
田中が労基に駆け込んだからか?
違う。違う。俺の功績を認めなかった会社が悪いんだ。
何日も考えて出した結論がこれだった。
余りにも身勝手な結論だが、確かに後藤田をコントロール出来なかった会社にも責任はある。
そして、そう考えた後藤田はかつて使っていた探索者の装備に身を包み、ガーディアンHDに向かう。
大きな騒動を起こしてやろう、俺を切ったことを後悔させてやる。そんな思いを胸に、狂気を振り翳す大義名分にして会社に向かった。
だが、その会社から出て来る人物を見て、後藤田の標的は変更される。
逃げる標的を追ってダンジョンに向かう。
尾行していたつもりだが、直ぐに見つかってしまいここまで来てしまった。
標的、田中は体の割に思いのほか早く、なかなか追い付けない。
いや、離れないように、わざと速度を落としているように見える。こちらをチラチラと見て、速度を調整しているのだ。
ふざけやがって!
怒りに目の前が赤くなるが、だからといって田中に追い付けるわけではない。
追って追って追い付いたのは、21階でも人が来ないような道の無い場所だった。
田中は息が切れたようにしているが、それが演技だと分かる。息は上がっているように見えるだけで、全く汗をかいておらず、表情も平気そうだった。
「後藤田部長、落ち着いて下さい。貴方は錯乱しているだけです」
「黙れ!貴様、労基に連絡したな!俺の生き甲斐を奪いやがってぶっ殺してやる!」
「どうどう、冷静になって部長。あっ部長じゃなかったね。後藤田さん冷静になって下さい、ここはダンジョンです。ここで暴れてもモンスターに襲われて死んでしまいますよ?」
したり顔で喋る田中が余計に癪に障る。
右手に持つ鉞に力が入り、いつでも襲い掛かれるように腰を落とす。
その状態で会話を進めるが、田中が興味深いことを聞いて来た。
「自殺者も出ているのに、どうしてオークに殴られるような仕事をさせたんですか?」
「…そんなの会社のために決まっているだろうが」
「……本音は?」
「人が苦しむ姿を見るのは、楽しいと思わないか?」
そこからの事はあまり覚えていない。
唯一覚えているのは、強い光に覆われて、汚濁のような何かが体から抜けていくことだった。
そして、気付いたらダンジョン1階の隅で倒れていた。
装備は破壊され着ている服もボロボロだが、体は無傷だ。
何があったのか思い出そうとすると、強い痛みが頭を貫き上手く働かない。誰かを追っていたはずなのだが、霞がかってはっきりしなかった。
ボロボロの服装でショッピングモールに向かうと、安物の服を購入する。幸い貴重品は奪われておらず、スマホで決済できた。
探索者協会に併設されている浴場に行き、汚れを洗い流してスッキリすると、改めて己がなにをして来たのか振り返る。
最悪だった。
ダンジョンで目覚めてから妙に頭が冴えている。
これは風呂に入ったからとかではなく、これまでにあった焦燥感や怒りの感情が無くなった影響だ。
この状態でこれまでの行いを考えると、喉を掻き毟りたくなるほど嫌悪感が湧いて来る。
自分がやったのにだ。
どうして非人道的な行為を、平然と楽しんでやれたのか理解出来なかった。今朝までの自分との感情の起伏の差に、何か超常の力が働いたのではないかと疑うほどだ。
スッキリとはしたが、自己嫌悪する感情を引きずり繁華街を歩く。
途中で人の入っていない居酒屋が目につき、落ち着いて飲みたいと思った後藤田には丁度よかった。
「何であんな事やっちまったんだろうなぁ。 クソッ、俺は人でなしのクソ野郎だ!」
居酒屋に入って飲んでいると、酔いが回ったのか気付けば隣の客に話掛けていた。事情を話すつもりはなかったが、その人物が聞き上手で、ついついこれまでの経緯を話してしまった。
「なあ、俺はどうやったら償える? って、そんな手段は無いか…。 アイツはさ、頑張っていたんだよ。それを俺が!」
「ええ、ええ、その気持ち分かりますとも。後藤田さんは後悔しているんですね。 確かにやってしまった事は最低な行為でしたが、その贖罪がしたいという心には私も感銘を受けます」
後藤田の愚痴に付き合っていた人物。
黒いスーツの男は、後藤田の気持ちに寄り添った言葉を吐き出す。
「あんたは優しいな。俺なんかの話に付き合ってくれて。 なあ、どうしたらいいと思う? 俺が持ってる金を渡したって足りない。謝罪したってアイツは目覚めない……俺は…クソッ」
憐れみを感じさせる、それでいて見下したような視線を後藤田に向けて黒いスーツの男はある提案をする。
「後藤田さん。貴方のお気持ちは、きっと被害に遭われた方にも届くでしょう。しかしながら、働けない彼らの生活は厳しいはずです。 ならば、後藤田さんが働いて補填しては如何でしょう? なに、仕事なら私が紹介しますよ。 ええ、安心して下さい、高額な報酬も用意出来ますので、直ぐにでも目的は達成できますよ」
「……本当か?」
後藤田は黒いスーツの男の手を取り立ち上がる。
薄ら寒い茶番劇だが、この時だけは後藤田の進む先に光が灯る。
たとえそれが絶望に消える光だとしても、後藤田にとっては希望の光だったのだ。
「ええ、全て私にお任せ下さい」
黒い死神は、新しいオモチャを手に入れたとほくそ笑む。
ーーー
青年は病院のベッドの上に横になり、半年という期間が過ぎようとしていた。
ベッドの横では、唯一の家族である母が眠っている。
青年の介護をする為に、病院で寝泊まりしているのだ。
青年は半年前に自殺をした。
会社で追い詰められて、鬱病を患い、その命を絶とうとしたのだ。
だが、青年は探索者だったこともあり一般人よりも生命力が強かった。加えて頑丈のスキル持ちで、普通ならば首を吊って死ぬところが、一時間経っても生きていた。
そのおかげで一命は取り留めたが、植物状態となってしまった。ポーションでも治療は不可能で、回復するには高額な料金を支払って高名な治癒魔法師に頼むしかない。
当然ながら、そんな金額を用意できるわけもなく、ベッドの上に横たわる日々を過ごしていた。
今更ながらに後悔する。
体は動かないが、意識はハッキリとしており周囲の状況は理解出来ていた。もう一つのスキルである聴覚増強が、嫌でも情報を伝えてくるのだ。
どうして自殺したんだ。
どうして体が動かないんだ。
どうして母が苦労しているんだ。
どうして母が泣いているんだ。
どうして、どうして、どうして……。
どうして僕は生きているんだ。
動かない体から涙が流れる。
母を楽にする為に働いていたのに、母を安心させる為に就職したのに、その結果は自殺という母を裏切る行為だった。
悔しくて悔しくて、体に力を入れるが動く気配はない。
せめて死ねたら。
その思いは叶わない。何故なら体の自由を手放したのは青年自身だからだ。
心が壊れそうになりながらも、必死に繋ぎ止める。
そんな毎日だった。
そして変化は唐突に訪れた。
病室の窓ガラスに砂が集まり鍵を開ける。
聴覚増強がその音を聞き付け、異常が発生したと理解する。だが、植物状態の青年では何も出来ず、ただ耳に集中する事しか出来なかった。
やがて窓が開き、ドスンと誰かが侵入して来る。
一体なんの目的があってここに来たのか分からないが、母にだけは危害を加えてほしくなかった。
必死に必死に腕を動かして、侵入者を母に知らせようとする。そして奇跡が起きる。
少しだけ腕が動いたのだ。
それは、些細な動きだったが確かに動いていた。青年の必死の思いに反応したのだ。
その様子を見ていた者はおり、侵入者はそれを見て驚いていた。
だが、である。
そんな些細な動きでは母に知らされるわけもなく、侵入者は母に近付いて行く。
焦る気持ちが、青年に力を与えるが、それ以上動く事はなかった。
侵入者が母の傍に立ち、何か温かいものが母を包み込む。
青年も直ぐ隣にいるから分かったが、その温かいものは太陽の温かさによく似ていた。
そして一際強い光が青年を包み込む。
"よく頑張ったな"
小さな声だったが、青年の耳には確かに届いていた。
翌日、青年が入院していた病院で幽霊が出たと話題になっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます